第10話 秘密の花園は誰のために!?

 バリドガアアアアアアアアアンッ


 落雷のような轟音と閃光をともなって人影が現れ、周囲から声が上がる。


「殿!!」

「若奥サマ!」

「ついでに六音!」


 声をかけられた3つの人影は周囲を見回すと、


「……火焚凪かたな? ここは……Zクラスの教室か。無事に帰って来れたみたいだね」

「ブレイクさん、その呼び方はやめてくださいと、何度もお願いしているじゃありませんか。最近は他の女中の方たちも、その呼び方をするようになってしまって……」

「誰がついでだコラぁ!?」


 三者三様に帰って来れたことを喜ぶ3人。――だったが、教室の一角を見た煌路は苦笑して、


「……クララ、何をしているのかな?」

「おお、帰還したのであるな、副会長♪」


 髪と爪をサテンゴールドに輝かせる少女が笑顔で答えた。……赤いリボンでイスに縛られた、風紀委員長の首すじに注射をしようとしながら。


「こ奴が副会長たちの行方について、口を割らないのであるからして、吾輩わがはい特製の自白剤を投与しようとしたのである♪」


 少女は肩に届くウェーブのかかった髪を揺らしつつ、お気に入りのオモチャで遊ぶ子供のように笑む。

 片や煌路は苦笑を深めそうになるのを抑えつつ、


「君の自白剤って、副作用が強くて使用禁止になっているんじゃなかったっけ?」

「うむ、一生植物状態の廃人になるという些少さしょうの副作用は存在するのであるが、副会長の身には代えられないのである」

 

 さらっと言った少女が、注射器を男の首から離し押子おしこを押す。と、メロンソーダのように美味しそうな緑の液体が、針の先からピューッと噴き出し、床に落ちてシュ~ッと白煙を上げた。


「ひぃぃっ!?」


 煌路たちの帰還が5秒遅ければ、その液体で廃人にされていた男が悲鳴をあげた。

 同時に煌路は苦笑を微笑にして、

 

「クララ、君の手をわずらわせる必要はないよ。僕たちは無事に帰って来れたんだからさ、その薬はまたの機会に取っておこうよ」


 む~、と不満げに口をとがらせるクララ。――しかし、


「でも、君がそんなに僕を心配してくれていたのは嬉しいな。ありがとう、クララ」


 煌路がほがらかに笑むと、少女は利発そうな顔を真っ赤にし、注射の押子を思いきり押してメロンソーダ(のような自白剤)を派手にまわりにまき散らす。


「べ、べ、べ、別にグレートヒェンに迫るファウストがごときケルエロスを心配などしないのであるっ!! わ、吾輩はただ………そう! 吾輩を援助する栄誉を与えた〝我が後援者マインメッツェン〟が勝手に死ぬなど、けしからんと思っただけなのである!!」


 教室中に液体が飛びちり白煙があがる中、多くの生徒は平然と液体を避け、イスに縛られた風紀委員長はパニックになる。

 そんな珍風景を見ながら、煌路の横の六音が感心半分、あきれ半分の様子で、


「火星の王子サマの隠し芸を、地球の王子サマも覚えたか。確かにモノマネが得意みたいだな」


 六音や自分に飛んでくる緑の水滴を、煌路はまばたきするだけで弾いていた。

 さらに六音は、真っ赤なまま自白剤を飛び散らせているクララにポツリと、


「お前もいい加減にしとけ、ドイツ製のポンコツンデレめ」

「だ…誰がポンコツでツンデレであるか!! 叡智の千金を蓄える化学部の俊英にして世界を闇の光で覆わんと人知れず暗躍する偉大な首領に何たる侮辱と屈辱であるかあああああああああああああっ!!」


