セブンスターを吸う猫背宇宙人の話(BL)

「服から煙草の臭いがする。誰?」

 ベッドの上で俺に抱き着く彼女は、眉間にしわを寄せていた。俺は少しだけ間を空けたあと「前にいっしょにいた、元カノの煙草の臭いが染みついただけだよ」と言った。彼女はまだ少し不安そうだったが、俺の言葉に嘘がないと思ったのか、その会話は引きずらなかった。

 女性というのは勘が鋭い。前だったら面倒だ、とすら思ったかもしれない。今はそう思わない。俺は彼女の気持ちが少し、わかる。

 さっきの言葉は嘘だった。正確に言うと、半分くらいが嘘。

 その煙草の臭いは、俺の元彼の臭いだった。




 かつて俺はバンドマンだった。ポジションはボーカル。元彼はギタリスト。二人ともなんかいい雰囲気になって、そのまま俺たちは付き合った。恋愛漫画の導入みたいな軽さで。

 ところで、恋愛というものは最初が一番楽しい。だんだん付き合っていると、お互いの悪さが必ず見えてくる。必ず。

 元彼は、一言で言うと「宇宙人」だった。何を考えているかさっぱりわからないから、宇宙人。猫背の彼はいつも無表情で仏頂面で、困ったことがあるとすぐ煙草を吸った。その煙草はセブンスターだったから、キスの味はいつもセブンスターの味がした。そんな元彼を「宇宙人」と呼ぶたびに、元彼は「宇宙人じゃねーようるせーな」と言い返した。

 セブンスターを吸う猫背宇宙人は、俺に対して感情というものを見せなかった。一方で俺は対照的に、そんな彼に感情的になっていった。愛情がネグレクト気味の彼に対して、俺のことを本当に好きなのか、本当に愛しているのか、ということで最終的に俺はメンヘラ化して、結局逆上した俺がフッて終わった。別れを切り出したのは俺の方なのに、なんだか捨てられたのも俺の方なような気がした。

 たまに「同性愛は異性愛と違って、お互いの格差がなくて二人とも平等」と言う人がいるけど、そんなことはない。タチ・ネコが存在する時点で、自然と男役・女役みたいな雰囲気が、二人の中で出てくるのが常だった。この場合は俺がネコ、元彼がタチ。

 儚い恋愛だった。蜉蝣のようだった。理性をだます甘い恋愛の毒は、いつまでも効き目があるわけじゃない。でも、毒で俺をだますなら、せめて死ぬまでだまして欲しかったのにね。

 そんなわけで気まずくなったバンドをやめて、俺は晴れてフリーになった。……と言うと聞こえがいいけれど、実際はツテと知識を頼って音楽業界の裏方をやっているに過ぎない。

 俺は今、同性愛なんて知りませんよ、といった顔で彼女と付き合っている。今の生活に不平不満はないが、最低なことに、元彼との楽しかった思い出がフラッシュバックすることがある。バンドマンの元彼と裏方稼業の俺。たまにSNSでのアカウントを未練がましくチェックすると、未だに元彼はバンドマンとしてそれなりに上手くやっているらしい。俺は歯ぎしりをした。

 不幸になればいいのに、と思った。その発想そのものが、かつて理解不能なものとして扱っていた未練がましい元カノみたいだ、と気づいて俺はまた歯ぎしりをした。ぎりぎり。




 ……といった感じで、この頃元彼のことを思い出すことが多い。なんでだろう、と考えて、そういえば今から一年前は「付き合い始めて一年目」の記念日を祝っていたことに気づく。

