第二章 武士の接吻

第21話 プロローグ

 かぽーん……


 軽快な鹿威ししおどしの音が広大な屋内おくない浴場よくじょうに響いた。

 広い洗い場は白い玉砂利たまじゃりに覆われ、その奥にはプールのように大きな浴槽よくそうが温泉のごとく床に埋めこまれている。

 浴槽を満たす湯船はもうもうと湯気をわき上げ、鹿威しや竹の植えこみ、こけむした大石などで飾られた小島が浮かぶと共に……


「ふう……いい湯だね、姉さん♪」

「はい……いいお湯ですね、コロちゃん♪」


 一組ひとくみの少年と少女が、ご満悦まんえつで湯にかっていた。


「新年会を兼ねた誕生会も、無事に終わったしね♪」


 端整な面差おもざしを柔和にゅうわな笑みで輝かせる、黒髪の少年は水代みずしろ煌路こうじ

 世界の経済と軍事を制覇する〝ミズシロ財団〟において、経済を司る〝東の本家〟の次期当主である。


「はい。今日でコロちゃんと私は、17歳と18歳ですね♪」


 神がかった美貌を輝かせる、白金色の髪の少女はウィステリア・H・ミズシロ。

 幼いころから実の姉弟のように育った、煌路の遠縁とうえん従姉いとこである。


「あらためて、お誕生日おめでとうございます、コロちゃん♡」

「誕生日おめでとう、姉さん♡」


 湯船で満面の笑みを浮かべる少年と少女は、当然ながらである。


「今日のパーティーの晴れ着も、とても似合っていたよ、姉さん♪」

「コロちゃんの羽織はおりはかまも、とても素敵でしたよ♪」


 だが思春期まっさかりの2人に、恥じらう様子は微塵みじんも無い。


「今年のプレゼントにコロちゃんからもらったくしも、素晴らしいものでした♪」

「あれで姉さんの太陽みたいな髪がもっと綺麗に輝くのなら、僕も嬉しいよ♪」


 とは言え、2人は別に〝深い仲〟ではない。ただ、姉弟同然に育った身には一緒の部屋に住み、一緒の布団で眠り、一緒に入浴するなど当たり前のことなのだ。


「パーティーのお客たちも、みんな姉さんに見とれていたしね。今回は経済界からのお客が減るかとも思っていたんだけど、今までと変わらなかったね」

「はい。数ヶ月前のパーティーで起きた、ネブリーナ・テクノロジーの御曹司おんぞうしの件が影響しないか心配だったのですけど……」


 今日のパーティーでも人々を魅了した神がかった美貌が曇る……が、


「あのあと中東で起きた〝第二のアラブの春〟を見て、うちの財団と対立するリスクをみんな分かってくれたみたいだね♪」


 姉のうれいを吹き払うように弟はさわやかを笑みをほころばせ、


「それに今日のパーティーには、火焚凪かたなとブレイクも1年ぶりに顔を見せていたからね。特に〝東の本家のサムライガール〟って人気の火焚凪は──ん?」


 少年が脱衣場に気配を感じる──と、カララララ……と軽やかな音を立ててひのきの引き戸が開き……


「し…失礼をば……いたすで、ござりまする………」


 にバスタオルだけを巻いた、長い黒髪の少女が浴場に入ってきた。


「火焚凪……」


 ちょうど話していた少女の登場に煌路は眉をひそめ、


「どうしたんだい? ブレイクなら、今日はまだ来ていないけど……」

「は……ほ…本日は──ぬぐっ!?」


〝姉弟〟の様子を見て、黒髪の少女が目元を引きつらせ固まった。

 浴槽のふちに背をあずけるの姉に、これまたの弟が背をあずけている。

 そして姉が湯船に浮かべる豊満胸の深谷間に、弟が後頭部を沈めていた。


「エ…〝エてん風呂ぶろの浮きマクラ〟………」

「君まで言うのかい、火焚凪?」


 の姉の胸に頭を沈めたままの弟は苦笑し、


「君は知っているよね? ブレイクが勝手に変な名前を付けたけど、これって僕と姉さんにとっては、小さいころからの普通のスキンシップなんだよ」


 ……そう、小学生にして『メロン』のごとく胸の育っていた姉と、その胸を無邪気にもてあそんでいた弟……2人は幼き日より十数年にわたり、様々な〝スキンシップ〟を重ねてきたのである……!


