おそらくは、彼の平穏な世界征服

第9話 女忍者は生け捕りが基本です！？

「……異元領域！！」

　赤茶けた空の下で煌路が叫んだ。

　彼とウィステリア、それに彼にしがみつく六音が無辺（むへん）の荒野に立っている。

　地平線まで続く大地はカラカラに乾き細かいヒビに覆われているが、よく見ると魚の骨や干（ひ）からびた海藻がちらほらと目に入り、そこが干上（ひあ）がった海の底だと分かる。

「よーこそ、オレのキリングフィールドへ♪」

　その荒野に、赤茶色の髪で左目を覆い、万水嶺学院の制服を着た少女が降り立った。

「にしても、なんでテメーらにゃオレの〝力〟が効かなかったんだ？　あのヘッポコ風紀とか昨日の三つ目野郎にゃ、キッチリ効いてたっつーのに」

　凡庸（ぼんよう）の衣（ころも）を脱いだ少女が小憎（こにく）らしい笑みを深め、

「ま、そっちの〝同時多発エロリスト〟と〝エベレスト級天然ビッチ〟はオレとタメはるエヴォリューターだっつーから分かんねーでもねーけど……あと１匹の〝男にハメられるーんのホラ吹き〟は、タダのフラッターのハズだよなあ？」

「「「言いがかりだ！」

　　　　　　　です！」

　　　　　　　だよ！」

　３つの声が綺麗に重なった。

「別にホラ吹いてるワケじゃないぞ！　愛人としての来たるべき未来を前倒しで言ってるだけだ！！」

「天然ビ……だなんて、コロちゃんの前ではしたない誹謗（ひぼう）中傷（ちゅうしょう）はやめてもらえませんか？」

「そんな来たるべき未来は無いからね六音！　というか『エロリスト』って呼び方どこまで広まっているんだい！？　他にも『エロピニスト』とか『エロリューター』とか『恥獄（ちごく）の番犬ケルエロス』とか、みんな僕のことをどう思っているんだよ！？」

「どー思ってるもナニも、テメーが自分でブログに書いてんだろーがエロリスト♪」

　赤茶色の髪の少女がいやらしく口の端（は）をつり上げ、

「クラスの女を全員愛人にして、毎晩とっかえひっかえヤりまくってんだろ♪　つーかそこらのエロ小説よりよっぽどハードでヌルヌルでグッチョングッチョンな変態プレイは、エロリストどころか究極のエロス（エロス・オブ・アルティメット）の王……エロティメット・キングだな♪」

「なにそのギロチン級の暴君パートⅡ！？」

　煌路の絶叫。

「そもそも僕はブログなんて書いていないよ！！　さては誰かが僕をおとしいれようと成りすましブログを……って、六音！　どうして顔をそらしているんだい！？　まさか……」

「カ…カン違いすんなよ、あたしはそんなの書いてないからな！！　…………ほんのちょっと、ネタを提供しただけで………」

「共犯確定じゃないか！！　家に帰ったらじっくり話し合おうよ！　道場に正座して３時間くらいね！！」

　六音が青ざめ、

「ざ…ざけんな！　昨夜もやらされたけど、それって立派な拷問だからな！！」

「拷問なんて大げさだね！　お望みとあればカツ丼くらい出してあげるよ！　代金は君の自腹だけどね！！」

「何百年前の取り調べだエゴイストなエロイストめ！！　自白（ゲロ）させようと暴力や寝不足でボロボロのヘロヘロにされて、か弱くていたいけな少女が自ら死を選んだりしたらどーすんだ！？」

「よし、来週の君の誕生日兼クリスマスのプレゼントは辞書に決まりだね！　『か弱い』とか『いたいけ』って言葉の意味をすぐに調べられるように！！」

「死ぬのもプレゼントも選ぶ必要ねーぞ。ここで全員ブッ殺してやんだからなあ♪」

　とっさに煌路が六音を抱えウィステリアと共に大きく飛びのく。と、一瞬前まで彼らがいた位置に槍（やり）の穂先（ほさき）状の手裏剣――クナイが無数に突き刺さる。

「姉さん！」

「はい！」

「ふひゃあああああああっ！？」

　六音を放り投げた煌路が赤茶色の髪の少女へ跳躍、ウィステリアが六音をお姫様だっこで受け止めると同時、右手に出した光剣を少女に振り下ろす。が、斬り裂かれた万水嶺学院の制服だけを残し少女の姿は消えていた――直後、

