一章

第2話 案内役

 重厚な門がゆっくりと開いていく。石畳を擦る重々しい音が響く中、くたびれた黄土色のマントがひらりと翻った。


 門扉の僅かな隙間から滑り込んできたのは、フードを被った長身の人物だった。彼が周囲を見渡した拍子に、顔を覆う布が僅かにずれる。まるで芸術家が魂を込めて作り上げたかのような美貌が、その隙間から覗いた。警戒を孕んだ鋭い目が、ふっと瞼の裏に隠される。


 数歩も行かないうちに崩れ落ちた長髪の少年を前に、シャイラは脈打つ心臓の音をどこか遠くで聞いていた。


 この高揚感の正体を、彼女はまだ知らない。






 時は五日前まで遡る。






「信仰と武勇の街、シーレシアにようこそ!」



 馬車から顔を覗かせる旅人たちに、シャイラはにっこりと笑いかけた。癖のある栗色の髪に自分で育てた花を挿し、蔦の刺繍が施されたワンピースで着飾って、準備は万端だ。


 城壁に囲まれたこの街は、二週間に一度、門を開いて外からの馬車を迎え入れる。彼らをもてなし街を案内するのが、シャイラたち案内役の仕事だった。


 今日もいつものように、列をなした馬車が重厚な門を潜り抜け、出迎えるシャイラたちの前を通り過ぎていく。


 先頭には四頭立ての豪華な馬車。周囲には馬にまたがった護衛がついているから、高い身分を持つ誰かなのだろう。その後ろに目をやると、大きな幌馬車を従えた商人や、都市間を繋ぐ駅馬車が続いている。それらには最初の貴族と同じように護衛の人間もついているが、彼らは立派な鎧ではなくすり切れたマントや革鎧を身に纏っていた。


 シャイラの隣で同じように着飾った少女たちが、気合を込めて拳を握る。



「強そうな人がいっぱいね!」


「かっこいい人は少ないけど。どの人にしようかな」


「貴族様の護衛なら、金払いはいいかもねー」



 どの客と契約を結ぶか見定めている仲間たちに先んじて、シャイラは駅馬車の方へと身を乗り出した。



「私決めた! 行ってくるね!」


「はーい、行ってらっしゃい」


「シャイラとは客層が被んないからありがたいわ」



 駅馬車から降りて、周囲を見渡している旅人たち。家族連れや傭兵らしき彼らの間をすり抜けて、シャイラは目を付けた相手に声をかけた。



「こんにちは! この街は初めてですか? よろしければ、案内の仕事を請け負いますよ」



 それは、駅馬車から一人で降りて来た男だった。初老に差し掛かる歳だろうか。他の旅人たちと同じように簡素なマントを羽織り、ブーツをしっかりと履きこなしている。そしてその腰には使い古された長剣が下がっていた。


 きょろきょろと何かを探す様子だった男性は、声をかけたシャイラを見て顔を綻ばせた。



「ああ、君は案内役だね? ちょうど、案内を頼もうと思っていたんだ」


「それは良かったです! シーレシアには、観光に? それともお仕事?」


「観光だよ、一応はね。これでも傭兵の端くれなんだが、シーレシアに行ったことが無いと言ったら、仲間に驚かれて。絶対に行くべきだと熱弁されたのでね」



 茶目っ気たっぷりに目を細めた男性に、シャイラも口元を抑えてくすくすと笑った。



「じゃあ、頑張って案内しますね!」


「ああ、よろしく頼むよ」



 楽しそうに微笑む男性に、シャイラは石造りの街を抱き締めるように両手を広げた。



「では改めて……、信仰と武勇の街シーレシアを、私、シャイラがご案内いたします!」






 ドーリス大陸南東に位置する、アリアネス帝国。その西部にあるシーレシアは、高い城壁に守られた大都市だ。帝都に次ぐ賑わいを誇るこの街には、大勢の旅人が訪れる。


 荷物を背負い直しながら、男性が口を開いた。



「まずは、宿を確保したいね」


「それでしたら、私が紹介します。おじ様はどこからいらしたんですか?」


「火の国だよ。普段は自分の街を守ってるんだ」


「じゃあ、この風の国は初めてですか?」


「いや、一度だけ帝都には行ったことがあるよ。護衛の依頼でね」



 男性と話しながら歩く間にも、色んな観光客とすれ違う。シャイラのような案内役を立てた彼らは、その多くが逞しい体つきをしている。あるいは鎧を着たままだったり、武器を提げていたりと、一見して戦いに身を置く者だと分かる姿をしていた。


 門から続く大通りを見渡し、男性は感心したように息を吐いた。



「やはり、帝都よりも傭兵の数が多いね。戦闘に秀でた風の精霊の加護を、一番強く受ける街だけある」


「精霊界への〈入り口〉が、唯一見られる街ですから!」



 シャイラはよく晴れた空を指さした。気温が上がり始めた春半ばの今日、薄青の空には大きな雲が一つ浮かんでいる。ほかの小さな雲が風に流されていく中、その大きな雲だけは同じ場所から動くことなく、どっしりと佇んでいた。



