第4話 【回想】春の嵐?慈円多学園、入学式!(前編)
五時間目、あたしは睡魔と闘いながら
『一生の内でいつ役に立つのか、全くわからない古文の授業』を受けていた。
だってそうだろう?
英語も現国も数学も、実社会で使われているのは解る。
必要な勉強だろう。
イマイチ(けっこう?)苦手な物理も化学も生物も、現代社会を支えるために、必要な人は必要だろう。
(あたしにとって必要かどうかは解らないが)
政治経済は社会人として重要な知識だし、地理や歴史だって何かの役には立ちそうだ。
でも古文だけは、本当に何の役に立つのか解らない。
あたしがブラジル人と商談する可能性はあっても、清少納言や紫式部と会話する可能性はゼロだ。
実際、あたしは英語より古文が苦手だ。
『人生への意味』も、『テキストの意味』も分らない古文の解説を聞きながら、あたしの思考は二ヶ月前、そう入学式の時に戻っていた。
*****
「おい、急げよ!このままじゃ初日から遅刻だぞ!」
兵太はそう言って、あたしを焦らせた。
「わかってるよ!だから今、急いでるでしょ!」
あたしは不満を滲ませて言い返す。
確かに遅刻しそうなのはあたしのせいだが、それにしても、もうちょっと労わりのある言い方ってもんがあるだろう。
男子と違って、女子は出発に時間がかかるのだ。
それに「華麗なる高校デビュー」のためにも、初日のお洒落でつまずく訳にはいかない。
入学式早々から、あたしが遅刻しそうなのには理由があった。
その一、お母さんも入学式の身支度で、洗面所を長時間占領していた。
その二、お父さんが朝から長時間トイレを占拠していた。
だが最大の理由は、「今日着ていく制服選び」に時間がかかったためだ。
う~ん、どれにしようか・・・?
あたしは心底迷っていた。
ベッドの上には三着の制服が並んでいる。
全て慈円多学園の制服だ。
慈円多学園は、女子用に五種類の制服がある。
「可愛い伝統的なセーラー服」
「ベージュ色のボレロ風の上着と長めのプリーツスカートに、フリルのブラウスとリボンが付いたお嬢様風の制服」
「紺のブレザーとチェック柄ベストに、膝丈のスカートの平均的な制服」
「フランスの男性貴族を思わせるような詰襟型の礼服」
「黒い細身のジャケットとロングのフレアスカートに、首が詰まったフリル付きブラウスとネクタイ(要するにメイド風)」
(ちなみに男子は、紺の詰襟一種類だ。)
あたしはこの内「セーラー服」「ボレロのお嬢様風」「平均的なブレザー制服」の三つを買った。
さすがに「フランス貴族風詰襟」だの「メイド風」だのを着て、電車に乗って通学する勇気はない。
(でもメイド風はちょっと惹かれた。学校に行ってから周囲の様子を見て、追加で買ってもいいかも)
ボレロのお嬢様風があたし的には一番好みだが、初日くらいは真面目にブレザーにしておくか?
でも中学もブレザータイプだったからなぁ。
女の子らしいセーラー服にも憧れがあるし……
と、まぁこんな具合で、前日から悩みに悩んでいたのだ。
朝になっても、三着をとっかえひっかえ着て見ている内に、時間ギリギリとなってしまった次第だ。
選択肢がありすぎるというのも、中々困り者だ。
さらに言えばブラジャーでも迷ったし……
少しでも胸が、形よく大きく見えるブラとの組み合わせも重要だ。
結局、あたしは当初の予定通り「ボレロのお嬢様風」をチョイスした。
そして今、学校の最寄り駅からランニングする羽目となっている。
兵太の奴は「急げ、急げ!」と言うが、
登校初日の女子が、汗だくで髪の毛を振り乱して、教室に駆け込む訳にはいかないのだ。
「おい、もうちょっと急げよ。マジでマズイって!」
兵太がまたブー垂れやがった。
うっせえ!
おまえも朝からシャワー浴びて、洗顔して、乾燥対策に乳液付けて、ドライヤーしてみろ!