「はい。私たち姉弟の歴史をつづる、大切なスキンシップですよね♡」


 の姉が優しく包み込むようにの弟を背後から抱きしめる……


「うん。物心ついた時から一緒の姉弟の、大切なスキンシップだよね、姉さん♡」


 の姉弟が湯船のなかで微笑み合い……


「今日も姉さんの髪を、一点の曇りもなく綺麗に洗ってあげるからね♡」


 の姉の髪は足首に届くほど長く、その気品あふれるゴールドシルクのごとき髪をの弟が優しくなでる……


「小さいころからコロちゃんは、とても優しくて、がんばり屋さんですね♡」


 の姉は高校生になった現在、9頭身のモデル体型に成長している……


「今日のパーティーでも、とてもがんばっていましたしね。可愛かわいいくて立派な弟を持って、お姉ちゃんは嬉しいです♡」


 の姉の胸元には、頭の小さなモデル体型とはいえ、その頭より大きそうな柔肉やわにくが2つも実っている……


「それなら……ご褒美ほうびをもらってもいいかな、お姉ちゃん♡」


 その柔肉の深谷間に頭を沈めていた弟が、の体を密着したまま反転させの姉と向かい合う……


「うふふ……甘えん坊さんなのも変わらないのは、ちょっと困りものですね……♡」


 湯船のなかでの姉弟は、じゃれ合うように抱き合って顔を近づけ……


「ご褒美ほうびの……〝たいへんよくできましたのチュー〟です……♡」


 ゆっくりと唇を重ねる………寸前、


「……どうしたんだい、火焚凪?」


 ガン見される視線に気づいた煌路が横へ向く。と、キャパオーバーな光景に頭がフリーズしていた黒髪の少女が、ハッとして我に返り……


「……と…とんだ、御無礼ごぶれいをば……本日は……と…殿の御背中おせなかを、流させていただきたく……つつしんで、参上した次第に、ござりまする………」


 涼やかな白皙はくせきの美貌を真っ赤にして、消え入りそうな声をもらした。

 煌路は再び眉をひそめるも、少女から並々ならぬ覚悟と決意を感じとり、


「それじゃ、お願いしようかな」


 ウィステリアから離れ湯船から洗い場に移り、鏡がしつらえられた壁のそばの湯椅子ゆいすに座る。――その際、細身ながらも無駄なく鍛えられたをさらしたが、動揺したのは黒髪の少女だけだった……しかし、


「……な…なれば……不肖ふしょう八重垣やえがき火焚凪かたな……誠心せいしん誠意せいい御奉公ごほうこうをば、たてまつるでござりまする……!」


 少女は真っ赤な顔を決意に引きしめると、タオルに石鹼せっけんを塗りつけ自分に向いた主君の背をおずおずと洗い出す。


「君に背中を洗ってもらうのも久しぶりだね。君がこの家に来たころは、よく洗ってもらっていたけど」

「き…記憶にとどめていただき、恐悦きょうえつに、ござりまする………」

 

 緊張して縮こまる少女を、煌路は苦笑をこらえつつ鏡越しに見る。

 凛とした美貌を引きしめる切れ長の目と、漆細工うるしざいくのごとき黒髪がうるわしい。

 前髪はいつも通り鋭利な刃で断ち斬ったように横一線に整えられているが、いつもは細いおびを巻いてたばねられている後ろ髪はストレートに腰まで伸ばされ、いつもとはおもむきの異なるあでやかさをかもしている。


