執事さんのマスターキーとメイドさんのマスターキー3
「もうっ!! ノキ、どこ行ったんだよ!?」
あちらこちらを探し回ったサミュエルは、ふと、畑のそばにある木に人が群がっているのを見つけた。
——なんだアレ。
少年は訝しんだ。
立派な広葉樹には梯子がかけられ、たくましい肩幅の男が登っている。
「いててっ! ミーちゃんの細いツメが食い込む、いててっ!!」
「ホフマンおじちゃん、がんばれー!!!」
「ミーちゃん!!」
ホフマンの腕に抱えられた茶色のまだらの毛玉が、ミーッ!! 鳴きながら四つ足を踏ん張った。
大地へ降り立ったホフマンから、赤毛のみつあみの少女へ毛玉が渡される。
目に涙を溜めた少女は、ミーミー鳴くミーちゃんを抱きしめ、頬擦りした。
……なんだこれ、なにがあったんだ?
疑問に思ったサミュエルが、子猫の生還を喜ぶ彼らへ近づく。
広葉樹の傍には赤い自転車があり、見覚えのあるそれに少年はハッとした。
「しっかし、何でまた木登りなんかしたんだよ、ノキさん」
呆れるホフマンの見上げる先、木の上に、苦笑いを浮かべる領主ノキシスはいた。
太い幹ににちょこんと座る彼は、か細く肩を震わせているように見える。
顔色悪く、ずれる丸眼鏡を押し上げたノキシスは、口を開いた。
「恐らく、ミーちゃんはコーギー犬にびっくりしたのだろうと思ってね」
「それで脇目も振らずに逃げ出して、駆け登った木から降りられなくなったと?」
「まあね」
「……それで、なんで運動できないノキが木登りしようなんて思ったんですか?」
「げっ!」
ナチュラルにネイチャーに会話へ混ざったサミュエルに、ノキシスの頬が引きつる。
ホフマンは顔を背けて、んんっ! 咳払いした。笑いたい心情を誤魔化すような、わざとらしい咳払いだった。
ずんずんと木へ近づくサミュエルの前が、どこぞの聖人のようにぱかりと開く。
その覇気は、「サミュ兄ちゃん、怒ってるね……」子どもたちを戦かせるものだった。
「げっ、じゃないですよ! ミイラ取りがミイラになってるじゃないですか!!」
「う、その、面目ない……」
「大体、こういうときは大人の人を呼んでください! ノキになにかあったんじゃないかって、心配した俺の心臓がギュッとしたんで!!」
「わたしも29の大人だが……」
「現状見てものいってください!!」
しょぼん、肩を落としたノキシスが哀愁をまとう。
サミュエルは身軽に梯子を登り、か弱く震える領主へ手を差し出した。
そう、サミュエルは運動ができる子だ。軽やかに動ける。駆けっこだって速い。
「ほら、ノキ。手を取ってください」
「乙女ゲームならフラグが立っていたところだね、サミュ。きみなら立派な攻略対象になれるよ」
「なにをよくわからないこと言ってんですか? 置き去りにされたいんです?」
サミュエルの困ったような微笑みと、キラキラにあふれる光のエフェクトの幻覚に、ノキシスが目をしょぼしょぼさせる。
血迷った上司のおかしな妄言に、一気に呆れ顔へ変わったサミュエルは冷え切った言葉を投下した。
しょぼん、震えるノキシスが震える手を差し出す。
しっかと握ったサミュエルは、何の苦もなく領主を地上へと降ろした。
「ノキおじちゃん、おりれてよかったね!!」
「サミュ兄ちゃんありがとう!!」
領主の奇跡の生還に、子どもたちがわっと歓声を上げる。
ホフマンは膝を叩いて笑っていた。
ノキシスが悔しそうに歯噛みする。彼らに助けてもらった手間、言い返すことができなかった。
代わりに、えへんっ、咳払いする。
「みんな、協力感謝するある!」
「じゃあさっさと部屋に帰りますよ。ノキの仕事、片付いてないんで」
「くすん」
眼鏡を押し上げ、両手で顔を覆ったノキシスを置いて、自転車のサドルを手際良く上げたサミュエルが、軽やかにスタンドを蹴る。
——なるほど。こうしてノキさんは自転車に乗れなくなったんだな。
ホフマンを含めた農夫たちは、しみじみと納得した。
並んで立ったノキシスとサミュエルの間には、10センチ以上の身長差がある。もちろん、背が高いのはサミュエルの方だ。
悲しそうに自転車を見つめたノキシスが、ちょんと荷台に腰を下ろす。
「ノキさん、ヘルメットはいるかい? サポーターはつけたか?」
「絵面やべぇある」
「リヤカーいりやすかい?」
「売りさばかれそうある……」
「二人乗りは危ねえからな」
ホフマンと農夫に身の心配をされ、横座りの領主がべそべそする。
自転車を押すサミュエルは、カラッと爽やかな、洗濯物がよく乾きそうな顔をしていた。
「さ、帰りますよ、ノキ。じっとしてくださいね」
「ノキおじちゃん、またねー!!」
「おーう、達者で過ごすよろし、じゃりんこどもー」
子どもたち総出で見送られ、ノキシスが小さく手を振り返す。
ど田舎の一本道を、オンボロな自転車がキコキコ進んだ。
程なくして辿り着いた、ノキシスの屋敷。
歴代の領主たちが使ってきた豪邸から離れた位置にある領主邸は、どちらかといえばこじんまりとしていた。
庭先を掃除していたマリアが顔を上げる。
やわらかな金の巻き毛が風に揺れ、彼女は顔にかかる髪を耳へかけた。
「あら、おかえりなさい。ノキさん、サミュさん」
「ただいま戻りました、マリア」
「マリアー! いつ見ても美人よー!!」
「あらあら」
止まった自転車から飛び降りたノキシスが、ほうきを持って微笑むマリアへ投げキッスを送る。
むんずと主人の腕を掴んだサミュエルはつかつかと早足で、盛大に玄関扉を開けてノキシスを引き摺り込んだ。
あらあら。マリアの慈愛に満ちた笑みが深くなる。
——仲がいいわね。彼女の顔はそう物語っていた。
「なーにぶすくれてるあるか、サミュ」
「べっつに。……俺だって迎えに行ったのに、なんだよこの対応の差」
よく磨かれた廊下に、差し込む光が窓型に影を描く。
マリアとの扱いの差に、ぶつぶつと不満をこぼすサミュエルは大股だった。
早口のそれに疑問をもらすノキシスが、眼鏡を押し上げる。
——はて、この子はなにに機嫌を損ねたのだろうか?
ハテナを頭上に並べた領主へ、ぐるんと顔を向けたサミュエルは目尻が吊り上っていた。
「とにかく! 今日の仕事が終わるまで、部屋から出しませんからね!!」
「しまっちゃうおばけある!!」
「言い方かわいいな!?」
辿り着いた執務室を前に、サミュエルが鍵を取り出しガチャガチャする。
しかし一向に開かないそれに、少年執事は顔をしかめた。
「……え。待ってくださいね、ノキ。すぐ開けますんで」
「鍵間違えたあるか?」
「そんなことありません。ほら、執務室の鍵です」
サミュエルがマスターキーからかざした鍵は、紛うことなく執務室の鍵だった。
はてと首を傾げたノキシスが、自身のポケットから自分用の鍵を取り出す。
「サミュ、貸すある」
「すみません……、ノキの手を煩わせました」
「気にすんじゃねーある……んんん? 開かねーある」
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