 サテンゴールドの髪の少女が別の理由で真っ赤になるが、


「『闇の光』って暗いのか明るいのか、どっちなんだ? あと『人知れず』と『暗躍』で意味かぶってるぞ……って、泣くな、中二病泣き虫ポンコツンデレ♪」

「増えたであるう! 悪態が増えたのであるうううううううううううっ!!」


 涙腺を大崩壊させそうなクララに六音はイタズラっぽく笑み、


「これもダメか? じゃあ……財団の薬や化粧品開発のバイトより、世界の乾燥地帯をドシャ降りの〝涙雨〟で潤してやってこい……ポンコツ人間降雨機♪」

「ぬああああああああああっ!! 副会長の前で何たる恥辱! 許すまじ六音!! 今日という今日こそは我が秘密結社サタンゴールドの暗黒毒舌怪人〝暗黒ブラックジョーク〟に改造してやるのであるうううううううううううっ!!」


 うるうると涙目で駄々っ子のようにわめき散らす化学部の俊英。――しかし、


「大丈夫だよ、クララ。君の活躍と功績は、僕がよく知っているからね」


 煌路は優しい微笑で俊英の涙を止めると、赤いリボンでイスに縛られたよもぎ色の髪の男を見て、


「あのリボンって、シャーギのだよね。ソン先輩を解放してあげてくれないかな?」

「ニャハハ~、フクカイチョ~のお願いなら仕方ないのにゃ~♪」

 

 赤いクセ毛の少女が右の手首をひねる。――と、ソンを縛っていたリボンがほどけ少女の手の中へ飛んでいった。菜箸さいばしのような細長いの付いたそれが、新体操のリボンだったと分かる。

 

 キーンコーン、カーンコーン………


 その時、授業の開始や終了を告げる鐘の音が校舎に響いた。


「あ、1限目の始まりだね。みんな早く席に着いて、姉さんとソン先輩は自分の教室に帰らないと……って、みんな、どうしたんだい?」


 煌路の言葉に、級友たちは複雑な表情を見せていた。


「……あれ? 1限目が始まる時間にしては、太陽の位置が高いような………」


 窓の外を見て首をかしげる煌路に、クラス委員長が顔を曇らせつつ、


「御曹司……今の鐘は、1限目の始まりを告げるものではなく……4限目の終了を告げるものです………」

「えっ!? それじゃ僕たちって午前中まるまる姿を消していたってこと!?」


 煌路はもちろん、ウィステリアや六音も目を丸くする。


「どうして、そんな……僕たちが異元領域にいたのって、15分くらい……そうか。異元領域を何度も上書きしたせいで、通常空間との時間の流れにズレが生まれちゃったのか………」

 

 納得してうなずく煌路に、六音も記憶をたぐりつつ、


「……そーいや昨日も、お前の異元領域に入った時は夕方だったのに、ウィス先輩のや黒い異元領域に上書きされたあと、普通の空間に帰ってきたら夜になってたな」

「うん。時々、そんなことがあるそうだよ。もっとも、ズレが数時間ならいい方で、帰ってきたら何百年とか何千年、時にはそれ以上のズレが起きていた例もあるそうだけど」

「なんだそれ!? 怖っ!!」


 六音が身をすくめて、


「お前、そんな物騒なもんを〝親睦会〟のたびにポンポン使ってたのか!? それで変な時代に飛ばされたりしたら、どーすんだ!?」

「どうするも何も、君が自分で言っていたじゃないか。危なくなったら、世界の果てまででも助けに来いって」

「………やっぱお前は、エロピニストだな」

 

 何気ない煌路の言葉に、頬を染めた六音が上目づかいでボソボソ言った。


「私のことを忘れていませんか!? 盗人ぬすっと猛々たけだけしいにもほどがあるでしょう!!」


 その時、ソンが縛られていたイスから立ち上がり、眼鏡からはみ出しそうに目をつり上げて叫んだ。


「まったく酷い目に遭わされましたよ!! 水代君たちの行方なんて知るわけないのに、くすぐられたあと後から蹴られたり、危険な自白剤を打たれそうになったり!」


 その制服には、フチから白煙を上げる焼けこげたような穴が無数に開いている。

 

