君の絶望は何色か?

篠宮ハルシ

プロローグ

運命は突然に

 人は、絶望する生き物だ。

 どんなに良い事があっても、どんなに悪い事があっても人は必ず絶望する。

 また、絶望したからこそ、それらの何かしらの経験できると言っても過言ではない。


 なんらかの過程により、自ら求めた絶望。

 他社によって一方的に植え付けられた絶望。

 環境的及び精神的に負わなければいけなかった絶望。


 そして、〝無〟と共にやってくる絶望。


 これらのように、絶望には人の数だけ〝色〟がある。


 これから君たちは、いくつかの色鮮やかな絶望を目にするだろう。

 時には嘲笑い、同情し、目を背け、逃げたくもなるだろう。

 だが、これが彼らという名の絶望の色彩なのだ。


 その前に、君たちに予め聞いておくとしよう。

 今から放つ言葉を心の隅にでも置いてこの物語を見届けて欲しい。



 〝君の絶望は何色か?〟



                  〇



「やあ、少年。こんなところでどうしたんだい?」


 一人の女の子が僕の背後に立っていた。

 いや、直接見た訳では無いが、おそらく立っているのだろう。

 確かに、少女の声が俺の後ろから聞こえたのだ。


「なあ、少年。聞こえなかったのかい、ボクの声が」


 ワイヤレスヘッドホンから聞こえるはずのないその声は、俺が聞いていた曲よりも優しく柔らかく耳から入り、水気のない夏の公園の砂場のように乾いた心に溶け込んでいった。


「まあ、少年。返事をしたくないならしなくてもいいんだ。うん、それでいいとも」


 一切返事をせずに聞こえないふりをする俺に語りかけるように話し続ける少女。

 なぜ、諦めない。

 俺の目の前には、夕日で川がブラッドオレンジに染め上げられ、めらめらと燃えながら流れていく。


「でも、少年。君はずっとそのままではいられなくなるよ。いや、いられないんだ。うん、絶対に」


 アンタは俺の何を知っているんだ。それに、なんだ、その自信は。

 後ろから、肌寒い風が北から吹き付けた。気のせいかもしれないが、どこか甘い香りがした。人工物では決して出せない、心を癒すあの甘い香り。


「なら、少年。賭けでもするかい? ボクが負けることは無いけどね。そうだな、ボクのファーストキス、ぐらいはかけてもいいかな」


 返事を聞く前にどんどんと話を進める少女。

 どれだけ自分に自信があるのだろう。

 いや、理由や根拠はともかく、自信しかないのだろう彼女には。俺と違って今までそういう風に生きてきたのだろう。自分が中心で周りを引っ張りまわせるその性格で。


「じゃあ、少年。君はボクに負けたらなんでもするってことで良いね? ボクはファーストキスを賭けたんだし、対等対等。よし、返事をしないってことは契約快諾っことでいいね? うむ、承知した」


 うむ、じゃねぇよ

 どこが対等なのだ。

 『なんでもする』って、負ける側の条件の常套句じゃねぇか。

 でも、こいつが条件を言い出し始めた時点で勝手に始められた賭けは始まっているかもしれない。

 いや、彼女に話しかけられた時点で俺の敗北は確定的なものかもしれない。今、振り返って話しかけた場合、彼女の裁量次第で俺の負けが確定する。

 なら、ここは、徹底的に無視だ。スルーだ。シカトだ。どこ吹く風だ。今の俺は歯牙にも掛けもせず微動だにしない石像だ。お祈りするものは拒まないが、教えを説いたり励ましたりも無いし、追いかけて止めることさえもしない。


 少女の力強く自信に満ちた眩しい声を聞くたびに僕は胸がむかついた。むかついて仕方が無い。フードを深く被り直す。パーカーのポケットの中でスマートフォンをいじり、音楽の音量を上げた。この声を消すために。

 聞こえるはずのない声を。

 聞きたくもない声を。

 どうしても聞こえてしまう彼女の声を。

 そんな俺の気持ちを知らずにアイツは再び話し出す。


「ええ、少年。こんなに可愛い女の子のファーストキスも欲しくないのかい?本当に青春真っ只中、頭も体も心も育ち盛り最盛期の男子高校生かい? もしかして、そういうの興味ないとか? ある意味不健全だな! いや、あっちの方だと健全かな? アッハッハッ!」


 余計なお世話だ。

 別に興味はない訳では無い。勉強も運動も恋愛もできることならしたい。

 ああ、したいさ。

 だが、いきなり声をかけてきた人に『ファーストキスをあげる』なんて言われたら怖いだろ。

 それと、あっちってどっちだ?


