白ノ八

「...おはよう、優里ちゃん」


ゆっくりと目を開ける私に向かって彼はそう言った


...えっと、彼の車で家まで送られるはずだったんだけど、後部座席に乗ろうとした

時に顔に湿ったハンカチ?が張り付いてきて、それから...


彼が笑って「おやすみ」と言ったような気がした

彼に笑って「おはよう」と言われるまでの記憶は無い


聞きなれないその声に返事を返すより先に状況を理解する


見るからに廃墟といった建物、床にポツンと敷かれたボロボロのマット

そこに仰向けで寝そべる私に覆い被さるように身動きを奪う彼

その口元はさっきからずっと薄く笑っている


こわい、怖い、恐い、でも予想出来なかった訳じゃない

まだ頭がボーッとしているけど手足が縛られている訳じゃない

いや、そんなことよりも小夜じゃなきゃダメだった訳じゃないでしょ?


小夜はどこにいるの?私の小夜を返して

小夜は私が助けなくちゃいけないの

私の手で助けてあげたいの

だって小夜を巻き込んだのはあなたじゃない、この私だから


「小夜はどこ?」「...?」


彼の顔から笑みが消える

疑問符を張り付けたようなその表情は聞こえなかったから?小夜を知らないから?

泣き叫ばない私が理解できないから?


無言で見つめ合う二人、数秒の沈黙に先に痺れを切らしたのは私だった


唯一自由のきく視線だけを動かし辺りを探る


上から覗きこむレンズを支える三本の脚、床に寝転ぶ哀れな二体の人形

更に奥には見覚えのある一台の車が...


...そこで私の視線が止まりまた引き返す


ボロボロの服を着させられてる二体の人形の一体に目を凝らす


私と同じ制服、小麦色の肌、右腕には...やっと見つけた

間違い無い、あれは小夜だ


やっと見つけた喜びも束の間、私の中に一つの不安がよぎる


なぜ小夜を捜していた私が直ぐわからなかったの?

小夜の事だけを考えていたのに、一目見ればあれは小夜だとわかるはずでは?

なぜ私の脳は一度人形として小夜を処理したのだろうか?


考える間を与えず頬を彼の平手が襲い私の顔の角度を変える


恐怖の声もあげずに辺りを見回す私に苛立ちでも覚えたのだろう

打たれた頬に彼の息がかかる


だがそれでも私の視線を奪うことは出来ない

なぜなら真正面に見える小夜が視線を奪い続けているから


こんなにも求め続けた小夜が、今そこに...


しかし舌打ち音と共に顎が彼へと引き寄せられ視界から彼女は消えた


強制的に目が合う、その目は笑っているようで怒っているようで哀れんでいるよう

でもあり、私にもう一度恐怖を植え付ける


恐い、何で?どうして?...小夜はそこに居続けるの?


「小夜~、ねぇサァ~ヤァ~」


まるで返事が反ってこないことを知っているかのように全身を震わせて泣き叫ぶ

その声より少し遅れて歓喜の叫びが建物内に響き渡る


聞くもの全てを恐怖に誘うような二つの叫びが支配する空間

忘れかけていた現実を再び人形たちに思い出させるように絡み合う叫び


同時に彼の歪んだ欲望が私の体に絡み付く


引き裂かれる服の音、肌に触れる湿った水滴の感触

動く度に舞い上がる土ぼこりの臭い、口の中に流れ込む生ぬるい味


正直そんなものどうでも良いいの


自分のいる現実世界を支配し取り戻しつつある五感は、視線の端で捕らえられた

横たわる小夜へ向けられた視覚のみしか機能していなかった


ただ変わり果てた姿の彼女へ流れる涙が止まらない

そうとも知らずに彼の感情は高ぶっていき私の頬に腹に痛みを植え付けていく


普段の感覚ならその痛みは顔で表現出来ていただろう

たが今の私にその痛みを表せるだけの余裕はなかった


尚も注がれる痛みは次第に体の色を変えていく

それを見て彼の歪んだ愛情と狂った叫びは激しさを増して私に襲いかかってくる


それでも彼に私を支配する事など出来はしない


ごめんね小夜、私のせいで...

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