第14話 開門

「いろいろと大変だったみたいだね」



 二週間前に訪れた宿屋の前で、シャイラが案内を担当した男性は微笑んだ。いくら広いといえども、城壁に囲まれた街だ。あれだけの大騒ぎだったから、彼の耳にも届いたのだろう。



「もう大丈夫なのかい?」


「はい! 心配してくださって、ありがとうございます、おじ様」



 優しい労りが込められた声に、シャイラは顔を綻ばせた。


 今日はシーレシアの城門が開く日だ。街から出る駅馬車の周囲には、旅人たちが集まっていた。シャイラと同じように、担当した客と別れの挨拶をしている案内役も混じっている。


 そんな光景を目に焼き付けるように見渡していた男性は、感慨深そうに呟いた。



「二週間もいたというのに、いざ帰るとなると惜しいものだね」


「気に入っていただけて良かったです!」


「ああ。特にあれが楽しかったよ!」



 腕をわくわくとさせながら、男性は子供のように顔を輝かせる。「あれ?」と首を傾げたシャイラは、男性が中央広場の方を指さしたのを見て、納得して頷いた。



「傭兵ギルドの、腕試し大会ですね?」


「それだよ! 私は参加しても、なかなか勝てなかったけどね。さすがは風の加護を受ける街だけある! 実力者ばかりで、見ているだけでも面白かったよ!」



 興奮気味に男性が語るのは、ギルドが毎日広場で行っている、修練という名目の乱闘騒ぎのことだ。刃さえ潰していれば武器の持ち込みも可能。団体戦から飛び込み参加までなんでもありなので、傭兵でもなんでもない酔っ払い同士が戦うことも日常茶飯事という、めちゃくちゃな大会だ。


 大抵はレオディエが駐屯地本部から飛び出してきて、参加者を全員捩じ伏せて終わらせる。


 シーレシアの風物詩と言ってもいいそれを、この男性も存分に堪能したようだ。



「いつかまた、この街に来てくださいね!」


「絶対に来るよ。いつになるかは分からないけどね」



 力強くシャイラと握手を交わした男性は、最後に姿勢を正して頭を下げた。



「その時にはまた、君に案内役をお願いしたい」


「……ありがとう、ございます」



 ふわりと舞い上がる胸を押さえ、シャイラは噛み締めるように礼を言った。


 実のところ、案内役の仕事を続けることを不安に思っていたのだ。例の男たちがシャイラを狙った理由が、フィスクの案内を担当したからだということは、謝罪に訪れたアロシアの口から聞いた。


 特別な依頼だったとはいえ、この仕事を続けることで、もしまた似たようなことが起こったら。そんな恐怖が無かったと言えば、嘘になる。


 だが、暗い気持ちは一瞬で消し飛んでいった。こんな風に感謝してくれる人がいる。再会を望んでくれる人が。何よりシャイラは、案内役の仕事が好きなのだ。



「次も、ぜひ」



 うまく心の内を表現する言葉が思いつかず、簡潔な返事になってしまったが。男性は嬉しそうに目尻を下げて、軽く手を振り駅馬車に乗り込んでいった。


 その背中を見送っていると、とんとん、と肩を叩かれた。振り向くと、見るからに裕福と分かる身なりの老人が、にこりと微笑んでいた。耳や首に光る装飾品に目を瞠っていると、シャイラの困惑を察したらしい彼は、笑みを崩さぬまま名乗った。



「初めまして。私は商人のアゲリと申します。シャイラさんは、あなたで間違いないですかな?」


「はい。あの、アゲリさんって」



 その名前は聞いたことがあった。



「ええ、ええ。フィスクたちの雇い主です。今は、元雇い主、ですがね」



 フィスクと、彼を街の外に置き去りにした傭兵たちを雇った商人だ。隣国ハルクメニアからアリアネスの帝都まで行くはずだったのが、この事件のせいでシーレシアに立ち寄ることを余儀なくされたと聞いている。



「私の雇った傭兵が、あなたにご迷惑をおかけしましたのでね。お詫びしなければと思っていたのですよ」


「えーと……。迷惑なんて、思ってませんから。フィスクには命を助けてもらいましたし……」



 アゲリの笑顔がどうにも胡散臭く見えて、シャイラはやんわりと体を引いた。それに、彼から謝罪を受ける必要があるとは、本当に思えなかった。


 だが、アゲリはシャイラの心情などお構いなしだった。



「まあまあ。単に私が、借りを作りたくないだけですので。お気になさらずに、お受け取りください」



 押しが強い。ぐいぐい来る。


 一歩足を引くと、二歩詰め寄られた。



「いえ、本当に……」


「シャイラさん、父親を捜しているそうですね?」



 警備隊で聞きました、という言葉に、がくりと肩を落とす。個人的な事情が駄々洩れだ。シャイラも隠している訳ではないので、構わないのだが。



「私はもともと、この帝国出身なので詳しくはないのですが……。二十年ほど前、行商でハルクメニアに立ち寄った際、とある地方に滞在したことがありまして。そこの領主が、あなたの父親と似たようなお名前だった記憶があります」