「！？」

　上から飛来した複数のクナイを光剣で弾（はじ）こうとした煌路が、光剣を通り抜けて襲いくるクナイを身をよじってかわし空を見る。と、赤茶色の空に翼長１５メートルもの黒い鳥が浮いていた……否、

「凧（たこ）……？」

　鳥型のシルエットの巨大な凧が、胴体部に赤茶色の髪の少女を乗せて浮いていた。

　少女がまとうのは前合わせの黒い上衣と黒い袴（はかま）。

　ヒジから手首までを覆う手甲とヒザから足首までを覆う脚絆（きゃはん）も黒いが、手甲には小さな青い金属片が多数、夜空に輝く星々のように貼り付けられている。

「クナイに変わり身、大凧（おおだこ）、それにその黒装束（くろしょうぞく）……忍者か！！」

「『女忍者（クノイチ）』って言えよ♪　太陽系ドミネイド帝国唯一皇子直属クノイチ！　忍足（おしたり）つばめサマだあっ！！」

　煌路が曽祖父（そうそふ）のコレクションで見た要素を思い出しつつ叫ぶと、少女も叫んで左右に手を伸ばし背負った鳥型の凧の翼をなでる。と、黒いクナイが左右の手に４本ずつ、５本の指の間にはさまれて現れた。

「喰らいやがれ地球の王子サマあっ！！」

　つばめが次々と凧からクナイを出しては、超人的な速さで土砂降りの豪雨のごとく大地へ投げる。

「どうだあ！？　テメエ用に用意した特殊（とくしゅ）偏光（へんこう）セラミックのクナイはあ！？」

　だが左右の手で４本ずつ交互に投げられるクナイは、一組が飛来してから次の４本が飛来するまで微かな時差が生まれる。その一瞬にも満たぬ時差の間に煌路は軽やかに舞うように荒野を駆け、刃の豪雨を避けていく。

「地球の王子サマもダンスがお上手ってかあ！？　だったらコイツはどうだあ！？」

　つばめが凶悪に笑み、左右の拳（こぶし）を背後の大凧に叩きつける。と、巨大な鳥型の凧の両翼にびっしりと、大量のクナイが刃先を地上に向けて生え出した。

「みじん切りにしてやるぜ王子サマあっ！！」

　何十万ものクナイが刹那の時差もなく一斉発射。刃の巨大な弾幕は人間をみじん切りどころか髪１本残さず消滅させるだろう……しかし煌路は足下の大地を光剣で斬り取り、直径３０メートルほどの土の円盤を作ると降ってくる刃の弾幕へ蹴り上げた。　

「んだとぉっ！？」

　目を剥（む）くつばめの前で刃の弾幕と土の円盤が衝突し、勢いを失い散らばるクナイと細かな土の破片、そして大量の土煙（つちけむり）が空を覆う。瞬間、土煙を突き破り煌路がつばめに肉薄してきた。土の円盤を蹴ってすぐ、その陰に隠れ跳躍していたのだ。

「王手だよ！！」

　少年の光剣が少女を貫く――寸前、

「甘いぜ王子サマあっ！！」

　凧が上昇し光剣に空（くう）を切らせ、またたく間に空の彼方（かなた）に消える。直後、凧が消えた空の一点から禍々（まがまが）しい漆黒が広がり空を埋め尽くす。膨大（ぼうだい）な数のクナイが空に生え出し、漆黒の刃を大地に向けているのだ。

「喰らいやがれ！　忍足流忍術奥義〝黒嘴天蓋（くろばしてんがい）落とし〟いいいいいいいいいっ！！」

　空を覆う数十億ものクナイが、夜空が丸ごと落ちてくるように降ってくる。煌路は落下中で未だ空にあり、大地を斬り取って盾にすることは出来ない。

「甘いのは君だよ」

　だが煌路は余裕の顔で、降ってくるのと同じクナイを懐（ふところ）から複数とり出した。今までのつばめの攻撃を避けていた際、狙いを外れ荒野に刺さったクナイを走りながら回収していたのだ。

「はっ！」

　煌路が左右の手から交互にクナイを投げ、先発のクナイは夜空のごとき刃の大群にマンホールほどの穴を開け、次発のクナイがその穴を通り抜け――はるか高空にある鳥型の凧の翼を斬り裂いた。

「ざけんな対空ミサイルも届かねえ高さだぞおおおおおおおおおおおお……ん！？」

　凧ごと墜落（ついらく）するつばめが、数十億のクナイが突き刺さり真っ黒になった大地に無傷で着地する煌路を見る。クナイの大群に開けた穴はつばめへの攻撃と共に、自分もそれをくぐって降ってくるクナイを避けるための物だったのだ。