「ねぇ、少年。さすがに、無反応だと少し落ち込むんだけど。ボクも一応女の子だし、多少なりの水戸市内イチの美少女としてのプライドはあるのさ。君が少しぐらい驚いたり慌てたり喜んでくれると面白いなあと思ったんだけど。まあ、どうせまた無視されるんだろうと思っていたからね。でもやっぱりノーリアクションは傷つくよ。でも、もういいや」


 水戸市内イチって、おいおい。ド田舎だし、男だろうが女だろうが大したもんいねぇじゃん。たかが知れている。

 あと、もういいのかよ。低いじゃねぇかアンタのプライド。


「はあ、わかったわかった。君はやっぱり手強いね。本当にどうしようもないくらい面倒だ」


 そりゃあ、悪うござんした。

 平日のど真ん中の真昼間まっぴるまに、高校をサボって、田舎の河川敷でポツンと一人で座り込んで川の流れる様を見続ける男の何が面白いのだ。

 ん、今なんて言った? 

 やっぱり? 

 どういう事だ。


「おお、少年。やっとこっちを見てくれたかい。待っていたよ少年。うん、いい感じに心が死んだ顔をしているじゃあないか。フードを被っていて、はっきりとは見えないが、それでもまるで、先が見えないくらい真っ黒な暗闇のようだあ」


 やってしまった。

 あたかも彼女が俺の事を知っているような口振りに思わず身体が動いてしまった。

 その瞬間、僕は動けなくなってしまった。


「むう、少年。何をそんなに驚いているんだ。ボクの顔になにかついているのかい?いや、僕のこの超絶可愛い美少女フェイスに見とれているのかい?」


 違う。そうではない。

 でも、確かに可愛い。

 おそらく、年齢は同じくらいだろう。

 パッチリと大きな目、高過ぎず低過ぎずの鼻、今にも触れたら弾けてしまうくらい瑞々しい桃のようにやわらかそうな唇。

 月の光のように白い肌が顔だけでなく全身を美しく照らしている。

 だが、俺が驚いてしまったのはそこではない。


「ええっ、少年。なんだいなんだいなんだい! そんなにジロジロ見ないでくれるかい? ちょっと、恥ずかしいじゃないかっ!」


 嬉しそうに照れる少女。

 腰元まで伸びる長い髪の先を両手に握り、顔を隠すように体を左右に揺らす。着ているワンピースも、首から下げていたネックレスも、余ったその長い髪もゆらゆらと揺れていた。

 

 ええ、かわいい。

 本当に水戸市民か?

 それ以前に、人間か?

 女神や天使の間違いじゃないだろうか。


「もう、少年! ストップ! やめて! タイム! 禁止! やだ! わけわかんない! もうこれ以上、見つめないで!」


 こっちもワケがわからない。

 今、目の前にいる少女が、わからない。

 何がわからないと言われれば、それもわからない。

 とりあえず、何もわからない。


「アンタは、なんだ。なんなんだ、一体⋯⋯」


 すると、彼女は溜息をつきながら握っていた髪の毛を下ろした。そして、赤くなった顔がまだ元の色に戻りきっていないまま上げた。


「はあ、少年。こんなに可愛い女の子に対してアンタって。あまりよろしくないぞ? 私にはちゃんと〝月極つきぎめ 運命さだめ〟って名前があるんだよ?」


 運命は、腰に両手をあて胸を張りながら名乗り始めた。ワンピースで隠れていた細いボディラインが腰元を掴まれることによって強調された。


「月極……、運命……?」


 もう一度、彼女を見つめる。

 頭から顔、首元を滑りながら胸元に再び登り、両腕を超えたらそのまま足の先までゆっくりと視線を下ろした。今ここから見ることができる範囲の隅々まで、小さな黒子ほくろ一つ何も見逃さないようしっかりと。

 そこまでしてやっと俺は確信した。

 確信に至るまでの心の準備ができたのだ。


 彼女は、白かった。

 月極運命は、白かったのだ。

 肌はもちろん粉雪のように白かった。

 その清流のような流れる髪も。

 人に優しい印象を与える整えられた眉毛も。

 大きな目を守る長いまつ毛も。

 パッチリと大きなその瞳も。

 弾けんばかりのその唇も。

 光の角度や色の濃淡など多少の違いはあれど、真っ白だ。

 彼女の何もかもが全て真っ白であった。


「ま、真っ白だ……。綺麗……」

「う、うむ、少年。そうだろうそうだろう! 運命ちゃんは真っ白で綺麗であろう! ……んんん!? う、うっふん! み、名字は、つぃ、月に極める、名前の方は運命うんめいと書いて、さ、さだめ、だ! ど、どこかロゥマン溢れる名前でゃろう!」