「この家に来た時は6歳だった君も、明日の誕生日で17歳だね」


 その黒髪は不安そうに小刻みに震え、いつもは堅苦かたくるしいほど凛々りりしい瞳もはかなげに揺れている。


「ちゃんとプレゼントも用意してあるから、楽しみにしていてね♪」


 一方で、おずおずしつつも少女の手は長年の修練で染みついた一分いちぶすきもない所作しょさで動かされ、学院のクラスメイトの中でも指折りの豊乳がバスタオルの下で存在を主張している。


「きょ…恐悦きょうえつ至極しごくに、ござりまする………」


 だが少女の特徴として何より目を引くのは、浴場にまで持ち込まれわきに置かれている、白木しらきさやに納められた日本刀である。


「殿へささぐ、我が忠義は……生涯らがぬものに、ござりまする……!」


 それは雪渓せっけいを斬り裂く滝のごとく冷厳で、深淵しんえんな霊峰のごとく幽玄な、厳粛とした威風をまとう現代の〝サムライ〟………のはずなのだが、


「それで……何か用事があるんじゃないのかな?」

 

〝サムライ〟はおびえた猫のようにビクッと震え、唇を動かそうとするも声が出ない。 


「大丈夫だよ。君のお願いなら、大抵のことは聞いてあげるからさ」


 優しくさとすような少年の声に、引きつっていた少女の顔がかすかにやわらぐ。


「この家に来て以来、君は僕の〝第一の臣〟をこころざして護衛役……〝守り刀〟として尽くしてきてくれたからね」


 こわばっていた少女の肩から、かすかに力が抜ける。


「個人的にも君は、言わば〝幼馴染〟だからね。何でも遠慮なく言ってよ」


 少女の瞳とこぶしに、かすかに力が入る──が、


「まあ『側室そくしつにしてほしい』なんて言われると、ちょっと難しいけどさ♪」


 少年の冗談に、少女はかすかに眉尻を下げるも瞳に愚直な情熱と……断固とした〝決意〟をともし、


「……殿、拙者せっしゃは──」

「抜け駆けでやがるのですううううううううううううううううううううううう!!」


 緊張しつつも毅然きぜんとした火焚凪の声を怒りと屈辱に満ちた叫びがさえぎった。


「やあ、ブレイク。今日のパーティーでは君もがんばってくれたね。ご苦労様」


 右目に片眼鏡モノクルを付けショートカットの緑の髪をフリルの付いたヘッドドレスで飾る、浴場に現れた自分の専属メイドに煌路は微笑みかけ、


「そう言えば大晦日おおみそかの誕生日にプレゼントした辞書は使ってくれているかな? 世界に誇るイギリス発祥の大事典ブリ●ニカ、その復刻版32巻セットは」

「もちろんでやがるのです!」


 片眼鏡の少女は胸を張り、


「1冊が重箱みたいにデッカイ辞書、その厚さと重さを活かしてドミノ遊びから寝る時のマクラまで、毎日大事に使ってやがるのです!!」

「いろいろと活用してくれていて何よりだよ」

 