「全てはあの副委員長の仕業で、私だってだまされた被害者だというのに!!」

「ああ、あのリエンの技を、ソン先輩もやられちゃったんですね……」

「てか『自分も被害者』って、犯罪者の三大言い訳ワードの1つだよな♪ ちなみにあとの2つは、『出来心で』と『こんなことになるとは思わなかった』だな♪」

 

 一応は同情的な目をする煌路と、小馬鹿にするように口角をつり上げる六音。


「だ、誰が犯罪者ですか!! 本当の犯罪者が誰なのか鏡を見たことがないんですか!? これだから悪夢バッドドリームの魅力に取り憑かれた無法者など――」

「生徒会長選で若奥サマに連敗した負け犬に、『魅力』のなんたるかが分かりやがるのですか?」


 逆上するソンの言葉をさえぎり、Zクラスの少女が1人、歩み出てきた。


「口先だけの犬っころに、いいコトを教えてやるから聞きやがるがイイのですよ。人を惹きつける魅力には、2種類がありやがるのです。ひとつは〝弱い者を惹きつける魅力〟、もうひとつは〝強い者を惹きつける魅力〟でやがるのですよ」


 右目に片眼鏡モノクルを付け、ショートカットの緑の髪をフリルの付いたヘッドドレスで飾る少女が言う。


「〝弱い者を惹きつける魅力〟は、〝優しさ〟でやがるのです。『この人の後を歩けば苦労もなく、弱い自分を守ってもらえる』と、弱い人間を安心させる魅力でやがるのですよ。その世界は平穏かもしれない、けれど1人1人に危機感がないから、どこまでも堕落していく世界でやがるのです」


 普段の軽薄さがウソのように、厳粛なたたずまいで少女は語る。


「〝強い者を惹きつける魅力〟は、〝厳しさ〟でやがるのです。『この人と共に歩めば苦労もするけど、自分も強く成長できる』と、強い人間を邁進まいしんさせる魅力でやがるのですよ。その世界は剣呑けんのんかもしれない、けれど1人1人に飢餓感があるから、どこまでも進歩していく世界でやがるのです」


 少女は力強く笑んで胸を張り、


「そしてボッチャマの魅力は、地上最強の〝強い者を惹きつける魅力〟でやがるのです!! 一度魅入られたが最後、魂の底までガッチリわしづかみにされて、カミサマだって逃げられないほど強力で凶悪な魅力でやがるのですよ!!」


『ボッチャマ』の専属メイドが我がことのように誇らしげに言った。――が、すぐにへらへらニヤけると、


「ま、〝厳しさ〟に耐えられない弱っちい人間には、一生のナゾでやがるのですよ♪ あ、人間じゃなくて弱っちい負け犬でやがったのです♪」

「誰が負け犬ですかああああああああああああああああああああああああっ!!」


 ソンが血管が切れそうに激昂した。――が、


「落ち着いてください、ソンさん。あまり興奮なさると体に毒ですよ」

「ミズシロさん! あなたも気づくべきです! こんな無法者たちをのさばらせている元凶は誰なのか! ええ、そうですとも! 東の本家の次期当主という地位を悪用し法律や常識をねじ曲げぷほぅっ!?」


 風紀委員長がひっぱたかれた。生徒会長に。


「……あ……その……コロちゃんを中傷されてしまったので、つい………」


 生徒会長が険しくなっていた顔を、はっとして素に戻す。

 まわりではZクラスの多くが唖然あぜんとする一方、煌路をはじめ水代邸に住んでいる、あるいは住んでいた者たちが、なんとも気まずい顔になっていた。


「……ミぃぃぃズぅぅぅシぃぃぃロぉぉぉさぁぁぁん!! もはや取り返しがつかないほど弟モドキに篭絡ろうらくされてしまったようですねえ! いくら小さいころに事故で家族を亡くして東の本家に引き取らぶほぁっ!?」


