第7話 三人

「シャイラさん、教会から手紙が来ていますよ」



 警備隊に顔を出すと、案内役の窓口で女性隊員に声をかけられた。



「依頼は終了だそうです。報酬はいつもの通り、こちらでお支払いしますね」


「分かりました」



 昨日、フィスク本人からも言われたが、やはり案内役は不要らしい。人付き合いを嫌っている様子だったから、誰かに付きまとわれるのは嫌なのだろう。女の子たちも落ち着いたようだし、シャイラの虫除けとしての役目はもう必要ない。


 検閲の印が入っている手紙を開くと、丁寧な文字と文章で、依頼を終了する旨と感謝の言葉が綴られていた。



「……報酬、一日につき大銀貨十枚ですか!?」


「すごいですよね、一日に六枚くらいが相場なのに。お金ってあるところにはあるのよねえ」



 しかも、実際に仕事をしたのは昨日の午前中だけなのに、シャイラに依頼をした日から数えて三日分の報酬を出すと書かれている。ここまで来るといっそ恐ろしい。



「私、こんなに貰ってもいいんでしょうか……?」


「いいんですよ。面倒な依頼だったんだし、くれると言ってるんですから」



 面倒な依頼だったのは分かるが、シャイラは特に苦労もしなかった。虫除けと言いつつ、フィスクに群がってくるような子もいなかったことだし。今となっては、必要だったかどうかも分からない。


 けれど女性隊員は、ちらりと周囲に目を走らせた後、顔を寄せて来た。



「昨日はみんな大人しくしてましたけど、実はいたんですよ。シャイラさんに文句を言っている案内役の人」


「ええ?」


「特に、学校を出たばかりの若い子や、普段から教会に通っている男たち。若い子は、この依頼が贔屓のように見えたんでしょうね。男連中は、アロシア様に入れ込んでいる奴らばかりでしたけど」



 そんなことを言われても。シャイラを選んだのは教会なのだから、文句は教会に言って欲しい。



「シャイラさんは案内役の花形ですから、こういう特殊な依頼の場合、選ばれるのは当然だと、みんなが思っていますよ。でも、一部の人はそれが気に入らなかったみたい」


「花形だなんて……。たまたま条件が良かっただけですよ」



 硬貨を積み上げながら、女性隊員は微笑んだ。



「私は、シャイラさんとお仕事をするのが好きですよ。そう思っている人がたくさんいるってことです」


「……ありがとうございます」



 面と向かって褒められると照れてしまう。けれどやっぱり嬉しくて、頬が熱くなるのを感じながらはにかんだ。


 一応教会に返事を出しておこうと、女性隊員にペンと紙を貸してもらい、さらさらと了承と感謝の言葉を綴った。紙を折り畳んで、そっと手の平に乗せる。



「……悠久の空を吹き渡る主なる力よ、風の唄よ。高く、高く、高く。遠く、遠く、遠く。太古よりの風よ、運び届けよ、我が手から吹き攫いたまえ」



 シャイラの手の上で、ふわりと微かな風が沸き起こった。



「シーレシアの教会へ」



 舞い上がった手紙は、シャイラが行き先を告げると風に包まれて、開け放たれた駐屯地本部の扉から出て行く。手紙がちゃんと送られていったのを見届けてから、カウンターに向き直った。


 カウンターには銀貨と金貨が出されている。大銀貨二十枚が小金貨一枚相当なので、三日分で小金貨一枚と大銀貨が十枚だ。唐突に手に入った大金に、落ち着かなくてそわそわしてしまう。


