過酷な患者作業
私たちは群馬県の栗生楽泉園に送られた。施設に着くや否やすぐに服を脱がされ、ハンセン病の症状を聞かれ検査を受けさせられた。
私は症状が軽度だったため、治療をだいぶ先延ばしにされることになった。治療と言っても大風子油という薬を注射器で打つだけだったが。
栗生楽泉園では希望者には偽名を使うことが許されていた。それは残してきた家族がハンセン病患者の家族として知られ、世間から差別されることを避けるためであった。私は偽名を名乗ることを望まなかった。
もちろん自分の家族を守りたいと思う気持ちはあったが、それ以上に母の教えである病気に負けずに凛としなさい、という言葉は私に名前を変えることをさせなかった。名前を変えてしまっては、自分の心情も過去も変えてしまうような気がした。なにより、結子、と彼に呼ばれた過去が消え去ってしまう気がした。
各部屋には軽度、中度、重度の人間5,6人で構成されていて、各部屋に一人親方と呼ばれる人がいた。親方の言うことは絶対で、軽度の人間は重度の人間を世話する患者作業というものをしなくてはいけなかった。私の部屋には寝たきりの重度が二人、中度が二人、そして軽度が私一人だった。親方は中度のうちの一人で私に重度二人の世話を押しつけた。
重度のうちの一人はいつも人形を抱きかかえていたので、ぎょうさんと言われていた。もう一人は顔が変形し舌がいつもむき出しだったので、べーと呼ばれていた。二人とも歳は60過ぎで感覚まひや神経衰弱が酷かった。
「大変ね。」
京子は私の良き友達として私の話を聞いてくれた。栗生楽泉園には小さな公園が会って、私たちは良くそこで話をした。
「京子ちゃんは患者作業はないの?」
「私は中度だからね。」
私は少しだけ京子を羨ましく思ったが、その心情は彼女には伝えなかった。病気で苦しんでいる彼女に羨ましいなんて、言えるわけがない。
「名前は何にしたの?」
私は京子に聞いた。
「結子ちゃんは変えてないでしょ?」
「うん。」
「だと思った。私もよ。」
「え……?」
差別されてきた過去を忘れたいはずである彼女が、名前を変えていないことに私は少し驚いた。京子は少し照れ臭そうに笑う。
「私、あなたの生き方が大好きよ。」
そう言うと京子は立ち上がって尻に着いた土をほろった。
「またね。」
そそくさとその場を去る京子に私はうん、とか細い声で返事をした。少しだけ患者作業の憂鬱さが忘れられたような気がして、私は立ち去る京子の背中を見て自然と笑顔になった。
驚くことに栗生楽泉園には一つの社会が出来ていた。商店街には洋服や日用品、理髪店があって同じハンセン病患者によって営まれていた。そこでは栗生楽泉園内でしか使えないお金が使われていて、そのお金は私たちの逃亡を防ぐ狙いがあった様だった。
もちろん農作業や患者作業は苦痛だったが、自分と同じハンセン病患者しかいないこの社会は前居た差別や偏見に満ちたあの社会より、何だか居心地が良いようにも思えた。
けれどやはり人の世話をするというのは大変で、耐えきれないものがあった。いくら親身になって世話をしても一向に私の方を見ようとはせず、ずっと人形を抱いたままぼうっとしているぎょうさん、どんなものでも出しっぱなしの舌で舐めるべーさんは私の心労を体中に積もらせた。
邪険にできず行った見返りのない労りは、いつも彼女たちを通り過ぎ色を濁して私の元へ帰ってくる。その泥水のような私の親切は、私を一度も幸福にはしなかった。私はこの不満を彼女たちにぶつけてしまわないように、はち切れそうなほど手に力を込めていた。
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