 去年の今頃は、ちょっと高い居酒屋に行って乾杯していたっけな。まあ、記念日を覚えていたのは俺の方で、元彼は忘れていたんだけど。……あ、また思い出してる。

「フ×ック!!」

 俺は超小さい声で叫んだ。そして電柱にキックを入れたが、足がじんじん痛んで終わった。あほだ……。

 なにか、この傷心を癒せるものはないだろうか。通りがかった横にたばこ自販機が置いてあって、そこで立ち止まった。

 その自動販売機には、セブンスターが置いてあった。

 俺はセブンスターのボタンを押して、大昔に買ったtaspoを入れた。taspoは正常に作動し、俺はセブンスターを手にする。

 腑抜けた歩き方で近くの喫煙所に着いたところで、ライターがないことに気づく。

 俺は手のひらのセブンスターをクシャっと握りつぶした。

 自分がここまで未練がましいことに気づきたくなかった。

 終わった愛情はただの呪いだ。俺は呪われているんだ。誰か早く俺の呪いを解いてくれ。

「ライター、使う?」

 涙目で立ちすくんでいたその時、聞き覚えのある声をかけられて俺は振り向いた。

 宇宙人が、猫背気味で俺の背後に立っていた。




 煙草って、こんなにマズかったっけ。久しぶりにセブンスターを吸った感想がそれだった。

 ぼんやりと煙草の煙をくゆらせた。宇宙人も煙草をくわえて一言、

「キスして」

 え、と一瞬思って、それがシガレットキスだったことに気づく。手慣れた動作で宇宙人の煙草の火を点けた。付き合っていた頃はこういうことをよくしていた。

 宇宙人と一緒に煙草を吸う。吐いた煙は、夜の闇に昇っていって淡く消えていく。

「××」

 宇宙人は、かつてバンドマンだった時に使ってた名前を呼んだ。もはや俺のバンド時代の記憶はだいたい黒歴史として葬ったので、その名前はノイズが入ったように聴こえた。頭が痛い。

「お前が煙草を吸うなんて、珍しい」

 誰のせいだと思ってるんだよ。歯ぎしり。でもそれを言うと俺がまだ君を忘れられないみたいだから言わない。

「吸いたいから吸っただけだよ。文句ないでしょ」

 お前はまた、そういう簡単に喧嘩を売るみたいなことを言う。宇宙人は無表情で煙草の煙を吐いた。言葉になんの感情もこもってないような声を久しぶりに聴く。

 沈黙。

 ここでたまたま会うだなんて、こんな偶然あるんだろうか。運命の再会っていうやつなんだろうか。そんな運命は信じるに値しない。

 ここでなにか話しても気まずいだけだ。煙草を吸い終わったらさっさと出よう、と決意した時だった。

「あのさ」

 宇宙人が口を開く。

「あの時、ごめん。言葉が足りなくて」

 頭が真っ白になって、感情がぷつん、と切れた。

 俺は、

 その言葉を最初から言ってくれたなら、俺は、あんなに苦しまずにすんだのに―――――

「ふざけんなよ!」

 俺は宇宙人の胸倉を掴んだ。

「謝ればすむと思ってんのかよ! 楽になれるかと思ってんのかよ!」

 俺が胸倉を掴んでも、宇宙人は眉一つ動かさなかった。それが俺を更に苛立たせる。しばらく荒く呼吸した後、俺は掴んでいた手のひらを緩めた。

「××。お前のことはわからない」

「一生わからないだろうね」

 やっぱりこいつになんて会いたくなかった。今度は涙が出てきた。本当に俺は弱い。泣き虫だ。

 君が悪者のままでいてくれたらよかったのに。そうすれば、俺は君を気のすむまで憎めたのに。

 ふー……っ、と煙草の煙とともに、重いため息をついた。

「××」

 宇宙人はまた俺のバンドネームを呼ぶ。

「なに」

「俺、お前のこと、よくわかんないからやっぱり嫌い」

「そうだね。俺も嫌いだから、嫌い同士の両想いだね」

「会わなければよかった」

「まったくだ」

「お前なんて不幸になればいい」

「本当に」

「死ぬまで目に入れたくない」

「俺も」

「というか死ね」

「お前が死ね」

 そう言って、最初に笑いだしたのは宇宙人の方だった。俺も笑いが伝染して、二人でくっくっくっと投げやりに笑った。夜の喫煙所で不気味に笑う男二人組を見た人がいたら、さぞかし変な男たちだと思っただろう。

「じゃあ、俺、行くから」

 宇宙人は俺に背を向けた。

「どこ行くの?」

 俺の言葉に、宇宙人は顔だけ振り向いて答えた。その時だけ切れ長の目と視線が合った。

「決まってるだろ。UFOに帰るんだよ」




 宇宙人とはそれきり会ってない。

 煙草の臭いがする服は、コインランドリーに行って全部強めに洗った。これで臭いもとれるだろう……と思ったのに、煙草の臭いは思いのほか頑固だった。「でも、少し臭い薄れたよ」と彼女は励ましてくれた。いい子だった。

 セブンスターもそれっきり吸ってない。たぶん今後も吸うことはないだろう。

 これからも俺は宇宙人を憎み続ける気がした。でも、以前より爽やかな気持ちだった。たとえ呪いが続いてても、それはそれでいいような気がした。

 さらば宇宙人。もう一生会ってくれるなよ。

 そう思いながら空を見上げた。どこかで同じ空を、宇宙人も一緒に見上げているんだろうか。多分ないだろう。だって、宇宙に空なんて存在しないし。

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