第9話 城壁

「ありがとうございましたー」



 店を出る客に頭を下げて、シャイラはそのままため息をついた。その途端に、後ろから軽く小突かれる。



「お客さんの前で、浮かない顔をしない」


「はーい……」



 母のエリーシャが、クレマチスの鉢植えを抱えて明るく笑った。



「うちの看板娘なんだから、元気にお願いね、シャイラ」



 お母さん目当てのお客さんだって多いんだけど、という言葉は飲み込んで、シャイラはもう一度返事をした。


 十五の娘がいるとは思えない若々しいエリーシャに、密かに懸想している客は多い。この店で買った花を「エリーシャさんに渡してくれ」と言われて、何度笑顔で突き返した事か。自分で当たって砕ける気概がある男しか、シャイラは認めない。


 やはりレオディエか、と思考を飛ばしていると、「それで」とエリーシャがシャイラの背を叩いた。



「悩んでるのは、例の〈精霊の子〉のこと?」



 作業台に頬杖をついた母に、少し躊躇ってから頷いた。


 悩んでいる、とも少し違う。胸にもやもやとしたものがつっかえている。そこまで親しくなったわけでもなく、教会の依頼がなければ関わることもない相手だった。なのに、昨日見たフィスクの目を思い出すたびに、なんだか落ち着かない気分になるのだ。


 どうしてあんな目をしていたのだろう。自分のことを語らず、人と交流することを嫌い、ただ一人で生きようとする彼の、心の奥底。あの時シャイラが垣間見たのは、剥き出しの感情だった。


 それが、気になる。気になるけれど、関わるなと言われた以上、きっとフィスクはもう口もきいてくれないだろう。



「ちょっと、気になるだけ」



 そう答えてから、母がにやにやとこちらを見ていることに気が付いた。



「……お母さん?」


「ふふー。シャイラにもとうとう春が来たのね」


「ちょっ、そういうのじゃない! から!」



 悲鳴を上げても、エリーシャの笑みは崩れない。楽しそうな母にどう反論しようかと考えていると、ドアベルがからんからんと音を立てた。



「シャイラ、今いい?」



 ひょこっと顔を出したのはコーニだった。


 一人親同士のシャイラとコーニは、小さな頃から一緒にいることが多かった。シャイラには父親がいないし、コーニには母親代わりがいない上、レオディエとも血が繋がっていない。彼らが親しくなるのは、自然なことだった。


 コーニは慣れた足取りで花屋に入って来て、エリーシャに会釈する。



「どうしたの?」


「警備隊と傭兵ギルドが、合同で魔物の討伐に出るんだって。それで、ギルドの方からはフィスクも行くらしいんだ」



 どきりと胸が鳴った。



「フィスク、討伐の依頼を受けたんだ」


「彼が受けたっていうより、ギルドから指名されたらしいよ。傭兵ギルドじゃ、フィスクって有名なんだって」



 それはそうだろう。警備隊で見た小競り合いでさえ、フィスクの実力を推し量るには十分すぎるほどだった。今までの実績を知っているであろうギルドが、フィスクを重用するのは当然だ。


 そこでエリーシャが口を挟んだ。



「魔物の討伐って、この近くで何かあったの?」


「隣村が魔物に襲われたんだそうです。警備隊の見回りは先の予定だったんですけど、村からギルドに討伐依頼が入って、急遽、警備隊と合同で出ることになったそうで」



 シーレシアの警備隊の任務には、この街だけでなく近隣の村や町の治安維持も含まれる。そのため定期的な巡回が行われるのだが、こまごまとした魔物退治の要望には手が回り切らないことも多い。そういった場合には、傭兵ギルドに依頼が持ち込まれることになる。


