第8話 落とし物

 羊肉を木の串に刺し、滴り落ちるほどにタレをつけてじっくりと焼き上げる。それを屋台で買ったレタスと一緒に、ウィンスの店の丸パンに挟む。即席サンドウィッチの完成だ。


 口を大きく開けてかぶりつくと、はみ出したタレが口の端にべっとりとついてしまう。香ばしいパンとタレの香りが、咀嚼するたびに柔らかい肉と絡み合って、喉を伝い落ちていった。



「あー……、美味しい」


「お昼ご飯入らなくなるかも……」



 東通りの市場で、設置されたベンチに三人並んで座り、その場で作ったサンドウィッチを食べていた。並んでと言いつつ、フィスクだけは少し距離を取っている。


 少し癖のあるマトン肉とニンニクベースのタレは、美味しいが味が濃い。けれどしゃきしゃきとしたレタスが口の中をさっぱりさせて、食べる手が止まらなくなる。


 肉から抜いた串を弄んでいたフィスクが、ちらりとこちらに視線を向けた。頑なにフードは被ったままだが、食べるのに邪魔だからか少しだけ後ろに下げていた。



「……このパンは合うと思った」



 肉とレタスを挟めばいいと言いだしたのはフィスクだった。こうやって市場で買った食べ物を組み合わせるのは、ほかの旅人や住人もやっているのを見かけるが、ここまで美味しい組み合わせは初めてだ。



「とっても美味しい。すごいね、フィスク」



 フィスクはふいと顔を背けた。これ以上の雑談には応じてくれないらしい。


 少しだけ風が強い。舞い上がる髪を押さえつけ、耳にかけて、更にパンを口に運んだ。病みつきになりそうだ。


 ベンチの端で黙々と食べていたコーニが、ちらりとフィスクの様子を窺って、何かを言いたげにした。けれど、開きかけた口は途中で止まってしまう。


 彼が向けた視線の先に、黒髪を靡かせて走って来るアロシアの姿があった。


 三人の前に辿り着いたアロシアは、胸を抑えて肩で息をしながら、上気した顔に笑みを浮かべた。



「こ、こちらに……、いらっしゃったん……ですね、フィスク様……」


「あ、アロシア様、大丈夫ですか?」



 普段は教会で巫女としての務めを果たしているアロシアは、見るからに体力も腕力もなさそうだ。日に焼けていない肌に、キトンから伸びる細い四肢。そんな彼女が北通りの教会からこの東通りまで走って来るなんて、何か緊急事態でも起きたのか。


 立ち上がってアロシアを迎えたシャイラだったが、息を整えた同じ年頃の巫女は、興奮気味にフィスクに話しかけた。



「フィスク様! 司祭様が、ぜひにと! 普段は公開していないのですが、教会の宝物を特別に見せてくださるそうなのです!」



 フィスクはピクリとも反応しなかった。それでもアロシアはめげずに、さらに体を寄せて迫る。



「わたくしも、帝都からこの街に来た時の一度しか、お目にかかっておりません。本当に、特別なのです!」



 ベンチに座るフィスクに覆い被さらんばかりのアロシアに、コーニがおずおずと尋ねた。



「アロシア様。あの……、教会の宝物って、精霊の落とし物って呼ばれている、あれですか?」


「コーニ様! はい、そうです! 我々人間は近づくことすらできない、あの槍のことです!」



 教会の宝物は、街の誰もが知る伝承だ。けれど、実物を見た人はほとんどいない。〈精霊の子〉であるコーニは見たことがあると言っていたが、案内役として教会によく出入りするシャイラは、宝物のある場所まで立ち入りを許されたことはなかった。


 フィスクが静かに顔を上げた。相変わらず何を考えているのか、その表情からは読み取れないが、宝物の話に興味を持ったことは確かなようだ。



「精霊の、落とし物」



 小さく呟いたフィスクに、アロシアが笑みを深める。



「ぜひ、ご覧になってください。きっとお気に召しますわ!」



 フードを深く引いて、フィスクは何やら考え込んでいたようだが、ややあって微かに頷いた。彼自身も〈風の民〉の血を引いているからか、精霊関連の事柄には興味があるのかもしれない。