 風紀委員長がなぐり飛ばされた。東の本家の次期当主に。


「僕のことなら、何を言っても構いません。でも、姉さんを傷つけることは許しません。絶対にです……!!」

 

 一瞬の静寂。――直後、割れるような喝采に教室がわいた。

 身も心も制服もボロボロにして倒れていたソンは、よろよろと立ち上がると、歓声を上げるZクラスの面々をにらみつける。が、その顔を屈辱に歪めると、すごすごと教室を出ていきながら、


「…………ぃ指定は、これだから……おぼえてろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 よもぎ色の髪を振り乱し、風紀委員長が逃げるように廊下を走り去っていった。

 すると冷めやらぬ教室の熱気にまぎれるように、クラスメイトの少女が1人、煌路のそばに歩み寄り、


困ったかなん人にきゅうえるんに、よもぎんでもぐさを作らなあかんどすなあ~♪」


 邪気も無くはんなりと笑む、白釉はくゆうの陶器に似た白くなめらかな肌がまぶしい京美人ふうの美少女だった。

 黒釉こくゆうのような深みのある黒髪を右肩から胸に流し、勾玉まがたまが浮き彫りされた鼈甲べっこうの髪留めでたばねている。


「まあ……仕方ないか………」


 煌路は小さく溜め息して、


「任せるよ……葛葉くずは

「お手元のままに、どすえ~♪」


 少女は呑気のんきな声で応えつつ、指先でもてあそぶ髪留めをペロリと小さくなめた。

 その少女と入れ違うようにウィステリアが煌路のそばに来て、おびえるように顔をうつむけると、か細い声で……


「コロちゃん……その……思わず、手を上げてしまいましたけど……あれは………」


 ソンを叩いた右手を左手で握りしめる、白金色の髪の少女。

 その繊細な指と華奢な肩は、今にも崩れ去ってしまいそうに儚く震えている。


「いいんだよ、姉さん。暴力を肯定するわけじゃないけど、平和的な方法だけで世の中の全ての問題が解決できるとも思っていないからね」


 普段の柔和さを喪失そうしつした姉に、普段の温和さをそのままに弟が言う。


「実際、昨日のテロリストみたいに感情だけで動いている相手には、話し合いなんて意味を持たないしね」

「ですが……」

「まあまあ、ウィス先輩。先輩だって昨日、そのテロリストに煌路やあたしが襲われてた時、地球軍の機甲衛士を勝手に持ち出してまで、助けに来てくれたじゃないですか。それと同じですよ♪」

 

 弟に続き、その愛人(志望)の少女もカラッとした笑顔で言った。

 それでも気落ちしている姉に、弟は優しく、いたわるような声で……


「姉さん……僕は、とっても嬉しいんだよ。姉さんが僕のために、そこまで怒ってくれたことがね」


 瞳にも優しさを宿しつつ、


「だから姉さんが誰かに傷つけられたら、僕もどんなことをしてでも、世界中を敵に回してでも姉さんを守るよ。姉を助けるのはヒトの義務だからね」

「コロちゃん………」


 弟の瞳に優しさと……一抹のいびつさを見てとり、姉は困ったような、しかし嬉しさを隠しきれない笑みをひらめかせる。弟も柔らかく微笑んでうなずくと、


「さあ、世間的には昼休みになっちゃったみたいだし、僕たちも昼ごはんにしようよ姉さん。朝はロクに口に入れないで、さっき登校したばかりの僕たちにとっては、朝ごはんに近いけどね」


