第27話 猪突猛進、チキンレース!

 そろそろ気温も上がってきた。湿度も高い。

 お弁当作りも、食中毒に注意しなければならない時期だ。


 ・・・う~ん、何にしよう?


 今の所、赤御門様に食べてもらえていないのだから、毎日同じ弁当を作ってもいいのだが、実際にそれだと作っているあたしの方が飽きる。

 もちろん『お弁当を三百円で買ってくれている兵太』も、毎日同じ内容では不満だろう。

 そういう訳で、出来るだけお弁当のバリエーションは、その日その日で変えるようにしている。

 そうやって考える方が楽しいしね。


 ちなみにお弁当で食中毒を避ける方法は主に三つだ。

 一つは冷凍食品を袋から出したら、そのまま入れる。

 食品会社は当然衛生には気を使っているし、直前まで冷凍されていたので、雑菌の心配は無い。

 だがこれは『手作りお弁当』にこだわるあたしとしては邪道なので、あまりやらない。


 二つ目は加熱調理したものである事。

 加熱した後に出来るだけ素早くお弁当に詰めてしまえば、雑菌が入る可能性が少なくなる。

 当たり前の事だが、お弁当に詰める時には素手では触れない事。

 あたしもお弁当を詰める時は、菜箸か使い捨てのビニール手袋を使っている。


 三つ目は、酢を使った料理を入れる事。

 お酢には殺菌作用がある。

 これがお弁当に入っているか入っていないかの違いは、かなり大きい。

 あたしが一点は酢の物を入れるようにしている理由もこれだ。


 他にもコショウや唐辛子、ショウガなどの香辛料を多くするなどの方法もあるが、一般的にはこの三つだろう。


 だが暑くなってくると、あまり焼き物が多いのもどうなんだろうか?

 もうちょっと食欲をそそるような、涼しい感覚のものを入れたい。


 平均的中流サラリーマン家庭の娘であるあたしは、金のかかった食材という点では、金持ち美女集団であるセブン・シスターズの連中に対抗できる訳がない。

 つまり知恵と創意工夫で戦うしか無い訳だ。


 と言う訳で、今もネットで料理レシピのサイトや、全国の名物料理を調べていた。

 と言ってもなぁ、お弁当に使える料理って、意外に載ってないんだよなぁ。


 なんとなくブラウザの検索結果を眺めていると、「てこね寿司」というのが目に入った。

 聞いた事があるような気がする。

 なんだろう、と思ってクリックしてみる。


 「てこね寿司」とは、三重県の名物料理で、ちらし寿司の一種らしい。

 カツオやマグロのような赤味の魚を醤油ベースに酢と砂糖を効かせたタレに漬け込み、大葉や海苔やショウガと一緒に混ぜ合わせて作る、と書かれていた。

 また赤味の魚でなくても、その時に捕れる旬の魚でもいいらしい。

 なんでも元は漁師が船上で手早く食べるための漁師飯だったそうだ。


 ふ~ん、簡単で美味しそうだな。

 次のお弁当はコレにしてみるか?

 そろそろカツオも美味しい季節だし。

 生魚を使う寿司って所が若干不安だが、酢に漬け込んでいるなら、まだこの時期なら大丈夫だろう。

 実際、三重県ではこのてこね寿司を二日に分けて食べる場合もあるそうだ。

 不安ならば、お弁当自体を保冷剤と一緒に保冷バッグに入れておけば、問題はあるまい。


 学校帰りにさっそくスーパーで食材を買い込む。

 カツオとハマチが安かったので、サクで二つとも購入した。

 カツオの方が保ちが悪いのだが、漬け汁も酢飯に使う以上、いいダシが出るので外せなかった。


 漬け汁には濃い口醤油、お酢、砂糖、昆布茶を入れる。

 どうやら漬け汁や寿司酢の作り方にも、様々な流派があるようだ。

 漬け汁にはお酢を入れない人もいるし、昆布茶は普通は入れないそうだ。

 ただあたしはお弁当に使う事もあるので、殺菌のため酢を利かせることにした。


 なおカツオ自体も少しアレンジする。

 表面を軽く焼いて「カツオのタタキ風」にするのだ。

 これも殺菌のためだ。

 本当は直火で炙りたいのだが、ガスレンジでそれをやると油が滴って、母親に怒られてしまう。

 よってフライパンでカツオの全面をサッと焼く。

 風味付けにゴマ油を使う。


 カツオのタタキは冷蔵庫でいったん冷やす。

 その後、カツオとハマチを薄く切って、漬け汁に入れる。

 漬け汁は、酢も多めだが、砂糖をたくさん入れているので、それが酸っぱさを緩和している。

 そのまま漬け汁ごと冷蔵庫で一時間ほど寝かせる。


 次に寿司酢の方だ。

 お酢と砂糖以外に、刺身をつけた漬け汁を使う。

 これがてこね寿司のポイントらしい。

 この寿司酢とご飯を合わせる時、一緒にショウガの甘酢漬け、刻んだ大葉、刻んだ万能ネギを入れる。

 最後に漬け込んだカツオとハマチをご飯と混ぜ合わせる。

 この時に「手でこねる」から『てこね寿司』と言うそうだ。

 もちろん使い捨てビニール手袋を使っているから、衛生上も問題ない。

 仕上げは上にきざみ海苔と白ゴマを散らして、メインデイッシュは完成!


