夜光怪人、宙を舞う(??)

 三月の卒業式が終わったあかつきに、はさみでセーラー服をめちゃくちゃに切り刻んだ。高三の最期だった。

 切り刻んだセーラー服は、ゴミ袋に押し込んで焼却処分に出した。これでいい。これがわたしの主張だ。わたしはもう自由だ。『セーラー服』という名の呪縛を返り討ちにしたわたしは、無敵だ。何も恐れるものはない。

 思えば、高校生活は苦痛だった。好きな男性アイドルや俳優、ファッションやメイクの話題で盛り上がる毎日。話の流れについていかないと居場所が確保できない。居場所が確保できなければ、高校生活の『死』を意味する。わたしは死にたくなかった。でも、スカートを履くのは嫌だった。本当に。

 高校生を卒業してしまえば、女子の服を着る必要なんてない。さようなら、クラスメイト。さようなら、呪い。窓の外、セーラー服だったものをゴミ収集車に入れていく作業員をじっと見ていた。

 でも、わたしはこれから何になればいいんだろう。

 女子のグループで生きていきたいと思えないけど、だからって他の居場所が存在するんだろうか。……ううん、違う。居場所とか、もう考えたくない。わたしは自由だ。自由イコール孤独、これからは一匹狼として生きていこう。もうつらい思いはしたくない。

 うん、うんと一人で頷いて、結論を出した。ベッドの上、気分転換したい時のいつもの癖で、スマホをなんとなくいじっていると、SNSでこんな投稿がバズっていた。

 『なんか変なやつおるwww』

 おそらくスマホで撮った一つのビデオ。そこには、深夜の公園で馬鹿みたいに大きいクラゲがゆらゆら佇んでいた。

 よく見るとそこは、近所の公園だった。もっとよく見るとそれは、クラゲじゃなくて、一人の男が真っ白いウェディングドレスを着て、ブランコをこいでいた。

 ビデオはその男を映して終わった。男は自分が撮られたことに気がついていないようだった。

 「源ちゃん」

 わたしはその男に見覚えがあった。

 その男は、向かいに住むわたしの幼馴染だった。




 『源ちゃん』、源一郎はわたしの一個下で、家族ぐるみの付き合いがあった。

 源ちゃんは、内気だった。もっと言うと、弱気だった。なんだかもじもじしていたので、男子の集団の中で浮きがちだった。小学生の時、よく同級生にからかわれているのを見るたびに、わたしはその同級生をたしなめたりしていた。そのくらい仲が良かった。

 「朱音ちゃんは強いねえ」

 下校途中で、同級生にからかわれていた源ちゃんからいじめっ子を追っ払った後、彼はしみじみとこう言った。

 「強くないよ。普通だよ」

 わたしは、その時見ていた戦隊ヒーローの主人公と同じセリフを言った。それだけだったのに、源ちゃんはうーん、と感心したように嘆息した。

 「僕も、普通になりたいな」

 それから私たちは小学校を卒業して、源ちゃんとわたしは違う中学校に進んだ。わたしは近くの公立校、源ちゃんは遠くの私立校、進路が違えば自然と会わなくなる。わたしは源ちゃんのことを次第に忘れていった。そして、高校生になったある日、お母さんとの他愛もない会話で彼のことを思い出す。

 「そう言えば、源ちゃんに最近会ってないけど、あっちの高校で元気してるのかな」

 「あんた、知らなかったっけ。向かいの熊井さんの息子のこと」

 「なに?」

 「高校に上がってから、ずっと引きこもってんのよ」

 源ちゃんとの思い出はそこでぷっつり途絶えている。

 あのビデオの投稿時間から推測するに、撮られた時間は午前二時あたりだろう。ちょうど春休みでタイミングが良かった。こっそり夜更かししても学校に遅刻することなんてない。

 午前二時にアラームで起きる。忍び足で家を出る。三月の夜の空気は別世界のように冷え切っていた。自販機であたたかいミルクティーを買って、誰もいない公道を歩く。やがて公園にたどり着くと、白クラゲはそこにいた。

 「源ちゃん」

 わたしの声に、クラゲは振り向いた。源ちゃんの口の形が「あ」の形で硬直する。

 「朱音ちゃん……」

 源ちゃんは嬉しいような悲しいような、複雑な感情を滲ませて顔を歪ませた。

 「あのさ」

 わたしは源ちゃんに近づいた。源ちゃんは逃げたり慌てたりする様子はなく、ただばつが悪そうに立ちすくんでいた。警戒しているみたいだった。

 「ミルクティーを二つ買ってたんだ。寒そうだし飲みなよ。背中のドレスのジッパー、がら開きだし」

 源ちゃんはその言葉を聞くと、ははは……、と苦笑した。少し泣きそうだった。

 「これ、どうしても閉まらないんだ。サイズを確認しないで買ったから。あはは、あははは……」

 源ちゃんは喋り慣れてないロボットのように、「あははは」と笑い続けた。そして、わたしのミルクティーを受けとった。

 わたしたちは、ブランコに座って湯気が立つミルクティーを飲んだ。クラゲと飲むミルクティーは、変な味がした。

 「やっぱり朱音ちゃんは俺のヒーローだよ」

 「そうかな」

 「そういうところがすごいんだって」源ちゃんはかぶりを振った。「俺、今までずっと人間が怖かったんだ。透明な膜をはって、周りを敵だって思い込んでたんだ。でも、朱音ちゃんは俺のバリアを一発でぶち壊した。……ミルクティー、美味しいよ」