「ありがとうございます! フィスク様!」



 胸の前で手を叩いて喜んだアロシアに、急いでパンを食べきったコーニが尋ねた。



「アロシア様、それ、僕とシャイラもついて行っていいですか……?」


「え?」



 きょとんとコーニを見返したアロシアだったが。すぐにその顔が輝いた。



「もちろんです! こんな機会は滅多にありませんから」


「ありがとうございます」



 え、私も? とコーニを見ると、普段はあまり見せない明るい視線が返って来た。



「シャイラは見たことないよね? 本当に凄いから、ずっと見て欲しいなあ、って思ってたんだ」



 コーニのワクワクした顔を見ると、断るなんてできない。それに、伝承の宝物をこの目で見られる機会なんて、きっとこの先、そう簡単には巡って来ないだろう。


 そう思うとシャイラもそわそわしてきて、ぎゅっと両手を握りしめた。話にしか聞いたことのない、教会の宝物。精霊の持ち物だという槍。



「それでは、参りましょう」



 にこにこと笑うアロシアを先頭に、シャイラたちは市場を後にした。






 およそ百年前。昔から信仰の街として名高かったシーレシアに、一人の〈神と精霊の民〉が現れた。


 それ以前から、シーレシアでは時折精霊が姿を見せることがあったという。けれどその〈神と精霊の民〉は、今までの精霊たちとは違っていた。


 空から落ちて来たのだ。シーレシアの上空に浮かぶ、精霊界への〈入り口〉から。そして、瀕死の怪我を負ったその〈風の民〉には、あるべきものが無かった。


 空に住まうもの、〈風の民〉はその身に空を宿す。彼らの髪は晴れ渡った空を切り取ったような青で、瞳は日の当たり方によって色を変える雲と同じ色。そしてその背中には、純白に輝く翼があるのだという。彼らはその翼で自由に空を飛ぶのだ。


 シーレシアに落ちたその精霊は、その背にあるべきはずの翼が無かった。



「教会によって保護されたその〈風の民〉は、すぐに姿を消してしまったそうです。ですが、その際にこうも言っておられました。翼を失った自分では、あの槍に触れることもできない。だからこの地に置いて行くしかない、と」



 教会の廊下を歩きながら、アロシアがフィスクに、百年前の伝承について語っている。それを聞いているのかいないのか、フィスクは相槌も打たずにその隣を歩いていた。


 宝物は、教会の裏庭から見られるのだという。向かう道中、すれ違う教会の人間や信者たちが、フィスクに深く頭を下げて道を譲っていく。



「かの宝物は、そのような経緯でこの教会に残されました。しかし我々人間も、槍に触れることは叶いませんでした。そのため教会は、槍を取り囲むように壁と屋根を作ることで守ることにしたのです」



 教会の中を通り抜け、日差しの降り注ぐ裏庭へ出る。やはり今日は風が強い。アロシアの長い髪がぶわっと広がり、フィスクのフードが煽られて落ちた。


 露わになった美貌に、シャイラは唾を飲みこむ。何度見ても目を奪われる。けれどその表情は、なんだか固いように見えた。



「こちらです」



 アロシアが手の平で示した先に、石積みの小屋があった。裏庭のやや教会寄りの不自然な場所に建てられた、長細い建物だ。人が出入りできる扉はなく、木でできた横長の窓がはめ込まれている。翼を模したレリーフが美しく窓枠を飾っていた。


 フィスクを窓の前に立たせて、アロシアは小さな真鍮の鍵を取り出した。両開きの窓につけられた錠を、ゆっくりと外す。



「それでは、どうぞご覧ください。これが、『精霊の落とし物』です」



 開け放たれた窓から、強い風が吹き出した。一瞬でシャイラたちの髪をぐしゃぐしゃに乱していった強風は、フィスクの空色の髪を翻し、その体を撫でるようにして弱まっていく。


 窓から覗いた小屋の中には、一本の槍があった。剥き出しの地面に突き刺さり、その穂先はほとんど見えない。しかし柄から石突まで、すべてが金属でできていることは分かった。滑り止めのためなのか、柄には蔦模様のような装飾が全体に施されている。


 銀色に輝く、美しい槍だった。


 ほう、というため息が、知らずシャイラの口から零れた。日の差さない薄暗い小屋の中で、自ら光を放つ精霊の槍。



「この槍は、常に風を発生させています。そのために誰も近づくことはできず、このようにして外から壁を作るしかありませんでした。驚くべきは、槍が近づく人間の強さを測っていることです」


「確か、この壁を作る時にも苦労したんですよね。戦えないと槍に近づけなくて、あまりに弱かったせいで腕を切り落とされた人もいたとか」



 熱心に槍を見つめながらコーニが言うと、アロシアは何度も頷いた。



「その通りです、コーニ様。強ければ強いほど、槍に近づける。けれど弱い者はその資格すらない。けれど、さすがはフィスク様です。これほど風が弱ければ、小屋の中に入っても大丈夫そうですね!」



 そう褒められても、フィスクは嬉しそうな様子をまったく見せない。ただ食い入るように槍を見つめている。その顔がどこか苦痛を秘めているようで、シャイラは思わず声をかけようとした。


