夢から醒めても会いたいよ(BL)
もし、夢が叶うとしたら何を願う?
悪魔にそう聞かれて、僕ははっきりとこう答えた。
「好きな人と普通に喋れるようになりたい」
悪魔は笑った。その夢を叶えてあげよう。ただし、代償は、自分の――――
「由貴(ゆき)は何がいい?」
ぼうっとしていたところにふいに名前を呼ばれて、僕は言葉を探した。
「あ、僕は」
答えようとした時にはもう遅くて、会話は次の話題に移ってしまっていた。よくあることだった。
僕は喋るのが苦手だ。
咄嗟に言葉が出てこない。何を話していいのかもわからない。出てくる言葉も滑らかに出てこなくて、話しているうちに自信がなくなっていく。話題で盛り上がっている集団を遠巻きに見ていた。
さっきまでぼんやりしていたのは、見た夢の内容を思い出していたからだった。確か、悪魔が出てきて、夢を叶えてやるとか言っていたような気がする。変な夢だ。
集団が移動しようとするので、僕も無言で着いていった。自分の存在感ってなんだろう。僕、ここになんのためにいるんだっけ。
そのグループの中心には、錦(にしき)が笑いながら喋っていた。錦は僕と違って喋りが上手いし、キラキラ輝いているように見えて憧れていた。僕にも平等に優しくして接してくれるので、正直に言うと、好きになってしまったのだ。
僕も歩こうとすると、地面につまずいてしまって少しよろけた。足を打ってしまってじくじく傷んだ。おそらく出血してる痛みだった。うぐ、と少し声を出すと、錦は振り向いた。
「由貴、なんか痛そうだけど、大丈夫?」
錦は僕に軽く声をかけた。
「あ、うん、大丈、夫」
すこしつっかえながらも話した。「そう?」やや心配そうに錦は尋ねたけど、それ以上深堀りはしなかった。
僕はモブだ。モブでしかない。グループの最後尾に、何も言えないまま黙って着いていった。
家に帰った後、ベッドに寝ころんだ。打った足を見てみると、予想通り出血していたので絆創膏を貼った。……これくらいなんてことない。強くならないと。
今日も疲れた。そろそろ寝よう。そう言えば、今日の夢で悪魔に『好きな人と普通に喋りたい』と言ったのは覚えてる。悪魔は確か代償を要求した気がする。
代償、思い出した、それは、
「血液……」
それから僕は夢を見た。
どこかも知らない世界で、錦と二人きりだった。僕は滑らかに、すらすらと喋っていて、錦も僕の話を聞いて笑っていた。とても楽しい夢だった。とても、とても。
目が覚めた時、話した内容は忘れてしまったけど、僕は充実感でいっぱいだった。夢だけど、夢じゃなかった。悪魔は僕の夢を叶えてくれたんだ……!
その時、ズキリと痛みがはしった。体を見ると足に傷が増えていた。そうか、悪魔は血液を要求した。すなわち、夢が叶うごとに傷も増えていくのか。
絆創膏を貼りながら思う。それでいい。構わない。たとえ夢の中だけだとしても、血液なんてくれてやる。むしろ、このまま永遠に幸せな日々が続けばいいのに。
僕は幸せだった。
僕は毎晩夢を見た。それは同じ夢で、幸福に満ちた夢だった。そして、起きた後は必ず体に傷が一つ増えていた。増えていく傷跡と絆創膏。だんだん貼るのも面倒になってきた。
全身が痛い。でも、この痛みに負けたくない。
なんたって、大好きな錦と話せるんだ。この痛みさえ耐えれば、僕は間違いなく幸福になる。これは必要な痛みだ。僕は間違いなく幸福だ。痛くない、痛くない。もっと傷だらけになってもいい。
痛みに耐えながら、ふらふら歩いていた。錦、会いたいよ。大丈夫、この痛みに耐えさえすればまた会える。そんなことを考えていたら、何の因果かたまたま錦とばったり出くわした。錦は僕を見るなりぎょっとした。
「……大丈夫? 貧血?」
「僕の、こと?」
「そうだよ。あまりにもふらふらしてるからさ、どうしたのかって思って……、あ」
錦は僕の指を見た。面倒で絆創膏を貼らなかった傷跡がぱっくり割れていて、血が流れていた。
「待って」錦は少し慌ててカバンを探ると、財布から絆創膏を取り出した。「指、見せて」錦は言うが早いか僕の指の傷にやさしく絆創膏を貼った。
「俺、けっこうマメなところあるでしょ。それにしても由貴、今まで痛くなかったの……?」
錦は少しびっくりしたように僕に話す。
「……痛く、ないよ。こんなの」
「なんで?」
「これは、必要な、痛みだから」
「必要な痛みなんてないよ」
錦はきっぱりと言った。
「由貴、俺は思うんだけど……、痛いことに『痛い』って感じられなくなることが、一番怖いことなんじゃない。『痛さ』を感じなくなったら、たとえ血が流れても気づかないままでどんどん自分を傷つけてしまうから……。必要な痛みはないけど、痛いことを痛いって感じるのは必要なことだよ」
「………………」
そっか、僕、今まで痛かったんだ。
体が「痛い」「これ以上傷つけないで欲しい」と訴えていたのに、ずっと無視して耐えていたんだ。痛みから。悲しみから。自分の気持ちから。
そう思うと、堰を切ったように自分の感情が流れ出して、ほろりと一筋の涙が零れていた。錦は少しおろおろした。
「由貴、本当に大丈夫……?」
「あの、錦、」
僕はふっと軽くなった心で口走った。
「絆創膏、ありが、とう」
そう言ってどきどきしながら錦を見ると、錦はふっと笑った。
「なんだかわかんないけど、なんか良かった」
やさしく笑う錦を見て、僕はほっと胸を撫でおろした。奇跡みたいだった。
(ちゃんと言えた)
(ちゃんと言えて、うれしい……)
そして、錦のそういう優しいところが好きなんだ、とまた思った。
それからあの夢は見ていない。少し寂しいけど、それでよかったんだと思う。
相変わらず現実では、僕はあまり喋れなかった。でも、少し弱い自分を許せるようになった。ほんの少しだけ。
グループでにぎやかに喋る錦が今日もキラキラしていた。ちょっと歩幅を合わせてみる。
たとえモブの人生だとしても、少しずつ君に近づけたなら。
そう決心してふさがった傷跡をぎゅっと握りしめた。もう一歩でも、少しずつ、前に、君のように。
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