執事さんのマスターキーとメイドさんのマスターキー4

 ノキシスがサミュエルと代わり、鍵を開けようとガチャガチャさせる。

 しかし扉は開く気配を見せず、……はて。困ったようにふたりは顔を見合わせた。


「そういえば、この頃ノキの部屋、鍵が開けにくくなってましたね」

「んー、ホフマンに修理を頼むあるかー……」

「あら? おふたりとも、どうしましたの?」


 廊下で立ち往生するふたりに、掃除の終わったマリアが話しかける。

 もう一度顔を見合わせたサミュエルとノキシスは、揃って肩を落とした。


「マリア、部屋が開かなくなったある……」

「鍵がうまくささらないんです。ずっとガチャガチャいってて……」

「あらあら」


 それは困ったと口元に手を当てたマリアが、ぴこんとひらめいた顔をする。

 颯爽とメイド服を翻させた彼女は、やわらかく穏やかで、ぬくもりに満ちた真冬の布団のような笑みを浮かべていた。


「でしたら、マスターキーを持ってきますわ!」

「ありがとう! 助かるよ、マリア!」


 ぱああっ! ノキシスの表情が輝く。

 小走りで走り去る後ろ姿を見送る領主はにこにこと笑顔で、再びむすりとむくれたサミュエルは言葉をついた。


「ノキって、マリアに対してやけに甘いですよね」

「マリアはわたしの乳母だからね。当然だとも」

「うば……?」


 よくわからない貴族用語を持ち出され、サミュエルが首を傾げる。

 おっとりと微笑むノキシスは、「育ての親だよ」簡単にマリアのことを説明した。


「マリアはわたしが生まれたときにやってきた、初期型の自動人形なんだ」

「え、じゃあマリアって、ノキが赤ちゃんの頃から一緒にいるんですか!?」

「そうだね。実の親の代わりに、わたしを育ててくれたんだ。まったく、マリアには世話になりっぱなしだよ」


 懐かしそうに目元を細めたノキシスが、照れたように頬をかく。


「実の親の代わり……って、ノキのご両親、病気だったんですか?」

「いいや。ピンピンしているよ」

「じゃあ何で育児しないんだ!?」


 サミュエルはびっくりした。

 両親が揃っているなら、両親がノキのこと育てればいいのに!

 サミュエルの様子に、おかしそうに笑ったノキシスは、「貴族とはそういうものだよ」と答えた。


「だからだろうね。ついマリアを頼ってしまうよ」


 ——そんな、それじゃ太刀打ちできないじゃんか! サミュエルがぐっと手のひらを握る。

 俺だって、ノキに真っ先に頼ってもらいたいのに!

