チョコンプレックス

邪悪なうどん屋さん

 チョコンプレックス

 チョコレートは冷凍庫で凍らせた方が美味しいと思う。

 犬歯を突き立てて、パキンッと割って食べるのが一番美味しい。

 舌の上でわずかに溶けて、ほんのり甘みを楽しんで飲み込むと、後に引かない甘さが私を幸せに導いてくれる。

 常温で放置したチョコは舌に絡みついてしつこい甘さになる。私はそれが大嫌いだ。


 放課後の図書室で、私たち二人だけの息づかいが聞こえてくる。

「ユキ先輩が好きです。付き合ってください」

 シマノ君は緊張と夕日で頬を染めて、うわずった声で私に告白した。

 かすかに薫るフレグランスの匂い。こわばって真一文字に結んだ口元に目が行く。

 私はじっとりと嫌な汗をかいていて、椅子に挟まれたスカートが腿のウラに張り付いて気持ち悪い。

 秘密基地から持ってきたチョコも汗をかいてる。あら、あなたも冷や汗をかくのね。

 軽口を思っても今の状況は変わらない。この告白は私にとって甘すぎる。

 ふと疑問に思う。私みたいな地味なメガネ女のどこがいいのだろうか?

 雑誌のモデルさんが着てるキラキラした格好は苦手だし、青春真っ直中です、って主張しすぎるパステルカラーの服は私らしくないから大嫌い。

 憧れたりもしたけど、やってみたら似合わない。そんな努力は銀紙に包んで捨てたの。

「凍ったチョコを好んで食べる先輩は理解しがたいですけど、それでも付き合って良かったと言わせたいです。先輩のこと、もっともっと知りたいんです」

 書架に寄りかかって甘い言葉を呟くシマノ君を嫌いになりそう。

 君が向けてきた視線に、ずうっと前から気づいてた。

 私の嫌いな常温のチョコレートは、舌にまとわりつくだけのだらしない甘さ。一番嫌いな食感なのに、君の視線は甘ったるい。私の中に染みて私をドラブ色に染めてゆく。

 君はチョコの魅力をわかってない。爽やかな甘さはスポーツ青年と同義なのだ。

 この世で最高に美味しいのは、ホワイトチョコのサクサクしたのだと思う。

 軽い食感と濃厚だけど優しい甘さが、喉の熱を冷ましながら私の中に落ちてゆく。

 しつこくないけど濃厚なそれは、よく練られた小説のよう。

「だから、付き合ってくれませんか?」

「それは嫌」

「どうして?」

「自分で考えて。私はチョコみたいに甘くない。それでも好きになれる?」

「なれます」

「うそよ」

「絶対に認めさせます。先輩が凍ったチョコが好きなのは知ってるけど、暖めて食べても最高に美味しいです。僕はフォンダンショコラを寒い中食べるのが好きなんです。外側はシットリしてるのに、中はトロトロに溶けたチョコが体と心を温めますから。だから、先輩とその美味しさを共有したいんです」

 そのセリフが甘すぎて大嫌い。

 それでも決心した時の強引な物言いと、泣きそうな瞳が私の心をくすぐる。

 だって、意地っ張りな子供みたいで可愛いじゃない?

「アナタ、来年は受験でしょう? うつつを抜かしてると後悔するわよ?」

「大丈夫ですよ。それに、もし付き合っても先輩の受験の邪魔しませんから」

 泣きそうな顔のまま微笑まれる。気があると勘違いさせちゃったかしら?

 ころころ変わる表情が可愛らしいと思えてしまった。何の前触れもなく人の心に踏みいって、憧れてるけど手の届かないパステルカラーの足跡を残してく。人の心を甘ったるいチョコレート色に染め上げて、熱くてキラキラした足跡を残すなんて、すごく、ずるい。

 君が一歩私に近づくと、シプレー系の香水がふわりと薫る。フルーツ系の香りと木の香り。そこに少しだけ甘い香りが混じる。手首と首筋に一振りした香水は、私に振り向いて欲しいから? 匂いでたらし込もうとする君は、なるほどフォンダンショコラだ。

