第4話 出会い
あの少年が目覚めたとコーニが呼びに来たのが、翌日の夕方だった。
母の店を手伝っていたシャイラは、急いで診療所に向かう。その道中、コーニが警備隊の調査結果を教えてくれた。
「あの傭兵たちの仲間で間違いないって。荷物の中にも、傭兵ギルドのタグプレートがあったし」
「若いから違うんじゃって話じゃなかった?」
「警備隊の人たちはそう思ってたんだけど、商人の依頼を受けたのは若い〈精霊の子〉であってるんだ」
「じゃあ、本当に国境から歩いてきたんだ……」
「そうみたい。しかも、ちょっと雲行きが怪しくて」
物憂げな顔で、コーニは声を潜める。
「護衛依頼を出した商人は、彼のことを死んだと思ってたんだ。関所を越えてすぐの場所で休憩を取ってたらしいんだけど、腰を落ち着けるかどうか、ってところでほかの傭兵たちに、『魔物が出たからすぐに出発する、ほかの奴が食い止めているうちに早く』って急かされて、慌てて出発したって」
そうやって国境となっている山を下りて、魔物を食い止めるために残った護衛を待ったが、少年一人だけが戻ってこなかった。だから、彼は死んだものだと。
「もとは帝都まで行くつもりだったらしいんだけど、傭兵ギルドへの報告と護衛の増員をするために、一番近いシーレシアに行き先を変更したんだって」
聞いているうちに顔が険しくなっていくのが、自分でも分かった。
商人の証言と、はぐれた仲間を嫌っていた様子の傭兵たち。そこから導き出されるのは。
「もしかして、わざと置き去りにしたの……?」
「……その可能性は、高いって」
本当に、気分が悪い。魔物が出ると分かっている場所に、移動手段を奪って置き去りにするなど、殺人と変わりない。その上、それを楽しそうに酒の席で語るなど。
「信っじられない……!」
「警備隊と傭兵ギルドは、かなり忙しそうにしてるよ。本人に事情を聞いてからになるけど、あの傭兵たちの逮捕も視野に入れてるって……」
ちょうどその時、診療所についた。中に入る前に、シャイラは大きく深呼吸をする。勝手に決められたこととはいえ案内役として会うのだから、しかめっ面のままではいけない。ふう、と息を吐いて、心を落ち着けた。
コーニに連れられて、診療所の奥に進む。一番奥の個室に、彼はいるのだという。
ノックの後に聞こえてきたのは、アロシアの声だった。返事を聞いてドアを開く。その瞬間、部屋を風が通り抜けて、オレンジ色に染まったカーテンが翻った。
ベッドの枕元に立っていたアロシアが、頬を染めて笑う。コーニ様、シャイラさん、と名前を呼ばれたが、すぐに返事ができなかった。
ベッドの上で体を起こした少年。風に舞い上がった長い空色の髪が、絡まることなくシーツの上にわだかまる。伏せられていた瞳が持ち上がるのが、やけに遅く感じた。
まっすぐにシャイラを見つめた切れ長の瞳。窓から入る夕日に照らされて、薄い灰色だったそれが淡く色づく様を見た。
眠っていた時でさえ美しかった少年は、目を開いて動いているだけで更なる衝撃をシャイラたちに与えた。儚げな印象はそのままに、より研ぎ澄まされた鋭さを内に秘めている。薄い色の唇が動くのを、シャイラはぼんやりと目で追った。
「……お前は」
淡々とした声が向けられているのは自分なのだと、気づくのに時間がかかった。
「へいっ、え、あの、シャイラです!」
珍妙な返事をしてしまった。胸中で悲鳴を上げるシャイラなど気にも留めず、少年はアロシアに視線を送る。
巫女は柔らかく微笑んだまま、手の平でシャイラを示した。
「あなた様がこの街に滞在される間、案内役を務めてくれる者です。何かありましたら、わたくしか彼女に。教会にお部屋をご用意させていただきますので、どうぞご自由になさってください」
少年は返事をしないどころか、ぴくりとも表情を動かさなかった。凍てついた視線がシャイラに戻って来る。あまりに感情が出ないものだから、綺麗すぎる顔が作り物めいて見えてくるほどだ。
隣にいたコーニが、そっと後退ってシャイラの後ろに隠れた。
沈黙の時間が続き、シャイラが見つめられるのに耐えきれなくなった時、少年はすっと顔を背けた。
「……すぐに街を出る。部屋も案内役も必要ない」