 かといって警備隊とギルドの間で獲物の取り合いがあるかといえば、そういったことは少ない。今回のように合同で討伐に当たるのも、よくあることだ。



「合同ってことは、かなり被害が大きいのね」


「それもあるんだけど、いきなり魔物が増えた原因が分からないんだそうで。だから人数を増やして調査したいってレオさんが」



 コーニの話を聞きながら、シャイラはぎゅっと両手を握った。


 フィスクが討伐に出る。彼はとても強い。それは分かっているけれど、どうしてだかじっとしていられない。


 母を見ると、いい笑顔でひらひらと手を振られてしまった。



「行きたいなら行ってきなさい。お店は大丈夫よ」



 その顔に物凄く反論したくなったが、コーニに手を引かれてシャイラは何も言えなかった。



「ほら、シャイラ!」


「ま、待って!」



 かろうじてエプロンだけを外して、白いブラウスに紺のフレアスカートというシンプルな格好で、シャイラは西通りの花屋を飛び出した。


 先を行くコーニが、市場の喧騒を潜り抜けながら声を張り上げる。



「今日は西門から出るんだ。まだ門の前で準備してたから、間に合うよ!」


「それはいいけど、どうして私を呼びに来たの?」


「だってシャイラ、昨日からフィスクのこと、ずっと気にしてたみたいだから」



 余計なお世話だったかな、と振り向いて微笑んだコーニに、シャイラは虚を突かれて口を閉ざした。うまく言葉が出なくて、結局大きく首を振る。


 この気弱な少年は、とても優しくて聡い。シャイラの自慢の親友だ。


 少し歩く速度を落とし、コーニはシャイラの隣に並ぶ。西通りの先に見える城壁を見上げて、なんでもないように言った。



「こういう討伐があるといつも思うんだけど、外の魔物ってどうして壁を乗り越えて来ないんだろう」



 突拍子もない発想に、シャイラは首を傾げた。魔物は人間を襲うものだ。だから街を出て移動をするときには、馬と護衛が必要になる。けれど街の中にいる限り、魔物の脅威はほぼないと言っていい。



「壁はそれなりに高いけど、そもそも翼を持っている魔物だってこの辺には多い。空を飛んで来たら、城壁じゃ阻めないよね」


「でも、精霊の加護があるでしょう?」


「そうなんだけど……」



 精霊は人間を守るため、人間に加護と力を授けた。それが人の使う魔法の源であり、魔物に対抗するための力。子供でも知っている神話だ。


 コーニは納得のいかない顔をしていたが、西門に到着したからか会話を打ち切った。主要な街道に通じる南北の門と比べて、普段は閉じられたままの東西の門は小さく、馬車が通ることはできない。警備隊の見回りや討伐の際にしか使われない門だ。


 門前には警備隊の鎧を着た隊員と、自前の装備を確認している傭兵たちが集まっていた。彼らを見送りに来たのであろう人たちもいる。その中に、鎧も纏わず、いつものマント姿で槍を担いだフィスクの姿があった。


 こちらに気づいているのかいないのか、まったく視線は合わない。馬の鞍を調整するフィスクの背中を見ていると、後ろから突然肩を掴まれた。



「コーニ、シャイラ! 見送りか?」


「レオさん」



 ほかの隊員たちと同じ鉄製の胸当てに、隊長格を表す赤い翼の紋章。名前を呼んだコーニの頭をわしゃわしゃと撫で、レオディエはにっと笑った。


 まさか隊長自らが出るとは思わず、シャイラは目を丸くする。いつもの見回りにだって、あまりレオディエが出ることはないのに。



「かなり大規模な編成なんですね」


「まあな。警備隊からは二十人、傭兵ギルドからも十人出てる。ただの調査で終わればいいんだが、ま、そうもいかないようでな」



 近隣の村に被害が出ていると聞いたが、この様子を見るに思っていたより深刻な状況のようだ。不安の色が顔に出ていたのか、今度はシャイラの頭がぐしゃぐしゃにされた。



「そんな顔するなって。ぱっと行ってさっと倒してしまいだ。シーレシアの戦士が、そう簡単に負けるわけがないからな!」



 そんな隊長の声が聞こえたのか、隊員たちが軽快な気合の声を上げた。雰囲気はあくまで明るい。それにつられて、シャイラも小さく微笑んだ。


 風の力が強いアリアネス帝国。大陸で一番の軍事力を有し、武力そのものを輸出する戦士の国。大陸全土に支部を置く傭兵ギルドは、帝国が運営している組織だ。


 その帝国の中でも、一番強く精霊の加護を受けるのがシーレシアの街だ。警備隊は精鋭揃いで、帝都の貴族が集まる騎士団もシーレシアの警備隊には敬意を払うという。


 彼らの強さは証明されている。だったら、シャイラもそれを信じなければ。



「そうですね。みんな強いですから!」


「でもレオさん、油断はしないでね。通信具また忘れてない? 鎧はちゃんと着てる?」


「朝も確認しただろ、コーニ!」



 それでも心配そうにレオディエの装備をチェックするコーニに、隊員たちが笑う。隊長は抜けてるところあるから、と誰かが言って、レオディエがそれに噛みつこうとした時。



「フィスク様!」



 明るい声が駆け抜けて、見送りの人々がぱっと左右に分かれた。その真ん中を、黒髪を靡かせてアロシアが歩いてくる。巫女はまっすぐフィスクに歩み寄ると、その前に跪いて首を垂れた。



