第4話 専属メイドは目立たない!?

「あたしの指示に決まってるだろうっ!!」


 突然ふすまがバァンッと開き、1人のスレンダー美女が部屋の入り口に現れた。

 常闇とこやみのような黒髪をヒザに届くポニーテールにした、20代なかばの女だ。

 妙に老成した雰囲気を漂わせつつイタズラが成功した子供のように笑み、稚拙ちせつ老練ろうれんという相反する要素を兼ね備えた不思議な空気をまとっている。


「リ…リオ、さん……?」


 現れた勝気な美貌の女――『鷹岡たかおかリオ』に煌路が目を向けた。

 それは煌路の祖母と並んで姉弟に武術を教える、水代邸最古の客分たる女傑。

 煌路の曽祖父母が若いころ共に戦場に並び、姿が当時のままと言われる女怪。

 そして〝水代家七不思議〟の1つに並べられる、人呼んで〝水代邸の影の女帝〟。


「この子もブレイクみたいに、あなたがうちで働く斡旋あっせんをしたわけですか、リオさん?」


 煌路が自分たちが座る布団のわきのメイドを見ると、〝女帝〟は意地悪く笑みつつ少年たちのそばに来て、


「そうだぞ♪ 天然ステルス娘の妙技、なかなか面白かったろう。しかも1年ぶりの専属メイドにして甘酸っぱい歳下の美少女となれば、文句はあるまい青少年♪」


 女はメイドの横に立ち、昨夜、地球軍の所属マークを付けた戦闘機から聞こえた声を放つ。


「ま、ちょっとした意趣返しだ。どこぞの不届き者が軍の新兵器のテストをすっぽかして、その後始末を特務部隊の権限でやらされるハメになったからな♪」


 女が笑いながら瞳の温度を下げる。

 その白い軍服は、地球軍の中でも最精鋭とされる〝特務部隊〟のもの。

 煌路は脱力して肩を落とすと、


「テストを中止させたのは反省していますよ………ところで六音、油断したね」

「なに……ぐふぅっ!?」


 六音が布団に倒れこみ、ピクピク痙攣けいれんしながら苦しそうな声で、


「か…からだ、が……しびれ、て……まさ、か………」

「うん、久しぶりの〝抜き打ちテスト〟だね。麻痺まひ系の呪毒みたいだから、パトラが仕込んだものじゃないかな」


 煌路は小さく溜め息すると、視線を最新の居候から最古の居候へ移し、


「これもリオさんの指示ですか?」

「うむ。水代家の中枢の人間に護身用の〝かん〟を鍛えさせるため、不定期に食事に毒を混ぜる〝抜き打ちテスト〟だ♪」


 満面の笑みで胸を張り、


「しばらく間をあけてやってみたが、まあ合格にしてやろう。毒なしの茶は普通に飲んでたが、毒入りの饅頭は見向きもしなかったからな……そこで感電したカエルみたいになってる、ピカピカの居候1年生以外は」

「ふ…ふざけん、なぁ………」


 リオがぞんざいに見おろす先では、感電どころか枝に刺さった早贄はやにえのカエルのような顔色で、六音が息も絶え絶えになっていた。

 煌路は再び溜め息しつつウィステリアに目配せして、


「姉さん」

「はい」


 ウィステリアがうなずくと、その白金色の髪の1本が伸び、わりと末期のチアノーゼっぽい六音の首すじに触れる。――と、


「……復活リターン・オブ・ザ・受胎ジュタイ! 復讐リベンジ・オブ・ザ・絶対ゼッタイ責任とらせてやるから覚悟しとけ!!」


 今の今まで今にも死にそうだった六音が、欲望げんきいっぱいに起き上がった。

 

「復讐も責任も身に覚えがないよ……それより、勘が鈍ったのかな六音。御条画伯と世界を回って鍛えた勘で、前は普通に毒を察知できていたよね」

「……うっさい。誰のせいだと思ってんだ……!」


 首をかしげる煌路をにらむも、頬を染め目をそらしてしまう六音。

 その脳裏に浮かぶのは、自らが演じた先刻の痴態。

 少年に抱きしめられて密着し、全身を狂おしく悩ましい熱にうずかせつつ、少年と唇を重ねる寸前になった甘く鮮烈な記憶………


「あれでパニクってなけりゃ、自分の頭にノロいの呪いをかけた〝おっとりカッター〟の毒なんかに………てか、そこの新人メイド!」


 布団わきのメイドをにらみ、


「初仕事で毒饅頭どくまんじゅう持ってくるたぁイイ度胸だな! 前の専属メイドみたいに手段を選ばず御主人様の寵愛ちょうあいをもぎ取ろうってハラか!?」

「『毒饅頭』の意味が違っているよ、六音。『メイドに手をつけるのは御主人様の義務でやがるのですよ』って、ブレイクがいろいろ手段を選ばなかったのは事実だけどさ………」 