 真っ白な彼女は、再び顔を赤らめながらもそれを隠そうと咳払いをしながら胸を張り直した。が、涙目、鼻の下が伸び、口元が何度も小刻みにパクパクしていた。


「う、うっふん、ふぅー。そうなの、そうなのそうなのそうなの! 私はこの名が大好きなんだ!」


 両手をいっぱいに広げ、嬉しそうに語る運命。

 ロマンと言うよりは、現実的で金と契約の匂いしかしないんだが⋯⋯。

 それに、どこかで見たことも聞いたこともない名だ。

 だけど、どこか安心感のあるのは何故だ⋯⋯。


「でだ、少年。念の為、君の名前を教えて貰えないか?」

かなうです。吉戸よしのへ かなう

「そうか、叶! そうかそうか。叶クンか! うん、良い名だ!」


 初めて、褒めて貰えた。

 この嫌いだった自分の名前を。

 笑い者にすることも無く、真っ直ぐで素直な運命の言葉が俺の心をほどいていく。


「歳はいくつ?」

「十六です。今年の四月に高校生になりました」

「なんと! 同い歳か! これまた運命を感じるなあ」


 彼女と話していると、心にぐるぐる巻かれた負の感情でできた黒い紐を一本、また一本とほどかれた。


「さあ、叶クン。そこから立つんだ」

「もし、ここで俺が嫌だと言ったら?」

「そんなの関係無いさ。君がどう足掻こうが無駄なのさ。なんせ、この運命ちゃん出会ったが最後、これも運命なのさ!」


 ウッシッシと真っ白な歯を見せながら、少々悪者じみた汚い声で笑う彼女の顔は、とにかく眩しかった。

 でも、見続けることの出来る優しい光。

 そう、まるで、これから天高く昇る満月の光。自信に満ち溢れた運命の月光のスポットライトが彼女と俺を出迎えるように照らす。


「せっかくのダブル主人公構成の人生ストーリーだ。君が立ち上がってくれなきゃ、ボクのストーリーさえも始まらないんだ。ボク達二人で作り上げるんだよ」


 彼女は、拳をつくり、天に突き上げたかと思えば、胸元にぐっと引き寄せる。

 表情豊かなのは、顔だけでなく一つ一つのボディーアクションや大袈裟でポエムチックな言動も同様だ。

 多分、これが彼女なのだろう。

 あらゆる要素が彼女そのものなのだ。


『天真爛漫』


 まさに、彼女を表すのにふさわしい言葉だ。

「俺でも、作れるのかな……」

 恐る恐る聞いてみる。

 彼女なら、こんな分かりきった問いかけでも真正面から向き合ってくれる。

 そんな気がした。

「もちろんさ。でも、ひとつ間違っていることがある。それは、」

「それは?」

「君とボクで作るのさ。さっきも言ったけど、これから始まる、いや、既に始まっているストーリーは、叶クンと運命ちゃんのものなのだから!」

「で、でも、なんで俺なんだよ! 俺以外にも頭も顔もスタイルも性格も育ちも良い男や女はいっぱいいるだろう?」

「そんなに君は自分に自信が無いのかい? まあ、今のキミじゃあ無理もないか。でも、そこは問題じゃない。というか、君しかありえない」

「なんでそこまで、言いきれるんだ! 理由はっ!?」

 すると、彼女は再び、上品とは言えない笑い声を上げると、ふうっと一息ついて一言。

「だから、言ったろう? 運命だって。君とボクが出会い、これから起こる出来事を共に乗り越えていくんだ。覚悟しとけ! 退屈と後悔だけはさせないさ。むしろ、いずれは君がボクを引っ張ることになりそうだけどねっ! そんな運命なんだ、君とボクは!」


 ああ、こりゃ、ダメだ。

 もう、彼女には敵わない。

 そこまで言われたら、やるしかないじゃないか。

 俺は、数時間座り、同化しかけていた芝生達とおサラバして立ち上がる。


「そこまで言われちゃあ、仕方ないのかな。それに……ふふっ」


 なぜか、笑ってしまった。

 それと、声にも出てしまった。

 多分、嬉しかったのだろうか。

 可笑しかったのだろうか。

 それとも、怒っていたのか悲しかったのか分からない。

 いずれにせよ、とても愉快なものだったのは間違いない。


「運命、さんだっけ」

「月極さんの運命ちゃんさ!」

「そうか、月極さんがそこまで言うんだ。運命なら仕方ぎゃにゃいな! いでぁッ!」


 俺は、数ヶ月ぶりに大きな声を出した。

 だから、噛んだ。

 言葉も噛んだし、下も思いっきり噛んだ。

 知らない初対面の女の子に心の中で噛みつきもした。

 噛みまくりだろ、俺。

 そんな、噛みに噛みまくった男の格好悪い決めゼリフを気に入ったのか、アッハッハと豪快に笑ったあと、ふふっと優しく微笑んだ、

 これまでの汚い笑いなど、なんだったのかと思わせるくらい自然で透き通るような笑みだった。


「ああ、取り戻すんだ。そして、叶えるんだ。ボクたちの青春を!」


 彼女はそう言った。

 確かにそう言ったのだ。

 俺と彼女の出会いが運命であると。

 そして、二人で叶えるのだと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の絶望は何色か? 篠宮ハルシ @harushinomiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