第2話

 前額の広い中年男性は大きく穴の開いたショルダーバッグをかけて、慌てた素振りで携帯電話に話している。少ない毛髪を横に流す初老の男は、砲弾に貫かれたようなアタッシュケースを持ち、小型の情報端末に忙しく入力している。背中の曲がった厚ぼったい顔の男は、脂に曇る眼鏡を直し、側面の解れたアタッシュケースを手に垂らして、汚い口内を晒して喚き散らしている。バケツ内は書類と名刺が散乱して、ニコチン臭いスーツと加齢臭が充満していた。


 森を出て踏み慣らされた土の小道を歩く。両脇に生い茂った鮮やかな草木は陽に照らされ、アジャジの顔にてらてら緑を反射させて先へ先へと誘う。三角笠を目深に被り(今日モ洗濯物ハ好ク乾クネ)、直射日光にしかめ面を見せて口を緩めた。蒸れた草の臭いの中にほのかな清涼が香り、切れ長の葉先が柔らかに揺れる。


「アジャジ! バナナ食うか?」畑の遠くで牛を引く男が大きく腕を振り、房のバナナを持ち上げる。


「今朝たくさん食べたじゃない」アジャジは竿を横に振る。


「今日のバナナはおいしいぞ」バナナを高く持ち上げる。


「パパイヤはないの?」アジャジは竿を縦に振る。


 バケツの中の小さいサラリーマン達はそれぞれ胡坐をかき、書類の上で放屁を何度かしつつ、小分けにされたパパイヤを食べている。黄赤の果肉は芳香に漂い、バケツ内の臭いは一層深みを増している。眼鏡の男は手振りを交えて、少ない毛髪の男に話しかけている。


「おいしいパパイヤでしょ?」木彫りのフォークに刺さる三日月のパパイヤを一口かじり、アジャジはバケツ内に向けて話しかける。


「はいまったく、スナックで働き出したばかりの豊満な女の子の味がします。うふふ」眼鏡の男は立ち上がり手を掲げて喜びを表す。


 男の言葉が聞き取れない(マア、ウレシソウ)。情味のこもった朗らかな微笑をアジャジは見せた。


 風は軽やかに一つ回転して頬を触り抜け、古式のバイクは速度を緩めずに砂埃をあげて袖をかすめて過ぎ、鎌首を擡げた中太りの蛇はささっと足元をのたくる。十七弦の異郷の琴がてんでに爪弾きされ、響きは葉末を震わし、俄に物憂さ起こしては、晴天のまにまに揺曳する。粗雑な電気信号に成る着信音がバケツ内から漏れてきた。


「もしもし、おつかれさまです……」口周りにパパイヤの汁をつけたまま、前額の広い男が遠くへ会釈した。


(モウチョット薄イ白粉ニシタホウガヨサソウネ、三日前ハなばたオバチャンニ『あじゃじ、近頃化粧ガ濃イジャナイ、ソンナニシテぱぁぁてぃぃニデモ行クツモリ? コンナ田舎ニ住ンデイテ何ノ意味ガアルノ?』ッテ言ワレルシ、昨日ハぺなんニ『ナンダソリャ、オイあじゃじ、さぁぁかすニ出演スルノカ?』ナンテ言ワレルシナ……)アジャジの腋の下に薄らと汗が滲んでいた。


 村を構築する建造物には無機質な素材はほとんど見られず、どれも植物を使った物ばかりで、辺りの環境を有効に活用している。家屋はどれも東屋らしく壁を持たず、放縦に流れる空気のままにさせて、空間内の物が淀むのを防いでいる。


「アジャジ、今日はお嫁の日かい?」皺だらけの婆が熊手をつかんだ手を上げる。


「今日は来なそうだよ。来週あたりに来るといいね」歩みを止めずに右手の婆に目を向ける。 


「アジャジ、素手でココナッツを潰せるようになったか?」天辺の禿げた後ろ髪の長い男が細目を向ける。


「潰すのは無理だけど、刳り貫けるようになるかもね」左前方の剥げ男に返事して、眼に鋭い含みを表す。


「アジャ姉ちゃん、どうやって鶏を屠るの?」やけに目玉のぎょろついた少年がうれしそうに問いかける。


「ええ? おじいさんに聞きなさいよ。でも、ひと思いにやるんじゃない?」やはり足を止めずに答える。


「アジャジ……」


 思うままに交わされる言葉の中を、一人一人と向き合いながら、アジャジは日頃の通り歩み進んでいく。家畜の鳴き声が低音を漂い、人々の足音が小気味な装飾を加え、木材を叩く音が柔らかくも強さを与える。晴天が全体を包み込む平和な場所だ。

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