「地球の王子サマもオレをコケにしやがるか！　覚えてやが――うっ！？」

　墜落する凧から離れ飛び去ろうとしたつばめが、光剣で斬りかかってくる煌路を見てクナイを構える。が、光剣は特殊偏光セラミックのクナイを通り抜け――

「ぐはっ！」

　つばめがクナイが覆う大地に背中から落下した。直後、仰向（あおむ）けに倒れる少女をまたいで煌路が仁王立ちし、少女の喉元（のどもと）に光剣の切っ先を突きつけ……

「勝負あったね」

　少年の勝利宣言。直後、勝利を祝福するような柔らかく荘厳（そうごん）な白金色の光が大地を輝かせ、見渡す限りの荒野を覆う数十億ものクナイを光のツブにして全て消し去ってしまう……と、

「お疲れ様でした、コロちゃん♡」

　煌路の後に白金色の髪をなびかせるウィステリアが現れ、クナイが消えたヒビだらけの荒野にお姫様だっこしていた六音を下ろし、

「今日もがんばりましたね。お姉ちゃんからのご褒美です♡」

　弟の左隣に寄り添い、その頬に唇を触れさせる……と、六音のみならず倒れているつばめまでが頬を引きつらせ、

「ったく、人前でチュッチュッ、チュッチュッとコイツら……！」

「チッ、コイツもムカつく歳上にツバつけられてんのかよ……！」

「「！？」」

　互いの鬱々（うつうつ）としたつぶやきに鼓膜（こまく）をなでられた２人が、はっとして視線を交わす。

　なんだろう、似たような気遣（きづか）いと気苦労（きぐろう）をこれまで散々に味わい、これからも散々に味わわされそうな奇妙な連帯感――いや、〝共振感覚〟は……しかし、

「やっぱりコロちゃんは優しいですね♪」

　とっても仲良しの姉弟は、外野など歯牙（しが）にもかけず密着したまま、

「敵であっても女の子は傷つけないなんて。お姉ちゃんは嬉しいです♪」

「うん、もちろん女の子ってこともあるけど……この子、さっき言っていたよね。昨日の三つ目野郎には自分の〝力〟が効いていたって」

　不意に硬くなった煌路の声に、六音とつばめがシンクロしてビクッと震えた。

　おそるおそる少年を見れば、目に映るのは温和な笑顔……なのだが、瞳は威厳に満ちた光を灯（とも）し、つむがれる一言一言（ひとことひとこと）が周囲に重くのしかかる。

「それって、この子は昨日の誘拐事件にも関わっていたってことだよね。だったら、いろいろ話を聞きたいし……太陽系ドミネイドの皇子直属なら、そっちの方の貴重な情報も聞けるだろうからね」

　生来の支配者の声と瞳に、金縛（かなしば）りのように硬直する少女２人……だったが、

「それに、ほら……本物の忍者なんて珍しいからね。連れて帰ったら、日本の時代劇が好きな火焚凪や銀鴒（ぎんれい）が喜んでくれるかなって思ってさ♪」

「「それが本音かっ！？」」

　一転くだけた少年の声に、敵味方を超えツッコミをシンクロさせる少女たち。

「あはは、まあ小粋（こいき）なジョークはともかく……」

「「ホントにジョークかっ！？　ハードでヌルヌルでグッチョングッチョンな拷問やる気じゃないのか！？」」

　敵味方を超えたツッコミ・パートⅡ。

　声がシンクロするたび魂もシンクロするような２人である……が、ほどなく六音が肩の力を抜き、

「……で？　この我が分身……じゃなくて分身の術ぐらいデキそうなクノイチをどーすんだ？　太陽系ドミネイドの皇帝家の関係者なら、コイツも人間に化けたトロニック人じゃないのか？　正体出されたりしたら情報を聞き出すどころじゃなくなるぞ」

「ハッ、もちろん分身の術ぐらいデキっけど、分身ならぬ我が半身……じゃなくて半身浴が好きそうな三つ編みめ、『化けた』とは言ってくれんじゃねーか♪　アイツらって人間に成ってる時は、人間のヤり方でガキ作れちまうぐらい成りきってんだぞ」

