1-14

 わたしが寮に戻ったころには、外はもうすっかり暗くなっていた。ただ階段を下りて、渡り廊下を抜けてきただけなのに。まるでトンネルを通過して別世界にでも来た気分だった。

 ただ、すぐにでも寮に戻れたわけじゃなくて。わたしの部屋の前――つまり、いまダーニャたちが絶賛パーティ中の部屋なわけだけど――には、三人の男が立っていた。

 一人はスペンサー。あとの二人は見覚えはあったけど、名前は知らなかった。禿頭の小さいおじいさんと、ひょろっとした白髪のおじさんの二人組。二人との高そうなスーツを着ていて、胸元にはカラフルなピンバッジがいくつも並んでた。たぶんそれって勲章とか階級章ってヤツなんだとおもうけど。

 クレセントに男が来ることなんて滅多にない。ここは孤児と危険な不良娘でいっぱいの僧院だから。尼さんが殺しの教えを説いて、それに盲従する教会だから。司祭が来ることは、年に二度だけ。入学式と卒業式のときだけだから。

「彼女がそうか?」

 小さい方のおじさんが、白髪のほうに耳打ちした。白髪は小さくうなずいている。

「ミヒロ……いや、〈M2〉待ってたよ。〈ES-33369〉に勝ったって」

 スペンサーがニコニコしながら言った。でも、それはわたしが勝ったことを喜んでるんじゃなくて、自分の研究が続けられることにホッとしているだけだった。

 わたしはそれに「はあ」とか「まあ」とか気の抜けた答えを返した。だって、それ以外になんて言えばよかったわけ? エリスンとの試合ははじめから仕組まれた八百長で、わたしは何をする必要もなかったわけなんだから。そんなの感想を聞かれたって「はあ」とか「へえ」としか言えない。

 だけどわたしのその返答に白髪のおじさんはご立腹みたいだった。

「君が本当にあの〈ES-3369〉に勝ったという、M2なんだね?」

「ええ、まあ。そうですけど」

依頼主クライアントはすでに現地で君を待っている。今夜すぐに出発したまえ」

「今夜?」

「そう、今夜だ」

 白髪のおじさん、眉をつーんって釣り上げてそう言った。ちょっと勘弁してよ。なんにも聞いてないんだけど……って、そう言おうとしたけど。もちろんそんなこと言えなかった。ただわたしに言えたのは。「はあ」とか「へえ」とかそういう適当な相づちだけだった。


 おじさん二人組はそれからどこかに行って、スペンサーだけが残った。だけど、彼も彼で面倒臭そうな感じだった。

「ミヒロ、これから君は午前三時の便で東京に向かってもらう。到着はおよそ十二時間後。日本には午前零時ごろ到着予定だ」

「ずいぶん気が早いね」

「上からのお達しさ。クライアントがずいぶんせっかちらしい」

 スペンサーは大慌て。さっきはお偉いさんの相手をしてたかと思えば、今度は主治医っぽくいろいろ装置を取り出してきた。「M2用」ってマジックでかかれたダサいジュラルミンケースだ。開けば、中身はほとんどクッション材だった。真っ黒いウレタンが敷き詰められてて、その中央に小さくシルバーが光ってる。よくよく見ると、それは指輪だった。

「この指輪をはめてくれ」

「どこに?」

「左手の薬指以外」

 そう言うので、わたしは右手の薬指を選んでやった。サイズはドンピシャ。だけどデザインは好きじゃなかった。味も素っ気もない、本当にシンプルなシルバーリングだったから。

「なにこれ?」

「計測器だ。それに、首輪でもある?」

「指輪じゃなくて?」

「ああ。今回の仕事だけど、実は僕は同行できない。いったん大学に戻らなくちゃいけなくなった。といっても、ここでの実験は続けるけどね。だから君が日本にいるあいだ、君の身体情報を計測する必要がある。その指輪の中には小型の計測器が入っていて、君のバイタルデータを5G回線でリアルタイムにロンドンまで送ってくれる。かつ、それには即効性の猛毒が入っている」

「は? 猛毒?」

「そうだ。君が任務を放棄するか、僕の実験を拒否したら、その時点で君は殺される。クレセントの意向さ。サンプルを殺すのはどうかと思うが、上の決定だ。僕は逆らえない」

 スペンサーは肩をすくめたけど、わたしからしたら冗談じゃなかった。今にでも指輪を外して、中庭に向けて放り投げたい気分だった。

「ちなみに許可がなければ外れない。君が着脱申請を僕かメリッサにして、それが上層審議会を通過すれば外れる」

「無理矢理外そうとしたら?」

「言ったろ。猛毒が全身に回って死ぬ」

「悪趣味だね」

「僕に言うな。まあ、作ったのは僕だけどね」

「それで、装備ってこれだけなの?」

 その通りと言わんばかりに両手を広げて見せるスペンサー。わたしはため息どころか腹の中身まで吐きそうになった。

「さあ荷造りして。四時間後にはクレセントを出ないと間に合わない」

「はいはい」

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