第5話
僕には幼稚園の頃からずっと一緒に居たTという友達がいた。幼いころからTは人見知りで、独りぼっちだったので僕はすぐにTに声をかけた。その頃から僕は優しい人間を演じる方法を熟知していたらしい。不思議と僕らはすぐに打ち解けた。
それから幼稚園、小学校、中学校と腐れ縁のようにTと僕は離れたことがなかった。人気者の僕と引っ込み思案なTが友人であることは周りからしてみれば意外だったようで、僕は良く「Tのどこがいいの?」などとクラスメートから聞かれていた。
そのたびに僕は
「あれで結構いいところあるんだよ?」
などと言い、僕はTと心が通じ合った親友であるかのように演じていた。
けれど実際には、僕はTのいいところなんて少しも見つけることが出来なかった。Tはいつも不潔で声が小さくて、忘れ物ばっかりしておまけに家はとても貧乏で、とにかく欠点だらけだった。しいてTの長所を言うなら僕のいい引き立て役になってくれることと、僕に優越感を与えてくれることぐらいだった。
そんな気の弱いTは小学生の時少しだけいじめにあっていた。とは言って黒板に悪口を書かれたり、彼の失敗を皆の笑いものにされることぐらいだった。
そのたびにTは頭を掻き、力ない笑顔を浮かべていた。僕は彼のその笑顔を見るたびなぜか胃がキュッとして、Tを心の底から貶せない自分が心のどこかにいた。だから僕は「もう、Tったら」と言い、まるでTに愛嬌があり僕はそれを慈しんでいるかのように装った。
そうすることで場の雰囲気を和ませ、彼への虐めがさらに発展しないよう努めた。Tは僕に困っているようなそぶりを見せないので、僕はTはさほどいじめに関して気にしていないで済んでいると思っていた。僕がTを守っているとさえ自負していた。
母はTのお母さんがあまり好きではなかった。ママ友の間では、母は完璧主義で最高の母親ということになっているらしく、母は先頭を切ってTの家の悪口を言って優越感に浸っていた。
僕の母は毎回授業参観に来ていたがTのお母さんが授業参観に来るのは一年に一回ぐらいの頻度だった。僕が小学四年生くらいの時、なぜTのお母さんが授業参観に来ないのか、Tに聞いたことがあった。
「Tのお母さん、なんで来ないの?」
するとTは一瞬だけ悲しい顔をして
「うち、お父さんがいなくなっちゃったから、お母さんがいっぱい働かないといけないんだ」
と言った。
僕がTのこれほどまでに悲しい顔を見たのは初めてだった。僕にはTの悲しんでいる原因が、お父さんがいないことなのか、お母さんが授業参観に来ないことなのかわからなかった。
「僕の家もお父さん、いないんだ」
僕は何も考えずふっと声を漏らすようにTに言った。
「知ってるよ」
Tは優しい目をして言った。
「でも君の周りにはいつも人がいるじゃないか」
Tは俯いて言った。
「でも僕には誰もいない。誰も……」
今にも泣きそうなTに僕は反射的に
「僕がいるじゃないか」
と言った。驚いてTは真っ赤な目で僕を見る。
「僕がついてるよ……」
僕はこれまでにないほど自然に、内発的にTに偽善をした。
「ありがとう」
Tは恥ずかしそうに、でも嬉しそうに僕に礼を言った。
Tは僕の引き立て役。そんな風に思っていたはずなのに、僕はTの友達になろうとしていたのかもしれない。
それから僕らは気兼ねなく心根を話すような仲になった。けれど僕はあまりにも心にたくさんの自分を作っていたため、どの自分が本当の自分なのかわからなかった。だから僕らの会話では、僕はほとんど聞き役だった。
けれどTの前ではあまり取り繕う必要がないと僕は思っていたので、Tと一緒に居る時間は他の人と一緒に居る時よりだんぜん気持ちは楽だった。
しかし中学生になってTは小学生の時より。過激に虐められるようになっていた。たまに筆箱を隠されたり変な噂を流されたりしていた。中学生ともなると僕がどんなに場を落ち着かせようとしても限度があったので、僕はあまりTの役には立てなかった。
そんなもどかしさを感じる中で、僕の人生感を大きく変える出来事が起きた。
「T、大丈夫か?」
ある日の冬の放課後、偶然会ったTに僕は聞いた。
「ん? 何が? 大丈夫だよ?」
Tは僕が聞いていることが何のことなのか、てんでわからないというようなおとぼけた顔を僕に見せた。そのTの顔は小学生の時から変わってなかった。
「ならいいんだけど」
虐められていることに気づいていないなんて、どれだけTは鈍いのだろう。と僕は内心Tを馬鹿にしたが、同時に少しだけ僕はほっと安心した。
「それよりもさ……」
そのあとは内容のないことをだべって二人で帰りながら、途中Tの提案で駄菓子屋に寄り道し、寒い冬空のなかアイスを買った。
「寒いよ〜」
そう言いながらTはその駄菓子屋で、一番安いアイスをほうばった。
「当たり前だろ」
冷静にTに突っ込みながらも、Tにつられて同じアイスを買った僕も馬鹿だなぁ、なんて思いながら僕もTと同じアイスをほうばった。
「すき焼きが食べたい」
Tはぼそっと言った。
「なんだよ、アイス食べたかったんだろ?」
僕はTに呆れながらも、すき焼きかぁ、確かに食べたいなあ。とTに内心共感した。
「うん。でもすき焼きも食べたい。今度食べたいなぁ」
Tはすき焼きの味を想像し、ニコニコと笑顔を浮かべた。
「じゃあお金貯めないと。一日十円貯金でもする?」
、僕は少しTを小馬鹿にしながら笑った。
「うん、する」
僕の冗談を真に受けTは真剣な顔をして、何日でどれくらい貯まるか計算しだした。
「けんちゃんも十円貯金やってね?」
はい、指切り。と言ってTは僕に小指を差し出した。
「えー……もう、わかったよ……」
僕は呆れながらTと指切りをした。
「約束ね」
そう言ってTはにこっと笑うと、何分間か放置したのに全然溶けていないアイスをまた食べ始めた。
僕も冷たいアイスを口に運んだが、なぜか心は暖かいことを微妙に感じていた。
駄菓子屋からの帰り道、Tは死について話していた。
「死んだらどうなっちゃうんだろうね」
「さあな。わかんねーよ」
僕はTの話をてきとうに相槌をうちながら聞いていた。死後の世界なんてわからないけれど、きっとつらい所だろうと僕は思ったがTには言わなかった。
「死んだら何もかも楽になるのかな……」
ぼそりとTはつぶやいた。
「え? 今なんて言った?」
Tの言葉がいつになく暗かったので、僕は思わず聞き返した。
「え? なんて言ったっけ? わすれちゃった」
そう言って、えへへと力なく笑うTに僕は心底あきれた。ちょうどその時二人の家路が別れるところだった。
「じゃあね、けんちゃん。明日から冬休みだけど元気でね」
「家三軒隣じゃん。お前どうせ毎日遊びに来るんだろ?」
「まあね」
Tは頭を掻いていつも通りニコニコしていた。
「じゃあな」
そう言って僕は家の鍵を開けて扉を開けた。
家に入り扉を閉めた時
「元気でね」
とか細いTの声が聞こえた。
その時僕は、Tはどれだけ僕の身体を気遣えば気が済むのだろうと思った。
けれど僕がTの声を聴いたのはそれが最後だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます