第23話 ある日の登校中……子猫がいた

 曇り空の下、あたしはいつもよりゆっくり歩いていた。

 今日は五分くらい早く家を出たのだ。

 思った以上に、お弁当作りがスムーズに行ったから。


 今日のお弁当は、ご飯の上にサバ缶のそぼろ。

 メインのおかずは、しめ鯖、舌平目したびらめのバタームニエル、チーズ・オムレツだ。

 それにサブとしてほうれん草のおひたし、マグロの角煮、ナスのミートソースかけを添えている。

 シンプルだけど、どれも自信がある料理だ。


 夜の間は雨が降っていたらしく、道は濡れていた。

 所々にある水溜まりを、ヒョイ、ヒョイと避けながら歩く。


……ミィ ミィ ミィ……


 どこかから猫の鳴き声が聴こえたような?

 耳をすませる。


……ミィ ミィ……


 間違いない。猫の鳴き声だ。

 それも子猫っぽい。


 あたしは鳴き声のする方向に目を向けた。

 どうやらコイン・パーキングの奥から聞こえてくるらしい。

 今日は時間があるし、ちょっと覗いてみるか。

 あたしはそう思ってコイン・パーキングに入り込んだ。


……ミィ ミィ ミィ……


 猫の鳴き声は断続的に聞こえてくる。

 あんまり元気のある鳴き声じゃなさそうだ。

 白い業務用ワンボックスの影を見てみる。

 そこには小さめのダンボール箱があった。


……ミィ ミィ ミィ……


 鳴き声はそこから聞こえてくる。


……ダンボールに捨て猫なんて、古典的だなぁ……


 そう思いながらダンボールの中を覗き込む。

 茶トラの子猫と目が合った。

 その子猫はあたしの姿を見つけると、ダンボールに寄りかかるようにして、後ろ足で立ち上がった。


「ミィ、ミィ、ミィ」


 必死に訴えるように鳴き声を上げる。

 箱の中には兄弟らしい他三匹の子猫がいた。

 だがみんな手足を投げ出して横になっている。

 息をしている気配がない。


「ミィ、ミィ、ミィ」


 子猫は箱をなんとかよじ登ろうとしたが、腰が砕けたように下に落ちた。

 弱った子猫に、このダンボールは乗り越えられないだろう。


 この子猫達は、ここに捨てられて2~3日は経っているようだ。

 空腹と母猫がいない寒さで、ここで衰弱して死んでしまったのだろう。

 さらには昨夜は雨が降ってたし……


「ミィ、ミィ、ミィ」


 茶トラの子猫は、何とかあたしにすり寄ろうと、また必死で後ろ足で立ち上がろうとした。

 唯一今朝まで生き残ったのが、この子だろう。

 でもこの調子だと、今日一日だって持つかどうか?


「このままには、出来ないよなぁ」


 あたしは独り言を言うと、カバンから弁当を取り出した。

 勿論、赤御門様に捧げる弁当ではなく、自分用の弁当だ。

 しめ鯖を小指の先ほどに千切って、子猫の前に持っていった。

 子猫はしばらく臭いを嗅いでいたが、やがて「クシュン」と小さなくしゃみをして、鼻を背けてしまった。

 しめ鯖はダメか?


 次に舌平目のムニエルを千切ってあげる。

 これはうまくいった。

 子猫はガツガツと食べる。

 だが半分以上食べたところで

 「ゲホッ」という音を立てて、全て吐き出してしまった。


 この子猫、生まれてどのくらいなんだろう?

 目は開いているし、ある程度しっかりしているから1ヶ月くらいだと思うんだが?


 スマホを取り出して「子猫 エサ」で検索する。

 どうやら1ヶ月半くらいまでは、猫用ミルクか、子猫用の柔らかいキャットフードでないとダメらしい。


 参ったなぁ、そんなもの、持ってないしなぁ。

 あたしはムニエルを自分の口に含んだ。

 噛み砕いて、指先ほどを子猫に与える。

 子猫は焦ったようにムシャムシャと食べる。

 どうやら大丈夫なようだ。


 だが半分の舌平目では足らないらしい。

 またあたしの顔を見上げると


「ミィ ミィ」


 と鳴き始めた。


 ここまで付き合ったら、放っておけないよな。

 あたしはサバ缶そぼろのご飯を子猫に与えようとした。

 だが子猫はそぼろの部分だけ舐めると、後は気の無い素振りだ。


「おまえ、飢え死に寸前の割には贅沢だな」


 あたしは思わず子猫相手にグチってしまった。


 でもあと舌平目のムニエルって、赤御門様に捧げるこのお弁当しかない。

 これを子猫にあげたら、お弁当にその部分だけ”無の空間”が出来てしまう。


「ごめんよ、これ以上はあげられないんだ」


 あたしは子猫に手を差し出した。

 子猫はエサを期待したのか、その手に寄って来る。

 足がおぼつかないのか、あたしの手にもたれるように転んだ。


 その手に触れた子猫の体、何と肉が薄いことか!

 あばら骨の感触がハッキリわかる。

 一体、どのくらい食べてないんだろう?

 あたしの掌よりちょっと大きいくらいの子猫を、両手で抱き上げてみた。


 軽い。


 それに肉が全然ない。

 子猫って、もっと毬みたいに柔らかいものじゃないか?


 ええい、くそっ!

 どうせ今日もこの弁当は、赤御門様に食べて貰えないだろう。

 兵太に食わせるより、この子猫に食べさせた方が、いいんじゃないか?

 三百円は貰えないけど、その方が神様もイイって言うに違いない。

 「地球に優しい」ってやつ?違うか?


 あたしは赤御門様用特製弁当も開くと、舌平目のムニエルを取り出した。

 先ほどと同じように、まずあたしが噛んでほぐし、それを子猫に与える。


 結局、子猫はムニエル1つ半と、チーズオムレツを1つ強を食べた。

 食べ終わった子猫は、大きなあくびを一つすると、あたしの手に寄り添って目を閉じた。


 うう、こうされると、立ち去りがたいなぁ。


 でもウチの家族は、猫アレルギーがあるのだ。

 祖母の家が猫を飼っているが、その家に行くと全身が痒くなる。

 姉なんてアトピーがあるから大変だ。

 祖母の家に行った次の日は、顔にまで湿疹が出ている。

 とてもじゃないが「猫を飼いたい」なんて言えない。


「ごめん、ウチは猫とか飼えないんだ」


 そう言った時だ。

 頭上で「カア、カア」とでかい鳴き声がした。

 見上げるとカラスがいた。

 それも一羽じゃない。

 六羽も連なっている。ジッとこっちを見ていた。


 カラスは、子猫や子犬も襲って食べることがあると聞いた。

 もしかして、このカラス達は、あたしがいなくなるのを待ってる?

 あたしは茶トラの子猫を胸に抱いた。

 さすがにこの子は、カラスのエサには出来ない!


 立ち去ろうとした時、小さな折り畳まれた便箋びんせんが目に入った。

 それも手に持ち、その場を立ち去る。


 少し離れた場所にある公園に移動し、ベンチに腰をかけた。

 子猫は膝の上で気持ち良さそうに眠っている。

 あたしはさっきの便箋を広げた。


******************************

この子たちをもらってください。

ウチのネコがあかちゃんをうみました。

四ひきの子ネコです。

でもおかあさんが「ざっしゅだからダメ」と言いました。

ウチのネコはマンチカンですが、この子たちのおとうさんは、

どこかのネコだからダメだそうです。

やさしい人がもらってください。

おねがいします。

******************************


 これを書いた相手は、おそらく小学校低学年くらいだろう。

 字がたどたどしいし、漢字が少ない。


 でもそんな子供相手に


「子猫を捨ててこい」


 なんて、普通言うか?


 あたしは会ったこともない、この母親に腹を立てた。


 ネコの世界も血統が重んじられるとは、まったく世知辛い世の中だが、

 「雑種だから捨てる」とか言うくらいなら、最初からペットなんて飼うなよな!


 子猫の喉を指先で撫でる。

 眠りながらも、子猫はゴロゴロと喉を鳴らした。


 仕方ない。袖触れ合うも多少の縁だ。

 オマエの飼い主が、あたしが見つけてやるよ。

 今さら、こんな所に放置しておくのも気が引けるし、元の場所に置いてくるなんて論外だ。


 どうせこの時間では、学校に行っても遅刻だ。

 あたしは子猫を抱くと、飼い主を探すために立ち上がった。


*****


 学校には十二時半過ぎに着いた。

 当然、今日の”弁当お届けレース”は終わっている。

 もっとも、今日のあたしには届ける弁当が無いから、どうにも出来ないが。


 幸いなことに、八件ほどの家を回ったところ、最後の家のご婦人が子猫を貰ってくれることになった。

 途中で子猫用に買ったパックの牛乳も一緒に渡してきた。

 これであの子も、きっと幸せになれるだろう。

 兄弟の分まで、強く生きろよ。


 とりあえず屋上に行って、今日は弁当を渡せないことを兵太に謝ろう。

 屋上に出ると、いつも通り兵太がいた。

 三十分も待たせてしまった事を、あたしはまず謝った。


「今日もダメだったか?」


 あたしは首を左右に振った。


「ゴメン、今日はお弁当、無いんだ」


 兵太は意外そうだ。


「え?赤御門先輩に渡せたの?だったら、どうしておまえ、ここに居るんだ?」


「いや、お弁当のメインのおかず、ネコにあげちゃったんだ」


 あたしは今朝の子猫の一件を話した。

 あたしの話が終わると、兵太がボソっと言った。


「美園ってそういう所、あるよな」


「ハハ、照れるなぁ。ホメろホメろ」


 兵太はちょっと遠くを見るような目をした。


「なあ、覚えてるか?小学校の時も、同じようなことがあったのを」


 ん、何だっけ?そんな事、あったか?


「俺と一緒に学校に行ってたけど、公園で巣立ったばかりのムクドリが落ちていてさ。カラスにやられそうになってたんだよ」


 そう言われて思い出した。

 あれ、ムクドリだったのか?小鳥だったような気がしていたが。


「おまえは『カラスから鳥を守る!』って言って、学校行かないで、その場で雛鳥を見張っていたんだ」


 そうだった。

 そして、その時に一緒に付き合って見張ってくれていたのが、兵太だった。

 後で二人とも学校をサボッたことで怒られたが。


「はい、三百円」


 兵太はそう言って、あたしに渡そうとした。


「え、いいよ、いいよ。今日はおかずも無いしさ。お金は貰えないよ」


 さすがのあたしも断った。

 傷物商品を定価で売ったとあっては、信用に傷が付く。


「いいって、俺もその子猫を助けるのに、少しでも協力したいからさ」


 う、コイツ、中々いい奴だよな。

 ちょっとジーンと来たぞ。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 あたしは兵太の三百円を受け取った。


 2人で屋上に腰を下ろして、弁当を広げた。

 おかずが2品も欠けているし、ご飯も一部無くなっている、欠陥弁当だ。


「うん、うまい」


 兵太がそう言った。

 あたしも一口、口に運ぶ。


 この日の弁当は、いつもよりいい出来だったと思う。

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