 煌路は一旦言葉を切ると、教室のすみに目をやり、


「何より、せっかく君がお弁当を持ってきたくれたんだから……ねえ? あおい」


 紫の髪のメイドが、主人を心配してか昼休みの今も教室にいた。


「せっかくだし、君も一緒に食べて……ん?」


 メイドが肩からさげるトートバッグがもぞもぞ動き、煌路が眉をひそめる。と、


 にゃお~ん


 バッグの中から、それぞれ白とピンクの毛なみが綺麗な2匹の子猫が顔を出した。


「シロ、モモ、君たちも来ちゃっていたのかい?」


 いつの間に……と驚くあおいに煌路が歩み寄り、トートバッグに手を伸ばす。と、その腕を子猫たちが駆け上がり、主人の左右の肩に丸くなって居座った。


 にゃお~ん


 気持ち良さそうにゴロゴロのどを鳴らしつつ、ここが自分たちの指定席だと主張するような子猫たち。――直後、


「ニャハハ~、カワイ~ニャンコなのにゃ~♪」


 赤いクセ毛の少女が破顔して、踊るような足取りで煌路に駆け寄ってきた。

 新体操のリボンでソンをイスに縛りつけていた少女は、腰に届くクセ毛を首の後でたばね、猫のシッポのようにふりふり揺らしている。

 そのうえ猫のように大きな瞳を輝かせ、猫のように伸びやかな肢体を歓喜で満たしつつ、煌路の肩に乗る子猫たちに手を伸ばす。


「ちっちっち、ほ~ら、コッチにくるにゃ~♪」


 しかし子猫たちは、ぷいっと顔をそむけてしまう。


「フギャーッ!? ニャンコたちに無視されたにゃっ!?」

「ナハハ、いくらオマエでも、そいつらを手なづけるのは無理でやがるのですよ♪」


 たばねた髪を驚く猫の尾のように逆立たせた少女に、ブレイクがニヤニヤして、


「その畜生どもは、東の本家でも大奥サマとボッチャマと若奥サマにしか、なついてやがらないのですよ。ボンクラッチャマ……じゃなくて東の本家の今の当主サマと奥サマのコトも、いっつも無視してやがったのです♪」


 長期休暇中(?)の東の本家のメイドが説明するも、クセ毛の少女は唇を噛みしめ、


「ニャ~……それでもアタシがニャンコに無視されるなんて、そんなバカなコト……はっ! さてはオマエたち、ニャンコじゃないにゃ!?」


 猫のようにコロコロ表情を変える少女に、『バカはお前だろう』とクラスの多くが冷めた視線を向けるが、


「さすがだね、シャーギ。分かるのかい?」


 冷めた視線が驚きの視線となり煌路に向く。


「この子たちこそは〝水代家七不思議〟の1つにして、我が家の大切な〝守り神〟ならぬ〝守り猫〟なんだよ」

「ニャ~? どこらへんが七不思議なんだにゃ~?」


 首をかしげるシャーギに、煌路は両肩の子猫たちを優しくなでつつ、


「この子たちはね、僕のおばあちゃんが物心ものごころついた時には、もう水代家にいたんだよ。見た目も今と変わらないままでね」

「ニャニャッ!? それってホントにニャンコじゃないにゃ! ……でも、日本にもバケネコとかネコマタって特別なニャンコがいるってゆ~から、もしかすると……」


 未練がましく猫(?)を凝視する少女。


「あはは、シッポは2本に分かれていないけどね。それじゃあ姉さん、六音、ごはんにしようか。あおいもいることだし、久しぶりに学院の食堂で――」

「それだけはやめろ煌路!」

 

 副会長の弾んだ声を、書記の切羽つまった声がさえぎった。


「忘れたのか!? あの〝第一次食チュー毒事件〟を!!」


                    ◆


〝第一次食チュー毒事件〟


 それは万水嶺学院の歴史から抹消された、忌まわしき惨劇である。


 時は煌路や六音が、学院の高等部に入学した翌日の昼休み。

 2人は2年生のウィステリアに連れられ、入学後はじめて高等部の食堂を訪れた。

 初日は午前中の入学式と始業式、そしてクラスメイト全員参加の〝親睦会〟をしたホームルームだけで終わってしまったのだ。

 

