少年の初恋が悲劇を生む1

 その日、オーティスは恋をした。初恋だった。


 当時9歳だった彼が見つけた、白髪の少女。

 広大な庭の一角に設けられた雑木林で、彼はその少女と出会った。

 木漏れ日の下で、小さな手がせっせと花を摘んでいる。小振りの花束を作る彼女の姿に、オーティスは見惚れた。


 彼が立てた葉擦れの音に、少女が肩を震わせる。

 彼へ向けられた、黄色味の強い緑の瞳。

 透き通りそうなほど白い肌が、真っ赤に染められた。


 ――妖精だ。妖精がここにいる。


 オーティスが一歩踏み出す。立ち上がった少女が顔を俯け、彼の横を駆け抜けた。


「ま、待て!!」


 丈の長い白いブラウスがひらめき、ショートパンツが覗く。

 少女の肩にかかる白髪が、駆ける振動に合わせて跳ねた。


「マリア!」

「ノキ様、こちらにいらしたのですね」


 高く澄んだ、耳に心地好い声だった。

 メイドの腹へ飛び込んだ彼女が、甘えるようにメイドに擦りつく。

 少女がメイドへ花束を差し出している光景を、オーティスは夢見心地のまま眺めていた。


 オーティスの家は、本家と呼ばれている。

 彼は本家跡取りの最有力候補であり、この日は彼の家に親戚一同が会する日だった。


 ――親戚のどこかに、あの子がいる。

 そう捉えれば、面倒でたまらなかった親族の集会が、とても素晴らしいものに思えてくる。


 オーティス・ゲルトシュランク、当時9歳。

 初恋の相手は、3歳年下だった。



 *



「ほら、サミュ。腐ってんなら、ちょっとは手伝えよ」


 カウンターにぶすりと頬杖をつくサミュエルへ、エリアスが呆れた顔でため息をつく。

 サミュエルよりいくつか年上だろう。爽やかな好青年だった。

 ふきんを絞った彼が、無造作にそれを投げる。何の苦もなく、サミュエルがふきんを受け止めた。


「バイト代」

「相談料」

「ちぇっ」


 渋々立ち上がったサミュエルが、カウンターの木目にふきんを滑らせる。


 ノキシスが統治する小さな田舎町ベーレエーデにも、飲食店は存在する。

 エリアスはパブリック・ハウスを営む家のひとり息子で、サミュエルの古くからの友人だった。

 愛想の良いエリアスは幼い頃から店に立ち、大人たちがかわす会話を聞きかじってきた。

 今では知識も追いつき、彼の持つ情報量は侮れないものになっている。


 時計の長針があともう一周すれば、軽食を求める客のために、店を開けなければならない。

 開店前の店に居座らせるくらい、エリアスとサミュエルの仲は良かった。いわゆる親友だ。


「で? 今日はどうしたよ」

「ノキに留守番っていわれた」

「お前、ほんっとノキさんだいすきだな」

「うるっせー!」


 グラスを拭くエリアスの茶々に、テーブルを拭いていたサミュエルが怒鳴り返す。

 少年の顔は真っ赤に染まり、彼の友人はにやにやと口許を緩めていた。


「どうせまたノキさんが、マリアさんだけ連れて出掛けたんだろ? お前、前もそれで拗ねてたもんなー?」

「拗ねてない!! まだ出掛けてないし、まだ……ああもうッ!!」


 乱雑な仕草でサミュエルがテーブルを拭く。


「……今日、本家から呼び出しの手紙が届いたんだ」

「あー……、そりゃあまた……」


 ぶっきら棒なサミュエルの言葉に、エリアスが遠い目をする。

 彼等は前領主に苦しめられたため、ノキシスの本家に対して、良い印象を抱いていなかった。


「オーティスとかいうやつからの手紙だったんだ。それ読んでから、ノキのやつため息ばっかで」

「お前、忘れてるかもしんねーけど、ノキさん領主様だからな?」

「知ってるわ!」


 店内のテーブルを拭き終わり、サミュエルがカウンターの内側へふきんを置く。

 そのまま不満をのせて、カウンターテーブルを叩いた。うさぎの地団駄のようだった。


「聞けばノキ、小さい頃からそのオーティスってやつに、嫌がらせされてんの! そんなやつのとこ行くのに、俺に留守番してろって。そんなの、絶対何かされるじゃん!! 何で俺留守番なんだよ!!」