 煌路は苦笑しつつ、


「今じゃかなりの貴重品だったんだけど、ヴィオに頼んだら運よく手に入れられたんでね。『勉強熱心』で『品行方正』の君にピッタリだと思って贈ったんだよ♪」

「〝西の本家〟の〝怒りんぼ姫プリプリプリンセス〟め余計なコトしてくれやがったのです!!」


 眉をつり上げえるように、


「どーせなら若奥様みたいな下着をくれやがれば良かったのです! 『男が女に服を贈るのはソレを脱がすためだ』って大昔のイギリスの首相も言ってやがったのですから!!」

「で…ですから、あれらの下着はおばあさまが用意してくださったもので……」


 若奥様ウィステリアが赤面するもメイドブレイクは魂をしぼり出すような声で、


「んでメイドの本場イギリスの伝統どーりボッチャマも義務を果たしやがるがイイのです! メイドに手を出してはらませやがるってゆー御主人サマの義務を!!」

「オフェリアの好きなゲームにありそうな話だけど……そんな伝統は、イギリスにも無いんじゃないかな……多分」


 煌路は感心半分あきらめ半分のていで、


「それにしても自分の気持ちに素直と言うか、いつもながら欲望を始め色々なものを、もう清々しいほどに隠す気が無いよね……」


 照れるでもなく、慣れきったように少女を見て、


「とは言え、下着とまでは言わないけど、バスタオルくらいは巻いてほしいかな」

「ふふん、カミが創りしパーフェクトボディーのナニを隠せと言いやがるのです♪」


 片眼鏡とヘッドドレスを身につけたの少女がふんぞり返る……と、


不埒ふらちな……!」


 火焚凪が地獄の底から響くような声を発してブレイクをにらみ、


「殿の恩寵おんちょう無下むげにした上、浅ましくも殿の情けをせがむとは万死ばんしあたいする不届者ふとどきものにござる……!!」

「抜け駆けしやがった護衛こそ、不届者でやがるのです……!!」


 鋭利えいりやいばのごとき火焚凪の視線に、ブレイクも噛みつくように睨み返し、


「ボッチャマ専属メイド1号として最大の屈辱でやがるのです! 〝ムッツリがたな〟に御奉仕サービスを横取りされるとは!!」

「拙者は〝守り刀〟にござる! 『下女げじょ』から『痴女ちじょ』に堕落した不作法者ぶさほうものは身のほどわきまえるのでござる!!」


 メイドと護衛はき出しの敵意をぶつけ合い、


「年末の事件のあと水代邸おやしきに戻ってから、毎晩ボッチャマの部屋の隣でエロい妄想しまくりの〝ムッツリ刀〟は黙ってろでやがるのです!!」

「ざ…戯言ざれごとを!! 拙者は〝守り刀〟として隣の部屋で寝ずの番をしているのでござる! 特に殿の御部屋おへやに忍び込まんとする不埒な下女のくびね飛ばさんがために!!」


 敵意は殺意に変じていき、


御奉仕サービス極意ごくいも知らない忠義バカは引っ込んでやがるがイイのです!!」

「主君への忠義も知らぬ痴女こそ身を退くのでござる!!」

「ふふん、メイドの御奉仕サービスは忠義じゃなく〝愛〟でやがるのです♪」

「……!!」


 息をむ護衛にメイドはでふんぞり返り、


「そして! 御主人サマの体を洗うときは全身に泡をつけ自らの肉体をタオルにしてスミズミまで洗う! それが〝秘密の御奉仕ザ・シークレットサービス〟の極意ごくいでやがるのです!!」

「……不埒不埒不埒フラチフラチフラチふりゃちなああああああああああああ!!」


 怒りと羞恥しゅうちで紅潮した火焚凪が抜刀しブレイクもビリヤードのキューをにぎる。

 そして2人は洗い場を蹴立けたて、湯面を疾駆しっくし、床や天井を跳ねまわって激しく技をぶつけ合った末に、壮絶ながらも華麗な空中戦に突入する。


「あ~、やっぱ始まってたか……」


 その時、浴衣ゆかたのような室内着を着た少女が浴場に入ってきた。


六音りくね!? 『やっぱり』って何なんだい!?」

「ハハッ♪ あの〝必殺使用人〟どもが、お前とウィス先輩がいる風呂場に行くのに気づいたから……って、前を隠せ、怒りのデス・


 艶やかな黒髪を腰まで伸ばす少女がの煌路にタオルを投げつけた。が、すぐに日本人形のような可憐な顔をイタズラっぽく笑ませ、空中で超高速戦をしている護衛とメイドへ向き、