 普段は些細な香りと感じるかもしれないけど、今は私の決意を鈍らせる。私が私じゃない何かに変化しそうで凄く怖い。だから君を遠ざける。心の中で来ないでとつぶやく。

「先輩。一欠片ください」

 シマノ君はパキンとチョコを割って、指先でチョコを溶かしてから口に放り込む。

 指先に残ったチョコレートをスッと鼻先に塗られた。

 君の体温と指先の感触とチョコレートの香りが広がる。

「先輩、チャトラ猫みたいで可愛いです」

 立ち上るカカオの風味が舌の付け根を痺れさせ、鼻の奥がジンと熱くなる。

 突然の事に身動きが取れないで居ると、君はハンカチで私の鼻先を拭った。「ごめん」と私の目を覗き込みながら笑わないで。顔と顔が近くてドキリとする。君ってこんなに喋る人だったっけ? ポンと頭を撫でられて、私は空気に飲まれそうになる。

「何をしてっ──!!」

 チョコの香りをつけたたまま、私は逃げ出した。


 *


「それで、その後どうなったのよ? 昨日の話なんだから忘れたなんて言わせないわよ」

 喧噪溢れるお昼休みの教室で、友達のコナがお弁当をつつきながら聞いてきた。

 箸を持つ指先には薄いピンク色のトップコートが塗られている。

 細くてしなやかな指先は綺麗に整えられていて、左手の薬指には細いシルバーのリングが添えられている。飾り気はないけれど、とても健康そうで美味しそうだ。

 私の中で彼女の印象はm&m’sのカラフルなパステルチョコレートだ。

 チョコ自体はありふれているかもしれないけど、わたしにとってはキラキラした存在だし憧れてしまう。英語の成績が良くて、外国の人とボイスチャットで話したり、アメリカ人がオーナーを勤めるバーで拙いながらもシェイカーを振る話を聞いている。

 高校を卒業したら渡米して向こうで気ままにバカ騒ぎしてやるんだ、って熱っぽく語るコナに同年代以上の魅力を感じる。

 女の私が惚れそうなのだから、男の子にとっては堪らないだろうと常々感じる。

 キッと束ねた長い黒髪から滲み出る夜の香りはバーから持ち帰ったのだろうか? それとも昨日と同じアンダートップが、若さと艶めかしさを混ぜた独特の香りに仕立て上げて、彼女を包み込んでいるのだろうか? どっちにしろ逆立ちしたって勝てそうにない。

 思わずはぁとため息をつくと、

「そのため息はなに? まさか断るつもり? 彼、目立たないけど素敵よ? 同じ図書委員なんだから、いずれ顔合わせるだろうし、答えは早めに出さないと相手が可愛そうよ。きっと、彼、一晩中悶々としてたんじゃない? 嫌われたかもーって」

 コナはぽったりとした唇をとがらせてから、大口をあけてケラケラと笑った。

「だって、怖いじゃない? あの時のシマノ君は私の知ってる男の子じゃなかったもの」

「当たり前じゃない。男は好きな女の前に立つと還るのよ」

「かえる?」

「うん。野性に還るの。本能と理性がせめぎ合って余裕なんかないだろうし、まして私たちの年代じゃ、余裕の無さを知らん顔して隠し通すほど人生の経験値がないもの。この歳で隠せてたら相当遊んでると思うわ。そんなの絶対長続きしない。短命の恋なんて私にとって意味なんか無いもの。恋って体と心を混ぜ合わせて、長い時間をかけて味わうゴディバじゃない?」

