第6話 強さ

 出されたお茶には手を付けず、フィスクは平淡な声を崩さぬままに語った。



「もともと、俺に護衛の依頼が回ってきたのは、アゲリがほかの三人だけでは心もとないと判断したからだ。それでギルドが、単独で依頼を探していた俺を紹介した」


「なるほど? 奴らはそれが気に食わなかった訳だな?」



 新しい紙を取り出したレオディエは、言動に似合わぬ流麗な字でフィスクの証言を書き取り始めた。



「国境を越えてすぐに休憩を取ることになり、俺は周囲の確認のために一行から離れた。遭遇する距離ではなかったが、魔物の気配も感じていた。そいつが近寄って来ないのを確認して戻ると、俺の荷物だけを残して他はすべて消えていた」



 淡々と話しているが、それはつまり。事の概要が見えてきて、シャイラは思わず口を手で覆った。


 あの、宿屋の食堂で揉めた三人の傭兵。腕に覚えのある荒くれが集まるシーレシアでは、些細な争いなど日常茶飯事だ。そんな、特別でもなんでもない出来事だったはずなのに、あの時のやり取りを思い出すだけで嫌な気分になる。



「すぐ近くには危険な気配はなかったから逃げる理由が分からなかった。だが荷物から食糧と金が消えていたし、俺が乗っていた馬もいなかったから、わざと置いて行かれたのは予想がついた」


「酷い……」



 金がないと言っていたのは、使い切ったからでも稼ぎが少ないからでもなく、盗られたからだったのか。


 レオディエの眉間にも皺が寄っている。ある程度予想通りとはいえ、これが事実ならば傭兵たちの行為は立派な殺人未遂だ。


 魔物のいる山を移動するための馬もなく、食糧も奪われては、普通ならば魔物にやられるか、遭難して死ぬかしかない。五日間もかけて街まで辿り着いたフィスクがありえないのだ。



「その状況で、いったいどうやってここまで……」


「……最初は魔物を倒しながら移動していたんだが、途中で槍が折れてからは、魔法で応戦した。食糧を探す隙は無かったから、倒れたのはそのせいだ」



 ずっと低い調子だった声に、僅かに苦い色が混じった気がした。横目で窺っても、彼の美しい顔は隠れていて、どんな表情をしているのか分からない。


 国境からシーレシアまでは、馬で半日ほどだ。徒歩ならば、二日くらいはかかるのだろうか。距離だけをみればその程度だが、食糧もなく、魔物と戦いながら、あるいは逃げながらの道中が、どれだけ厳しいものだったかは想像に難くない。


 レオディエは書く手を止めてフィスクをじっと見つめた。静かな声で、探るように言う。



「例の三人の居場所は把握している。あんたを置き去りにしたって証拠がなかったから、捕まえてはいない。というか、証拠は今もないんだがな。……あんた、どうしたい?」



 シャイラの隣で、フードが僅かに傾いた。



「どうしたい、とは?」



 聞かれたことの意味が分からない、とでも言いたげな、怪訝そうな声だった。髭を撫でさすったレオディエは、小さくため息をついてソファーの背もたれに体を預ける。



「つまり、殺人未遂の犯人三人に、どういう罰を与えたいかってことだ。被害者はあんただからな、フィスク」


「……慣例通りに裁けばいいだろう。俺は盗られた金さえ戻れば、あとはどうでもいい」


「そうか。そう言ってくれて助かる」



 安堵したようにニッと笑ったレオディエに、フィスクはやはり不思議そうなままだったが、追及することはなかった。


 それで、とフィスクは先を促す。



「ほかには?」


「そうだな。証言だけでも十分なんだが……」



 その時、司令室の扉が叩かれた。先ほど資料とお茶を持ってきてくれた隊員が、警備隊長の許可を得て入室してくる。その顔には困惑の色が浮かんでいた。


 簡易の革鎧を身に着けた年若い彼は、ええと、と言い淀む。



「隊長が監視を命じられていた、あの三人の傭兵が、乗り込んできたんですが……」



 なんで? とその顔に書いてあった。シャイラも同じ気分だ。三人の傭兵と言えば、今話していた彼らのことだろう。警備隊が彼らを捕らえるために動くことはあっても、あの傭兵たちが警備隊に乗り込む必要などないはずなのに。



