第8話 『アミーリアの笑顔とナイジェルの悪戯』


「……アミーリア嬢」

「は、はいっ!?」


 そんなことを考えていると、不意にナイジェル様に名前を呼ばれる。それに対して、私は驚き、上ずった返事をしてしまった。それに気が付いた時、顔に熱が溜まっていくのが分かった。きっと、今の私は羞恥心から真っ赤になっているだろう。それは、安易に想像がついた。だって、だって……! 王子様の前で、こんな間抜けな返事をしてしまうなんて……!


「……ははっアミーリア嬢、焦ってる。じゃあ……ちょっとだけ」

「っつ!?」


 そんな声とほぼ同時に……ナイジェル様が、私の頬に触れた。優しくて、温かいナイジェル様の手。でも、それよりも……私は、触れられたことに驚いてしまっていた。だって、私たち……恋人でも、婚約者でもないんですから。こんな軽々しく触れていい関係じゃ……ないのに。


 そう、言いたかった。なのに、いたずらっ子のように笑うナイジェル様を見てしまうと……そんな事、言えなかった。だって、ナイジェル様の表情が、あまりにも可愛らしかったから。まるで、悪戯が成功した子供のような。そんな、無邪気な笑みだったから。


 ナイジェル様が、なぜ私の頬に触れたのかは、その後すぐにわかった。ナイジェル様の手は、そのまま私の頭の上に移動し……私の髪の上に乗っていた落ち葉を……つかんだから。


「髪の毛についてましたからね。取りませんと」


 そんな風にナイジェル様が笑う。でも、でも……! 無駄に心臓に悪いこと、しないでほしい。そう、思った。だって、ただ普通に頭に手を伸ばして、落ち葉を取ってくださるか、私に教えてくださればいいのに……! なんで、頬に触れたのだろうか。そんな一々回りくどいこと……しても、良いことないのに。むしろ、私が変な感情を抱いてしまうということを、考慮していないのでしょうか。


「……なんでそんな不満そうな表情をするんですか、アミーリア増?」

「……だ、だって……わ、わざわざ頬に触れなくてもいいじゃないですか……! 無駄に、ドキドキしちゃって……私、ナイジェル様にダメな感情を持ってしまいそうで……!」


 俯いて、私はそう言うことしか出来なかった。ナイジェル様に、好意を向けてはならない。私には、ネイト様と言う婚約者様がいらっしゃるから。それに、ナイジェル様とは明らかに身分が違って……! そう、自分に言い聞かせた。なのに、何故か悲しくなってしまう。その理由を、分かっている。ネイト様は……私のことなど、どうでもいいと知っているからだ。


 そんなことを、一人で考えてしまう。だから、私は気が付くことが出来なかった。……私のことを見つめているナイジェル様が、驚いたような表情をしていた、ということに。


「……その感情を、俺に向けてくださいよ……」


 そんな声が、私の耳に届いた気がした。でも、それはきっと幻聴。都合の良い、幻なのだ。愛されたいと思う私の、作り出した幻でしかない。


「……も、申し訳ございません。こんなこと、ナイジェル様に告げることでは、ありませんでしたね。大丈夫です。私は……ナイジェル様に、そんな感情を向けることは……ない、ですから」


  何故だろうか、そのことを断言することが出来なかった。断言、出来ればよかったのに。なのに……なぜ? 断言しようとすると……悲しくなってしまう。思わず唇を噛んで、その感情を抑えてしまうぐらいだった。


「……アミーリア嬢。アミーリア嬢の、そんな何かに耐えているような表情、俺は見たくありません。……笑ってください。先ほどみたいに、笑顔を見せてください。……アミーリア嬢の笑顔は、とても可愛らしいんですから」

「っつ!?」


 なのに、何を思ったのだろうか、ナイジェル様は私の耳元で、そんなことを急に囁かれた。その言葉と声に……心臓が、ドクンと大きな音を鳴らす。ダメ、ダメ。そんな風に……ときめいたら、ダメなのに……!


「……そう言えば、俺、もうすぐ兄上たちと会う用事があるんでした。……名残惜しいんですが、一度ここでお別れですね」

「は、はい……」


 ナイジェル様のそのお言葉に、心無い返事をする。ナイジェル様はそれに気にした素振りもなく、軽く制服をはたくと、私の頭を優しくなでてくださった。なんだか、子供扱いをされているみたい。でも……不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。


「……さっきのは、本当のことですよ。ですから……もっと、笑ってくださいね。……俺の前だけで、笑ってください」


 そして……そんなナイジェル様のお言葉が、私の耳に届くのだった。

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