ベントラベントラスペースピープル(BL)
まるで世界の端っこに取り残されたように、沼津は湖のほとりにいた。学生服の上から分厚いダウンジャケットを着こんだ分厚い眼鏡の少年は、手には双眼鏡を持って、空をしかめっ面で覗き込んでいる。
「コーヒー買ってきたよ」
俺が後ろから声をかけると、沼津は双眼鏡を覗いたままこっちに振り向いた。レンズ越しに合う焦点。こちらからには沼津の目は見えないけど。
「助かる」
沼津はやっと双眼鏡を外し、俺からコーヒーを受けとった。白い息を吐きながらコーヒーに口をつける。
「うまいね」
「ありがとうは?」
「ありがとう」
沼津は淡々と感謝の言葉を述べた。俺もコーヒーを飲んだ。寒空の下で二人でコーヒーを黙って飲み合う。
「ねえ、沼津」
俺は声をかけた。
「いつまで続けるつもりなの。UFO探し」
「決まってるだろ」
沼津は機械的な返答をする。
「見つかるまでだよ」
教室の隣の席になった沼津は、一言で言うと「電波」だった。
「沼津聖(ひじり)。自分は宇宙人の子供です。訳あって地球で育ちました。早く宇宙に帰るためにUFOの情報を探してます。何かあったら何でも教えてください。よろしくお願いします」
自己紹介でそんなことを真顔で述べたので、クラスメイトはみんな沼津を避けるようになった。当たり前だ。
俺も最初は遠巻きに見ていたが、沼津をとなりで観察しているとひとつだけわかったことがあった。
沼津はUFOや宇宙人を妄信している以外は、ごく普通の男子学生だった。常識もあるし、真面目に授業も受けている。成績も悪くない。むしろ進学校のこの高校で比較的上位だった。
じゃあ、なんで宇宙人なんて信じてるんだろう。
放課後、それぞれ課外活動にいそしむクラスメイトを後目に、沼津は一目散に帰宅していた。その速さといったら、帰宅することに命をかけているみたいだった。そんなに急いでどこへ行くんだろう。俺は興味本位で、沼津の後ろをつけてみた。
この田舎で、休日に行くところといえば広いショッピングモールだけ。沼津はいったいどこへ行こうとしてるんだ……? 町の広い湖に着いた時、沼津は立ち止まって振り返った。
「後、つけてたでしょ」
ぎくり。俺は大人しく前へ進み出た。
「ごめん。でもなんでわかったの?」
俺がそう言うと、沼津はピースしてこう言った。
「宇宙人パワー」
「……ははっ、なんだよそれ」
俺は吹き出した。沼津もおどけたように真顔で舌を出した。なんだ、いい奴じゃん沼津。
「ここで毎日UFOを探してる。俺の邪魔しなければなんでもいいよ。羽鳥(はとり)もいっしょにUFO探す?」
「あ、俺の名前覚えててくれたんだ。UFO探してんの?」
「うん。ここは昔、UFOの目撃情報が多かった場所なんだ」
「そうなの?」
「ほら、俺らが小さい頃にあったでしょ。UFOブーム」
「あんまり覚えてないや……」
雑談が一段落したあたりで、沼津は俺から視線を逸らしてじっと空を見つめていた。
「いつもそうやって探してるんだ」
「うん」
沼津の目は真剣そのものだった。
「あのさ」
「なに?」
「俺もここにいていい?」
俺がそう言うと、さすがの沼津もびっくりしたように振り向いた。
「なんで……?」
「お前といると、自分の今まで信じてた常識がどうにかなっちゃうところ、嫌いじゃないよ。ここは時間がゆっくり流れてるし、なんだか落ち着くよ。学校、なんだか疲れるし」
「そう……?」
沼津はいまいち納得しきらないまま、ぱちくりした目で俺を見ていた。
「ね、いいっしょ。放課後宇宙同好会発足ね。二人だけの」
俺は笑った。本当は俺は自覚していた。沼津に対する恋心を。
だってずるいじゃん。あんな電波なことを言っておいて、根は真面目とか。いい奴とか。ギャップ萌えじゃん。
気のせいか空を見上げる横顔さえ、精悍な顔立ちをしているように思える。その実UFOを探しているだけなのに……。
ここの雰囲気が好きなのも本当だった。常識とか普通とかから外れて、好きな人とぼんやりといるのが落ち着いた。学校はにぎやかすぎる。少し、疲れる。
放課後は湖のほとりに二人で集まった。自動販売機で買ってきた飲みものを飲みながら、沼津が持ってきてくれたブルーシートに座って空を見上げる。後は暗くなる前に解散。そんな日々を繰り返していくうちに、俺は気づいたことがあった。
俺は、「UFO」に嫉妬しつつある。
俺が沼津のことをどんなに好きでも、沼津はUFOしか見ていない。俺の気持ちなんてまったく気づいていない。
「…………」
相変わらず空を見続ける沼津を見る。沼津は、俺の恋心に気づいたりしないだろうか。
もし、俺が沼津に「好きだ」と言って、仮にそれを受け入れてくれたとしても、果たして沼津はUFOより俺のことを見てくれるだろうか?