「……はあ?」



 レオディエがぽかりと口を開けて、部下を見返した。この部屋の中でフィスクだけが平然としている。相も変わらず顔は隠れているが。



「その、かなり酒に酔っていて……。今にも暴れ出しそうです」


「分かった、俺が出よう。……フィスク、行くか?」



 残ったお茶を流し込み、レオディエはソファーから立ち上がった。声をかけられたフィスクも、フードを直しながらその後に続く。ぼんやりとそれを見送ったシャイラは、司令室に取り残されることに気づいて慌てて二人を追った。


 さっき通った廊下を戻る。ロビーに近づくたびに、喚き散らす声と何かをぶつけるような鈍い音が大きくなっていった。



「おい、何をやっている」



 来た時とは違い、ロビーには人が集まっていた。レオディエが声をかけると、壁を作っていた警備隊員たちがさっと道を開ける。シャイラは二階に続く階段に並んで野次馬をしている、案内役の友人たちに近寄った。



「何があったの?」


「あ、シャイラ。ほら、前にあなたと揉めた傭兵たち。あいつらが、傭兵ギルドから追い出されたって言って、こっちで暴れてるの」



 彼女たちが指さす先、隊員たちが取り囲む円の中心で、見覚えのある男たちが騒いでいた。一人は自分の武器であろう棍棒で、ガンガンと床を叩いている。



「ギルドから追い出されたって、どうして」


「今、警備隊であいつらの調査してるんでしょ? その疑いが晴れるまでは、ギルドでは依頼を回さないって決まったらしいよ」


「街中の酒場で入店を断られてからずーっと、ギルドの酒場で飲んでたのよ。邪魔になったんじゃない?」



 彼女たちの声は冷ややかだ。あの傭兵たちは、シーレシアの人たちにしっかりと嫌われているようだ。


 無理もない。武勇を誇る〈風の民〉を信仰するシーレシアでは、彼らのような卑劣な言動は、殊の外忌むべきものだ。強く勇ましい戦士は、信仰の象徴そのもの。傭兵でも旅人でも、揺るぎない強さと信念を持つ者は歓迎される。


 けれどあの傭兵三人は違う。



「っんで俺らが出禁食らわなきゃならねえんだよ! さっさと調査とやらを切り上げやがれ!」



 小遣い稼ぎもできやしねえ、と呂律の回らない口調で、無精髭が喚き散らす。低身長が棍棒を打ち付けて威嚇しているが、周囲を取り囲む警備隊員たちはまったく表情を変えなかった。


 三人組は相対するように立ったレオディエを凄む。レオディエの方が体格は一回り小さかったが、滲み出る迫力には格段に差があった。子犬がライオンに吠えてかかっているようなものだ。


 低い声で、シーレシアの警備隊長が唸る。



「ちょうど良かった。お前らに確認しなきゃならねえことがあってな」



「あ? 確認だと?」



 レオディエがすっと身を引く。くたびれたマントを靡かせて、フードで顔を隠したままのフィスクが前に出た。


 一瞬呆けたようにフィスクを見下ろした無精髭は、酒で真っ赤に染まっていた顔をみるみる青くさせた。



「な、ん……っ、お前、なんで……!」


「……」



 無言のまま、フィスクは少しだけフードを引いた。長い空色の髪が一房零れ落ちる。鋭い視線が傭兵たち三人を射抜いた。


 三人組より、レオディエより、フィスクは細身だ。上背はあるが、彼らと並ぶと華奢にすら見える。なのにフィスクが一歩踏み出すと、傭兵たちはばらばらと足取りを乱して後退った。