 やつあたりする六音に煌路が嘆息する一方、メイド少女は目に見えて困惑し、


「はうう……す…すみません……お饅頭から、変な感じがするって思ったんですけど……ま…まさか、呪いがかけられてたなんて………」


 震える少女の声に、煌路は『へえ……』と感嘆して、


「上京さんだっけ? 呪術による毒は完全な無味むみ無臭むしゅうな上に、今日の毒を仕込んだ術者はレベルが高いからね。本職の呪術師でもない限りは、卓越した〝勘〟か、卓越したエヴォリューターの感覚がないと、毒を察知できなかったんだよ」


 好奇心を宿す御主人様の瞳に、さらにメイドは縮こまり、


「はうう……か…『上京さん』なんて、もったいないですぅ……『あおい』で大丈夫です、煌路さま………」

「それじゃあ、あおい。呪毒を察知できたことに加えて、その紫色の髪、やっぱり君もエヴォリューターなのかい?」


 エヴォリューター……それは人類の中にまれに誕生する、常識を超える身体能力や知能、さらには超能力じみた異能などを持つ存在である。

 その能力により多方面で活躍する一方、多方面でうとまれる彼らは、異能を持った副作用として髪や瞳が普通と違う色になる例があるのだが……


「はうう……た…確かにわたしは、エヴォリューターですけど……やっぱりこの髪、変ですか……? 変ですよね……ぐす………」 

「心配はいらないよ。なにより涙よりも笑顔の方が、君の綺麗な髪には似合うしね。それに僕の親戚にも、君と同じ色の髪をした子がいるんだよ……ほら、丁度いい」


 涙ぐむ少女を優しい笑顔でなだめつつ、煌路がテレビを指さす。


《――現在、太陽系ドミネイド帝国との戦闘が続いている西カザフスタン州に、地球軍の司令官であるヴァイオレット・ミズシロ・グラン氏が入られました。グラン氏は州都オラルを訪問し、兵士たちを鼓舞すべく演説を――》


 テレビに煌路と同年代の、紫水晶のような髪をヒザまで伸ばす少女が映っていた。

 氷細工を思わせる美貌は、怜悧な目元や一文字に引き結ばれた口元、つり上がった細い眉から冷厳な凛々しさを感じさせる。

 一方で起伏に富む優艶ゆうえんな肢体は、肩章けんしょうや金モールの付いた堅苦しい地球軍の礼服でも抑えきれない、冷涼れいりょうながらも魅惑的な色香をあふれさせていた。


「あの方は……」

「うん、ミズシロ財団で〝経済〟の東の本家と対になる、〝軍事〟の西の本家の次期当主、そして〝紫水晶の女王アメジストクイーン〟の異名を持つ地球三大エヴォリューターの1人、僕の従妹いとこ〝ヴィオ〟ことヴァイオレットだよ♪」


 潤んだ両目をかすかに細めるあおいに、煌路は誇らしげに答えた。

 その右隣では、六音が頭に世界地図を浮かべつつ他人事ひとごとのように、


「あ~、西ヨーロッパをそっくり取られて、前線がカザフスタンまで下がっちゃったか……このあたりが落ちると、次はロシアか中華だよな。そろそろアジアもヤバくなってきたかな。政府も首都をジャカルタに移して、まだ4年なのに」


 煌路の左隣に座るウィステリアも、ふとももに置くこぶしを握りしめ、


「はい……4年前の〝ロンドン撤退戦〟で、アフリカ大陸に続き西ヨーロッパ全域が陥落したことにより、地球の3分の1は太陽系ドミネイド帝国に制圧されてしまったことになります………」