　仰向けに倒れるクノイチが喉に刃を突きつけられたまま鼻で笑い、

「ま、オレは帝国がデキた時から皇帝家に仕えてる降順兵の家の、正真正銘、生まれつきの人間だけどな♪」

「確かにね。さっき自分でエヴォリューターって言っていた通り、この子は間違いなく人間だよ。重圧の質がトロニック人とは明らかに違うからね」

　小憎らしいつばめの声に煌路が頷いて応えた。

「へえ、腰抜けの地球軍にも、種族ごとの重圧の違いが分かるヤツがいんのか」

「うん、家庭環境の関係で、小さいころからプロテクスに接する機会が多かったんでね。自然と違いが分かるようになっちゃったよ。それと、僕は地球軍に協力はしているけど軍人じゃないからね」

　自然体ながらも、油断を感じさせぬ煌路の声。

「ともかく、忍足さんだっけ？　まずは、この〝異元領域〟を解除して――え！？」

　急に風景が切り替わり、干からびた大地が灼熱の砂漠になる。と、足元の砂が爆発するように噴き上がって高い壁となり、１人１人を囲んで分断した。

「これは……また別人の〝異元領域〟か！」

　煌路が自分を囲う砂壁を光剣で斬りつける。が、何度斬りつけても斬られた部分はすぐに塞（ふさ）がってしまう。

「ダメか……それにしても、この〝異元領域〟から感じる重圧は……」

　光剣を振るいつつ奥歯を噛みしめ、こみ上がる焦燥（しょうそう）を抑えつつ、

「間違いない、トロニック人のものだ……それも、いま太陽系にいる中でもトップクラスに強力な……！！」

　じりじりと肌を焼くような砂漠にいながら、頬を伝（つた）うのは冷や汗だった。

「壁ができる寸前に見た限り、六音には姉さんが一緒にいてくれたから大丈夫だと思うけど……うっ！？」

　周りの砂壁から太い砂の触手が無数に生え、先端を尖（とが）らせ襲いかかってきた。

「くっ、迷っているヒマはないか！」

　触手を避けた煌路が跳躍、その身を回転させ両手で構えた光剣をドリルのようにして砂壁に穴を穿（うが）っていき……２秒後、砂塵（さじん）をまき散らし砂壁を突破した。

「「え」」

　つばめと間近で真正面から目が合った。煌路の横で砂壁に囚われていた彼女も壁を突破した瞬間だったのだ――刹那、

「「くっ！」」

　それぞれの背後から襲ってきた触手を、煌路は光剣で、つばめは鎖鎌（くさりがま）で振り向きざまに破壊。そのまま２人は次々に襲いくる触手を背中あわせで迎撃していく。

「この攻撃、君を助けに来たドミネイドの仕業（しわざ）じゃないのかい！？」

「ざっけんなオレも襲われてんだろが！　テメーのダチのプロテクスがやってんじゃねーのか！？」

「僕も襲われているんだけど！？」

　２人の周りが砂壁で囲まれ、四方八方からさらに大量の触手が襲ってくる。

「くっ、君の〝異元領域〟を再展開して、この領域に上書きできないのかい！？」

「何度もやろーとしてっけどダメだ！　テメーはどーなんだよ王子サマあ！？」

「右……いや、後に同じくだよ！！」

〝異元領域〟の強さは創作者の強さに比例する。

　人間のエヴォリューターとしては傑出（けっしゅつ）した２人でも、強力なトロニック人の領域を消すには至らなかった。

（まずいな……このぶんだと、六音を守りながら戦っているはずの姉さんは……！）

　血がにじむほど唇を噛み、

（……非常事態だ！　最終テスト前だけど〝あれ〟を使うしかない！！)

　煌路が怒涛（どとう）の重圧を放ち背後のつばめが目をむく――直後、

　にゃお～ん

　ビシィッ

　砂色の空に亀裂が走り、それを中心に風景が切り替わっていく。

「これは……！？」

　まだ何もしていない煌路が目を見開いた。

　その眼前で灼熱の砂漠が真っ黒な峡谷（きょうこく）地帯（ちたい）に切り替わる。

　頭上には墨（すみ）を流したような黒い空が広がり、大地にも同じ色の切り立った岩山が見渡す限り無数にそそり立っていた。

「また……別の〝異元領域〟か……！」

　岩山の１つの頂上にある、テニスコートほどの広さの平地から煌路が周囲を見る。

　その光景は、さながら夜闇（よやみ）の色に染められたグランドキャニオン、あるいは地獄の底にあふれる亡者たちが救いを求めて天に伸ばす腕が岩山となったよう……その時、

「コロちゃん！！」

「煌路！」

「姉さん！！　六音！」

　煌路が自分と同じ平地に立つ姉と居候の無事な姿を視界のすみで確認する。が、それ以上はピクリとも動かない……いや、動けない。

「この重圧は……！」

　トロニック人の重圧は砂漠の〝異元領域〟と共に消えていた。が、新たに峡谷の領域から感じる鋭利な刃のような重圧に、煌路と、さらにウィステリアも全身を緊張で引きしめていた。