「ご武運を、フィスク様。無事のご帰還を祈っております」



 その真摯な姿に、集まっていた人々からため息が漏れた。立ち上がったアロシアの華奢な手が、鞍の調整を続けるフィスクの腕に添えられたが、フィスクは無言のままそれを振り払った。



「いってらっしゃいませ」



 人と関わりたくない、というより、あそこまで行ったらもはや人間嫌いのレベルではないだろうか。それでもにこにこしているアロシアは気にしていないようだが、あんな対応をされたら、シャイラなら落ち込んでしまう。


 というより、今現在落ち込んでいる最中だった。関わるなと言われ、消化しきれないもやもやを抱えている。


 じっとフィスクの背中を見つめても、彼は振り返らない。フードに空色の髪と美しい顔を隠したまま、フィスクはひらりと馬に飛び乗った。



「よーし、お前ら! そろそろ出るぞ!」



 警備隊員と傭兵が、用意された馬に次々と跨る。見送りの人たちはそれぞれ大通りの脇に寄って、家族や恋人に手を振っていた。


 レオディエを先頭に列を作った討伐隊は、二頭ずつ並んで開門を待っている。コーニがレオディエに見送りの挨拶をしているのを後ろで見ていると、ふいに視線を感じた。


 引かれるように首を巡らせれば、レオディエのすぐ後ろに馬をつけたフィスクが、シャイラを見ていた。かといって何かを言う訳でもなく、いつもの無表情も崩れない。


 居心地の悪さに身じろぎした時、シャイラも見知った案内役の男が声を上げた。



「開門します!」



 二人がかりで閂が外される。手伝いに来たのであろう案内役の二人は、きらきらと輝く目でレオディエ、そしてフィスクを見上げて、感極まった様子で頭を下げた。


 フィスクがシャイラから視線を外し、馬の手綱を握り直す。思わず、彼の名前を呼んでしまった。



「フィスク!」



 無視されると思ったのに、彼は再びシャイラに顔を向けた。下から見上げるシャイラの目には、彼の顔がはっきりと映った。


 白く透き通った肌が、僅かに紅潮している。瞳には日差しを浴びた明るい雲が浮かんでいた。作り物のような顔に命が宿ったようだ。口元に笑みが浮かんでいるようにすら見える。討伐を前に興奮する彼は、確かに武勇を誇る風の精霊の血を引いていた。


 シャイラは息を呑み、フィスクは首を傾げた。もう行ってしまう。何か、言わなければ。



「気を、つけて!」



 絞り出せたのはその一言で、先ほどのアロシアになどまったく及ばない、稚拙な鼓舞だった。けれど。



「……ああ」



 確かに返事はシャイラの耳に届いた。ほつれたマントを翻し、フィスクは馬を前に進める。次々と門を出て行く討伐隊を見送る歓声が、城壁の内側に木霊した。



「良かったね、シャイラ」



 コーニに小さく頷いて、シャイラは踵を返す。見送りを終えたなら、花屋の仕事に戻らなければ。集まった人々も、元の生活に戻るために門に背を向ける。アロシアも教会に帰るようで、大勢に話しかけられて笑顔でそれを聞いている。



「あ、シャイラ、ちょっといいか?」



 閂を抱えた案内役の男が、ふっと思いついたようにシャイラを手招きした。



「はーい? 先に行ってて、コーニ」



 仕事の話なら長引くかもしれない。コーニと別れて彼に駆け寄ったシャイラは、次の瞬間、門の外に倒れ込んでいた。強く突き飛ばされた肩がじんと痺れている。



「――……え?」



 何が起きたのか理解できないシャイラの目の前で、大きな音を立てて門が閉じた。

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