第32話 雨振る放課後

……雨、降りそうだな……


 あたしは教室の窓から、ボンヤリと外を眺めていた。

 あたしの机の上には、お弁当が置いてある。

 昼間、赤御門様に渡せなかった、全精力と全資金を込めた最高級素材弁当。

 さすがにこのお弁当を、ゴミ箱に直行させるのは忍びない。

 と言って、あたしがこの分量を食べる訳にもいかない。


 飛弾牛のステーキ、

 松阪牛のゴボウ巻き、

 本マグロの大トロの炙り焼き、

 一万匹の一匹の鮭・鮭児のホイル焼き。


 これを食べずに捨てるなど、そんなバチアタリなマネを出来る訳がない。

 本当なら、おかずだけ家族の夕食に出せばいいのだが、

 そうするとまた母親あたりが


「あんた、ウチで食べるために、こんな高い食材を買い揃えたの?」


 とか言って来そうだ。

 その言葉が、どれほどあたしのガラスのハートを抉るかも知らずに!


……もっとさぁ、思春期の娘の心を労われよ、あのクソババア……


 だが心の中で呟く悪態にさえ、力が無い。


……仕方が無い、兵太にでも渡すか……


 兵太の家は、両親が共稼ぎだ。

  よって両親共に帰りが遅い時は、晩御飯に牛丼とかラーメンとかフランチャイズのお弁当を買って食べているらしい。

 全て火を通した料理ばかりだから、夜くらいまでなら持つだろう。

 あたしは手元のお弁当を、そっと両手で包んだ。


 ちなみに今日のお弁当お届けレースの一件は大騒ぎとなった。

 なにしろ『トップ集団ほぼ全員が、四階水道場前で大転倒』となったのだ。

 こんな事件は、過去一度も起こった事が無いらしい。


 そして大転倒の原因は、すぐに判明した。

 『水道場の前に、清掃用ワックスが塗られていた』という事だ。

 最初は「清掃員のミスか?」という話も出ていたが、すぐにその説は否定された。

 清掃員が、わざわざ水道場の前だけワックスをかけるなどあり得ないからだ。


 そう言う訳で、さっそく犯人探しが始まった。

 疑われたのは当然『みんなが転倒する中、たった一人だけ無事に走りぬけた女生徒』だ。

 つまり、あたしだ。

 特に渋水理穂が「天辺はどこだ!」って騒いでいたらしい。


 だがその時にはもう、あたしはその場には居なかった。

 赤御門様が、あたしの超豪華特製弁当よりも、そこらのラーメンを選んだというショックにより、夢遊病状態でその場を離れていたからだ。

 おかげであたしは誰にも見咎められること無く、事件現場を離れることが出来たのだが。

 だが犯人探しは、これから激化するだろう。


 上記の状況については、学園の情報通であり、新聞部兼・非公認の学園新聞サークルの部員である如月七海からの情報だ。

 七海はこの学校では、あたしにとって一番仲の良い友達だ。

 彼女は一番にあたしの事を心配してくれたのだ。


 あたしは今、教室に一人でいる。

 兵太の部活が終わる時間を待っているのだ。

 さすがに、あの川上純子ちゃんがいるバスケ部に乗り込んで、このお弁当を兵太に渡す気にはならない。

 あたしとこの弁当を拒絶した赤御門様も、バスケ部にはいることだし。


……あたし、なにやってるんだろう……


 そんな想いがこみ上げてくる。

 毎日、前日から準備して、朝早く起きて、一生懸命お弁当作りをして。

 お昼の時間には、毎日のように他の女子と張り合って、学校内を走り回って。

 分不相応なお金をかけて、高価な食材を無理して買って。

 他の女子を陥れるために、ワックスを塗るような罠まで仕掛けて。

 そこまでしたのに、思いの人にはお弁当を食べてもらえず・・・

 挙句の果てには、それまであたしの話を聞きながら、一緒にお弁当を食べてくれていた幼なじみまで離れてしまって・・・


「はぁ~」


 思わず、声に出してタメ息をついてしまった。

 夕方に向かう、薄暗い教室に一人でいると、なんか自分が凄く孤独な感じがしてくる。

 それも自分がダメな人間な気がして・・・


 窓の外を見ると、さっきより空の暗さが増していた。

 と、窓にいくつかの水滴がついている。


……あ~あ、雨が降ってきちゃったな……


 もうすぐ本降りになるだろう。

 そう言えば、兵太のヤツは傘を持ってきているんだろうか?