「そっか……ウィス先輩も本来は西の本家の所属ですから、この家に来てなきゃ向こうでドミネイド相手に戦ってたんですよね………」


 神妙な顔の六音……が、急にイタズラっぽく笑み、


「そーいや先輩の『おっぱいオバケ用特注コルセット』も、フランスから逃げてきたデザイナーが作ってるんですよね。先輩に負けない爆乳だけあって、イイ仕事してますよね♪」


 ピシィッ


 部屋の空気が凍りついた気がした。

 静寂の中、リオがウィステリアへに華やかに笑み、


「おやおや、その歳で乳ゆれ防止コルセットだと? うちのバカ娘や亜久亜あくあといい、二十歳はたちにもならないうちに育ちまくりだなぁ♪」

「リ…リオさん……きゃっ!?」


 リオがウィステリアのえり首をつかみ、力づくで布団の上に立ち上がらせた。浴衣のような寝間着の胸元が乱れ、特大の柔肉がこぼれ落ちそうになる。


「そういやミズシロ財団の前身の1つは、世界的な食品会社だったな。だったら、そんな〝特大スイカ〟を栽培できる秘訣ひけつを教えてもらおうかな……?」


〝女帝〟が華やかな笑みからドス黒い気炎を放ち、金髪少女に実る〝の特大スイカ〟を見すえる。その笑みから視線を少し下げれば、スイカどころかプチトマト1つ生えない絶望的な平野……いや、が目に入った。


「ひ…秘訣と、言われましても……一般的には、男性にまれると大きくなると……私も、中等部のころまでは……毎晩お布団の中で、眠っているコロちゃんに揉まれていましたから………」


 ウィステリア以外の女の目が煌路に注がれる。


「え? ええ!? し…知らないよ僕そんなの……!」

「そりゃあ寝てる間にやってたんなら覚えてないだろうよ……な………」


 寝ただけで、実は起きててやってたんじゃないのか………そんな疑念を孕んだ六音の声に、


「そ…そんなわけないじゃないか……って、あおい! どうして自分を抱きしめながら震えているんだい!?」

「はうう……た…鷹岡さんが、『水代の男はみんなケダモノだから、安心して喰われとけ』って……や…やっぱり、煌路さまは……女の人を食べちゃう、食虫植物なんですか……? ぐすぐす………」


 混乱気味の涙声。


「ちっ、使用人や秘書どころか、爆乳ドジっ子デザイナーのエロハプニングにも無反応でやがるから、する前に歳下メイドで発散させてやろうと思ったのに……」


 女帝も混乱して吐き捨てるように、


「結局は、あのエロガキどもの系統か少年め!! 密室に引きこもってイチャコラしまくった挙句あげく、小学校を留年した――」

「スト―――ップ!! 公式伝記でも闇に葬ったひいおじいちゃんたちの秘密の暴露はやめてもらいましょうか! 22世紀の〝ロシア南進〟とならぶ水代家の最高機密ですからね!!」


 混乱は次期当主にも伝染し、


「というか暴発とか発散って何ですか!? それにデザイナーってフランシーヌさんまで巻き込む気ですか!? ダメですよ! あなたや六音と違って居候――いや、客分の中でも繊細な人なんですから!!」

「待ちやがれダンナ様! 繊細ってなんだ!? ウラオモテないのが絶対的な美徳だなんて思うなよ!!」


 混乱の戦場に六音も飛び込むが、


「君には言われたくないよ六音!  それに僕がウラオモテなく言うのは、信頼する友達だけにだからね!!」


 赤面し言葉に詰まる六音。――だったが、


「他には、ライバル企業や財団内の対立派閥の人を挑発する時くらいかな」

「知ってるか!? 度を越えりゃ『純粋』も『悪意』と変わんないんだぞ! 特大スイカだけじゃ飽き足らず、あたしやクラスの女どもまで美味しく育てて収穫する気か園芸師ならぬエロ芸師め!!」


 六音の赤面は怒りによるものになっていた。


「エロ芸師って何!? いくら貧困格差が深刻でも、そんな雇用こよう創出そうしゅつは却下だよ! 君がそんなことばかり言うから、クラスにまで変な誤解が広まっちゃうんだよ!!」