 ……これがサミュエルの持つ、借金返済以外のもうひとつの目標だった。

 ノキシスにまず最初に頼ってもらえるような、立派な執事になる。

 ノキシスに認めてもらうことが、サミュエルの夢だった。


「サミュ?」


 急に黙り込んでしまったサミュエルへ、不思議に思ったノキシスが声をかける。

 沈黙していた少年の手が、じゃらりと鍵束……マスターキーへ触れた。


 ——あれ? マスターキー? 少年ははたと顔を上げた。


「そういえばノキ、マスターキーって、俺が持ってるやつ以外にありました?」

「ん?」


 サミュエルが取り出した鍵の束。

 じゃらじゃらと音を立てたそれらの管理は、執事である彼が担っている。

 ……サミュエルが持っているマスターキーで解錠できないのであれば、他に開けられるものなどないはず。

 あれれ? ノキシスとサミュエルは首を傾げた。

 丁度、とととっ、廊下の奥から軽やかな靴音が聞こえる。

 緩やかな巻き毛を揺らし、小走りでマリアが駆けてきた。


「お待たせしましたわ!」

「ああ、マリア! おかえ……」


 ノキシスの言葉が途切れ、その笑顔が凍る。対してサミュエルは、げっ! 顔色を青ざめさせた。

 マリアの手の中で鈍く輝く、一振りの薪割り用の斧。

 しかし、澄み切ったにこにこ笑顔で斧を握ったマリアは、ふたりの前、厳密にいえば閉め出しを食らった扉の前に立った。


「マスターキーを持って参りましたわ!」

「えっ、マリアそれ、斧……!!」

「えいっ!!」


 可憐な笑みと、清楚な出で立ちで、マリアが扉目掛けて斧を振りかぶる。

 サミュエルの静止虚しく、どごおおおおおおおんッ!!!!! 屋敷を震撼させる轟音が鳴り響いた。

 粉砕した扉が、折れた割りばしのようなささくれた断面を覗かせる。

 ひぇっ、サミュエルは悲鳴を上げた。


「……なるほど。どんな扉も開けてしまうから、マスターキーか。さすがマリアだ……」

「しっかりしてください、ノキ!! 鍵の修理から扉の修理にレベルアップしてますよ!?」


 飛び散る木片からノキシスを守るように、慌てたサミュエルが上着を脱いで前に立つ。

 マリアは終始にこにこ笑顔で、一撃ごとに確実に扉へ斧を食い込ませていた。

 ばきぃッ!! 砕けた木目が廊下を滑る。よく磨かれたそこには、木くずの山ができていた。

 うふふ、ノキシスが遠くを見つめる。


「マリアの行いに、間違いなどあるはずないだろう」

「目を覚まして現実を見詰めてください、ノキ!!!!」


 渾身の力を込めて、サミュエルがツッコミを入れる。

 ついに、きいぃ……、待望の扉の開く音が彼らの耳に届いた。


「開きましたわ」


 振り返ったマリアが、にこりと微笑む。

 柔らかな春の陽光のような微笑みだった。小鳥のさえずりが聞こえてきそうな、慈愛に満ちた微笑みだった。あふれる後光の幻覚まで見える。


 彼女の後ろで揺れる、無残な姿をさらした扉。

 大きな穴を空けた木製の扉が、蝶番の可動域のまま開いていった。


 はっと我に返ったノキシスが、ぱちぱち、手を叩く。

「ブラボー!」声を上げた彼の目には、うっすらと涙の膜が張られていた。


「さすがわたしの自慢のマリアだ! ありがとう、助かったよ!」

「お役に立てて光栄ですわ」


 普段のあるある口調までもをふっ飛ばした賛美に、マリアがはにかむ。

 淡く頬を染め、胸の前できゅっと斧を握る仕草は、花束を持つ麗しい乙女のようだった。持っているものは物騒だが。

 顔色の悪いサミュエルも、ともに拍手を贈る。

 照れるマリアはにこにこ微笑んだ。


 先ほどの豪快さなど微塵も感じさせない淑やかな動作で、「お掃除しますね」彼女が腰を折る。


 マリアは自動人形だ。

 彼女の稼働日は、それこそノキシスの幼児期にまで遡る。

 ノキシスの母代わりでもあり、姉代わりでもある彼女は、長らくノキシスに仕えてきた。


 型は少々古いが、彼女は万能だ。

 家事などの一般的なメイド機能の他に、戦闘機能が備わっている。

 主人の安全第一。彼女は優秀だ。

 時に強制的な手段で主人の身を守る。


 自動人形の思考回路と、生身の人間の価値観が、若干食い違うことはよくある話だ。


「……サミュ」

「はい」


 か細く肩を震わせるノキシスへ、サミュエルがハンカチを差し出す。

 眼鏡を外して目頭を拭ったノキシスは、くすん、切なそうな声を絞り出した。


「ホフマンに連絡を入れてくれ。新しくて軽くて、簡単に開く扉がほしいと」

「ノキ、それ防犯大丈夫ですか?」

「鍵は、コインでくるっとさせるだけで開くものがいい」

「防犯面ダメですってそれ。ね?」


 大切な領主の執務室が、トイレの鍵くらいに容易く開けられてはたまらない。

 サミュエルとホフマンの説得により、ノキシスの執務室にはしっかりとした扉が新調された。

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