「それに、この〝異元領域〟は確か………」

　覚えのある重圧と風景に、煌路は光剣を強く握り重圧の発生源を――空を見る。

「人……？」

　１人の少年が、黒い空に浮かんでいた。

　煌路と同年代の、気品と厳粛（げんしゅく）さを湛（たた）える精悍（せいかん）な美形だ。

　だが切れ長の目に輝く銀色の瞳や、腰まで伸びる黒曜石に似た黒髪を含め、その顔は整い過ぎていて人間味が薄く感じられてしまう。

「〝かの賊〟は逃（のが）したか」

　清新な覇気をまとう身は、黒の襦袢（じゅばん）、袴（はかま）、羽織（はおり）に包まれ、腰の左右には黒塗りの鞘（さや）に収められた日本刀が一振りずつ。

　一見すると無粋（ぶすい）で威圧的な黒ずくめの出で立ちだが、帯や羽織の襟（えり）、刀の鍔（つば）などに瞳と同じ銀色があしらわれ、上品な光沢で威圧的な出で立ちを風情の漂う優雅な装いへと昇華させている。

「次こそは討ち取ってくれよう。だが――」

　加えて全身から迸（ほとばし）る溌溂（はつらつ）とした重圧と気高い若武者のごとく威風堂々とした風格で、少年は黒い亜空間を震撼（しんかん）させていた。

「お前の〝鳥〟たちが騒ぐので様子を見に来たのだが、醜態（しゅうたい）だな、つばめよ」

　黒と銀の少年が、お姫様だっこ（よこだき）する少女へ妹を窘（たしな）める兄のように語り、

「ざ…ざっけんなよクロ！　自分をオトリにして敵をおびき出すコートーセンジュツに決まってんだろ！！」

　クロと銀の少年へ、少女は駄々をこねる妹のように喚（わめ）いた。

「減らず口を。だが、元よりお前の手には余る相手であったようだ。我でさえ独力では、〝かの賊〟の領域への干渉は困難だったのだからな」

「……チッ、やっぱそこのピエロが、ちょっかい出してやがったか」

　目元を歪めるつばめが、自分をお姫様だっこする少年の背後を少年の肩越しに見る。と、１人の道化師（ピエロ）が佇（たたず）むように黒い空に浮かんでいた。

「礼なんざ言わねーからな〝運び屋〟め」

　それは真紅の派手な衣装で全身を包み、笑い仮面で顔を隠す道化師。

　その手の長杖は上部の丸い鏡をきらめかせ、鏡の周りの無数の鈴から、しゃらんと涼やかな音を奏でる。

「うむ。この道化の助勢あってこそ、お前の囚われていた領域に我が領域を差し挟むことが出来たのだ。だが、ことの始めからして〝かの賊〟は、己の領域の座標を知られぬよう巧妙な細工を施していたのだ」

　人間味の薄い顔に一抹（いちまつ）の悔しさが滲（にじ）んだ。

「しかし、不意にかの領域に歪みが生じたのでな。その隙を突く形で、ことを成さしむことが出来たのだ」

「不意に歪みだあ……？」

　眉根を寄せるつばめ。そういえば〝異元領域〟が切り替わる寸前、動物の鳴き声が聞こえたような………

「やっぱり君は、昨夜の黒い戦闘機の……！」

　その時、眼下の岩山から顔を引きしめた煌路の声が聞こえ、

「一応、助けてもらったお礼を言うべきかな？」

「それには及ばぬ。こちらも妹分（いもうとぶん）が世話になったようであるからな」

『誰が妹だ』と騒ぐつばめには取り合わず、空から煌路たちを見下ろす少年が峻厳（しゅんげん）な声で亜空間を震わせる。

「ミズシロ財団東の本家が次期当主、水代煌路だな」

「まあね。そう言う君は、太陽系ドミネイド帝国の王子様ってところかな？」

「如何（いか）にも。太陽系ドミネイド帝国皇帝ヴァルシストームが一子、オブシディアスである」

　名乗り合っただけで両者の凄まじい重圧が峡谷地帯に吹き荒れ、

「六音さん！」

　六音が貧血を起こしたように青ざめてよろめくが、ウィステリアに支えられ何とか持ちこたえる。

「……すいません、ウィス先輩。煌路１人の重圧なら、少しは慣れたんですけど……２人分は、ちょっと………」

「ご謙遜（けんそん）には及びません。これほどの重圧、普通の人なら最善でも失神してしまうでしょうから」

「……『最悪』ならどうなるかは、聞かない方がいいんでしょうね………」

　六音が悟りきった顔で嘆息する。一方、煌路は背後の居候に振り向く余裕もなく、黒い空に浮かぶ少年だけに集中し……

「ひとつ、聞いてもいいかな？　君は人間なのかい？　それともトロニック人なのかい？　君の重圧はどちらのものとも違う……両方が混ざり合ったような、今までに感じたことが無いものなんだけど」