少しは女子の苦労がわかるってもんだ。
寝ぐせのまま、顔と歯だけ磨いて家を出られるオマエとは違うんだよ。
「わかったわよ!急ぎゃいいんでしょ、急ぎゃ!」
あたしは兵太を置いて、急にダッシュした。
本気ならあたしは、かなり足は速い。
そして顔は軽く兵太を睨む。
「美園、前っ!」
ボゴォ~~~ン
兵太の声と、顔面への衝撃と、激しい激突音が響いたのが、全て同時だった。
反動であたしは思わず後ろに尻餅をつく。
くっそ、誰だ?
こんな通りの真ん中に、乙女を弾き飛ばすような障害物を置いたのは?
涙が滲む目で前を見ると、大通りに出る路地に、真っ白で巨大なやけに長~い車が止まっていた。
今まで見たことが無いような、前後に長い車だった。
あたしが怒りを込めてその車を睨むと、その長い車の後ろのドアが開き、中から一人の男が出て来た。
「君、大丈夫か?」
そう声をかけてきた男性を見て、あたしは怒りも痛みも霧散するように吹き飛ぶのを感じた。
本当に息が止まった。
その男性は、マジで少女マンガか乙女ゲーから抜け出してきたかのような美少年だったのだ!
クッキリとした二重の目はアーモンド型で、あたしを心配そうに見つめている。
鼻筋はすっと彫刻のように通っている。そして外国人ほど大きくはなく、バランスの良い形だ。
それに釣り合ったバランスのいい口から、あたしを気遣う言葉が発せられている。
そして女にも中々いないくらい白く透明感ある肌。
全てが完璧な外見だった。
こんな男性、今までテレビでも見た事がない。
少女マンガでは、よくイケメンが出て来るシーンで『バックに花を背負って登場』するが、本当に背後に花が咲き乱れているかのように思えた。
この人の発する雰囲気が、オーラが、バックに花を連想させるのだ!
「ビックリしたよ。停車していたら、いきなり君が突っ込んで来るから」
美少年は柔らかく笑いながら、あたしに向かってそう言った。
あたしは彼に見惚れたまま、何も言う事ができない。
「すみません、そっちの車が止まっているのに、こっちから勝手に突っ込んで行ったので」
兵太が駆け寄って来ると、あたしの代わりにそう言った。
「いや、ケガさえ無ければいいんだけど。でも彼女、何も言わないけど、大丈夫かな?」
美少年の眼が、兵太からあたしの方に向く。
あたしは慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫です!こ、こちらこそ、ご、ご心配かけて、す、すみません」
あたしはそれだけ言うのが精一杯だった。
「それならいいけど。ところで君たち、慈円多学園の生徒?」
美少年はそう聞いて来た。
よく見ると、美少年も兵太と似た制服を着ている。
が、所々で装飾や色が違うようだ。
「はい、今年度入学の新入生です」
兵太がそう答えると、美少年はニッコリ笑って言った。
「そうなんだ。僕は
涼やかな声が耳に心地よい。
【赤御門凛音】
この名は今、あたしの海馬だけでなく、大脳新皮質にもしっかりと克明に焼き付けられた。
あたしが将来、老後に認知症になって、夫の名前を忘れたとしても、この名前だけは忘れないだろう。
「良かったら一緒に乗って行くかい?」
え?マジで?こんなイケメン先輩と一緒に、お車登校?
そんな夢みたいな話……
だがその夢は、兵太が水洗トイレのように流してくれた。
「いえ、学校はもうすぐそばですし、大丈夫です。それに入学早々目立つのは嫌ですし」
赤御門先輩はそれを聞くと納得した様子だ。
ああ、もう一押しくらいして欲しいのに。
「それもそうかもね。わかったよ。でも急いだ方がいい。もうすぐ時間のはずだ。新入生はクラス分けを確認して、自分のクラスに行かないとならないからね」
そう言って至高のイケメン先輩は、デカくてバカ長い車に乗って去って行った。
「にしても金持ちな人だな。ハマーのリムジンだぜ、あれ」
あたしは「ハマーのリムジン」が何かよくわからないが、兵太のその言葉を夢心地で聞いていた。
そう、あたしは慈円多学園初日の登校中に、王子様に出会って恋に落ちたのだ。
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