「私は板チョコがいいなー」

「ユキに説法を説いた私がバカだった。まぁいいわ。良い機会だから付き合ってみなさい。背中を押すことくらいしか出来ないけど、なるべく力になるよ」

 コナはズズッと音をたてて、紙パックの豆乳を飲み干した。

 噛み跡のついた白いストローが妙に印象に残って、そこからチョコを引いたシマノ君の指を思い出してしまった。

 コナは男の人の指をストローみたいに噛むのだろうか? 私もシマノ君の指を食べるときがくるのだろうか? この考えが酷く汚らわしく思えて、視線を窓の外に放り投げた。


 *


 午後の授業なんか、まるで頭に入らなかった。

 ここ最近を思い出してもみる。告白から二日経ったけれども、通学路でも、放課後にコナと買い物に出かけても、あの香りがするとつい振り向いてしまう。

 その度にコナがニヤニヤと笑って腹立たしいったらなかった。

「香りを心に刻まれるって素敵ね。私も香水を贈ってみようかしら」

「やーめーてー。それに、シマノ君の事は好きじゃない、むしろ大嫌い」

「あら? 私は好きか嫌いかなんて一言も聞いてないわよ? あと、好きも嫌いも表裏一体でしょう? 両方とも相手のことを意識してることに変わりないじゃない」

「もー知らない。しーらない。これ以上話すとボロがでそう。話しませーん」

 こんなやりとりを思い出して、シマノ君の事を考えたら気が抜けてきた。


 机に突っ伏して、チョコ味のソフトキャンディーを口に忍ばせる。私の心を穏やかにしてくれるのはチョコだけだ。

 ふぅと一息つくと、背中をつつかれた。後ろの女の子がまわしてきた手紙を受け取り、中身を見ると『お返事は済ませないの? ブランシェの新作チョコケーキ無料券があるんだけどなぁ~。返事出したらあげようかな~』パステルペンで彩られた手紙の最後には、ナイスミティングユー、ユアベストフレンド、コナと綴られていた。