 たぶん持ってないと思う。

 なぜか兵太は、傘に関しては面倒臭がり屋なのだ。


「俺は朝に雨が降ってなかったら、傘は持たないことにしてるんだ」


とか言っちゃって。


 あたしはカバンの中を確認した。

 あたしはこの時期はいつも、折りたたみの傘を入れている。

 大丈夫だ、今日もちゃんと入っている。


「弁当渡すついでに、傘に入れていってやるか・・・」


 あたしはそう、自分自身に言い聞かせるように独り言を呟くと、席から立ち上がった。


・・・


 時刻は午後六時。

 もうバスケ部も練習が終わる時間だ。


 あたしは体育館の出口が見える位置で、傘をさして待っていた。

 ただし体育館の出入り口からは、すぐには見えない植え込みの影でだ。


 いくらなんでも、体育館の出口から丸見えの場所で、兵太を待っている勇気はない。

 他のバスケ部の連中に見られてしまう可能性が高いからだ。

 あたしは兵太の彼女でも何でもないんだから……


 そう、兵太はあたしの幼なじみだ。

 付き合いの長い、何でも話せる異性の友達だ。

 あたしと兵太の間に、恋愛感情はない。

 だからお弁当を渡すくらい何でもないし、雨が降っていたら傘に入れてあげるくらい、友達として当然の事だ。


 雨が段々強くなって来た。

 あたしは植え込みの影から、建物の庇の下に避難する。

 弁当を入れてあるカバンを見た。


……どのタイミングで渡そうかな?学校の近くじゃ何だし、電車の中じゃ目立つし。やっぱ地元に着いてからかな……


 兵太に食べさせるには高級すぎる弁当だが、今回だけは特別大サービスだ。


 やがて体育館から、ポツポツとバスケ部のメンバーが出てきた。

 みんな三人~五人くらいで固まって出てくる。


……あ、もしかして兵太も誰かと一緒かも……


 そう思って、あたしは不安になった。

 そりゃそうか、部活が終われば、部員の人たちと一緒に帰るもんだよね。

 その時は仕方ない。

 一緒の電車に乗って、地元駅で声をかければいい。

 まるで尾行してるみたいだけど……


 少し体育館から出てくる人が途切れた。

 だけど兵太はまだ出てこない。


……なにやってんだよ、アイツ。早く出て来いよ……


 あたしがそんな風に焦れていた時だ。

 体育館の出口に、やっと兵太が姿を現した。


「へい……」


 声をかけようとして、植え込みから一歩踏み出しところで、あたしの身体は止まった。

 兵太のすぐ後ろには、もう一人の小柄な影があったからだ。


 川上純子ちゃん……


 バスケ部のマネージャーだ。

 彼女が兵太と一緒に、体育館から出てきた。


 兵太は案の定、出入り口の所で空を見上げた。

 傘を持ってきてないのだろう。


 その横で、川上さんが手に持った折りたたみの傘を広げる。

 ピンク地に白いハート模様の可愛らしい傘だった。


 川上さんが兵太に何かを話しかけた。

 兵太は少し驚いたような顔をする。

 川上さんは傘を兵太の方に差し出した。

 兵太は照れたような笑いを浮かべ、何度か頭を下げながら、川上さんの傘に入る。

 そのまま二人は、小さな傘でくっつくようにして、校門に向かって歩き出した。


 あたしは後ろから、その様子をずっと見ていた。

 胸が、いや心臓が、キューっと締め付けられるような気がした。

 胸の中に、何かがつかえているような感じがする。


 あたしはもう一度、お弁当の入ったバッグを見た。

 雨足はますます強くなっている。

 バッグが雨に濡れていた。

 あたしは、そのバッグを胸に強く抱きしめた。


 校門の方を見ると、もう兵太と川上さんの姿は見えなかった。

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