「あいかわらず世界トップクラスの異能を無駄使いしてるな♪」


 現在、世界には超人的な身体能力や知力、さらには魔法や超能力じみた異能を持った『エヴォリューター』と呼ばれる新人類がまれに誕生するようになっていた。


「ま、風呂場を壊さないように手加減してんのはサスガだが……あたしもお前の愛人としては、あの天をくような修羅場に参戦するべきか?」

「衝くんじゃなくて天によフラッターの


 異能のない旧来の人類は『フラッター』や『純粋人類』と呼ばれている。

 ともあれ未来の当主と秘書の無駄話の間にも、にバスタオルを巻く少女とでキューをにぎる少女の空中戦はヒートアップしていく……が、


「そんな格好カッコで飛び回って、やっぱり〝ムッツリ刀〟でやがるのです♪」

「!?」

「今はスパッツどころか下着も無しでやがるのですよ♪」

「っ!?」

「スキありでやがるのですうううっ!!」


 一瞬かたまった火焚凪からキューでバスタオルをぎ取るブレイク。


「っ!!??」


 かれた火焚凪はとっさに胸と股間を腕で隠しつつ、洗い場の煌路を空中から視界のすみにとらえ……


「ふ…ふりゃちなああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 全身まっ赤の火焚凪が湯船に落下し、ブレイクは悠々ゆうゆうと洗い場に着地する。


「ヴィクトリーでやがるのです♪ ……ん?」


 会心の笑みでVサインしたブレイクが何かに気づき浴場のすみを見る……と、


「はい……ブレイクさんが、いました……水代家の方の、お風呂場ですぅ………」


 ヒザまで伸びる紫色の髪をツインテールにした、ミニスカートのメイド服の少女が小さな通信機に話していた。


「ナニしてやがるのです専属メイド2号!?」

「はうう……パ…パーティーのあと片づけを抜け出した、ブレイクさんを探してきなさいと……ラシェルさまに……女中頭じょちゅうがしらさまに、言われたので………」

「……通信講座の『タンポポの種の飛ばし方』があるので早退しやがああああ!?」


 青ざめたブレイクが足元に開いた穴にのみ込まれ、


 にゃお~ん


 穴は片や白、片やピンクの毛なみがキレイな2匹の子猫を吐き出すと、跡形もなく消えてしまう。

 

「ハハッ、〝アナコンダ〟にルミューティレーションされたか♪」

「また数日は〝おしおき〟──じゃなくて〝特訓〟で帰って来れないね……おっと、ありがとう、シロ、モモ♪」


 子猫たちがくわえてきたバスタオルを手にとり、煌路は腰を落として子猫たちの頭をなでる。それから立ち上がると、浴槽へ歩いていき、


「大丈夫かい? 火焚凪」


 浴槽の湯船の中では、のサムライ少女がいまだ真っ赤で縮こまっていた。その少女に目を閉じたままバスタオルを投げ渡しつつ、


「そう言えば、さっき僕に何か言いかけていたよね?」


 火焚凪はビクッとしつつバスタオルを体に巻くと……


「……殿、拙者は……」


 うつむいて胸に置くこぶしと肩を震わせる……が、ガバッと顔を上げ、


いとまいただきたく願い申し上げたてまつるでござりまする!!」


 まさかの〝退職宣言〟に浴場が凍りついた………


                    