「そ…そうです……誤解なんです……」


 絶壁女に寝間着のえりをつかまれたまま、姉が声をしぼり出す。


「コロちゃんと私は、あくまで姉弟なのですから。それに初等部のころには、揉まれるどころか吸いつかれてしまうことも多々あったのですから……!」


 再び部屋の空気が凍りつく。


「他にも幼稚部のころには、お互いの体をなめ合って遊ぶこともありましたから……コロちゃんと私の体に、お互いの舌が触れていない所なんて無いくらいに……!」


 部屋の空気が氷河期に突入する。……しかし、


「ああ……それは覚えているよ………」


 極寒の視線にさらされる中、煌路は懐かしむように目を細め、


「よくシロとモモが、お互いの体をなめて毛づくろいをしていてさ。それがすごく気持ちよさそうだったから、僕たちも真似をしていたんだよね、お姉ちゃん♪」

「はい……なつかしいですね、コロちゃん……♪」


 肩に乗った子猫たちをなでつつ、煌路は〝お姉ちゃん〟と童心に帰り微笑み合う。直後、リオは突き飛ばすようにウィステリアのえり首から手を離し、


「……ちっ、これだから水代の系統は……所かまわずイチャつきやがって……!」


 限界以上に眉をつり上げつつ、何かを招くように右の人差し指を曲げる。と、壁の本棚から1冊のアルバムが見えない糸に引っぱられるように飛び出した。

 アルバムは少年たちが座る布団の上に落ちると、風に吹かれるようにページがパラパラめくれていき……が出てきたところで止まった。


「驚異の貧困格差ならぬ格差の象徴め……小学生で、この育ちっぷり……これが、神に選ばれた者の姿なのか……!」


 写真の中で微笑むのは、幼い煌路とウィステリア。

 共に初等部の制服を着て、卒業式の看板が立てかけられた校門の前に並んでいる。

 卒業証書の入った筒を持つ姉は、弟ともども顔にあどけなさを残しつつ………制服という禁断の温室の中で、特大の〝メロン〟を2つも栽培していた。


「ったく、温室育ちのくせに、あちこちワガママに育ちやがって……!」


 それは小学生とは思えない、特大の肉の果実だった。

 リオのプチトマト(以下)もあおいのレモンも六音の洋ナシも超える豊満な果実だ。

 甘酸っぱく瑞々しい芳香と同時に、まろやかで蕩けるようなフェロモンをも感じさせる早熟の果実である。


「……こうなったら、特務部隊の権限で2人とも極刑にしてやる……!」

「そ…そんな……今も申し上げた通り、コロちゃんと私はあくまでは姉弟で――」

「うるさい! お前らのひいじいさんとひいばあさんだって自分たちはタダの幼馴染だとか言ってたくせに、16歳の誕生日に結婚式あげた時には子供が………お前らのばあさんが生まれてたんだぞっ!!」


 煌路の曽祖父母、ミズシロ財団の創設者である水代燦みずしろさん水代みずしろ亜久亜あくあ

 その生涯は軍人としての常識はずれな活躍をはじめ、良くも悪くも様々な武勇伝に彩られているのだが――


「……つまり、軍のイベントの編隊へんたい飛行ひこうショーをやってた裏で……軍の異端児イタンジHENTAIへんたい非行ひこう少年少女ショーネンショージョがヤっちゃってたワケですか………」


 六音の引きつった苦笑いの声が、部屋の空気を絶対零度にたたき込む。が、なおも興奮冷めやらぬリオは、居心地の悪そうな姉弟を血走った目でにらみつけ、


「さあ、さっさと来いHENTAI予備軍ども! 銃殺隊がお待ちかねだぞ!!」

「ま…待ってください! 僕たちっていろいろ軍に協力していますけど、あくまで民間人なんですよ!? 軍人として守るべき国民を無実の罪で罰する気ですか!?」


 煌路も布団の上で立ちあがり、姉と並んで抗議するが、


「誰が無実だ、公然猥褻罪こうぜんわいせつざいと淫行罪の常習犯め!! その神をも恐れぬ罪の数々、まさに究極の罪ギルト・オブ・アルティメットを支配する王……〝ギルティメット・キング〟だ!!」

