目が覚めると未だ汽車の中だった。ゆっくりと身体を起こしあたりを見渡すと、見張り役さえ皆寝ていた。けれど逃げ出そうなんて考えは浮かばなかった。この汽車に乗ってから、私は行くべき場所に行くような気がしてならなかったからだ。


 一つ気がかりなのはやはり文太郎の事だった。生きているだろうか? もしかしたら今頃家に文太郎からの手紙が届いているかもしれない。彼に私の所在を伝えることはできるのだろうか? 多くの疑問がふつふつと湧いて、けれど答えを知る手段はただ時が経つのを待つのみだった。


 汽車の扉の隙間からわずかな光が漏れている。どうやら今は朝らしい。段々と起きてくる人も増えた。


「おはよう」


 そう言って京子も体を起こす。


「おはよう」


 私は京子に笑顔で返した。


「まだ着かないのかしら。」


 京子は小声で見張り役を見ながら言った。未だに見張り役は起きず、私と京子は苦笑した。

 その時汽車が大きく動き見張り役はやっと目を覚ました。

 私たちの視線に気づき、すました顔をして運転室の方へ向かう見張り役の様子は滑稽だった。


「あとどれくらいかかるのかな……。」


 京子は自分の腹を見た。


「なんにもしてないのにお腹だけは正常に働く。ご飯だけ食べて仕事はできなんていい身分よね。」


 そう言って京子は自分のおなかを撫でた。


「生きているだもん、そりゃ腹は減るよ。」


 私はそう言って自分のおなかを押さえた。


「穀潰しってよく言われたわ。」


 京子はどこか遠くを見つめながら言った。


「誰に?」

「母さんと父さん。」


 京子は自分の指に目を落とした。指はピクリとも動かない。


「じゃあ殺せばいいのにって私は言ったわ。」


 京子は懐かしそうに目を細めた。その目には若いのにも関わらず、人生の疲労が現れている様だった。


「そしたらそんなことできるわけがないだろって頬っぺた叩かれたわ。」


 京子は右の頬を触った。


「もしかしたら私の記憶の中で親に触れられたのってその時だけかもしれない。」


 痛かったなぁ、と頬をさする京子はどこか嬉しそうだった。


 私は、京子が言った穀潰しという言葉が胸に突っかかっていた。確かに真っ向から否定はできない。働けず食物ばかりを消費する、ただその文章だけでは穀潰しと言われてしまうかもしれない。


 以前私も文太郎に出会う前は自分のことを穀潰しだと思っていた。しかし私は今京子を穀潰しとは思えなかった。それは友情と言う彼女への愛着がそうさせているかもしれないが、ただそれだけではない気がした。


「本当に穀潰しだと思うの?」


 私は京子に聞いた。想定外の私の問いにえっ、と京子は声を出した。


「働けずにただ生きている人間が穀潰しだと思う?」


 私の質問には邪心はなかった。ただ自分の胸の突っかかりをとりたいだけだった。


「結子ちゃんって変な子ね。普通自分のことを穀潰しだって言っている人にその質問する?」


 信じられないわ、と京子は笑いながら言った。


「だってなんだか変なんだもの。」

「変?」


 私は頷いた。


「食べることは生きること。ただそれを実行しただけでどうして穀潰しなの?」


 私の言葉に京子は唸った。


「養っている人にしてみれば不利益だからじゃないかな。」


 京子のその言葉で私は手を顎に置いた。


「でも愛している人なら、生きていてくれるだけで利益じゃない? 私にとって京子ちゃんは生きて隣に居てくれるだけでもう利益だわ。だとしたら京子ちゃんは私から見たら穀潰しじゃないじゃない。」

「京子ちゃんは私を愛しているの?」


 京子は苦笑しながら言った。


「うん。」


 私がすんなりと応えると京子は目をぱちくりさせた。


「それにどんな子供だって親にとって経済的に見たら不利益な存在だわ。けれど親は子供を愛しているから、穀潰しなんて言わないわ。」


 京子は未だに目を見開いて私をみていた。


「京子ちゃんだって親に愛されていたのだから、やっぱり京子ちゃんは穀潰しじゃないわよ。」


 私は京子がぽかんとしていることに気が付いた。


「京子ちゃん聞いてる?」


 私が京子の顔の前で手をひらひらさせると京子ははっとしてごめん、と言った。


「愛してるなんて言われたことないから。」


 京子は少し恥ずかしそうに笑った。


「よくそんな恥ずかしいこと言えるわね。」


 京子のそんな反応を見て私は、初めて文太郎に愛していると言われたときのことを思い出した。

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