すべてを拒絶するような冷たい声だったが、その返答にはシャイラもアロシアも困ってしまった。思わず二人で目を合わせて、シャイラがおずおずと口を開く。
「えっと……。この街の門は、馬車が出入りする時しか開かないんです。六日前に開いたから、次は大体一週間後ね」
初めて少年の顔が動いた。苦々しげに眉が寄せられる。
「金はない」
「お金は必要ありません。教会のお部屋は、事情のある旅の方にいつでも開放していますし、シャイラさんへの依頼料は教会からお支払いいたします。尊き精霊の血を引くあなた様は、わたくしどもにとって敬うべきお方なのですから」
少年はそれに何も答えなかったが、街を出るとはもう言わなかった。
ぱあっと顔を輝かせたアロシアが、少年の手を取って両手で包み込む。
「今日はこちらでお休みくださいませ。明日の朝、わたくしが迎えに参ります」
手を振り払われてもアロシアは笑みを崩さず、深々と頭を下げて部屋を出ていった。あそこまで拒否されても気にしない心の強さは見習いたいところだ。
シャイラも、依頼を受けたからには案内役の役目を果たさなければいけない。
扉の前からベッドの傍まで移動して、軽くお辞儀をする。
「さっきも言ったけど、案内役のシャイラです。街の案内じゃなくても、宿の手配や買い物の代行なんかもできるから、気が向いたら声をかけてくださいね」
少年からの返事は期待していなかったのだが、意外なことに少しの間をおいて言葉が返って来た。
「……傭兵ギルドはどこにある?」
「ギルドなら、中央広場に。この診療所があるのが北通りで、城壁に背中を向けて大通りを進めば広場があります」
シーレシアを通る主要な大通りのうち、南北の通りは帝都や隣国からやって来る旅人のために、宿屋や武器屋、日持ちする食料の店などが揃っている。対照的に、東西の通りには大規模な市場が広がっていて、街の住人がよく利用している。
大雑把にだが地理を説明すると、今度はすぐに質問が飛んできた。
「質のいい武器屋は」
「それなら、傭兵ギルドの隣にあるお店がおすすめ。人気があって質のいいお店は、だいたい中央広場に集まっています。でも料金も高いから……」
シャイラが言葉を濁したところで、ずっと陰に隠れて黙り込んでいたコーニがおずおずと前に出た。
「あの……。いま警備隊でも調べてるんだけど、も、もしかして、国境の辺りで商人の一団からはぐれた傭兵って、き、君で合ってる……?」
冷たい雲色の瞳に見返されたコーニは小さく悲鳴を上げかけたが、シャイラの後ろに逃げ込むのは何とか堪えたようだった。
「その商人が、この街に来ていて……。護衛の傭兵が一人、仲間に置き去りにされた疑いがあるんだ。だから、もしそれが君なら、その……、警備隊の調査に、協力してほしくって……」
少年は小さく口を開き、何か言い淀んだ後、ため息とともにこくりと頷いた。
「……分かった。どうせ街から出られない」
「あ、ありがとう……」
全身から安堵を滲ませるコーニは、この部屋に留まるのが気まずくなったらしく、「た、隊長さんに伝えてくる!」と部屋を出ていってしまった。
最終的に一人で残されたシャイラは、あー、と意味もなく視線をさまよわせた。コーニと一緒に出ればよかったのに、タイミングを逃してしまった。
少年と会話するにもまったく話題が見つからないし、会話に応じてくれるとも思えない。それに彼は昨日倒れたばかりなのだ。長居するのも気が引ける。
「えっと……、ああ、そう! 私に用があったら警備隊の案内役窓口に声をかけて。それか、西通りの花屋に。うちの店なんだけど、いつもはそこで働いてますから」
それじゃあ、と言い置いて、反応のない少年に背を向け、ドアノブを握ったところではたと気付いた。聞いても答えてくれないかもしれないと思いつつ、ベッドを振り返る。
「あの……、名前、教えてくれる?」
空色の髪がさらりと流れて、少年の白い顔がシャイラの方を向いた。何度見ても美しい顔にどきりとしていると、吐息のような小さな声が聞こえた。
「――フィスク」
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