「あの雲は消えることも、あの場所から動くこともありません。あの中に、精霊界に繋がる〈入り口〉があると言われています」



 精霊たちが住むという、幻の国。人の身では辿り着けない、神と精霊だけの楽園だ。


 男性がぽかんと口を開けて空を見上げる。



「噂には聞いていたけど、あれが……」


「あの〈入り口〉から、精霊が訪れたという記録も残っているんですよ。一番新しいもので、百年ほど前のものですけど」


「だからシーレシアは信仰の中心と言われているんだね」


「はい! 教会の中には展望塔もあって、街の一番高い場所から〈入り口〉を見ることができます! 今から案内する宿屋に行く途中に、教会の前を通りますよ」



 北通りを中央の広場に向かってまっすぐ進む。シャイラのような案内役を立てた旅人たちのほとんども同じ方向に進んでいた。この街に来るからには、彼らの目的は決まっている。


 広場に近づくにつれ、大きな教会が見えてきた。正面の入り口は背の高い両開きの扉で、今は完全に開け放たれている。扉の前には二枚の布を合わせて腰の辺りで絞った白いキトンを着た少女が立っていた。艶のあるまっすぐな黒髪を背中の中ほどまで伸ばした、垂れ目がちの美しい少女。


 彼女はシャイラを見つけて、ゆったりと表情を綻ばせた。



「おはようございます、シャイラさん。今日もお仕事ご苦労様です」


「おはようございます。おじ様、この方は帝都からいらした巫女の、アロシア様です」



 アロシアは優雅に頭を下げる。男性も「これはどうも」と一礼した。彼が傭兵であることを出で立ちから見て取ったのか、アロシアは嬉しそうに声を弾ませた。



「中をご覧になりますか? 誇り高き戦士の来訪は、いつでも歓迎しております」



 白い手が示したのは教会の中。男性は扉から顔を突き出すようにして中を覗き込んだ。


 シーレシアの礼拝堂には、何もない。参拝者が座るための椅子や、祈りを捧げる祭壇も。そして頭上に天井はなく、日の光が燦々と降り注いでいる。その様子に、男性は驚いたように目を丸くした。



「このようにまっさらな礼拝堂は初めて見たよ」


「はい、わたくしも帝都から来た時、大変驚きました。ですが、帝都の教会よりもこちらの方が、より風を感じることができます」



 広々とした礼拝堂には、観光客や街の住人が散らばっていた。床に跪いたり、立ったまま天を仰いだりと、誰もが一心に祈っている。その間をすり抜けて、展望塔へ続く奥の通路へと人が流れていた。


 その様子を眺めながら、アロシアは語った。



「自由を愛し、武勇を誇る風の精霊。わたくしたちはそのご加護に守られているのです。それがいかに尊いものであるか。わたくしもまだまだ修行中の身ではありますが、それをお伝えする一助となればと思っています」


「アロシア様なら、大丈夫ですよ!」



 吹き抜けた風が、アロシアの黒髪を揺らす。愛おしそうに目を細めるアロシアに、シャイラもつられて頬を緩めた。






「アロシア様はとっても信仰にあつい方だね」


「でしょう?」


「いろいろと尋ねたのに、すべて答えてくださったよ」


「わざわざ帝都から、一人で勉強にいらしたくらいですからね」



 シャイラが紹介した宿屋の食堂で、二人は昼食を摂っていた。豆のスープをスプーンですくって、口に運ぶ。豆のスープといいつつ、豆よりも牛肉の方が多い。よく食べる屈強な旅人たちが利用する宿屋だから、ボリュームのあるメニューばかり揃っている。