　漲（みなぎ）る緊張の中、臆（おく）すこと無く声をつづり、

「太陽系ドミネイドの皇帝と皇后ってトロニック人なんだよね？　そうなると、実は君は皇帝の養子で……」

　黒い羽織の左胸に刻まれたドミネイドの紋章を一瞥（いちべつ）し、

「〝昇元転生〟って言うんだっけ？　トロニック人じゃない異星人でも、実力を認められればトロニック人に生まれ変われる制度がドミネイドにはあるんだよね？　君もそれを受けたとか？」

　ギィンッ

　降ってきた不可視の斬撃を煌路が光剣で弾いた。狙いをそれた斬撃は、煌路たちが立つ岩山の隣の岩山を真っ二つにする。

「ほう、今の一撃を退（しりぞ）けるか。次期当主の肩書きは虚飾ではないようだな」

「君こそ、まばたきだけで空間を圧縮して真空の刃を打ち出すなんて、なかなか出来ることじゃないよ」

　少年たちのすぐ横で、斬り裂かれた岩山が轟音を上げて崩れていく。

「まあ僕の家にも〝指斬（ゆびきり）〟って名前の、かすかな指の動きだけで斬撃を放つ技があるんだけどね。それと似たようなものかな？」

「我らが師より盗み取った、技とも呼べぬ手慰（てなぐさ）みよ」

　岩山の断末魔が響く中、澄まし顔の２人の間で空気が張り詰めていく。

「ひとつ教えてくれよう。我は紛（まぎ）れもなくトロニック人たる父母より生を受けた、その魂を継ぐ者である。ならば魂と共に受け継ぎし、帝国の至尊たる父母に倣（なら）ったこの身も我が尊厳である」

　鮮烈な誇りに満ちた声と共に、羽織のドミネイドの紋章を縁（ふち）どる黄金色が荘重（そうちょう）な輝きを放った。

　その色こそは彼の曽祖父――全宇宙のドミネイドにおける重鎮（じゅうちん）中の重鎮、全宇宙のドミネイドを統率する最高幹部会の長老格たる人物に由来（ゆらい）する色だった。