多分、そんなことはありえない。
沼津。UFOなんていないんだよ。そう言ってやりたかった。UFOなんかより、俺を見て。そうも言いたかった。両方とも言えなかった。
報われない恋心。もうここに来るのはやめた方がいいのかもしれない。
「俺、もう帰るわ」
今日、そう言って背を向けた。「うん」沼津は俺を見ずに返事をした。もう多分ここには来ない気がした。さらば、儚い俺の恋心。俺はUFOに勝てなかった。しょぼくれて帰ろうとすると、ふいに怒号が響いた。
「おい、聖っ」
四十代くらいの男性が沼津に向かって駆け寄った。そのまま、
「勉強もせずどこへほっつき歩いてると思ったらっ」
と叫んで、沼津を勢いよく殴り飛ばして、沼津は地面に転がった。俺は唖然とした。倒れた沼津は「父さん」とだけ弱々しく呟いた。
「お前! 俺が! どんな思いをして! 東京の大学へ連れて行こうとしてると思ってるんだ! 勉強しろっ」
沼津の『父さん』は怒鳴って、沼津をずるずる引っぱって車に連れて行こうとした。
俺は……。
瞬間、父親に腕を引かれた沼津と目が合った。沼津はこっちを死人ような目で見たあと、ぼそっと呟いた。
「俺のことはもう忘れて」
はっきりそう言った。そうして、沼津は大人しく父親に連れ去られた。俺は何もせず、呆然と立ち尽くしたままだった。
どのくらいしばらくそうしていただろうか。
は、と気がついた時は、もうすっかり日も落ちていた。……帰ろう。俺は一緒に飲むはずだった缶コーヒーに口をつけた。コーヒーはすっかり冷めきっていて、まるで氷のように冷ややかだった。
その時、俺は沼津のカバンがつけていた、UFOのチャームが落ちているのを発見する。拾うと、それは真っ二つに割れていた。俺は躊躇なくそれを拾って、学生服のポケットに入れた。
この田舎で、堅実な仕事に就く数少ない手段が『上京』だった。沼津の父親は、ある意味では模範的だと言えるかもしれない。
沼津と初めて出会った時、彼は「自分は宇宙人の子供だ」と言った。彼の家庭環境を考えると、その言葉は別の意味を帯びて聞こえた。あの親から生まれたことを否定したい、と言っているようにも感じた。今は。
俺たちは選ぶことが出来ない。生まれる家庭を。育つ環境を。何を好きになるかを。
放課後、俺はあの湖には行かなかった。予感がして地域のゴミ捨て場に向かうと、沼津は大量のゴミ袋に向き合うようにしゃがんでいた。俺に気がつくと、はっと顔を上げた。
「羽鳥、なんで」
「沼津。もしかして、そのゴミ袋の中身って宇宙人関係?」
沼津はばつが悪いように顔を背けた。「そうだけど」と、こぼした。
「……疲れた。宇宙人とかUFOとか、そんなのは俺の現実逃避にすぎないんだ。この世界には夢も希望もUFOもない。俺は宇宙人じゃない。俺のことはもう忘れて」
俺はよっこらしょ、と地面に座って、沼津に視線を合わせた。沼津の便底のような眼鏡の奥の視線を、少しとらえてみたくなる。
「ねえ、沼津。二人で宇宙に行かねえ?」
「え……?」
俺はそう話すと、沼津はきょとんとした。
「宇宙に行ってさ、宇宙人がいるか本当に確かめに行くんだよ。もしかしたらいるかもしれないじゃん。宇宙人」
「ど、どうやって宇宙に行くの」沼津は半信半疑だ。
「そりゃ、今からすぐっていうわけじゃない。でもさ、この前ニュースでやってたじゃん。大富豪が宇宙飛行に行ったって。俺らが大人になる頃には、もっと身近になってるかもしれないじゃん! だからさ、来たるべき未来のために、今からめっちゃ勉強して、東京行って、めっちゃいい会社入って、じゃんじゃん稼ごうよ。二人で宇宙に行こう、沼津」
「宇宙……」
沼津はぽかん、とした後、やがて困ったようにクスクス笑った。沼津の笑い顔は初めて見たけど、少し笑顔に慣れていない不器用なものだった。
「ね!? 悪い話じゃないっしょ。お互い頑張ろうぜ。一緒に東京へ行こう。そうすれば多少マシになるかもしれないじゃん」
「……うん。そうかも」
沼津は穏やかに顔を緩めた。
そして、ゴミ袋を自分の方に引っ張った。
「これ捨てるのやめた。持ってく」
「俺も手伝うよ」
「……うん。ありがと。ところで、なんでこの場所がわかったの」
沼津が不思議そうに訊いたので、俺は即答した。
「宇宙人パワーだよ」
真っ二つになったUFOのチャームを沼津に渡すと、「約束のしるしね」と沼津は片方だけ俺にくれた。
UFOのかけらを太陽にかざすと、金属が光を乱反射した。これがあれば、俺たちはきっと繋がれる。どこにいても。
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