白ノ七

「今日こそ何か描いてみようよ」


そう言っていつもスケッチブックとクレヨンを渡してくれる

幼稚園のお絵描きの時間みたいで懐かしい


昨日とは違うページにお人形さんは今日も絵を描く


自分の好きな物や動物、この中には勿論ご主人さまの絵だってあるのよ?


「...」勿論彼女もわかって言っているのだろう

それ以上の言葉は発しなくてもいつも微笑みながら見守っていてくれるから


でもその絵はご主人さまの目には決して見える事はない


真っ白なスケッチブックを汚さないように、今日も白いクレヨンで絵を描く

他の色は新品なのに白だけが日に日に長さを変えていく


白で描く片隅に何かがチラつく、カーディガン越しに二の腕を摩る姿が目に入った


そういえば少し部屋が冷えてきたような気がするが...

いつの間にかベッドの端には畳まれた毛布が用意されていた


それなら今は夕方かしら?


カーテンの隙間からゆっくりと透明な顔が部屋を覗きこむ

その事でさっきよりも少し、ここの空気は温度を下げただろう


「あれ?雪が降ってる」


いつも人形の横で本を読んでいるご主人さまが窓を見つめ呟く


今日の予報には無かったはずの冬の代名詞

日中とは違う黒々とした雲からヒラリヒラリと雪が舞い降りていた


それは天が地に与えた白い芸術


それは闇すら塗り潰してしまう白い奇術


それは癒えぬ痛みすら忘れさせてくれる白い医術


しばし言葉を忘れ見いるご主人さまと、その横顔につられて窓の外を見る人形

その手首には傷痕を隠すように包帯が巻かれていた


二つの視線など気にせず深々と降り積もっていく雪

茜色の光を遮られた黒い世界がだんだんと白く染まっていく


まるで嫌なことなど無かったように

全てを忘れさせてくれるように降り続く美しい光景


人形の私もつい見とれそうになるその雪はクレヨンで描くこの雪と似ているようで

全くの別ものだった


コンコンとそれまで無音だった部屋に知らせが響く


一人の若い男性が入ってくるなり私を無視してご主人さまの耳を奪う


「...が来てるんですけど、どうしたらいいですか?」


蛍光灯に照らされた部屋が少し暗くなったような気がした


「ん~またか、面会は制限してるって何回も言ってるんだけどな」


「...」ドクンドクンと体中に響きわたる心臓の音


包帯で隠してもまるで意味がない、視線を向けなくても見えてしまうから

だってこの傷は私の心の中に刻まれているのだから


「どうしようかな?こんな雪の中をわざわざ来てくれたんだもんな~

優里ちゃんも最近は落ち着いてるからな~

谷口君だっけ?ちょっと話してくるから優里ちゃんお願いできる?」「あ~はい」


いつもと変わらない無表情の顔に問いかけをする事はない


「...」落ち着いてないよ?どうしてそんなこと言うの


「...」嫌っ!私のそばを離れないで


「...」でも、どうやって伝えればいいの?


ずっと感情を閉ざしてきた私の心と体はその表現方法を忘れていた


私の心情も知らずに「すぐ戻るから待ってて」と告げて席を立つ私という人形遊び

に飽きた元ご主人さま、もう戻ってくる事はない


そのうち他で良いお人形さんでも見つけてそっちに乗り換える事だろう


ゆっくりと遠ざかっていく姿を目で追うことしか出来ない視線と

それを表情も無く見下ろすような視線だけが残る部屋


扉の影に消えるその姿に助けを求めるように叫ぶ私の心とは裏腹に

現実だけが静かに、そして残酷にこう告げる


「さようならは言わないで」と...


わかっていた、それが私の居るべき世界だから

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