「ああ、そっちのパターンか……そういえば、そのクノイチも言っていたね………」

　一方の煌路は、先刻のつばめの言葉を思い出し、

『あいつらって人間になってる時は、人間のヤり方でガキ作れちまうんだぞ』

　引きしめられた顔を、わずかに和らげる……が、

「それじゃあ、次は君が相手ってことかな？」

　顔を引きしめ直し、右手の光剣の切っ先を上空の王子様へ向け、

「万象（ばんしょう）あまねく我が元に」

「見よ必殺の〝煌刃絶壁（こうじんぜっぺき）〟ｂｙブレイク・ザ――」

　未だ青ざめる六音の軽口が途切れた。

　煌路が自分の背後に発生させた膨大（ぼうだい）な数の光剣で巨大な壁を築き、少女たちとの間を遮断したのだ。

　気づけば煌路の背後には、上は空の彼方（かなた）まで、左右は地平線の彼方まで広がる光の〝絶壁〟がそびえ立ち……

「やるのなら、僕も全力でいかせてもらうよ？」

　世界を断絶するように広大な威容から、万物を焼き払うように壮大な輝きを放つ、この世の条理さえ圧倒するように雄大な〝絶壁〟を背に宣言しつつ……

「さあ、ここで決着をつけるかい？」

　背後から烈光を浴びる少年は、黒いシルエットと化す中で瞳を爛々（らんらん）と輝かせる。

　滾（たぎ）る闘志と、壁の後の少女たちを死守する決意を確固（かっこ）とするように……だが、

「いや、雌雄（しゆう）を決するは次に見（まみ）えた時としよう」

　鋼の巨人の国の王子様の、堂々たる撤退宣言。

　その腕にお姫様だっこされる少女は眉をつり上げ、

「待ちやがれクロ！　このまま引き下がるなんて――」

〈俺が課した試練は為（な）し終えたのか？　愛弟子（まなでし）どもよ〉

　突如、強大極まる重圧が黒い亜空間を揺るがした。

「し…ししょお……！？」

　つばめが息をのみ、オブシディアスともども硬直する。同時に岩山の上の煌路も、

「……まさか……この、重圧は……！！」

　重圧に光剣の壁を掻（か）き消され冷たい汗に塗れる――一方、

「六音さんっ！！」

　弟の背後で、姉が居候をシャボン玉のような亜空間で包んだ。

　自分のレベルのエヴォリューターならともかく、フラッターが浴びればショック死確実な重圧から居候を守るために……否、

（気を抜けば……僕たちでも、危ないか……やっぱり、この重圧は……！）

　少年の脳裏に苦い記憶が甦（よみがえ）る。

（４年前の、〝ロンドン撤退戦〟……あの時の、〝黒死の重圧〟だ……！！)

　姿も見せず、重圧だけで自分を含む〝地球三大エヴォリューター〟を撤退させ……４年が過ぎてなお、全身の細胞１つ１つを圧（お）し潰すように地球最強のエヴォリューターを圧迫（あっぱく）してくる、強大極まる重圧を放つトロニック人………

〈間もなく俺は、お前たちの星系に帰還するぞ。試練の期限は俺が帰還するまでと申し渡したこと、忘れたわけではあるまいな〉

　そのトロニック人の重圧が、天啓（てんけい）のごとき声となって亜空間に響き渡る……

「ま…待てや、ししょお……今回の上洛（じょうらく）は、遠征もしてくるから……３ヶ月は、帰ってこないって言ってたろ……まだ、１ヶ月もたってねえぞ………」

　つばめも喉（のど）をカラカラにして、たどたどしく震える声をしぼり出すが……

〈ふっ、最愛の愛弟子と一刻も早く再会せんと、雲霞（うんか）のごとく押し寄せるプロテクスをあらん限りの勇猛を奮（ふる）い斬り捨ててきてやったのだぞ。宇宙の深淵（しんえん）よりも深い師の情愛に、海よりも深く感銘するが良い〉

「ちくしょお……いっつもいっつも、自由すぎんだよ、ワガママししょおめ………」

　つばめが反抗期のようなしかめっツラになり……

「つーか、帰ってくるって……今、どこにいんだよ……？」

〈今は〝大帝都〟だが、俺ならばお前たちの星系まで、さほど時間はかからぬからな。試練を為しておらぬのであれば、急ぐが良いぞ〉

「チッ……オレらの銀河から、遠く、遠く、遠～～～～～～～～～～っく離れた別の銀河にある、宇宙全部のドミネイドの本部じゃねえか……だってのに、こんなメチャクチャな重圧……マジで、反則だろ………」

　畏怖（いふ）と悔しさの混じったつばめの声に、地上の煌路も戦慄（せんりつ）し……

(この重圧……さっきの砂漠の領域の重圧が、お遊びに思えるほどなのに……はるか彼方の別の銀河から、これだけの重圧を地球まで放てるなんて……！)

　かすかに気を抜けばヒザから崩れ落ちそうになる中、歯を食いしばり１本だけ右手に残った光剣を強く握りしめ……

(４年前も思ったけど……今の太陽系にいるトロニック人はおろか、全宇宙のトロニック人の中でも上位に入る元使だ………でも……！！)

　渾身（こんしん）の力を振りしぼり、煌路は背後の少女たちとの間に光剣の壁を再展開する。

　何があろうと彼女たちだけは守るという決意を新たにするように――だが、

〈ならば我が愛弟子どもよ、己が責務に邁進するが良い〉

　ひときわ尊大な声となり、ひときわ亜空間を揺るがせて、強大な重圧が消えた。

　重圧に縛られていた少年少女たちは、思い出したように大きく息を吐き止めていた呼吸を再開する。

「…………………………………………………………」

　しばしの沈黙のあと、黒い空に浮かぶオブシディアスが腕の中の妹分へ、

「お前も理解したであろう。我らが敬愛する師が間もなく帰還される。すなわち、我らに猶予（ゆうよ）は残されていないのだ」

　光剣の壁にも揺るがなかった王子様の強張った声。次いで視線が眼下へ向けられ、

「名残（なご）り惜しいが、さらばだ水代煌路よ。次に見（まみ）えし時は、己の全てを懸（か）けて剣を交（まじ）えようぞ。互いに己の世界の次代を担（にな）う者としてな」