 てこね寿司だけだとちょっと寂しいので、副菜をとしてナスの生姜焼きと、野菜の一口浅漬けを入れる。

 ナスの生姜焼きは簡単だ。

 ナスを薄く切って、サラダ油でさっと焼く。

 そして醤油とすり下ろした生姜で味をつければ完成。

 スッキリしたナスと、ちょっと辛い感じの生姜で食欲が進む。


 野菜の一口浅漬けは、浅漬けの素に、一口サイズに切ったキュウリ、キャベツ、カブを入れて、それをまとめて爪楊枝に刺すだけ。

 これだけでサラダの代わりになるし、寿司にはちょうどいいアクセントになってくれるだろう。


 出来上がったお弁当は、大量の凍らせた保冷剤と一緒に、保冷バッグに入れる。

 よし、今日も自信作だ。

 あとはこれを赤御門様に届けるのみだ。


・・・


 例によって正午過ぎ。

 あたしは図書館前のスタート地点にいた。

 そしていつも通り、クジを引く。


・・・二列目五番か・・・


 位置的には悪くない。

 一列目の四番・五番が真っ先に飛び出すため、その後に続いてスタートが切れる。


「スタート三分前です」


 スタート係のアナウンスがあった。

 あたし達はそれぞれ決まったスタート位置につく。


 ふと横を見ると、そこには渋水理穂がいた。

 彼女の出走位置は二列目六番。

 あたしの右隣だ。

 最初の階段は左側にあるから、あたしのアウトサイドって言う事になる。


 渋水と視線があった。

 バチバチと火花が散る。

 彼女とはあまり話した事は無いが、なぜか最初から気が合わない感じがした。

 それがこの前に『渋水組への参加』を断ってから、さらに雰囲気が悪化した気がする。

 ま、クラスも違うし、同じ授業も無いんで、接点は無いから別にいいんだけどね。

 ちなみに一列目の三番、四番、五番は、咲藤ミラン、雲取麗華、天女梨々花だ。


 ――キーン コーン カーン コーン――

 四時間目終了のチャイムが鳴る!

 スタートゲートが左右に開かれた。

 ほぼ同時にあたしの目の前にいる一列目四番・雲取、五番・天女が走り出す。

 少し遅れて三番・咲藤が。

 あたしも天女に続いて走り出そうとした時。

 右側の渋水が、強引にあたしの前に割り込もうとする。

 「そうはさせじ!」とあたしも渋水を肩で押しのけるように走り出した。

 渋水が一瞬あたしを睨む。

 あたしも渋水を睨む。

 またもや交差した視線が火花を放った。


 あたしと渋水理穂は、そのまま平行して直線の廊下を突っ走った。

 渋水も卓球部だけあって、足が速い。

 特にダッシュ力、反射神経が優れている。

 だが単純な徒競走なら、あたしの方が速いはずだ。

 しかしあたしの目の前には、雲取麗華と天女梨々花がいた。

 そのせいで全速力では走れない。

 結果的に前を塞がれているあたしと渋水は、どっちも前に出る事が出来ずに走り続けた。


 だが階段は左側だ。

 イン側にいるあたしの方が有利だ。

 渋水はあたしの後塵を拝することになる。


 渋水もそれは解っているのだろう。

 階段まであと五メートル、と言うところで、再び強引にあたしの前に身体をねじ込もうとした。

 それを許す程、愚鈍なあたしじゃない。

 さらに速度をアップし、渋水を右腕を使って押し返す。


・・・これで渋水の奴は、大人しくあたしの後ろに付くか、階段を通り過ぎるか、どちらかだ。


 そう心の中でほくそ笑んだ時だ。


 グイッ!


 あたしの右手が引っ張られた。

 渋水が自分の左手を、あたしの右手に絡ませたのだ。


 ・・・こ、この野郎!・・・


 だがそう思う間もなく、強烈なショックがあたしの顔面を襲った。


 ガチコーーン!


 まさしく目から火花が飛んだ!