 それと一緒に小さなお守りが添えられていた。コナは背中を押すのが上手だと思い、大きくため息をついた。


 *


 ケーキに釣られたワケじゃない。怖いけど、自分から返事を出しに体育館へ行くんだ。

 体育館のドアを開けると、一瞬、怒声かと思うほど大きな声が響いた。

 バスケットボールが床を重く鳴らす。

 人が何かに対して真剣に向き合う時って、独特の空気が流れる。

 スポーツの場合、その情熱が熱気となって肌にまとわりつく様はすさまじい。

 迫力に気圧されてドアから一歩たじろいだ。

「リバウンドッ!!」

 誰かの声が体育館に響く。

 ボールがゴールリングに弾かれ、無回転のまま弧を描く。

 身長の高い二人の選手が全身のバネを活かして飛ぶ。

 赤いユニフォームの選手が逆手を伸ばし、指先でボールを引き寄せる。

 宙に浮いたまま背中を通してビハインドパスを出した。

 行き先を目で追うと、一人の選手にボールが吸い込まれるように伸びてゆく。

 シマノ君だ。

 ボールを片手でいなすと、勢いを殺さないようにコートの縁を駆け出した。

 バッシュが小気味よくキュッキュと鳴く。

 他の選手と比べてみると、けっして身長が高いわけでも体躯が良いわけではない。

 それでも相手ディフェンスをフェイントで左右に揺さぶり、一瞬で抜いてゆく。

 邪魔する者は誰も居ない。

 シュートの体勢、体を縮めて跳躍、ふぅと吐かれた息づかいが聞こえてきそう。

 ミドルポストから高めに放たれたボールが、リングネットを揺らした。

 ホイッスルが鳴り響く。試合が終了したらしい。

 張り詰めた空気が一気に緩み、選手達が「あー」とだらけた声を漏らした。

「凄い……」

 図書室で照れていたシマノ君はそこに居なかった。

 自分の大好きな事に熱くなってる彼は、なるほど、フォンダンショコラだ。

 図書室での姿はシットリした外皮で、ふたを開けてみればこんなにも熱い。

 ゴクリと喉を鳴らした。

「なんか用?」

 突然呼ばれてビクッと身をすくませた。

 見れば、空中で背中越しにパスを出していた人が喋りかけてきていた。

「あ、と、図書委員会の事でシマノ君に用があるんです。お借りしてもいいですか?」

 咄嗟に出たウソだったけど、疑われるそぶりすらなかった。

 ほっと胸をなで下ろすと、自分の行動に笑ってしまいそうになる。

 男の人に呼びかけられるまでシマノ君しか見えてなかった。

 その事実に気づいてしまったとき、嫌いだと思ってた気持ちの裏側を知ってしまった。

 美味しそうだと思って唾を飲み込んでしまった。

 悔しいと思った。私、こんなにもシマノ君を意識してる。熱気が溢れていた体育館はシマノ君を主役にする舞台に変わり、私はヒロインになったと錯覚する。

 他の生徒から見たら、学校はいつものままで何の変化もないのだろうけど、あんなに大嫌いだったパステルカラーでさえも好きになれそうな気がする。

 ユニフォームの下に隠れた筋肉の動き、真摯にバスケットをしている時の眼差しは、異性に媚びを売ってない。自分達だけの世界で、一生懸命に何かを成し遂げようとする姿を見てるとコナの言葉を思い出す。なんだ、男女の関係以外にも還る姿を見れるじゃない。私はコッチの方が健全な気がして好きだ。

 こんな事を考えさせてくれるシマノ君、アナタの存在は魔法だわ。

「……委員会の話ですよね。ここで大丈夫ですか?」

「備品の絡みで確かめたい事が幾つかあるの。出来れば図書室に来て欲しいの」

 シマノ君が近くに来ると洗剤の良い香りが広がる。汗は髪の毛を湿らせ顎を伝い、顔は紅潮していて唇が乾いていた。

 それ以上に私の唇は乾いている。喉も渇いていて上手く笑えたかわからない。

 自分に必要なウソだと言い聞かせているけど隠し事は心が晴れない。

 何か言いたげなシマノ君を見てると、ウソがばれたんじゃないかと疑心暗鬼になる。

 その懐疑心が、凄く小さいけど黒いわだかまりを私の中に芽生えさせる。

 不安は凄い早さで広がってゆく。些細なことが心に引っかかって気持ち悪い。その気持ちを必死に押さえ込んで、ぎゅっと手を閉じた。

 シマノ君が私の心に絡むと良い意味でも悪い意味でも心を高ぶらせる。湯煎の時に水が入ったチョコみたいに、私の心が安定しない、上手く固まらない。

 図書室に向かう途中、シマノ君の足音と心のモヤモヤに背に受けて黙々と歩いた。



 図書室に入ると一年生の女の子が書架の整理と事務処理をこなしていた。

「あなた達、悪いけど図書館閉めるわね。備品の確認をしたいのだけど、時間がかかりそうなの。顧問の先生にも伝えといてくれる? 手間かけるわね」

 最上級生の権限を私的乱用する。

 ズルするって嫌だ。少しのウソが膨れあがってゆく。

 でも今日だけだと自分に言い聞かせて、黒いモヤモヤを押しつぶした。

 一年生から鍵を受け取った。

 ストラップと鍵がぶつかってカチャリと手の平に落ちると、普段気にならない鍵の重さが気になって、私の中で抑圧された罪悪感がブワリと広がってゆく。

 それは不安となって私を飲み込み始め、告白の返事をするが怖いと思える。

 制汗スプレーで汗の臭い抑えたっけ? 汗で髪の毛乱れてない? 一連のウソで嫌いになっちゃったかな? 普段の私を装えてる? 普段の私って、なんだっけ?

 とりとめのない思いが私の中で交錯してゆく。

「先輩、体調悪いんですか?」

 気遣わないでシマノ君。心配されたら私泣いちゃうかもしれない。

「大丈夫だから。早く点検すませちゃいましょう」

 のろのろと退室してゆく一年生を尻目に、私はシマノ君の腕を強引に掴んで書庫へと向かった。一年生に振り向かれたかもしれないけど、今の私には、それを気にする余裕なんか無かった。今はただ、書庫へと逃げ出して全てを吐露したかった。

「せんぱ──先輩っ!! 今の先輩、ちょっと怖いです。らしくないですよ」

 書庫に入ると無理矢理腕を振り解かれた。

 今の顔をシマノ君に見られたくない。

「あのね、この前の告白、ちょっとだけ嬉しかった。でもね──」

「顔見て話して欲しいです。あのときの俺、真剣だったんですから」

 私は振り向かずに話を続けた。

「凄く、不安だったの。どうして私なんかって思ってたの。ほら、理由を言ってくれなかったじゃない? 私の何処が気に入って、どんな思いで告白してくれたのか、とか。それって女の子にとって凄く重要なんだよ。シマノ君はそれをわかってない」