「なんで生きて……っ」



 打ち上げられた魚のようにパクパクと口を開閉させる無精髭の横で、同じように呆然と立ち尽くしていたスキンヘッドが、突然雄叫びを上げた。


 何かに突き動かされるように拳を振り上げ、スキンヘッドはフィスクに飛びかかる。シャイラも友人たちもはっと息を飲んだ。


 空色が視界を横切る。


 すっと足を引いてフィスクが拳を避けた。大きく空ぶったスキンヘッドは向きを変えようとし、かくんとのけぞる。相手の膝を裏から蹴飛ばして、フィスクは筋肉に覆われた肩を、トン、と押した。


 痛々しい音を立てて、スキンヘッドは後頭部から床に倒れた。頑なにフィスクが被っていたフードが落ちて、空色の髪が舞う。



「なっ……、てめぇ!」



 仲間がやられて、青褪めていた無精髭も奮い立った。音を立てて足を踏み込み、目にも留まらぬ速さで拳を振り抜く。


 しかし無意味だった。今度は避けることもせず、フィスクが手の平でその拳を軽く払う。向きを逸らされた無精髭の拳は、頭を振って立ち上がろうとしていたスキンヘッドの顔面に突き刺さった。


 今度こそ白目を剥いてひっくり返ったスキンヘッドに、周囲から憐れむような声が上がる。


 その間に、無精髭はフィスクによって伸されていた。低身長が慌てて構えた棍棒に頭を打ち付けられ、鍛え上げたはずの巨体はフィスクの手にぶら下がっている。


 一人残った低身長は、可哀想なくらいに震えていた。顔色は青を通り越して土気色になっている。投げ捨てられた無精髭も、警備隊員に介抱されているスキンヘッドも眼中になく、作り物めいた顔を晒したフィスクを見つめていた。


 髪を背中に払い、フィスクは静かに低身長を見返す。門の前で倒れた時や、ベッドの上で見た時とは違う。ほとんど表情は動かないのに、雲の色をした瞳だけがぎらぎらと輝いている。儚げな印象など吹き飛ばす、研ぎ澄まされた切っ先の上を走る光だ。


 離れて眺めているだけのシャイラですら、背筋がぞくりと泡立った。初めて彼の姿を見る友人たちは、まるで魂が抜け出たかのような有様だ。あれを真正面から向けられた傭兵は、その場で腰を抜かして近くの警備隊員にすがりついた。


 呆気なく、情けない幕切れだった。


 戦意喪失した低身長を一瞥し、フィスクはあっさりと彼らに背を向けた。周囲と同じように怯んでいたレオディエが、慌てて彼らの捕縛を指示する。



「強い……」



 ある程度以上の実力があるのは分かっていた。けれど、目の前で見て理解した。さっきのやり取りで、フィスクは実力の欠片も見せてはいないだろう。底が、知れない。


 この、胸の内が沸き立つような感情は何だろう。待ち望んでいた何かを、ようやく掴んだかのような。


 見れば、ほかの案内役の子たちや、警備隊員の顔にも興奮の色が浮かんでいる。当然だ。ここは風の力が満ちた街。何よりも武勇が誇りとされる街だ。



「いや、ここまで強いとはな。どうだ、警備隊に入らねえか?」


「断る」



 すげない返事もレオディエは気にせず笑い飛ばし、縛り上げられた傭兵三人に視線を落とす。転がされた三人のうち、意識が残っている低身長ががっくりと項垂れていた。


 シャイラ、と呼ばれたので返事をする。シャイラにも三人の顔がよく見えるように、レオディエが彼らの首根っこを掴んでこちらに向けた。



「お前と宿屋で揉めたのは、こいつらで間違いないな?」


「はい。間違いありません」


「よし。さっきの反応からして、フィスクを置き去りにしたのもこいつらだろう」



 それを確かめるために、わざわざ彼らを対面させたのか。駐屯地の中ならば、荒事になっても問題はないということも考慮した上で。結局、フィスク本人があっという間に制圧したが。