 高等部の生徒専用とはいえ、サッカー場ほどもある広い食堂には無数の長テーブルとイスが置かれ、500人を超える生徒が昼食をとっていた。

 3人は1つのテーブルの席につき、弁当を広げ『いただきます』と声を重ねた……直後、ウィステリアの薄桃色の唇が、煌路の唇――の、すぐ横の頬に触れた。


 食堂全体が息をのんだ。


 午前中の選挙で2年連続の生徒会長となったウィステリアは、神がかった美貌と、学院を運営するミズシロ財団の要人という立場から、常に学内で注目されていた。

 そしてミズシロ財団東の本家の次期当主たる煌路も、入学2日目にして姉に劣らぬ注目を集めていた。


 そんな2人が、いきなり唇を重ねた(ように見えた)のである。

  

 とは言え、大半の生徒は何かの見間違いだろうと考え、食事を再開させた。

 学院中が憧れる女子のスキャンダルを、認めたくない心理もあったのだろう。

 だが、注目の渦中の2人(プラス眼鏡女子1人)が食事を終え『ごちそうさま』と発した直後………再びウィステリアの唇が、煌路の唇(のすぐ横の頬)に触れた。

 

 2度目となると周りも現実逃避はできず、食堂は大混乱となった。

 

 この時、呪術研究会が意図的にパニックをあおった上で『サルでもできるカンタン呪いセット(中身は特製わら人形と高級五寸釘)』を売りさばき、予想外の臨時収入を得たとの噂がある。

 

 しかし、この件が〝惨劇〟とまで言われる真の理由は、前日に入学した第一学年Zクラスの生徒のうち、が食堂にいたことで発生した。

 

 1人は、食堂内の煌路の存在に動揺し、自作の栄養ドリンクが入ったびんを床に落として砕け散らせた、のちに化学部に所属するサテンゴールドの髪の少女。

 もう1人は、煌路の存在に動揺しつつも、自分を落ち着かせようと自作のこうき始めた、のちにアロマ同好会に所属する薄紅色うすべにいろの髪の少女。

 

 偶然にも、この2人がすぐ近くの席にいたため、床に飛び散った栄養ドリンクからわき上がった黄色の気体と、焚かれていた香のピンクの煙が接触。

 その結果、謎の化学変化が起こり、極彩色の毒ガスが発生してしまったのである。


 ガスはたちまち食堂内に充満し、そこを〝惨劇〟の舞台へと変貌させた。


 そのガスは致死性ではなかったものの、人が隠していた本心を暴露させる効果と、人間の能力を爆発的に増幅し暴走させる効果を持っていたらしい。

 そのため食堂にいた生徒たちは、秘めていた周囲への不満や密かな恋心などをわめきつつ、増幅された身体能力や特殊能力を暴走させて食堂で暴れ始めた。


 余談だが、混乱のさなか呪術研究会が『サルでもできるカンタン蟲毒こどくセット(中身は特製有田焼の壺と、壺に入れる各種毒虫の詰め合わせ。オマケで使用者が虫に咬まれた時に遺書を書くための便箋びんせんと封筒も)』を売っていたとの目撃証言がある。