 女性隊員は丁寧に硬貨を数え、すべてを布の小袋に入れて渡してくれた。ポシェットにそのお金を仕舞ったところで、後ろから名前を呼ばれる。



「シャイラ!」



 振り向くと、小さな木箱を抱えたコーニが手を振っていた。女性隊員に頭を下げて、親友の下へ駆け寄る。



「コーニ、配達の仕事?」


「仕事というより、ただの手伝い。今日はもともと休みだからね」



 目にかかる紺色の髪を払って、コーニはやんわりと微笑んだ。抱え直した木箱の中で、何かががぶつかるカチャカチャという音がする。


 木箱の中を覗き込むと、薄茶色の薬品が詰まった小瓶が並んでいた。土の魔法で効能を高めた薬草を煎じたものだ。けれどシャイラは、外見から何の薬かを判断することはできない。



「これ、何の薬?」


「外傷の応急手当てに使う、止血の薬だよ。魔物の討伐隊を組むことになったから、まとまった数を入れてくれって言われて」



 コーニは箱を持ち上げて、総合受付のカウンターに置いた。座っていた隊員とやり取りを交わして、止血薬の入った木箱は引き取られていく。



「あ、それと。これ、レオさんに渡しておいてもらえますか? 今朝忘れて行っちゃって」


「隊長に? ってこれ隊長の通信具じゃん!? 悪いなコーニ!」



 コーニが取り出したのは、黒い羽根が巻きつけられた、伏せた金属製のコップだった。離れた場所に声を届けるための、風の魔法を仕込んである魔道具だ。魔道具の下部、コップの縁に当たる部分に、レオディエの名前が彫ってある。


 手紙を届けるのに使うような風の魔法は、ただ風を操るだけの単純なものだ。けれど離れたところに声を届けるような魔法は複雑で、発動に時間がかかる。その発動の手順を省略するために作られた魔道具だ。


 警備隊では役職持ちの隊員に支給されており、緊急時の連絡にも使用される、かなり重要な装備のはずだ。


 がっくりと項垂れた後、「隊長ッ」と叫びながら走っていった隊員を、コーニは半笑いで見送った。



「レオディエさんって、仕事の時はとっても頼もしいけど……」


「家では結構ずぼらだし、抜けてるんだよね……」



 コーニとレオディエは、血の繋がらない親子だ。血縁関係のない子供を引き取るに至った経緯は知らないが、彼らがこの街にやって来たのはコーニが五歳の時だった。


 レオディエは昔、帝都の騎士団にいたという噂もある。けれど二人とも、昔の話はあまりしたがらない。コーニの方は、詳しく覚えていないということもあるだろう。


 そういう事情もあって、コーニは警備隊で可愛がられている。彼が警備隊の内情に詳しいのはそのためだ。


 コーニは軽く伸びをして、シャイラに向き直った。



「僕はこれで用事が終わったけど、シャイラは?」


「私も終わってるよ。そうだ、市場にでも行く? 教会の依頼で、お金をもらったばかりなの。何か食べよう」



 なかなかの大金が入っているポシェットをぽんぽんと軽く叩く。


 東西の通りには、食材や料理、日用品の屋台が並ぶ朝市が広がっている。仕事の前に朝食を買う人や、店の仕入れに来ている店主、お使いに来た子供たちなどで常に賑わいが絶えない。