「先輩──」

「だって、私凄く地味だよ? 他の女の子みたいにキラキラした格好をしてないし、何か特別凄い特技があるわけじゃない。体育館で一生懸命バスケをしてるシマノ君を見てたら、私じゃ釣り合わないとか、付き合っても恥ずかしい思いさせちゃうとか、色々不安でいっぱいで、体育館で備品の確認なんてウソをついたときから罪悪感でいっぱいで……」

 視界がにじむ。

 長机に無造作に平積みされた本や、整理途中の書架が夕日に染められて物の輪郭があやふやだ。嗚咽を漏らしすぎて鼻の奥が塩辛い。上手に呼吸が出来なくて頭が霞む。

 物の境界線が歪んでるのを見ると、溶けかけたマンゴーチョコみたいだなと思える。

「だから、書庫に入るまで凄い怖かった。自分が自分じゃないみたいで、ウソつかないとシマノ君を誘えない自分が凄く嫌だった。私だって、本当は正面からシマノ君と向かい合って、正々堂々と答えを返してあげたかった。でも、何か理由をつけないとダメで、自分で自分をだましてた。ねぇ、嫌いになったよね? 私、私が嫌いだものッ!!」

 堰を切ったように泣き出すとはこーゆーことか。

 ボロボロと涙が溢れて自分でもどうしていいかわからない。

 止めようと頑張るけど、どうやったら泣き止むのか忘れてしまったみたい。

「僕が先輩を好きになったのは、真面目だからですよ」

 後ろから両手を掴まれる。

 熱くて大きな両の手が、私の手の甲を包み込んだ。

「委員会の仕事を凄く真面目にやる先輩だなってのが第一印象でした。二年生になってから先輩とシフトが食い違って、代理で仕事をする時しか会えなかったけど、僕はそれがとても待ち遠しくて、同級生に何度か代わってくれって頼み込んだ事もあったんですよ?」

 包み込んでた手が、ギュっと握られた私の手の平に滑り込んでくる。

 頑なに手を結んでいたはずなのに、するりとほどかれた。

「委員会の仕事が早めに終わって、ここを使う生徒が居ない日なんか、先輩はずーっと本ばかり読んでて、ヒマだった僕は横顔を盗み見たんです」

 私たち二人の指が絡み合う。

 少しだけ力を入れてシマノ君の手を握ると、彼も少しだけ力を入れて握り返してくる。

「何の本を読んでたか覚えてないんですけど、西日に照らされて飴色になった髪の毛が凄く綺麗だなって感じて、気づけば目が離せなくなってました」

 私の肩に額をくっつけられる。

「やっぱり、先輩はチョコ食べ過ぎです。チョコの匂いしますもん」

 彼の手の甲に爪を立てる。「ごめんなさい」と耳元で呟かれた。

「あ、それで先輩って本に夢中になってるとき、唇に右手をあてるでしょ? チョコつまみながら読んでるときなんて、口元に宛がわれた冷えたチョコが先輩の息で汗かいてたし、夢中になりすぎてた時は半分溶けてましたよ? 思い出したようにチョコ口にを放り込んで、指先舐めてる姿は反則です。自覚してます?」

 私はふるふると首を左右に振った。

「そんな姿、俺以外に見せないでください」

 握ってた手をほどかれた。彼の腕が私を力強く抱きしめる。

 少しだけ苦しくて、それ以上に恥ずかしかった。

 男の子だと思ってた相手が、いつの間にか男に変わってた。

 彼の吐息が耳をくすぐる。

「僕は先輩の格好が好きになったんじゃない。そりゃ、最初は綺麗な髪だなって思ったけど、仕草や考え方が好きなんです。ウソついて自分を責めてる先輩も可愛かったですよ? 先輩、わかりやすいから。あと、一年生の女の子達も笑ってたし、今頃気を利かせて先生には何も話してないと思います」