「……え?」



 弾かれたように顔を上げた。見上げた先で、アゲリがやはり胡散臭い笑みを浮かべている。


 花屋を営むシャイラの母、エリーシャ。手ずから育てた花を売る彼女は、ハルクメニアから山を越えてシーレシアに来たと聞いていた。


 土の加護を受けるハルクメニアは、植物や動物を育てるのに適した土地だ。そして、そのハルクメニアから来たエリーシャも、花を美しく咲かせるのが得意だった。シーレシアで生まれたシャイラは、母ほど綺麗な花を育てられない。


 父のことも、そしてエリーシャ自身の過去も。母は多くを語らなかった。シャイラは父のことを、ラーガと言う名前しか知らない。


 母が何かを隠したがっているのは分かったから、無理に聞き出すことも躊躇われた。だからシャイラは、仕事の合間に情報を集めながらも、母に尋ねることはしてこなかったのだ。



「借りを作りたくないと言いながら、曖昧な情報で申し訳ない。ですが、一度調べてみるのもいいかもしれませんよ」



 どきりと心臓が跳ねた。


 逸る気持ちを抑え込んで、シャイラはほけほけと笑う老商人に詰め寄る。



「ハルクメニアの、どこですか!?」


「確かあれは、ハルクメニアの北部……。花が名産のロルフ領でしたね」



 ハルクメニア王国のロルフ領。その、領主。案内役の仕事を始めてから三年、初めて得た手掛かりだ。


 名前が似ているだけの他人かもしれない。二十年前に領主だったというから、今は代替わりをしているかもしれない。それでも。


 ようやく一歩を踏み出せた気がして、シャイラは顔が緩むのを抑えられなかった。


 城壁の上に設置された鐘が鳴り始めた。そろそろ門が開く時間だ。慌ててアゲリに深く頭を下げた。



「ありがとうございます! 早速調べてみます!」


「他国の情報ですし、なにぶん古い記憶ですから。難しいかもしれませんが、応援しておりますよ」



 そう微笑んだアゲリは、顔を診療所のある方へ向けた。



「本当なら、フィスクにもう一度、護衛の依頼を出すつもりだったのですが」


「あ……」


「今はまだ、街を出られる状態ではないと聞きました。彼にも、よろしく伝えておいてください」



 数日前にシャイラと話してからも眠り続けていたフィスクは、昨日、ようやく起き上がれるまでに回復した。しかしその状態で、街を出る許可が下りるはずもなく。また二週間、彼はシーレシアに留まることになってしまった。


 アゲリは残念そうに首を振り、俯いたシャイラの肩を叩いて、自分の馬車へと歩いて行った。新しく雇った傭兵に守られた馬車に乗り込む直前に、振り向いて声を張り上げる。



「シャイラさん。君にも、フィスクにも、風の加護がある。きっと大丈夫ですよ」


「……はい!」



 励ましの言葉に、シャイラはとびきりの笑顔を返した。


 馬車や馬に乗った人々が、列をなしてシーレシアの門を抜けていく。先頭の駅馬車から旅人たちが顔を突き出して、名残惜しそうに街並みを見送っている。その中にあの男性の姿を見つけて、シャイラは大きく手を振った。


 アゲリも新しい護衛を連れて、優美な馬車の窓から会釈をする。そんな彼には、もう一度心を込めてお辞儀をした。


 街を離れていく人々を、門が閉じるまで見送る。そして、ぐっと拳を握りこんだ。


 初めての有益な情報。これがどう転ぶかは分からないが、何もしないなどという選択肢はない。


 できることなら、今街を出て行った彼らのように。実際にその地まで行って、確かめてみたい。空振りになる可能性が高くとも。


 そんな決意を胸に秘めて、シャイラは家へと駆け出した。






「駄目よ」



 母の返事はにべもなかった。


 いつもの朗らかな笑顔はなく、険しくひそめられた眉がエリーシャの本心を物語っている。



「どうして……?」



 なぜ、ハルクメニアに行くことを止めるのか。やはり、父親を捜すことには否定的なのか。返って来たのは、予想もしていなかった答えだった。



「この街から出ることは、許さない」

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