 それを、アロシアの弾んだ声が遮る。



「この槍を落とした精霊の伝承は、このシーレシアにしか伝わっておりません。わたくしも帝都で、この話を聞いたことがありませんでした。また、残っている資料も非常に少なく、かの精霊がどのような人物だったのか、それを知ることはできません」



 フィスクとは対照的に、アロシアの顔は憧憬と興奮で輝いていた。上気した頬が白い肌によく映える。まるで恋に落ちた乙女だ。


 そしてコーニも、槍から視線を外さずに、やや早口気味に言い募った。



「一番詳細な記録は、登山家の日記なんだ。でもそれも、精霊の為人についての記述はない。えっと確か……」



 いつもおどおどとしていて、声も小さいコーニなのに、この時ばかりはまるで別人のようだった。



「『谷を通る街道から外れ、山を登る。ハルクメニアとアリアネスを結ぶ道を逸れると、そこはもはや人の生きていける土地ではない。


鬱蒼と木々が生い茂り、魔物たちが暗がりに潜む。


その中を、カンテラの明かりひとつで進む。時に身を潜め、茂みで魔物の目を欺きながら、できるだけ高い場所へ。


この山脈の頂上を、私は見てみたいのだ。


そうして辿り着いた先で、私は雲海を見た。


確かにこの目で、雲を見下ろしたのだ!


ああ、これこそが風の精霊たちが目にする景色。どこまでも続く白い絨毯! 今が夜明けの薄暗い時間でなければ、きっともっと鮮やかな光景が見られるのだろう!


――そして私は、ソレを見た


遥かな上空から、落ちてくる黒い点。


鳥か? 魔物か? ……いや、人だ。


ただの黒い点だったそれはみるみる人の形を取り、私の目に空色の残像を残した。

信じられなかった。何度も目を擦り、頬を叩いたけれど、彼、あるいは彼女は間違いなく存在した。


〈神と精霊の民〉だ。〈風の民〉が空から落ちてきたのだ。


私が目を疑っている間に、〈民〉は雲海を突き抜けてやがて見えなくなった』」



 良く通る声で諳んじてみせたコーニ。相変わらず、好きなことに対する集中力と熱意には凄まじいものがある。


 とても頭が良いのに、自分なんかと卑下する悪い癖は、小さな頃から治らないのだ。



「コーニ様、もしや暗記していらっしゃるのですか?」


「あ、いや……。えっと、前に見せてもらいましたので……」



 驚いて目を丸くしたアロシアが問うと、コーニはすぐに俯いてしまった。本当に凄いのだから自信を持てばいいのだと、その背中を軽くつつく。



「……さすが、コーニ様です! 一度見ただけの資料を、詳細に覚えていらっしゃるだなんて!」


「は、はあ……。ありがとう、ございます……」



 アロシアがぱっとコーニの手を取った。感極まった様子の巫女に、コーニも顔を真っ赤にしてもごもごと口ごもる。



「コーニ様の仰る通りです。ハルクメニアとの国境となっている、あの山脈に登った奇特な登山家が、〈風の民〉が落ちてくるその瞬間を目撃したと伝わっております。また、当時シーレシアの市長を務めていた家にも……」


「もういい」



 立て板に水を流すようなアロシアの説明が、唐突に遮られた。踵を返し、来た道を戻っていくフィスク。いつものようにフードを被り直して、裏庭を出て教会に入っていく。



「フィスク? どうしたの、いきなり」



 説明ばかりで飽きたのだろうか。それとも、槍を見るという目的は果たしたから、もはや付き合う意味もないということか。


 彼の行動の意味が分からず、シャイラは足早に立ち去るフィスクを追いかけた。けれどすぐに、それを後悔することになる。


 重い暗雲に、稲妻が閃くようだった。肩越しに向けられた視線に射抜かれて、否応なく足がすくむ。



「これ以上、俺に近づくな」



 フィスクは、時が止まるほど美しい顔に、何の感情も浮かべてはいなかった。ただ、雲の色をした彼の瞳だけが、壮絶な激情を映し出している。



「借りはしっかり返す。だから、もう俺に関わるな」



 どうしてそんな目をするのか分からなかった。激しい怒りと、底のない痛みが入り混じった瞳。


 ただ、ひたすらこちらを拒絶する言葉に、否を唱えることができなかった。言葉に詰まり、動けなくなったシャイラの横を、アロシアが走り抜けていく。


 「お待ちください、フィスク様!」と呼び止める声が遠ざかっても、コーニが心配そうに顔を覗き込んできても、シャイラはその場に立ち尽くしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る