 朝市なので昼を過ぎると屋台は畳まれてしまうが、今はまだ朝の早い時間なので、どの店も営業を始めたばかりだろう。



「いいね。あと、ウィンスさんの所でも何か買おうよ」



 コーニの顔が輝いた。つられてシャイラも笑みを浮かべる。



「私、クッキーはもう来るときに買ったの」


「そうなんだ。じゃあ、パンを買って市場でおかずになりそうなものを……」



 話しながら警備隊の本部を出る。ちょうどその時、隣にある傭兵ギルドの建物から、みすぼらしいマントが現れた。


 あのマント、徹底的に顔を隠した姿は、知っている。



「フィスク?」



 思わず名前を呼ぶと、隣でコーニがびくりと肩を跳ねさせた。


 人嫌いのようだったから、無視されるなり、すぐに離れていくなりすると思ったのだが、予想に反してフィスクはじっとこちらを見てきた。そして、ぽつりと一言。



「クッキーの匂い……」



 嘘でしょ、という率直な感想はどうにかこうにか飲み込んだ。フードの下から、視線がまっすぐポシェットに向かっているのが分かる。


 ウィンスのクッキー、そんなに気に入ったのか。


 そろそろとフィスクを見上げ、俯いているコーニの横顔を窺ってから、シャイラはクッキーの袋を取り出した。



「……食べる?」


「……」



 言葉は返って来なかったが、腰の辺りでゆらゆらと揺れている手が、フィスクの迷いを如実に表していた。


 昨日の今日でギルドから仕事を貰えているとは思えないし、金はまだないのだろう。捕らえられた三人組から取り戻すのも難しい。だから、今のフィスクが自分でクッキーを買うことはできない。


 フィスクの決断を待っていると、揺れていた手がぎゅっと握られて引っ込んだ。



「借りを増やすわけにはいかない……」



 ものすごく苦々しい声だった。いったいどれだけ食べたいのか。呆れと笑いが同時にこみ上げて来て、シャイラは大きく咳払いをした。



「クッキーくらいで、そんな大袈裟な」



 ふいと顔を背けたフィスクの腹が、ぐうう、と鳴った。また腹を減らしているらしい。そこで、シャイラはあることに気づいて眉をひそめた。



「フィスクって、ちゃんとご飯食べてるの? 食事は教会で用意してもらえるでしょう?」


「……」



 沈黙が答えだった。


 露骨に黙り込んだフィスクは、診療所で働くコーニの視線から逃げるようにフードを引っ張る。


 常に金のことを気にしていたし、昨日もシャイラに金を返すことを前提でサンドウィッチとクッキーを食べていたのだ。教会から部屋と食事を無償で提供されるのに抵抗があるのだろうが、それではまた倒れてしまう。


 しかし、強い言葉で食べるように言っても、きっとフィスクは耳を貸さないだろう。こうやって好きな食べ物の匂いに釣られて来ることも、なくなるかもしれない。



「えっと……、前も空腹で倒れてるんだし……、食事は摂った方が……」



 コーニのか細い声も、聞こえないとばかりに沈黙を貫くフィスクに、シャイラは持っていたクッキーを押し付けた。



「! なんだ、いきなり……」


「私、教会の依頼報酬を受け取って来たばかりなの」


「……それがどうした」


「だからコーニと一緒に、市場に行くところだったの。フィスクも行かない?」



 ぎょっとしたコーニが後ろから服を引っ張ってくる。「ちょっと、絶対に無理だよ!」と囁いてくるが、シャイラは引かなかった。フィスクが人と関わることを嫌がっているのは分かるが、このまま知らぬ振りをするのも気が咎める。



「何も食べないままじゃ、ギルドで依頼を受けたって、ちゃんとこなせないでしょ。貸したサンドウィッチとクッキーのお金をしっかり返してもらうためにも、食事はしてほしい」



 ほとんど屁理屈に近いが、これでフィスクは納得してくれるだろうか。


 じっとフィスクを見つめると、彼は諦めたようにため息をついた。見え透いたシャイラの嘘を、飲み込んでくれたらしい。



「……どこへ?」



 思わず振り返って、コーニの腕を掴んだ。



「やった!」


「え、すごいねシャイラ……? うん、でも、彼は本当に、何か食べた方がいいよ……」



 驚いたように灰色の目を丸くしたコーニだったが、すぐに眉を下げて気弱に微笑む。人見知りのコーニには悪いことをしたけれど、多分彼にとっても悪いようにはならない。


 コーニが、同じ〈精霊の子〉である彼を気にしているのは、シャイラも気づいていた。



「それじゃあ行こう。二人は何か食べたいものある?」


「ひ、羊肉の串焼き、かなあ?」


「……別に」



 会話は盛り上がらないだろうという確信を抱きつつも、シャイラは二人の背を押して歩き出した。

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