二章

第15話  頼み

 どれだけ言葉を尽くしても母を説得できなかったシャイラが、助けを求めに向かったのは診療所だった。



「コーニ、どうしようー!」


「そりゃ反対されるよ。あんな事件があったばっかりなんだからさ」



 呆れた顔の親友が煎じ薬をかき混ぜているのを見ながら、シャイラは机に突っ伏した。つつつ、と木目を指先でなぞる。



「でも、初めてお父さんの手掛かりが掴めたのに……」


「それだって、信憑性は薄いんでしょ? せめて下調べしないと。どうして直接行って確かめる、なんて発想になるの」



 丸い木目をぐるぐると指で辿っていると、棚から瓶を取り出したコーニに手を持ち上げて移動させられた。並ぶたくさんの瓶越しに、コーニの顔を見上げる。



「だって、シーレシアは人こそたくさん来るけど、閉ざされた街だもの。常に人が出入りしているような帝都とは、情報の鮮度が違う。その帝都だって、他国の情報を集めるのには手がかかるんでしょう? だったら現地に行った方が、確実だし早いわ」


「言いたいことは分かるけど……。でもエリーシャさんの気持ちも考えてあげてよ。っていうかシャイラ、魔物に襲われたばかりで、よく街を出ようなんて思えるね」



 僕には無理だよ、と肩を震わせるコーニ。曖昧な声を出して、シャイラは顔を腕の中に埋めた。


 魔物は恐ろしかったし、死を目の前にした恐怖も本物だった。けれど今となっては、自分でも驚くほどにその感情は息をひそめていた。


 それほどまでに、フィスクのことが衝撃的だったのだろうか。あれ以来、彼のことが頭の隅から離れなかった。


 ぼんやりと煎じ薬が詰められていくのを眺めていると、コーニが心配そうな声を出した。



「あんまり無茶しないでね。シャイラは突っ走っちゃう癖があるから」


「何よ、人を猪みたいに」


「猪の方がいくらかマシだと思うよ……」



 酷い親友だ。けれどコーニの顔が真剣そのものだったので、唇を尖らせながらも抗議の言葉は引っ込めた。


 軽くため息をついたコーニは、そういえばと話を変えた。



「フィスクが退院するよ」


「えっ?」



 思わず伏せていた体を起こす。意識は戻ったと聞いていたが、もうそこまで回復していたのか。


 驚くシャイラに、瓶の蓋を閉めながらコーニは頷いた。



「外傷は魔法で治ってたから、あとは毒が抜けるのを待つだけだったんだ。一昨日の開門には間に合わなかったし、しばらくは激しい運動も禁止だけど……。何より、フィスクが嫌がったから」



 その光景はとても容易に想像できた。またいつものように、「これ以上世話になるつもりはない」などと言い張ったに違いない。


 だが、診療所を出てどうするつもりなのか。また教会に戻るのだろうか。きっと教会は彼を大喜びで迎え入れるだろうが、そもそもフィスクが魔物討伐の依頼を受けたのは、教会を出たかったからだ。