「どんな断頭台ギロチン送りの暴君ですかあああああああああああああああああああっ!!」


 煌路の荒い息づかいを除き、広い和室が気まずい静寂に支配される。――が、不意にふすまが開き、


「いつまで油を売っておるのじゃ、鷹岡」


 典雅でありながら、どこか不安定でいらちを感じさせる声が静寂を破った。

 声の主は、神社の巫女のような白い水干すいかんと赤いはかまをまとい、ヒザまで伸びる黒髪の上に黒い烏帽子えぼしをかぶっている。

 一見すると『白拍子しらびょうし』と呼ばれる平安時代の舞手まいてを思わせる姿だが、最も目立つのは顔を覆う般若のような、しかしツノが1本だけの鬼の仮面だった。


「早々に出立せねば、屯所とんしょへの出仕しゅっしを遅らせることとあいろうぞ。兵をたばねる重責を負う者が、自ら律を乱してなんとするのじゃ。早う支度をせい」

「ハクハトウ……ちっ、仕方ない。今回は見逃してやるぞ、エロガキどもめ。だが、どっちにしろ学校が終わったら、すぐに昨日の基地に来いよ」


 少年少女たちへ不機嫌な声で、


「お前らがすっぽかした〝アレ〟のテストは日を改めるが、デュロータがやる〝充元端子〟のテストに立ち会わせるからな。というか、あたしはこれから行ってその準備だ。ったく、昨日の停電の復旧も完全じゃないってのに……!」


 愚痴ぐちるリオが部屋を出ようとすると、ウィステリアが追いすがるような声で、


「あの……私たちも、来週、学院で行われる卒業式と終業式の準備が……」

「手際だけはいいお前らだ。段取りは終わってて、残ってるのは退屈な練習ぐらいなんだろう。分かったら遅れるんじゃないぞ生徒会長に副会長、ついでに書記!」


 リオはビームのような視線をウィステリア、煌路、六音の順に浴びせると、乱暴にふすまを閉めて白拍子と共に部屋から去って行った。

 しばしの沈黙のあと、生徒会役員の3人は布団に座り込んで嘆息する。


「……まあ地球軍の参謀閣下の要請じゃ、しょうがないか……練習だけなら先生たちに任せて大丈夫だろうから、僕たちは放課後、基地に行こうか………」

「僕って、あたしもか? 軍に協力もしてないマジの民間人だぞ!?」

「また僕たちから離れて、1週間の誘拐記録を更新したいのかな六音?」

「ちっ、お前の近くにいるだけで、こんなに厄介事やっかいごとに巻き込まれるのは計算外だったな……」


 世界に冠たるミズシロ財団の内部情報には、非常に大きな価値が生まれる。

 だが財団の中枢は強力なエヴォリューターで占められており、彼らから情報を奪うのは難しい。

 ならば『東の本家の次期当主』という財団の最重要人物の1人のそばにいながら、非力な存在である六音が狙われるのは当然のことだった。


「……ま、実際は食いもんに毒を入れられたり、殺人ビリヤードで弾丸みたいな玉に襲われたり、超リアルVRゲームでショック死しかけたり………外よりも、この家にいる時の方がヤバイことが多いんだけどな………」


 しょぼくれて深々と息をはく六音。――だったが、


「ま、いざとなったら例え火の中、水の中……い~や、この世の果てまででも助けに来てくれるんだよな♪ で、愛人にして一生養ってくれダンナ様♡」

「なにそのスパイ衛星なみの超々上から目線の理屈!?」

「それがお前の宿命と書いてサダメだっ!!」

「そう言う君は愛人と書いてサー・ダメ人間(英国貴族風)だよねっ!?」

「あらあら、コロちゃん。〝サー〟の称号は、男性だけに与えられるものですよ♡」


 弟たちの微笑ましいやりとりを前に、ウィステリアはニッコリしつつ立ち上がり、


「さて、そろそろ登校の用意をしましょうか。ああ、でも、その前にお風呂に入っておきましょうか。昨夜は忙しくて入れませんでしたし、コロちゃんは目が覚めた時に、六音さんも先ほど随分と汗をかいていましたからね」

「「うぐ……」」


 煌路と六音が、それぞれ気まずい夢と痴態を思い出して赤面する。と、金髪少女は2人に微笑して、着替えを用意しようと壁ぎわのタンスに向かう。


「はうう……そ…そういうことは……わたしがやります、ウィステリアさま………」

「そうですか? それではお願いしますね、あおいさん。ですが、私にまで『さま』を付けることはありませんよ」


 あわてて駆け寄ってきたメイド少女に、奥ゆかしく微笑むウィステリア。


「はうう……で…でも……ウィステリアさまは、煌路さまの奥さまになられる方だと聞きましたし……他の女中の人たちも、『若奥様』とお呼びしてたので……ぶ…無礼なことは、できないですぅぅ………」