 しかし、幸いにも暴れる生徒たちは煌路とウィステリア、それに護衛として煌路のそばにいた火焚凪の3人により、ほどなく全員が取り押さえられた。

 高位のエヴォリューターである3人は高い抗毒性を持っていたため、ガスの影響を受けなかったのだ。


 ちなみに六音は、ガスが発生した瞬間に煌路の手刀を首すじに叩き込まれ、気絶することでガスの被害をまぬがれていた。


 だが事態が沈静化するまでの15分で、食堂はほぼ完全に破壊されてしまった。

 この3人をして15分もの時間を要したことに疑問を抱く者もいるが、数百人もの暴走したエヴォリューターをで無力化するには、相応の手間がかかったのだ。


 とはいえ生徒同士の衝突で、少なからぬ負傷者が出たのも事実である。

 しかし、それらは水代家の治癒能力者により処置がされ、警察への被害届の提出やマスコミによる事件の報道はなかったという。


 ちなみに、このとき食堂には元凶の2人を含む、数名のZクラスの生徒がいた。

 だが、その全員がガスの発生と同時に食堂を脱出していたとのこと。


 これが〝第一次堂で生徒会長がしたらガスが発生した事件〟――略して〝第一次食チュー毒事件〟の全貌である。


 名称に〝第一次〟とあることから〝第二次〟以降の事件もあったと分かるのだが、それはまた別の話である。


 一方で毒ガスを発生させた2人の生徒は、今も変わらず学院に通っている。

 事件後、毒ガスの解析に手を焼いた地球軍が、プロテクスに作業を丸投げ――否、委託いたくしたところ、地球には存在しない元素が検出されてしまったからだ。


 偶然とは言えそんな物を作れる才能なら、放逐ほうちくするより手元で育てるべきと、地球軍や地球統一政府、何よりそれらの背後にいるミズシロ財団が判断したのだろう。

 

 話は変わるが、選挙で決められる万水嶺学院の生徒会役員は生徒会長だけであり、他の役員は会長の指名によって決められる。

 そして〝第一次食チュー毒事件〟の翌日、ウィステリア・H・ミズシロ生徒会長は、水代煌路と御条六音を生徒会の副会長と書記に指名した。


 これは純粋に優秀な人材を選んだこともあるのだが、それ以上に生徒会室で3人だけで昼食をとることで、〝惨劇〟を繰り返さないための判断ではないかとも言われるのだが………


                   ◆


「あ~、うん……そういえば、そんなこともあったね………」


 1年前の出来事を回想し、煌路が遠い目をした。


「そーだぞ。結局あのあと、丸1日食堂が使えなくなってたろ。……ま、あんだけブッ壊れた食堂を、1日で元通りにしたミズシロ財団もすごいんだけどな……」


 六音が感嘆とあきれの混ざった溜め息をつくと、ウィステリアが遠慮がちな声で、


「で…ですから……今は他の人たちにご迷惑をかけないように、生徒会室で毎日お昼をとっているんですよ………」

「あー、そーっすね。現場が密室に移って〝食前食後のチュー〟をやめるどころか、弟に『あ~ん』して食べさせるまで事態が悪化しちゃってますけどね」


 投げやりっぽい六音の声。


「もーアレですよね。もともと重傷だった〝お姉ちゃん性ブラコン症候群〟が、そろそろ集中治療室いきの末期症状に突入しちゃってますよね」

「ブラコンなんて言われるのは、さすがに心外です。あれは姉弟のスキンシップであり、大切な弟の面倒を見るというお姉ちゃんとして当然の務めを果たしているだけなのですから」


 揺るがぬ芯の通った姉の声に、六音は肩を落としつつ、


「……『務め』でも『義務』でもいーですけどね、あくまで〝姉弟〟って言い張るなら、煌路の部屋にあるタンスいっぱいの勝負下着……いや、下着の数々は、いったい誰に見せるための物なんですかねえ?」


 教室内がどよめき、ブレイクがこわばった声で、


「そういえば……東の本家で若奥サマの衣類の整理もやってやがったのですけど……中等部のころには、欲求不満のナースも真っ青な下着でタンスがあふれてやがったのですよ………」


『魅力』について語った時より、はるかに深刻で厳粛な表情。


「色はシックな黒からビビッドな赤まで、百花繚乱……デザインもレースや刺繍ししゅうでやたら色っぽい飾りつけがされてて……布地もスケスケな上に、スゴイのになると布の面積が小さすぎて隠せないっていうか……ただのヒモだろコレなんてヤツも、たくさんありやがったのです………」