　威厳の戻った声と共に、二振りの刀の銀の鍔（つば）が光剣の光を反射してキラリ。

「そうだね。戦うことなんて、いつでも出来るしね」

　煌路も肩の力を抜き、右手で額の冷や汗をぬぐう。

　その手に先刻まで握られていた光剣は無い。

「それに君たちの師匠とやらは論外（ろんがい）として、さっきの砂漠の〝異元領域〟を作ったトロニック人でさえ、今の僕や君じゃあ手も足も出ないだろうからね。それを思うと虚しくなるっていうか、今は戦うのを控えたくなるよ」

　少年の厭戦（えんせん）気分（きぶん）を表すように、その背後の光剣の壁が上から消え始める。

「ほう、貴様はともかく、我も〝かの賊〟には及ばぬと申すか」

「うん。ここで僕と君が全力で戦っても、相打ちがいいところだろうからね」

　共に皮肉げに笑む少年たち。つかの間、そのまま見つめ合うものの……

「ふははははっ！　どうやら思った以上の〝器〟であるようだな！！」

　空から見下ろしていた王子様が悠然（ゆうぜん）と降下し、次期当主が立つ岩山の上の平地に降り立つ。

「だが、この場で我らが剣を交えたならば、苦杯（くはい）を舐（な）めるのが貴様であるは明白よ。指摘することさえ滑稽（こっけい）ではあるが――」

　オブシディアスの目が、煌路の背後で高さ２メートルを切った光剣の壁を見る。

「いかな防壁があろうと、何かを守りながらの剣が我に届くとは思わぬことだ」

　光剣の壁が消滅し、その後にいたウィステリアと六音が現れた。六音はシャボン玉のような亜空間から解放されている。

「そうかな？　何かを守りながらなのは、君も同じだと思うけど？」

　煌路が見るのは、王子様に掌中（しょうちゅう）の珠（たま）のように横抱きされる少女。

「「………………………………………………」」

　再び見つめ合う２人の少年――刹那、両者から強烈な重圧が湧き上がる。

　昂揚（こうよう）と歓喜に満ちた重圧は再び空気を張り詰めさせ、黒い峡谷地帯に地震と地鳴りを引き起こす。

「ふふふふふ……！」

「ふはははは……！」

　宿命の好敵手を得たように堪（こら）えきれぬ笑いを漏（も）らす２人。

　同時に高まる重圧に再び六音がよろめくが、再びウィステリアのシャボン玉のような亜空間に保護されことなきを得る。

　ビシイィィィィィィッ

　その時、黒い空に一筋（ひとすじ）の亀裂が走り、

「む？　強引な上書きにより不安定となっていた亜空間が、我が師や我らの重圧に耐えきれず崩壊を始めたか」

　淡々とオブシディアスが言うと、２人の少年の重圧が霧散（むさん）する。が、手遅れとばかりに亀裂は〝異元領域〟全体に広がり、黒い空も岩山も千々（ちぢ）に砕け散っていく。

「道化よ！」

　オブシディアスの声に、空に浮かぶ道化師が長杖を回し、その先端の鏡に付いた鈴をしゃらんと鳴らす。と、オブシディアスの背後の空間に直径２メートルほどの真紅の穴が開き、妹分を抱える少年は踵（きびす）を返し悠然と穴に入っていく。

「あれ？　帰っちゃうのかい？」

　その王子様の背に次期当主が声をかけ、

「〝大帝都〟ほど遠くはなくても、火星にある太陽系ドミネイドの〝帝都〟からはるばる来たんだよね？　僕の家に寄って行ってくれれば初物のおいしい桃と、友達が精魂こめて〝仕込み〟をしたお饅頭（まんじゅう）があるから、ご馳走（ちそう）するよ♪」

　煌路のおどけた声に、六音が青ざめた顔から茶化した声で、

「……こういう時こそ、カツ丼だろ♪」

「何百年前の取り調べだ！？」

　即座につばめがツッこみ、２人の少女が会心の笑顔でサムズアップを交わす。

「粗忽者（そこつもの）め……」

　腕の中の妹分の挙措（きょそ）に、王子様が仄（ほの）かに苦笑して小さく嘆息。次いで急速に亜空間が崩れていく中、煌路たちに背を向けたまま顔だけ振り返り、

「さらばだ、水代煌路よ。次に見（まみ）える時を楽しみにしているぞ」

「僕もだよ、オブシディアス。その時は正々堂々と決着をつけようね」

　２人の少年が、爽（さわ）やかな笑みの奥に獰猛（どうもう）な闘争本能を滾（たぎ）らせ、

「「必ず……！！」」

　声を重ねた刹那、亜空間が完全に崩れ去った………