 「別に、ふつうのことだよ」

 わたしは照れて言葉を濁した。源ちゃんは「ふつう」という言葉を聞くと、顔を曇らせた。

 「俺は一生ふつうにはなれないよ。朱音ちゃん」

 「どういうこと?」

 「俺はふつうじゃないから」源ちゃんはブランコをきこきこ漕ぎながら遠くを見た。「俺、変だろ。こんな服着てるし。きもいだろ」

「誰が何の服着てもいいじゃん。何になってもいいんだよ」

 わたしが言った言葉に、源ちゃんはまた泣きそうになった。それと同時に、わたしもふと体の力が抜けた。

 そうだ。わたしは自分で証明してた。誰が何になってもいいんだ。同時に、何にならなくてもいんだ。

 ひょっとしたら、『自分』になることが、人生で一番難しいのかもしれない。

 「俺、昔から、自分が男なのか女なのかわかんなくて。……女子の服とか、着て見たくて。でもだめだだめだって思って。男だと、女性の服とか行って買えないし。そしたら気持ちがぐにゃぐにゃ歪んで、派手なドレスとか着てみたいって思って。

 このドレスは海外からネットで取り寄せたんだ。ガタイがいい外人用のドレス。それで、いざ買ってこっそり着てみるだけじゃ、なんかだめだった。

 助けてくださいって、思った。俺はここにいますよって、思った。一人じゃだめなんだ。でも、どうにかする方法が全然わかんなくて、声が出なくて、俺はここで立っていた。一人で」

 二人でゆっくりブランコをこいでいる。冷たい風がひゅう、と通り抜けた。源ちゃんはまた笑った。

 「本当は気がついてた。ネットに俺の映像が流れてたことは。もう、やめる。だから朱音ちゃん。最後に聞いてくれる?」

 「何を?」

 「俺の叫びを」

 そう言うと、源ちゃんはすっくとブランコから立ち上がり、その場で宙を舞い始めた。

 それは、ダンスだった。

 ぴょんぴょんと跳ねたり、くるくる舞ってみたり。肉体を使ったひとつの言葉だった。わたしは何も言えないまま、ただぼんやりと声にならない叫びを見ていた。

 宙を舞う夜光怪人。それは前衛的な、でもいびつに美しい映像だった。

 汗だくになった源ちゃんは息を切らして、踊りをぴたっとやめると、ミルクティーをぐいっと一気飲みした。そして、背を向けた。

 「ねえ、本当にやめるの」

 「やめるよ。下手したら警察呼ばれるだろ」源ちゃんは歩き去りながら背中ごしに声を投げかけた。

 「それでいいの」

 「もちろん」

 「あのさ、」わたしは源ちゃんを呼び止めた。「ドレスじゃなくてもいいじゃん。本当に着たい服、買いに行こうよ。わたしとだったら、源ちゃんが服を買いに行っても浮かないよ」

 源ちゃんはそこで止まった。ゆっくり振り返ると、ははは……、と優しく笑った。

 「やっぱり朱音ちゃんは、すごいよ。なんで俺にそんなに優しいの」

 「ふつうのこ……」

 わたしは言おうとして、口を止めた。『ふつう』じゃなくて、『自分』になりたかった。

 「友達になろうよ。わたしもずっと、孤独だったから……」

 正直な言葉が口からついて出た。源ちゃんは「そっか」とまた笑うと、

 「案外みんな、そんなもんなのかな」

 と、わたしに少しずつ歩み寄った。

 かくして、わたしの『一匹狼』計画は終わった。ねえ、セーラー服。ひょっとしたら、そんなに切り刻まなくても、良かったのかもね。でも、これからは何も、わたしを縛らないで。模索させて。何が『自分』なのかを、探させて欲しかった。願わくば、彼と二人で。

 「源ちゃんは何の服着たい?」

 「フリフリの、かわいいやつ」

 「だったら3Lくらいかな。取り寄せてもらおうよ」

 「サイズ、それで足りるかな……」

 帰る道。普通とはズレてる会話でも、それが楽しかった。これからわたしは何にでもなれる。でも、何にもならなくてもいい。案外人生は何をしてもいいのかもしれない。そう思うと少し、遠くを見れるような気がした。

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