 食べきれるかなあ、と思いつつちまちまとスープを飲んでいると、隣のテーブルからゲラゲラと大きな笑い声が上がった。


 逞しく鍛え上げた体を誇示するようなタンクトップを着た、三人組の男だった。その顔には見覚えがあった。商人の馬車についていた護衛の傭兵たちだ。


 既にかなりの量の酒を飲んでいるらしく、三人とも赤ら顔でバシバシとテーブルを叩きながら、更にジョッキを煽っていた。


 その騒がしさに、時折ほかの客も目を向けているが、もともとこういう客も利用することを想定したような店だ。みなが特に気にしていない様子で視線を逸らしていく。


 シャイラと一緒に彼らを見た男性も、少し眉を上げただけですぐにスープに視線を戻す。けれどこちらが気にしていないつもりでも、大声での会話はどうしても耳に入って来る。



「そういえばよぅ」



 無精髭を生やした男が、何かを思い出したように言った。



「あいつ、あれからどうしたと思う?」


「あいつ……? ああ、なよっとした長髪野郎か!」



 応えたのは髪をすべて刈り上げたスキンヘッドの男。その横で、背の低い男がまたゲラゲラと笑う。



「もう死んでるだろ! 魔物にでも食われてんじゃねぇのか?」



 シャイラは再び顔を上げた。同じように、店内から傭兵たちに注目が集まっている。けれど酒の入っている彼らは気づかないようで、響き渡る声で会話を続けた。



「俺たちと離れたのは、ハルクメニアとの国境辺りだろ? 一人で生き残れるわけがねぇな!」


「国境付近は風の精霊の加護も薄いし、そもそもあそこは山脈だしな!」


「くくっ、運良く山を降りられたとして、シーレシアの周辺は魔物がうじゃうじゃいる!」



 酒の肴に、笑いながらするような話ではない。気分が悪くなって、シャイラはスプーンを置いた。男性も食べる手が止まっている。


 貴族や商人の護衛たちに犠牲が出るのは、仕方のないことだと思う。護衛対象を守るために戦うのが彼らの仕事で、その道を選んだのは本人だ。けれど、その犠牲を一番に悼むべきは、仲間であった彼らではないのか。


 それを、どうして彼らは笑っていられるのか。理解できない。


 そんな思いを込めて睨みつけると、無精髭がこちらを見た。シャイラに気づいて、ニタッとした嫌な笑みを浮かべる。



「なんだよ、嬢ちゃん。なんか文句でもあるのか?」


「……最低よ。死んだかもしれない人のことを、そんな風に笑うなんて」



 低く呟くと、無精髭の笑みが更に深くなった。じろじろと舐めるような視線が不快だ。



「傭兵なんてのはな、弱い奴から死んでくもんさ。生き残るのは強い奴だ。嬢ちゃんだってそうだろう? 風の加護が強いアリアネスの女は、強い男が好きだと聞いたぜ。だから案内役をしたがる娘が多いんだってな!」



 ほかの傭兵二人もジョッキを置いてニヤニヤとしている。店中から注目されていることを自覚しながら、シャイラは毅然と顎を上げた。



「確かに、アリアネスでは強い人、自由な気風が好まれる。このシーレシアでは特に。だけどそれは、男も女も関係なく、誇り高い戦士に惹かれるだけ。あなたたちみたいな強さを勘違いしたような人は、どこへ行ったって嫌われるだけよ!」


「な……っ」


「仲間を見捨てるような卑劣で臆病な傭兵なんて、私も、ほかの子たちも願い下げ!」



 畳みかけるように吐き捨てる。三人は顔を真っ赤にし、椅子を蹴倒して立ち上がったのは低身長だった。



「いい度胸じゃねえか、このアマッ!」


「本当のことだもの! あなたたちに案内役の子がついてないのが、その証拠でしょ!」



 無精髭とスキンヘッドも立ち上がり、上から見下ろすようにして威圧してくる。けれどシャイラは怯まない。〈風の民〉の加護を願ってこの街に来る旅人たちは、厳つくて腕っぷしに自信のある者が多い。案内役の娘たちは、シャイラに限らず荒事に慣れていた。


 気色ばんだ傭兵たちのうち、低身長がぐわりと肩を怒らせて拳を振り上げる。その瞬間、店内から一斉に罵声が飛んだ。


 傭兵たちを貶す声、シャイラを擁護する声、言葉にならない怒りの唸り。様々なそれらは、すべてシャイラに味方するものだった。


 さすがに狼狽えて周囲を見渡した傭兵三人組は、宿屋の客も、店の者もすべてが敵であるとようやく気づいたようだった。先ほどまでの勢いをなくし、筋肉で膨れた体を少しだけ小さくさせる。低身長はゆっくりと拳を下ろした。


 そこへ、この宿屋の女将が厨房から出て来た。恰幅の良い彼女は、いつもは朗らかに笑う顔を険しくさせて、張りのある声で言った。



「馬鹿自慢がしたいならよそへ行きな! うちにあんたらを寝かせる部屋は無いよ!」


「はあ!?」


「この子はいっつもうちに客を連れて来てくれる案内役でねえ。大事な取引相手に手を上げる奴は、うちに置いとけないね!」



 何か言い返そうとした傭兵たちだったが、女将の強い視線と、客たちの雰囲気に押され、もごもごと悪態をつきながら店を出ていった。


 ずっと黙って見ていた男性が、浮かせていた腰を下ろしてため息をつく。



「言っていることは間違いじゃないが、危険に突っ込んでいくのは感心しないよ?」


「そうだよ、シャイラ。追い出すタイミングを見てたから、助かったっちゃ、助かったけどね」



 ぺろっと舌を出して、シャイラは悪びれずに言う。



「あんな奴ら、本当に手を出す度胸なんてないでしょ?」


「あんたねぇ」


「ごめんなさーい」



 呆れたような顔の女将に、ぺちりと頭を叩かれた。






 そしてその少年は、この街に現れた。

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