 クラスの男子と女子が、それぞれ別の理由で赤面する。


「そう……メイドとして『エロは文化、ドエロはミニスカ、超ドエロは中原の鹿』をモットーにしてるアタシサマでも、こんなの持ってないぞっていう過激なのが山ほどありやがって……」


 家政婦メイドは見たとばかりの鋭い視線で、


「タンスの中が、まさしく〝若奥様〟ってエロワードにピッタリの〝禁断の花園〟と化してやがったのです……!!」

「ご…誤解です! あれらの下着は全て、おばあさまが用意してくださった物なんですよ!!」


 ウィステリアが耳まで真っ赤にしてスカートを押さえる。

 めくれても厚い濃紺のタイツで〝禁断の花〟は秘されるのだが、それを差し引いても美し過ぎる生徒会長へ、六音は冷ややかな目を向け、


「知ってますか? ウィス先輩と一緒に体育の着替えをした女たちが語る、刺激的なウワサの数々を。たとえば――」


 かわいた声で指折り数えつつ、


「『昼は淑女で夜は娼婦な女王様』とか、『ベッドの中のジキルとハイド』とか、『学院の中では邪念を洗浄、スカートの中では常在戦場』とか………」

「そ…そんな噂が流れているんですか!? 体育の授業がある日などは、おとなしいデザインの物を身に付けていたつもりだったんですけど………」


 何気に感覚がマヒしてそうな姉と、何故か不機嫌そうにムッとしている弟に、六音は眉をひそめつつ、


「よーするに……いろいろエロエロな若奥様の、もろもろエロエロな下着の山は、ミズシロ財団最高顧問からの……〝禁断の花園〟のエロエロで、次期当主をメロメロに籠絡してしまえっていう、〝秘密淫行作戦ミッション・インコーシブル〟だったわけですね………」


 いろいろエロエロな姉は、もろもろオロオロして真っ赤になり、


「そ…そんなこと……あ…姉が弟を……ろ…篭絡なんて、するわけないじゃありませんか!」

「そんなこと言ってて、トンビに油揚げ持ってかれても知りませんよ、お姉さま……ま、状況的にはトンビってよりも、ハゲタカの群れに囲まれてるって感じかもしれませんけど」


 ビクッとクラスの女子ハゲタカたちが震える。


「ま、そんなディスリーチャンネルのハゲタカどもは、ほっといて………前から一度、ウィス先輩に聞きたかったんですけどね」


 眼鏡を外したままの六音が真顔になり、


「本当に〝姉弟〟だって言うんなら、いつかは煌路も嫁をもらって〝お姉ちゃん〟のそばから離れて行っちゃうわけですよね」


 まっすぐで透き通った瞳を揺らしつつ、


「そうやって……の人生を、先輩は想像したことあるんですか?」

「もちろん、いつも考えていますよ」

「………へ?」

 

 マヌケづらをさらす六音に、白金色の髪の少女が穏やかな声で、


「昔から『家族は一番近い他人』と言いますからね」


 制服のブレザーの内ポケットから、愛おしそうに〝ある物〟が取り出される。


「コロちゃんも私も、いつかはそれぞれの道に進む時が来るでしょう」


 それは髪と同じ白金色に輝く、藤の花の模様が平彫りされた飾りくし


「だからこそ一緒にいられる〝今〟という時間を、私は大切にしているのですよ」


 櫛を胸にいだきつつ、神がかった美貌が見せるのは常日頃つねひごろのふんわりした笑顔。

 対してZクラスの面々は、全身に水飴みずあめのようなドロドロした空気が絡みつく錯覚にとらわれ、口を結んで固まっていた。


 誰もが、世界トップクラスのエヴォリューターでありながら、

 誰ひとり、煌路の顔を見られぬまま。


 ――その時、


 キーンコーン、カーンコーン………


「……え? あ! 昼休み終わりか!? 昼メシ食ってないぞ!!」

 

 拍子ひょうしはずれの六音の叫びが、息苦しい静寂を打ち破ったのだった………




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