2-8

 相川トオルの質問に、わたしは肯定も否定もしなかった。いずれにせよ反応したら、わたしの腹の底が見透かされるような、そんな気がしたから。

「……なるほど。ノーコメントということで受け取っておくよ。それに女性に年齢を聞くのはナンセンスだった」

「そうして」

 突き放すようにそう言うと、彼もそれ以上は何も言わなくなった。そのほうがわたしとしても楽だった。

 しばらく静寂が続いた。でも、相川トオルというのは沈黙がキライなタチらしい。彼が静寂を破ったのは、荒川を抜ける手前。まだ東京都内にいたときだった。

「なにか音楽は聴く?」

「ラジオ。FMがいいな」

「わかった。そうそう、埼玉にはNACK5ってラジオ局があるんだが。知ってるかい?」

「知らない。わたし、都内にしか着たことないから。なんでもいい、曲を聴きたいです」

「わかったよ」

 彼がステアリングについたボタンに触れると、クルマはFMの電波を受信し出した。聞こえてきたのはガールズバンドの曲だった。たぶんスリーピースなんだろう。軽めの歪みオーバードライブを効かせてコードをジャカジャカ弾くタイプの音楽で、だけど詩は思いのほか暗く重たい曲だった。そうね、ダーニャが好きそうな感じの曲。

 なんだかわたし、とてつもなくクレセントが恋しくなった。時差ボケのせいかな? 気分も悪いし。いつもなら海外に出て行くのは好きなのに。なんていうか、自分は何も知らないのに、相手は自分のことを知っているっていうのがすごくイヤな感じだった。

 わたしが海外に行くのが好きな理由って、誰もわたしのことを知らない世界にいれるからだと思うからさ。クレセントと違って、わたしのコードだとかで呼ばないから。本当の本当に『牧志ミヒロ』って名前で呼んでくれるから。わたしの過去も、現在も知らないから。

 だけど、となりにいる男は違ったんだよね。だからすごく気持ち悪かったんだ。


     *


 さいたま市大宮区。駅前の新幹線ターミナルを抜けて、住宅街に入ったころ。FMラジオは、もう深夜のヒーリングミュージック流し始めるようになってた。アンビエントというか、エレクトニカというか、そんな感じのやつ。あとエンヤがひたすら流れてたかな。とにかくいい夢が見れそうな曲ばっかり流れてた。

「ここだ」

 ポロが停車したのは、住宅街にあるマンションの前だった。『パークサイドなんとか』って立派な大理石の看板があって、その向こうにはオートロックのエントランスフロアまで。立派なマンションだった。

「ここの三階、三一〇号室だ。荷物下ろすよ」

 相川はそう言ったけど、エンジンは切らなかった。ハザードを焚いたまま、彼は車外へ。わたしもあとを追った。

「ここで娘さんと暮らしてるの? 何人家族?」

「二人だ」

「シングルファザーなの?」

「そんなたいそうなもんじゃない。おあいにくさま、俺は父親失格だからな」

 重たいスーツケースとギターケースを引っ張り出す。肩にかつぐと、疲れた身体に重さがずしんと来た。

「よし、荷物はこれで全部か。……っと、あとこれを渡しておく」

 言って、彼はトレンチコートのポケットから妙なモノを取り出した。ウォークマンだった。それも、カセットテープの。中には古ぼけたテープが一つ入ってた。

「なにこれ? カセット? まさか聞き終えたら煙を吐いて自動で消滅するとか?」

「まさか。スパイ映画の見過ぎだ。本当の諜報員がそんなもんじゃないって、君が一番よく知っているだろう? ランについて必要な情報はすべてここに吹き込んだ。明日、朝起きたら聞くといいよ。それから、空いてる和室が一つあるから、寝床はそこを使ってくれ。ランはもう寝てると思うから、静かにな」

「了解。じゃあ、聞いとくけど。聞き終わったら燃やしといたほうがいい?」

「ああ、ランに聞かれると困る。君の素性は教えてないからな」

「でしょうね。殺し屋がサマーキャンプの民泊に来たなんて、冗談聞きたくないはず」

「言い得て妙だな。まあ、頼んだよ」

 彼はそれだけ言うと、クルマの中に戻った。娘の待つ自宅の前なのに。それも駐車場にクルマを止めに行くというふうでもなかった。アクセルをふかし、ポロは今にも駆け抜けていきそうな様子だった。

「ねえ、あなたは家に戻らないの? わたし一人なの?」

 わたしはクルマに乗り込む彼に向かって叫んだ。

 パワーウィンドウが開く。首だけ出した彼が叫び返した。

「そうだ。あいにく俺はこの家に住んでないんだ。娘に嫌われていてな!」

 相川はギアを一速から二速へ。テールランプが残光を描き、クライアントは視界から消えていった。


     †


 それが、初めての夜。より正確には、夜明け前の早朝。わたしが初めて君の家に来た日のことだった。

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