 あたしと渋水理穂は、左に曲がりきれず、二人並んで階段の壁に突進したのだ。

 あたし達二人は、そのまま廊下に尻もちを着く。


「痛ったぁ~」


 思わず声が漏れる。

 あたしがぶつけたのはオデコだ。

 軽く触ってみる。

 ジンジンするが、血は出ていない。

 切れてはいないみたいだ。良かった。

 額を縫い傷があったりしたら、女としては致命的だ。


 渋水の方は鼻を押さえている。

 ヤツは鼻をぶつけたらしい。

 あたしは痛みを抑えて立ち上がった。


「ちょっと!なにすんのよ!」


 だが渋水もキッとなって、あたしを睨み返す。


「何もクソも無いわよ!あなたこそ、アタシの進路妨害をしたじゃない!」


「なに言ってのよ!あたしの前に割り込もうとしたのは、ソッチじゃない!」


「ワタシが前に出ようとした所を、あなたが腕で振り払ったんでしょ!」


「言いがかりもいい加減にしてよ!あそこで割り込もうなんて出来る訳ないでしょ!それを腕を引っ張るなんてあり得ない!」


「ハッツ、貧しいのは胸だけかと思ったら、頭まで貧しいのね!貧脳・貧乳女!」


な、なんだとぉ~!


「ソッチこそ、イヤらしいのは投稿動画だけかと思ったら、手口までイヤらしい!Fラン・底辺ユーチューバーのクセに!」


「Fラン・底辺ユーチューバーですって!!!」


 あたしも渋水も、互いに一歩も引かずに罵り合った。

 こんなにムカつく女に出合ったのは、生まれて初めてだ。


 渋水はしきりと鼻を気にしていた。

 幸いな事に鼻の骨が折れている訳ではないらしい。

 鼻血も出ていない。


 周囲に人も集まってきた。

 みんなが遠巻きにあたし達を見ている。

 それに気づいた渋水が、鼻を押さえながら、あたしに背を向けた。


「この事は、絶対に忘れないからね!覚えておきなさいよ!」


 最後にそう捨てゼリフを残してだ。

 あたしも怒りに燃える目で、立ち去る渋水を睨み続けていた。

 やがて転がっていた自分のお弁当を拾うと、取り囲んでいた人間を掻き分けるようにして、その場を離れた。


・・・


 あたしは痛むオデコを押さえながら、屋上に上がった。

 屋上のドアを開けると、いつものように兵太がいる。


「遅かったな。もしかして赤御門先輩にお弁当を渡すのに成功したのかと思ったよ」


 あたしはそれにも答える余裕が無いほど、心の中は怒りで一杯だった。

 無言で弁当の入った保冷バッグを差し出すと、兵太から三百円を受け取る。

 さすがの無神経男・兵太も、あたしの只ならぬ雰囲気を感じたのか、それ以上は何も言わない。

 ただ


「このちらし寿司、スッゲー美味いな!」


 と一言感想を言っただけだ。


・・・


「アイタタタ」


 弁当を食べている最中だ。

 急にズキンと、さっき壁に激突したオデコが痛み出した。


「どうしたんだよ?」


「今日の『お弁当お届けレース』で、変な女に腕を引っ張られて、そのまま壁に激突した」


 あたしはとりあえず、そう口にするのが精一杯だった。

 詳しく思い出すと、また怒りがこみ上げて来そうだ。


「本当か?噂以上に過酷なんだな、『お弁当お届けレース』って」


 呑気な言い方しやがって。

 アンタが考えているような、生ぬるいモンじゃないんだよ。

 『現実のシンデレラへの道』は。


「どれ、見せてみろよ」


 二メートルの距離を詰めて、兵太が近寄って来た。

 まぁ、今は仕方ないだろう。


 兵太がそっとあたしの前髪を跳ね上げる。

 もっとも乱暴にやったら張り倒すが。


「どうなってる?」


 あたしは少し不安だった。


「ん・・・タンコブになってる。それから少し青アザになってるな。切れてはいないよ」


「痕、残らないかな?」


 何と言っても『女の顔のキズ』だ。

 男女平等だの何だの言ったって、結局は男は女の顔を重視してる。

 これで一生残るキズなんて出来たら、渋水のヤローは滅多刺しにしても治まらない。


「大丈夫だろ。この程度なら三~四日で消えると思うぞ」


 あたしはホッとした。

 別に兵太は医者って訳じゃないが。


「美園、気になるのか?」


 兵太の口調にからかうようなニュアンスを感じた。

 あたしはキッとなって言い返す。


「当たり前でしょ?顔のキズだよ?女なら誰だって気にするに決まってるじゃん。消えなかったら、結婚にだって影響しそうだし」


 兵太が軽く笑ったように思った。

 そして下を向きながら言う。


「じゃあそんな事になったら、俺が貰ってやるよ」


 あ”?『貰ってやる』だと?

 なに上から目線でモノ言ってんだ、コイツ。

 『中の上の平均的なヘータ』相手に、そんなこと心配する訳ないだろ?


 あたしが目指すのは、あくまで『リアル・シンデレラの道』だ。

 一目であたしを虜にした、あの『赤御門凛音』様のような・・・

 もちろん、王子様の資力だけをアテにはしない。

 自分でもバリバリ稼げる『独立したシンデレラ』だが、それでも配偶者の財力はあるに越したことはない。

 あたしは上を目指すんだ。


 あの渋水理穂にだけは、絶対に負けない!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る