君が家出した日の晩ごはん(男女)
「ユエ。お前にはもう付き合ってられないわ。最悪」
そう言って、笹尾は玄関から外へ出ていった。リビングに、一人分の沈黙がこだましていった。
何回かボタンの掛け違いを繰り返し、気がつけば服すらも満足に着れない。そういうほころびの仕方だった。ボタンを掛け違えたのは、私なのか笹尾なのかわからない。
疲れてしまった。これはもう終わらせる頃合いなのかもしれない。なにもかも面倒だ。
お腹が空いたけど、何かを食べる気力がない。笹尾は今頃、外でご飯を食べているだろうか。いつの日か行った牛丼屋で、笹尾が卵を乗せた牛丼をわしわしと食べていたことを思い出した。
よろよろと冷蔵庫へ行くと、しなしなになった白菜の4分の1カットが野菜室に埋まっていた。白菜と自分の奇妙なシンパシーによって、わたしは白菜をソテーにして食べることにした。後はなにも食べない。胃に入りそうにない。
ぼーっと、白菜をフライパンで焼く。笹尾がTwitterで知ったその料理は、オリーブオイルと塩だけで美味しくなる、そんな料理だった。
簡単な料理が好きだ。放置しても、自然と出来上がるなら楽だ。気を使わないまま、そのままを愛してくれる人が好きだ。
けれどそれは、自分のために存在するロボットを愛したいだけなのかもしれない。
二人分の机の上に、一人分の白菜のグリルが置かれる。空腹を満たすだけの食事。それを切り分けようとすると、玄関のドアが開く音がした。
「……ただいま」
笹尾が帰ってきた。笹尾は少し困った表情で、頬をぽりぽりかいた。
わたしは『早かったね』という言葉を飲み込んだ。その代わり、
「一緒に白菜のグリル、食べない?」
と声をかけると、「……ああ」と気まずく返事をするのだった。
笹尾とわたし、二人で座って白菜のグリルを切り分ける。こういう料理にはワインが合うけれど、今回はとても開ける気にはなれない。お互いの間に少し不器用な沈黙が漂った。
「あのさ、白菜を食べる前に一つだけ話したことがあって」
笹尾は話し始めた。
「俺、もともとたまにユエがロボットみたいに感じることがあって。わかんねえなあって。そのわかんなさにイライラしてて、もやもやして、気がついたら家を飛び出してた。なんか自分でもおかしいよな。普通、感情的になって家を飛び出すのって、女性の方が多いし。
まあそれはさておき、いらいらしたまま夜風に吹かれて歩いてた時に、俺はふと気がついたんだ」
「何に?」
「鎖に」
「鎖……」
「そう、鎖。俺は自分自身を鎖で縛りつけていたんだと思う。ユエがこうなって欲しい、こう言って欲しい、そういう希望がいつの間にか鎖になって、ユエと俺自身を縛りつけてたんだと思う」
笹尾は静かに喋り続ける。
「そう気がつくと、ふと気が楽になったんだ。鎖を自分で解いて、ふと気がつくと、まっさらになったユエの姿が見えてきて。笑顔が見たいって思って。
ユエが大切に思えるのは、『大切な存在であって欲しい』って押しつけたわけじゃない。鎖を解いた時、君はおのずと輝きだした」
笹尾は唇で柔らかく笑みをうかべた。
「俺たち、分かり合えないよな。それでいいって思うんだ。わからなくても、それが楽しいって思えれば、俺たちはきっとそれで十分なんだよ。……いきなりこんなこと話し始めて、びっくりした?」
「うん。びっくりした」
「そうだよな」笹尾はくくく、と笑った。「じゃあ、食べようか。白菜のソテー。でもそれだけじゃ足りないから、パスタを茹でて粉チーズをかけるよ。ユエも食べる?」
「うん。じゃあ、私はスープを作ろうかな」
そうして、私たちはキッチンで共同作業をした。
きっと、私たちはまた喧嘩をするだろう。でも、お互いに歩み寄る努力は出来るのかもしれない。例え最後まで分かり合えなくても。
それが甘い幻想だったとしても、今日だけはそれを信じてみたくなった。笹尾の誠実な言葉とともに。
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