 あの依頼で報酬が出ているのなら、部屋を借りることもできる。だがシャイラは、あの討伐の結果がどうなったのかを知らなかった。



「……気になるなら、フィスクの部屋に行ってみれば? まだ診療所にいるはずだよ」



 コーニはそう言うが、あのフィスクが気楽なお見舞いを歓迎するとは思えない。入院中の世話を担当していたコーニは、彼の元に出入りするのも慣れたようだったが。


 あの無表情で静かに拒絶されるのは、心にくるものがある。美しい顔を想像しただけで胸を押さえていると、部屋の扉がノックされた。


 ひょっこりと顔を出したのは、コーニと同じように診療所で働いている女性だ。彼女は何故かコーニではなく、シャイラに声をかけた。



「シャイラ、ちょっといい?」


「え、はい。なんですか?」



 座っていた丸椅子から立ち上がる。エリーシャが育てた薬草を納品したついでにコーニと話していただけで、診療所の人間でもないシャイラが呼ばれる心当たりがない。


 女性は困惑を顔に滲ませて、ちらりと後ろを振り返った。



「その、フィスクくんが呼んでるの」


「……え、私を?」



 シャイラの脳内にも疑問符が浮かんだ。何が一体どうなって、フィスクがシャイラを必要としているのか。


 とはいえ、呼ばれているのなら断る理由などまったくない。シャイラは頷いて、自分の使っていた椅子を机の下に押し込んだ。






 フィスクはベッドの端に座って待っていた。シャイラが入室すると、静かに顔を上げる。空色の長髪が流れるように零れ落ちて、くるくるとシーツの上で渦を作った。


 前に見た時よりも顔色がいい。けれど元の色が白いから、あまり表情を動かさないでいると、まだどきりとしてしまう。


 美の化身と言っても過言ではないフィスクの前に、息を整えながら立つ。初めて彼を見た時のような衝撃はもうないが、気を抜くと見惚れてしまうのだ。



「私を呼んでるって聞いたんだけど、どうしたの?」



 尋ねると、フィスクの眉間にきゅっと小さな皺が寄った。大変に難しそうな顔で、その口から飛び出したのは渋い声。



「……宿を」



 ふいと視線を逸らしながら、フィスクは小声で続けた。



「紹介してほしい……」



 なんとも言えない沈黙が落ちて、シャイラはゆっくりと胸を押さえた。


 これは、少し、心にくる。


 返事がないからか、フィスクの手が落ち着きなく動いて、髪の先を指に巻き付け始めた。


 なんなんだろう、この人。自分の容姿を分かっているのだろうか。道行く人々の心臓を止めて回るつもりなのだろうか。


 混乱する脳内を咳払いで誤魔化して、シャイラはバツが悪そうにしているフィスクの視線の先に回り込んだ。



「もちろん。引き受けるよ」



 他ならぬ命の恩人からの頼みだ。にこりと笑うと、フィスクは眉間の皺を深くした。


 こうやって頼むこと自体が嫌なんだろうな、と思う。けれどそこには言及せずに、壁際から椅子を引いてきた。



「お金はもう大丈夫なの?」


「……ああ。討伐依頼の報酬をもらった」



 借りていた槍の弁償代は引かれたが、と続けたフィスクは、ベッドサイドから小袋を取り上げた。じゃらり、と硬貨がぶつかる音がする。



「……えっ、多くない?」


「魔物が大量に村に押し寄せた原因が、俺が倒したラミアだった。だから取り分が増えたんだ」



 もともとあの依頼は、討伐隊を組まねばならないほどに大量発生した魔物が討伐対象だった。その分、傭兵ギルドから支払われる報酬もかなりの額だったのだろう。やや変則的ではあるが、魔物の発生が落ち着いたのならば依頼は達成とみていい。


 その報酬があるなら、次の開門まで宿を借りるには十分以上だ。シャイラは首を捻り、良さそうな宿屋を指折り数えた。



「どんなところがいいとか、ある? 場所とか、雰囲気とか」


「静かで詮索されなければそれでいい」


「んー……」



 ここ最近の街の様子を思い起こし、数えた宿屋をそっと候補から外していく。



「難しい、かも……?」



 そう言った瞬間に、フィスクの目がどんよりと暗くなる。申し訳なく思いつつも、事実なのだから仕方がない。


 フィスクがシャイラを助け、未知の魔物を倒した話は、既に街中に広がっているのだ。警備隊長を凌駕する実力に加え、美しすぎる見た目もあって、誰もが彼を英雄扱いしている。診療所にいる今は静かに過ごしているようだが、ここを出ればどうなるのかは容易に想像がついた。



「なぜ……」


「ごめんなさい……」



 目立ちたくないだろうに、こればかりはシャイラの力ではどうにもならなかった。



「私が紹介できる宿は、綺麗で食事も美味しいから人気の宿が多いの。フィスクのためになら個室も空けてくれると思うけど、宿泊客もたくさんいるだろうから……」



 人気のない宿屋ならば静けさは保たれるだろうが、詮索されないという条件は満たせない。退屈に飽きた店員が、宿泊客に絡むことはままあることだった。


 言葉もなく項垂れたフィスクがあまりにも哀れで、シャイラは慌てて大きく手を振った。



「さ、探してみるね! 退院はいつ?」


「……明日」


「それじゃあ、明日の朝にまた来るよ」



 そうと決まれば早速探しに行かなければ。要望通りの宿が見つかるかどうかは、分からないが。


 立ち上がると、フィスクも顔を上げた。作り物のように整った顔に見つめられるのは、どうしたって落ち着かない。シャイラはそわそわと後ろ手に指を組んだ。



「な、なに?」


「案内の依頼は、他に受けてないのか」



 ぱちりと目を瞬く。



「うん。今回は休んでおけって、レオディエさんが」



 周りの皆がシャイラを気遣っている。案内役を続けることを反対されはしなかったが、母に心配をかけていることは分かっている。


 コーニに言われずとも、知っているのだ。それでも、案内役の仕事も父親探しも、中途半端に投げ出すのは嫌だった。


 酷い娘だと、思う。



「……悪い」


「時間はあるから大丈夫だよ。気にしてくれてありがとう」



 柔らかく微笑むと、フィスクは僅かに口ごもってから声を落とした。



「俺のせいだろ。お前が殺されかけたのは」



 そんな風に思っていたのか。



「フィスクは何も悪くないでしょ?」



 むしろ、フィスクだって被害者側だ。シャイラは犯人たちの動機をぼんやりとしか聞いていないが、フィスクが彼らに何かをしたわけではないことは知っている。


 言いながら、思わず笑ってしまった。本当に矛盾している。



「人間が嫌いなら、私のことなんて心配しなくていいのに」



 嫌いな相手に、そこまで心を砕く必要も義理もない。それなのに、どうしてシャイラを気遣うのか。


 愛想はないし、当たりもきつい。内に激しい気性も秘めているのだろう。けれどきっと、フィスクは底抜けにお人好しなのだ。少なくとも、シャイラが今まで見て来た彼はそうだった。たった一週間と少しの付き合いでしかないが。


 そんな風に言えば、即座に否定されるであろうことは分かる。彼は自分がよく思われることを望んでいない。


 フィスクは少しだけ奇妙な顔で考えてから、言った。



「……お前は、まだマシだから」



 どういう基準が彼の中にあるのか、気にはなったが不躾ぶしつけに尋ねるような真似はしない。「そっか」とだけ頷いて、出した椅子を片付けた。扉の前で軽く手を振る。



「また明日」



 返事はなかったが、フィスクの目はしっかりとこちらを見ていたので、気にせずに部屋を出た。

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