2-5

200X/01/20


 あの日、クレセントには雪が降っていた。

 絶海の孤島にもいちおうは四季ってやつがあってね。まあ、そんな季節らしいものは感じられないんだけど。でも夏と冬だけは別格だった。

 冬の日。海は大荒れで、白波は岸壁に打ち付けては、また白く濁っていた。砂浜には霜が生えてたし、通学路の煉瓦道は凍り付いてツルツルだった。

 日曜の朝。わたしはいつものルーチンワークをしていた。つまり散歩に出ていたわけ。貰い物のモッズコートに身を包んで――サイズがメンズのMで、わたしにはほんとオーバーサイズなんだけど――校舎のまわりをぐるっと回ってきた。

「ただいま」

 って、中等部の寄宿舎に戻ってきたころには、身体はすっかり冷え込んでた。ポケットに突っ込んでいた手もかじかんでブルブル震えてたと思う。

「おかえり、ミヒロ」

 そう返してくれたのは当時のルームメイトの〈RA-83〉=リディアだった。

 リディアはベッドの中に潜り込んで、本を読んでた。彼女はいつも小難しい本を読んでて、たしかこのときもそうだった。

「さっむ。ストーブつけないの?」

「つかないの」

「なんで?」

「寮の点検でしばらく点けられないんだって。停電だってさ」

 見れば、壁際のパネルヒーターは死んだみたいになっていた。いつもならこの時期には『ゴウンゴウン』と耳障りな爆音を鳴らしてくれるはずなのに。

「どおりで部屋の中なのに息が白いわけね」

「そう。ミヒロってこんな寒い日にもよく散歩なんて行くよね。フードのなか雪で真っ白だよ。外行って落としてきたら?」

「いいじゃないべつに。これはわたしの趣味なの。あんたこそよくそんな状態でも本ばっか読んでられるよね。何読んでるの?」

「JDサリンジャーの『ナインストーリーズ』だけど」

「アメリカの作家?」

「そう。ミヒロも読むといいよ」

 そう言って彼女が差し出したのが、古ぼけたペンギンブックスの『ライ麦畑でつかまえて』だった。

「ありがと。まあ気が向いたら読むよ」

「いま読んだら? どうせ暇なんでしょ?」

「暇じゃないよ。ねえ、わたし寮長とこ行ってくるよ。事情を聞いてくる。寒くてたまらないもん。電気つかないんでしょ?」

 壁のスイッチを押したけど、明かりはつかない。代わりに窓から薄明かりだけが差し込んでくる。曇り空の陽を、雪が乱反射する。あの薄暗い灰色の光だ。

「寮長に聞いてもなんにも起きないって」

「そうかもしれないけど。でも聞いてみるだけ価値はあるでしょ。暇だし」

「暇だし、ね。行ってらっしゃい。私はここにいるよ」

 リディアはそう言って片手だけ布団から出して、手を振ってくれた。こういう投げやりながらも優しさのある感じが、リディアの良いところだったかな。


     †


 ――ああ、そっか。話しながら思い出したけど、思えば初めてサリンジャーを読んだのもこのときだったんだね。


     †

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