「窃盗と、殺人未遂で逮捕だ。荷物も没収。フィスク、盗まれた金はいくらくらいだ」


「……護衛依頼の前金、大金貨一枚と、あとは銀貨が少し」


「結構じゃねえか……」



 大金貨が一枚あれば、贅沢さえしなければひと月は楽に暮らせる。命を懸ける傭兵たちは、その分稼ぎもいいのだ。


 それを悪用した三人組の一人、身長の低い彼は、ますます追い詰められた顔で必死に首を振った。



「か、返せと言われたって、もう、残ってねえよ! い……、色街で使っちまったよ!」



 どこからともなく、大きなため息が上がった。仕事仲間を殺そうと画策し、金品を盗んでその金で盛大に遊ぶ。救いようのない連中だ。


 呆れた顔をしたレオディエが、顎をしゃくって彼らを連れて行くように命じた。



「悪いな、フィスク。どうにか取り戻せないかやってみるが、あんたが自分で稼いだ方が早いかもしれん」


「……そのようだな」



 感情を乗せない声で返事をして、さっさとフードで顔を隠してしまったフィスク。興奮を隠そうともしない案内役の友人たちは、シャイラの腕を取って囁きかけて来た。


「教会の指名も納得よ! あんな強くて、しかもあんなに綺麗な〈精霊の子〉、教会がほっとく訳ないもの。ついでに女の子もね」


「でもま、彼は騒がれるの嫌いそうだし、私たちだって言われたらそこは弁えるのにね。最初はすっごい騒いじゃったけどさ」


「噂だけで勝手に盛り上がってたからねえ。シャイラ、面倒押し付けちゃってごめんね?」



 でも綺麗すぎて恋愛対象にはならないタイプじゃない? 遠くから見てたいよね、などと好き勝手に言い合う彼女たちに、シャイラは苦笑を零した。綺麗すぎるというのは同感だ。



「いいよ。大変じゃないから」


「でも、シャイラは普段、あれくらいの若いお客さんは取らないじゃない? お父さんを探したいんでしょ?」


「色んな話を聞くには、経験豊富な人の方がいいものね。彼、腕は立つけど、私たちと同い年くらいに見えるし」


「十五、六、ってとこかな。でもいいの。どうせこの時期は、他にお客さんもいないから」



 数日前に案内を担当した旅人は、たくさんの話を聞かせてくれた。あれだけで今回の仕事は終わるはずだったのだから、損をしているわけでもない。少し面倒な仕事ではあるが、依頼を受けたからにはしっかりと務めるつもりだ。


 フィスクが案内を必要とすれば、の話だが。



「案内役」



 涼しげな声が呼んでいるのが自分だと、一拍遅れて気が付いた。



「はいはい、どうしたの?」



 友人たちに手を振り、フィスクの下へ駆け寄ると、もう駐屯地を出るようだった。



「もう案内はいらない。道も分かる」


「そっか。あとはギルドに行くだけ?」



 三人組から取り返せなかった分、自力で稼がないといけないのだ。もともとその予定であったようだから、彼はあまり気にしている様子はないけれど。


 そこでふと思い立って、シャイラは尋ねてみた。



「そういえば、あの傭兵たちのことはどうでもいいって言ってたけど、やっぱり怒ってたのね」



 殺されかければ怒るのが当たり前だと思うのだが、司令室にいた時のフィスクから怒りは感じられなかった。けれど容赦なく彼らを叩きのめしたところを見るに、やはり相応の思いはあったのだろう。


 フィスクはフードをひっぱり、ふいと顔を背けた。



「……どうでもいいとは言ったが、腹が立ってないとは言ってない」



 その口調が、今までの彼と違って年相応なものに思えて、シャイラは思わず笑ってしまった。

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