「う~ん……そういう噂があることは私も知っていますけど、コロちゃんの婚約者や許婚に決められているわけではありませんからね」


 おどおど恐縮するあおいに、ウィステリアは微笑に苦笑を混ぜつつ、


「何よりコロちゃんと私自身の認識では、私たちはあくまでも『姉弟』なのですよ」

「そうだよ、あおい。僕と姉さんは、小さいころから一緒に育ってきた『姉弟』なんだよ」


 タンスの前で話す少女たちのそばに、優しく微笑む煌路が両肩に子猫を乗せたまま歩み寄ってくる。


「そもそも姉さんが『若奥様』って呼ばれるのは、君の前任者のイタズラの名残りみたいなものだからね。僕や姉さんの〝技〟にも勝手に名前を付けたり、僕の父さんにまで変なアダ名を付けていた子だから、そんな名残りを気にすることはないよ」


 子供をあやすように言いながら、煌路はメイドから着替えを受け取り、


「それじゃあ、行こうか姉さん。昨夜の分までしっかり髪を洗ってあげるよ。太陽みたいに綺麗な姉さんの髪が、少しでも輝きを曇らせているのは許せないからね」

「はうう……髪を、洗うって……い…一緒にお風呂に、入るんですか……?」


 一点の迷いもない少年の笑顔に、メイド少女は目を見張り、


「そ…そういえば……水代家の方たち用のお風呂場も、見せてもらいましたけど……すごく、広かったですけど……お…男湯と、女湯に……分かれたりは、してなかったような……はぅぅ………」 

「あ~、気にすんな、あおい」


 真っ赤になってあたふたするメイドに、六音が冷めた声で、


「ダンナ様と若奥様はあくまで『姉弟』だから、一緒に風呂に入るなんて、ちっとも恥ずかしいコトじゃないんだとさ。なあ? 万水嶺ばんすいれい学院の生徒会長に副会長サマ?」

「うん。それも小さいころから、ずっとしてきたことだからね」

 

 何が変なのかとキョトンとする煌路……だったが、不意にイタズラっぽく笑むと、


「よかったら書記も一緒に入るかい? たまにはお風呂で生徒会の親睦しんぼくを深めるのも、いいことだと思うんだけどな♪」

「なっ……!?」

「あれあれ、どうしたのかな? 君は僕の愛人になるんだよね? だったら一緒にお風呂に入るくらい、何でもないと思うんだけどな♪」


 赤面して絶句する六音に、普段からかわれているお礼とばかりに煌路が意地悪そうに言う。――瞳は黒いままで。


「ふっふっふ。さあ、どうするのかな、おませさん♪ やっぱり16歳で愛人なんて無理だったのかな? ブレイクだったら『お背中を流してやるのですよ』とか言って嬉々として一緒に入ろうとするんだけどね♪」

「む……ぐ……ぐぅぅぅ~~~~~……!」


 声のトーンを上げる煌路と、真っ赤なまま悔しげにうなる六音。


「ふふ、これに懲りたら少しは姉さんを見習って、つつしみを心がけるようにしてよね。それじゃ、行こうよ姉さん」


 唇を噛むだけの六音に表情をやわらげて言うと、煌路は肩に子猫を乗せたまま、ふすまへ足を向ける。


「ふ……ふははははははははははははははははははははははははははははっ!!」


 その時、広い和室に壊れたような哄笑こうしょうが響き、


「上等だ! お望みどーり一緒に入ってやるぞダンナ様!! お…男と風呂に入るぐらいヨユーだヨユー! なんなら背中どころか体のスミズミまで洗って……いいや、なめまくってやろうか〝お姉ちゃん〟みたいになあ!!」

「り…りく、ね……?」


 ブチ切れた少女に少年があとずさる。


「あおい! あたしの着替えも用意しろ! さあ、さっさと行くぞ2人とも!!」


 ふんだくるように着替えを手にした六音が、姉弟の手を引っぱり部屋を出る。

 そして高速道路のように広く長い板張りの廊下を、ズンズンとのし歩いていった。

 茫然とするメイドと、マクラもとに置かれたメガネを置き去りにして………




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