飛手

酒井小言

第1話

 はらはら木の葉は舞いおりて、一枚は菜の花色の三角笠にひたと寄り添い、一枚は緩やかに流れる黄土色の川面に浮いた。女のアジャジは地に食い込む長大なガジュマルの気根に座り、逞しく膨らむ樹皮の瘤に柔らかな尻を持たせて、乳白色の絹一枚を間に粗暴と繊細を重ね合わせていた。太い毛筆で引っ掻いた飴色のガジュマルは図太く、無数の気根を随意に放散させて、豊潤な楕円の葉を辺り無数に輝かせている。遠慮のないその体躯は手を広げて太陽に向かい、安らぎの木陰を作り、根と木漏れ陽の雨を地上に注いでいる。


 アジャジは細い竹竿をそろりと上げて(ンン、アタリガナイネェ……)、黄土色の川に垂らしていた疑似餌を持ち上げた。子供の食い入る姿に変形された蛸形の疑似餌には、触手の倍の数の釣り針が仕掛けられており、その一つに縦縞のリクルートスーツを着た小さい青年が掛かり、聞き取れない程度に呻いている。


 竿をより真っ直ぐに上げて、アジャジは目の前に近づく釣り糸を手に持ち、捕えた獲物を見つめる(小物ガ掛カッテル)。心持顔を上げると、被っている三角笠から葉が落ちた。釣り針は黒革のブリーフケースの腹を貫通して、そのまま小さな青年の右肘を外側から貫いている。釣り糸に引っ張られたせいか肘は逆方向に折れ曲がり、血液が袖を伝い、濡れ鼠の体を外れた右肩がもげそうに支えている。


 口辺を一瞬締めるとすぐ、アジャジは小さな青年の胴をむんずとつかみ(コレジャァ、商品価値ガナイネェ)、傍の気根に竿を持たせかけ、もう一方の手で釣り針の根元を押さえて(可哀相ダカラ逃ガシテアゲヨウ)、手早く肘から引き抜こうとした。すると尖った返しがブリーフケースに引っかかり(モウッ、コレ邪魔)、いつもの様な滑らかな調子にはいかない。小さな青年は高い呻き声をさらに漏らし、出血の勢いも同時に増した。羽虫の動く音が微かに聴こえる熱帯の森の中を、葉の擦れる音がさらさら響き渡る。


 ちょっと力任せに釣り針を引き抜くと、肩口から右腕が捥げてしまう(アリャ、捥ギ取レチャッタ)。肉と神経のささくれ立つ間抜けな肩に、先の丸い骨の突起物が現れ、そこから老人男性の小便の勢いで血が曲線を描く。蔓と茎の絡む胡桃色の土に血は垂れて、染み込まず、溜まりとなって膨らんでいく。小さな青年はありきたりの苦悶を顔に浮かべた。


「ごめん」ふわっとスーツの青年を放り投げた。


 ガラス玉ほどの飛沫を一つ起こして川に消えるのを見届けて、アジャジは柔らかい尻を持ち上げてすっくと立ちあがる。肌に張りつく桜色のアオザイは濃調な色彩の森の中に際立ち、長いスリットの入った裾を微笑んで揺らす。竿をしっかりと持ち直し、握りに付いている丸いボタンを押すと、掃除機のコードのごとく釣り糸は引っ込んだ。その勢いに触れた木根は鋭く切れている。腰を屈めて瘤の膨らんだ気根に手をつき、その陰に置かれた向日葵色のバケツを持ち上げて、陽と根の降り注ぐ森を村へと歩きだした

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