「………っ!?」


 まぶたを開け火焚凪は目を覚ました。


「……夢に、ござるか………」


 白衣びゃくえ1枚をまとう身は嫌な汗にれている。


「……未練に、ござるな………」


 目に映るのは光に満ちた浴場ではなく、薄暗い洞窟どうくつ内の景色。

 その洞窟の奥の水牢みずろうに、少女は腰までかりつつ眠っていたのである……と、


「幼き日の住処すみかに、過ぎし日の幻影を呼び起こされたと察しつかまつる」


 水牢の木の格子こうしの向こうに1人の少年が現れた。

 長着ながぎはかまをまとい、胸に届く黒髪を後頭部で束ねて総髪にした少年だ。

 火焚凪によく似た顔立ちで、火焚凪と同じ白木の鞘に納められた日本刀を腰に差している。


「兄上……!」


 火焚凪が険しい視線でにらむのは八重垣やえがき津流城つるぎ

 火焚凪の双子の兄だった。


「我らが〝草薙の里〟に叛乱はんらんせし謀叛人むほんにんよ。少しは反省したのでつかまつるか」

「反省すべき謀叛人は〝里〟なのでござる……!」


 一層視線を険しくする火焚凪だが、数日の牢暮ろうぐらしは厳格に整えられていた髪を乱し、凛々りりしい瞳にも陰りを落としていた……が、


「昨年の暮れに我らの学院を襲った狼藉者ろうぜきものの軍勢に、〝里〟の者がまぎれていたのでござる……!」


 瞳の奥にはおとろえぬ情熱と忠義をたぎらせ、


「それは如何いかなるよしによるものでござるか……!?」

「その是非ぜひたださんがために主君とたもとわかち、1人で〝里〟に乗り込んだのでつかまつるか……」


 妹の熱い視線をうとむように、あるいはどこかうらやむように兄は眉をひそめ、


「もはや忠義にあらず、盲信もうしんにつかまつるな」

ごとを……兄上とての騒動のあと、七里塚しちりづかのよりことの次第を聞き及んだはずにござる……もしや……」


 確信に近い疑惑を瞳にめ、


あらかじめ、存じていたのでござるか……狼藉者の襲来と……狼藉者に〝里〟が加担していたことを……!!」


 洞窟の空気が凍りつき、格子こうしはさんで対峙たいじする兄妹を重い沈黙が包む……


「それこそは戯れ言につかまつる」


 だが兄は妹の瞳をまっすぐ見つめ返しつつ、

 

「申し渡すのでつかまつる」


 ずまいを正し目元を引きしめ、


「十全ではないものの、〝瀬織津せおりつ巫女みこ〟がお目覚めになられたのでつかまつる」

沙久夜さくや様が………」


 かすかに目をみはる火焚凪だったが、


「それにともない定められた〝儀式〟の日取りを申し渡しつかまつる」


 毅然きぜんとした兄の声に、かすかに震えた。


「執行は3日後なれば、残る命を噛みしめるべしと存じつかまつる」

「……!?」

幾度いくどとなくやいばまじえた貴様との因縁いんねんが、かような形で幕を下ろすとはそれがしも不本意につかまつる」


 津流城はかすかに声を低くし、


「しからば兄の手により捕らえられしを、せめてものなぐさめとするが良いのでつかまつる」


 その瞳に浮かぶのは、慰めか、肉親の情か、はたまた……


「それと明日、Zクラスの者を含むミズシロ財団のつかいの一団が〝里〟を訪れると仄聞そくぶんつかまつった」

「っ!?」

「明後日には副会長……水代煌路も〝里〟を訪れるのでつかまつる」

「っ!!??」


 妹が大きく目をいた……が、


「なれど、希望は無意味と知るが良いのでつかまつる。そして捨て去りし過去や主君など、早々に忘れ去るが賢明なのでつかまつる……〝瀬織津せおりつにえ〟よ」

「我が忠義は……生涯らがぬものにござる……!」


 妹はうめくような声をのどの奥からしぼり出し、


「……兄上の忠義は、誰へささげられているのでござるか……?」


 兄は息をんでかすかに肩を震わせる……が、


「無論、我が主君……御屋形様おやかたさまにつかまつる」


 自らに言い聞かせるように声をつむぐと、妹に背を向け水牢を離れていく。

 やがて兄の姿が洞窟から完全に消えると、妹は薄暗い牢の中でうつむき……


「殿……」


 つぶやきは一粒ひとつぶの涙と共に、水に落ちて消えていった………




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