「お前、ほんっとノキさんのことすきだよなあ……」


 グラスを置いたエリアスが、間の抜けた声とともに呟く。

 鋭い眼光が向けられ、彼はわざとらしく咳払いした。


 ——その猛々しい思いを、もうちょっとマイルドに伝えてやれば、もっと楽になるのに……。


 ツンデレのツンの過ぎる友人に対し、エリアスが不憫そうな顔をする。サミュエルはぶつぶつ、恨み言をこぼしていた。


「いっつもマリアマリアって、マリアばっかり! 俺だって紅茶淹れるの上手くなったし、背だって高いし、ノキより力強くなったし! 少しは頼ってくれてもいいじゃん!!」

「頼るっつても、お前15歳だしな」

「来年成人するわ!! 確かにマリアは何でもできるし、俺もいろいろ教わったよ? でも、俺だって頑張ってんのに!!」

「まあ、ノキさんもう30だし。お前の年齢の倍じゃん」

「年の差が憎い!!!」


 乱雑に椅子に座ったサミュエルが、テーブルに伏せる。

 うつむく声はもごもごと聞き取りにくかったが、エリアスは構わず開店準備を進めた。


 店の奥から顔を出したエリアスの母親が「オリーブオイルはあるかい?」尋ねる。ほい、ひとり息子の素知らぬ顔が、緑のビンを手渡した。

 サミュエルに気づいた母親が、あれまと笑って奥へ引っ込む。

 少年はこの空間に、驚くほどよく馴染んでいた。


「……だってノキ、普段あんなんだけど、実際ぽやぽやしてるし、どんくさいし、貧弱だし、お人好しだし、騙されやすいカモネギなんだもん……」

「お前、自分の上司ディスってんの、気づいてる?」

「本家の話になる度に落ち込んでるし、しんどそうなの見たくないし、いじめられるってわかってんじゃん……。何で俺連れてってくれないんだよ。俺の方が、絶対あしらうの上手いのに……」

「直談判して、プレゼンしてこい」


 ケトルに水を張ったエリアスが、火にかける。

 はたと瞬いた彼が、顔を上げた。


「思い出した。オーティスって、ノキさんとこの本家の跡継ぎ候補の名前だ」

「絶対嫌なやつじゃん。黒じゃん。漆黒じゃん」


 聞き知った情報を披露した友人に、サミュエルが渋面を浮かべる。

 テーブルからのそりと起き上がった彼へ、エリアスが仕舞いこんだ知識を披露した。


「ゲルトシュランク家の跡取り候補が三人いるんだけど、オーティスが長男で最有力。あと次男、長女って続く感じ」

「最悪。ノキに頼み込む。マリアとふたりでなんか行かせられるか!」


 椅子から立ち上がったサミュエルが、開店前の札のかかった扉を開ける。ちりん、涼やかな音が鳴った。

 ひらひら、エリアスが片手を振る。


「土産よろしくな」

「おう。ありがとな、エリアス」






 サミュエルが走らせる馬車が、林道を抜ける。

 にょきりと覗いた交易の街に、マリアの向かいに座ったノキシスがため息をついた。


「行きたくねーある……」

「ぱっと行って、ぱっと戻りましょう」


 にこにこ、行儀良く座ったマリアが提案する。渋々、ノキシスが頷いた。


 彼等が向かう先は、ノキシスの本家である。

 その心情は、魔王城へ放り込まれた村人Aそのもので、次期当主と名高いオーティスに呼び出されたノキシスは、こうして嫌々出頭していた。


 厳かな門をくぐり、重厚な屋敷へ馬車が近づく。

 警備の誘導に従い、サミュエルが馬を留めた。


 ずれる眼鏡を押しやり、ノキシスが大屋敷の前に降り立つ。

 自然な動作で後ろに控えるマリアの手を取り、彼が唯一のメイドを降ろした。

 サミュエルが馬車から荷物を運び、警備が馬車を移動させる。


 もう一度重々しくため息をついたノキシスが、顔を上げた。

 そこに浮かんだ表情は、うさんくさくて軽薄そうな笑顔だった。


「とっとと終わらせて、さっさと帰るある!」

「はい」


 静かに戦いのゴングを鳴らした無表情のサミュエルが、こくりと同意する。

 エリアスの助言と本人のゴリ押しで、今回の付き添いの権利を獲得した少年は、既に剣呑な空気で周囲を警戒していた。

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