 耳元で私を認めてくれる言葉をゆっくりと囁かれて、背中が粟立つ。

 なんだ、全部私の独り相撲だったんじゃないか。

 それを攻めもせず、ただ見守って、最後には肯定してくれるシマノ君はずるいよ。

 ずるい。ずるい。ずるい。

 そんな態度見せられたら、自分の気持ちに素直にしかなれないよ。

「先輩、僕と付き合ってくれますか?」

 私はコクンと頷いた。

 気づけば私は泣き止んでいた。

 嫌いだったパステルカラーを好きにしかけたり、固く結んだ手の平をほどいたり、とめ方のわからない涙をとめてくれたりする。

 正面を向いてなくても私を安心させてくれる。最初は苦しいと思えた抱擁さえ、今の私には心地よい。だからアナタを食べさせて。

「ねぇ、目を閉じてくれない? それと腕を振り解いてもいいかしら?」

「? わかりました」

 少しだけ振り返り横目でシマノ君を見る。うん、素直でよろしい。

 書庫の隅にある宝箱へ向かう。

「やっぱ、少しだけ溶けちゃったか」

 スカートに忍ばせたユキのお守りは原型こそ留めてるが、体温でかなりゆるゆるだ。

 一粒だけ取り出して指先で溶かす。残りは口に放り込んだ。

 コレは常温の方が香りが立って美味しいかもしれない。

 指先でそれを弄びながら、シマノ君の鼻先にチョコを引いた。

「お返しです」

 そのつもりが無くても思わずはにかんでしまう。チョコと一緒でゆるゆるだ。

 シマノ君がチョコを舐めると、お酒の入ったチョコ? と首をかしげた。

 それからゆっくりと目を開けて、

「僕だけ食べるのは嫌だな。先輩も食べますか?」

 後頭部を大きな手で押さえられて口づけをされた。

 歯の当たる荒っぽいものだったけど、唇を重ねるごとに角が取れて、優しくてとろけるようなキスへと変化してゆく。彼から香る汗の匂いが私の胸を締め付ける。

 驚きは熱を持った何かに変化して、喉の奥で燻っている。

 舌の根がピリピリと甘く痺れて、この感覚に魅入られそうになる。

 お腹の奥がキュと震えて、もっともっととせがんでしまう。

 拙いけれど、相手を味わいつくそうと一生懸命に舌を動かした。

 シマノ君の口から漏れる呻きにも似た吐息を感じる度に愛おしさが増す。

 私、今、多分、還ってる。

 長い長いキスが終わって、俯きながら口元をハンカチでぬぐうと、食事の後みたいだと感じて不思議な気持ちになった。

 シマノ君はユニフォームの襟元で口を拭っていた。子供みたいで可愛いじゃない。

 それから私たちは他愛のない話をして、お互いの世界を共有して驚いたり悲しんだり、時には笑いながら過ごした。

 心地よい沈黙が訪れると思い出したように口づけを交わした。

 陽が長い影を作り出す頃、私は宝箱から残りのチョコを取り出した。

「あ、そんなとこに冷凍庫隠してたんですか。謎が一つ解決しました」

「他のみんなには内緒ね? 二人だけの秘密なのです」

 蓋を開けると、色の違うチョコで彩られた、美麗な装飾のチョコが顔を見せる。

 一つ一つ形の違う一口大のチョコが七つ並んでいる。

 急いで放り込んだチョコの装飾をもう少しじっくり見ておけば良かった。

「先輩、一つください」

 チョコを一つ取られて、唇に押し当てられた。

 その指先をチョコごと口の中に招き入れる。

 舌先で指ごと溶かそうとするようにチョコを味わった。

「塩味、リキュール風味」

「先輩、バカ?」

 二人でお腹を抱えて笑い合った。こんな他愛のない事が嬉しい。

 これから二人で沢山の思い出を重ねて行くのだと思うと胸が躍る。

 その中には泣きたくなるような出来事もあるんだろうけど、チョコだってカカオ九十九パーセントのやつは苦くて泣きたくなる。

 相手を好きって思いやる砂糖がチョコを美味しく仕立て上げるんだ。

 そう思いながらシマノ君の口にチョコを押し込んだ。

「先輩」

「うん?」

「やっぱり冷たいチョコより、暖かいチョコのが風味が……」

 もう、やっぱりキミはわかってないッ!!

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チョコンプレックス 邪悪なうどん屋さん @good_solo

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