第3話 『第六王子、ナイジェル・ソーク』


「……誰?」


 私がそうつぶやいて、そちらの方向に振り向けば、その方はニコリと私に対して微笑んでくださった。その方は、短く切りそろえられた金色の髪。そして、鋭い形をしたエメラルド色の瞳をされていた。その方の容姿を見たとき、私は驚く以外の選択肢が取れなかった。


「……ナイジェル、様……?」


 その方は――ナイジェル・ソーク様。このソーク王国の第六王子様、そのお方だったから。


 ナイジェル様は何でもない風に私の隣に腰を下ろすと、すぐに私の顔を覗きこんでこられた。それに、思わず顔をそむけてしまう。驚いてしまったから。だけど、その瞬間ポロリと涙が零れていった。


「……アミーリア嬢。やはり、泣いているではありませんか。……何か、ありましたか?」

「……別に、何かあったわけではありませんの。……少し、目にゴミが入っただけですから」


 そう言って、私は誤魔化すことしか出来なかった。だって、あんなつまらないことをナイジェル様にお話する勇気を、持っていなかったから。結局、全ては彼の心をつなぎ留められなかった私が悪いのだ。すべてが私の責任になれば、全てが円満に解決するのだ。すべて私一人が我慢すれば……穏便に、解決するのだから。


「そんなわけないでしょう? アミーリア嬢、先ほど何かを呟いておられたではありませんか。なんで、とおっしゃっていたように俺には聞こえました。どうか、悩みがあるのならば俺にお話していただけないでしょうか?」

「……そ、そんなことを言われましても……」


 どうして、そんなことをおっしゃるのだろうか。私は、そう思った。


 ナイジェル様と私は、所詮ただのクラスメイトでしかないはずだ。今まで挨拶しかしたことのない関係だった。だからこそ、友人でもない私に親切にする理由はない。しかも、王子様と関わることがほぼない、下位貴族の子爵令嬢ならば尚更だ。


「……誰にも言ったりしません。ただ、俺に相談してくれるだけでいいんです。……一人に話すだけでも、少しは楽になりますよ」


 確かに、おっしゃっていることはその通りだと思う。でも、その話す人は王子様ではないと私は思うのだ。


 そんな私の気持ちを知らないナイジェル様は、期待した瞳でこちらを見つめてこられる。その視線に見つめられると、何故か私は居心地が悪くなってしまった。だから、私は視線を逸らして、何でもない風を装う。なのに、ナイジェル様は引き下がってくれない。じっと、ただ私の方を見られて待たれている。


 だからこそ、私は口走ってしまったのかもしれない。


「……婚約者の方について、少々悩んでいただけなんです」


 と。


 こんなこと、ナイジェル様のような高貴なる身分の方に言っていいことではないのに。なのに、私は言ってしまった。それは、ナイジェル様の根気に折れただけなのだ。決して……私の意思ではない。これは、仕方がなく言ってしまっただけなのだ。そう、自分自身に言い聞かせた。じゃないと……自分が情けなくなってしまいそうだったから。


「……婚約者の方が、他の女性に夢中になっているという噂を聞いてしまって……それで、私どうしたらいいかが分からなくなってしまって……」


 なのに、言葉は止まらなかった。一度決壊した壁は、崩れていくことしか出来ない。止まることを、知らない。涙も一緒だった。話せば話すほど、涙が止まらなくて止まらなくて。どんどん、とめどなく溢れて……私の制服に、シミを作っていた。

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