お前の魅力なんて、俺意外には知らなくていい。

 医学生である彼は勉強の合間を縫って私に会い、私に難しい哲学や人体学を教えた。はっきり言って私には全く理解できなかったが、それでも楽しそうに話す彼の横顔や大切そうに医学書を撫でる彼の手つき、時折見せる考え込んで眉を顰め険しくなった彼の表情も全て好きだった。


 けれどやはりどんなに私たちがお互いを好きになっても、私の病気のせいでちらつく世間からの差別の眼差しは拭いきれなかった。時には石を投げつけられられたり、彼もハンセン病にかかったのではないかと噂されることもあった。何度も私は彼から離れようとしたけれど、彼は私から離れようとはしなかった。


「何故、文太郎さんは私と一緒に居るのですか?」


 私は木が赤く色付き始めた秋にそんなことを聞いたことがあった。私の質問を受け、彼は一瞬だけ考えた。


「お結は何故俺と一緒に居るのだ?」


 そして彼は私に同じ質問を返した。


「好いているからです。」

「俺も一緒だ。」

「それが、分からないのです。」


 私には自分を好きになる人の心情が全くもって分からなかった。今までの人生で一人もいなかった恋人の存在に、私は一緒に居ながらも困惑していたのかもしれない。


「お前の魅力なんて、俺意外には知らなくていい。」


 私はかすかに耳に入った彼のその言葉が聞き間違えではないかと疑い、え? と声を漏らした。けれどほんのり頬を赤くした彼の顔を見て聞き間違えではないことを知ると、ますます恥ずかしくなり私は思わず目線を彼の手元に落とした。


 そして少しの沈黙が訪れた。


「好きだと言ったら、好きなのだ。」


 彼は少しぶっきらぼうに言った。付き合い始めて知ったのだが、彼は自分の気持ちを伝える時に照れ隠しで少し怒ったような口調になる時があった。それも又、私にとっては愛くるしかった。けれど今はそんな愛くるしさに構ってはいれなかった。


「じゃあ私に口づけできますか?」


 私はほぼ勢いでその言葉を口にした。私の言葉に彼は驚いて、少しだけ身体をこわばらせた。


 私たちは付き合って半年経つが、彼は口づけどころか手を繋ぐことなど私に恋人らしい接触はあまりしてこなかった。経験がないとは言え、私にも恋人同士の交わりの知識はある。


 私は彼の目を見た。すると珍しく彼は私から目を逸らした。付き合い始めてからアイコンタクトは、私たちの心の繋がりを表していた。それが彼の方からプツリと切られたような、そんな気がした。


「口づけは、駄目だ。」


 彼のその言葉で私はとても泣きたくなった。


――私の病気がうつるのが、やっぱり嫌なんじゃない。


 私は涙を必死にこらえた。


「分かりました。」


 私は泣いていることがばれないように、彼に背を向けて帰ろうとした。


「ちょっと待て。」


 彼は私の腕を掴んだ。


「急にどうしたんだよ」


 私は涙を拭い、できるだけ笑顔でいれるように心がけながら彼の方へ振り返った。


「何でもないのです、忘れてください。」

「嘘だろう。何か思っていることがあるのではないか?」


 私の言葉に被せるように彼は言った。


 けれど一度彼に目を逸らされた私は、彼の目を見たくはなかった。だから今度は私から、彼から目線を逸らした。


「もういいのです。」


 私はその頃、彼が私と付き合っていることが原因で授業の差し止めなど、医大生としての勉強が妨げられていると知っていた。彼はハンセン病の女と交際している、じゃあ私の授業は受けさせられない、大学の教授はみんな口をそろえてそう言っていたらしい。


 その噂が真実かどうかは定かではないけれど、彼の最近の眼差しを見ればその噂の真偽がはっきりとわかる。彼は確実に差別を受けていた。


 こんなにも苦しみながら、彼は何のために私と付き合っているのだろうか? もしかして、ハンセン病が伝染しないことを証明するため?


 そんな考えがふつふつと湧いてきた。


 口づけを拒まれた、ただそれだけのことで私は、彼は私を好きだはないのだと勘違いした。


「良くない、お結は今苦しそうだ。」


 ――誰のせいで、こんなに苦しんでいると思うの?

 

 決して彼のせいではないはずなのに私の苛立ちの矛先は彼に向いていた。私は彼を睨んでやろうと彼を見た。


 けれど彼は、今まで見たことがないほど悲しい顔で私を見ていた。

今、彼に本音を言えば彼を苦しめてしまう。


 そう思った私は喉元まで出ていた、言おうとしたことを全て飲み込んだ。

 恋に惑わされた私にそうさせるほど、彼は悲しい顔をしていた。勇敢であるはずの彼が、まるで怯える子犬のような眼差しで私を見ている。


「ほんとに、もういいのです。」


 私は彼の手を解くと走り出した。今彼のそばにいたら私はきっと心無い言葉で彼を傷つけてしまう、私はそれが怖くて必死に逃げ出した。

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