そして執事は隠蔽する
男は魔力ではちきれんばかりの腕を振り下ろそうとした。
天の暗雲と魔力でつながったその腕を振り下ろせば、地上を雷の嵐が襲ったのだろう。
だが、その手が下されることは決してない。
「へっ⋯⋯?」
間の抜けた顔で、男が自分の右腕を見る。
いや、正確には、男の右腕があったはずの場所を、だ。
「ぼ、ぼぼぼ、僕の腕ぇぇぇっ!?」
二の腕を半ばですっぱりと断ち切られた腕を、男が左手で必死に押さえた。
「さっきは不覚だった。最初からここに潜んでるのはわかってたのにね」
イチノシンのセリフに動揺したせいで、こいつの動き出しに気づくのが遅れたのだ。
こいつが岩山の陰で戦いの趨勢を覗いているのは知っていた。どう動くかと放置していたのだが、一瞬の動揺を突かれてしまった格好だ。
「失態だよ、まったく。せっかくすべてがうまくいってたのに」
こいつのことなんて、最初からどうとでもできた。あえて泳がせていただけだ。
しかし一瞬の動揺のせいで、こいつに先手を取る隙を与えてしまった。
あの魔法をお嬢様が防げたのは僥倖というほかない。防げなかったとしてもお嬢様なら避けただろうが、せっかく配下になりそうだったゴブリンたちがやられてしまう。なにやらお嬢様の信奉者となりかけていたティアもあの一撃で死んでいたかもしれない。
そんなことになっては、お嬢様の輝かしい勝利が霞んでしまう。
「いだい、いだい、いでえ、痛えよぉぉっ!?」
男が半狂乱になって喚き散らす。
「うるさいな」
僕は男の片足に手にしたナイフを突き刺した。
無様に転倒した男の背を踏んづけ、動けなくする。
魔法を使われないよう、執事服から針を取り出し、男の首筋へと投げ放つ。
それだけで、男の首から下が動かなくなる。魔力の経路も塞いだので、魔法を使うこともできないはずだ。ついでに発声にも制限をかけて、お嬢様にこいつの声が聞こえないようにも調整した。
かつて霧ヶ峰家の内紛の時に敵となった僕の兄が使ってた技だが、なにかと便利なので僕は時たまこうして使わせてもらってる。
「か、身体が、動か⋯⋯っ!? 魔力も、練れねえっ!?」
「万に届きそうなゴブリンの群れに少数で切り込むお嬢様。敵中を強行突破し、敵のボスであるエンペラーたちと戦うことに。膨大なHPを誇るエンペラーに一時は窮地に陥るも、土壇場で奥義を閃いて大逆転。エンペラーを一撃で屠ったお嬢様にエンペラーの配下であるゴブリンも感服し、お嬢様への従属を願い出た⋯⋯。うん、完璧だ。これ以上ないシナリオになった。敵が増えすぎたり強くなりすぎたのは計算外だったけど、結果的にいい塩梅になった」
「な、なな、何言ってやがる⋯⋯っ!?」
「誰だか知らないけど、なかなか渋い仕事をしてくれて、感謝はしてるんだ。ゴブリンの群れが予想以上に大きくなったと聞いた時には焦ったよ。もしこれで犠牲者が出るようなことになったら、さすがの僕も気が咎める。そんな状態で勘のいいお嬢様の前に立ったら、すべてが僕の仕業だとバレかねない。僕は腹をかっさばいてお嬢様に詫びるしかなくなっただろうね」
「なっ⋯⋯それじゃあ、ゴブリンキングを仕立ててやがったのは⋯⋯」
「そう、僕なんだ。でも、君がゴブリンキングをさらに進化させてくれたおかげで、僕の罪をすべて君に押し付けて死んでもらうことができるようになった。おまけに、教皇選挙のために聖女であるティアをべつの枢機卿が暗殺しようとしたのだ⋯⋯なんていうおあつらえ向きなカバーストーリーまで用意してくれて⋯⋯くくっ、ありがたくて、ありがたくて、涙が出てきそうだ。本当に助かったよ。君のことは忘れない。君ってば最高の道化だよ」
僕は半笑いでそう言うと、男のローブを剥ぎ取った。
そして男に【看破】をかける。
《
ギジリア・ジャロン
聖導教会特級異端審問官
レベル72
HP 11/261
MP 1226/1242
スキル
【天雷魔法】17
【雷鳴魔法】37
【雷魔法】77
【暗殺術】31
》
「へえ。いいステータス持ってるじゃないか。この【看破】を防ぐローブもありがたく使わせてもらうよ」
僕はローブを冒険者証のインベントリに収納した。
「て、めえ⋯⋯こんなことしてただで済むと思ってるのか⋯⋯!」
男ーーギジリアが地べたに転がりながら僕を睨む。
「異端審問官か。いいね。どうせ罪もない人を異端者に仕立て上げて火あぶりにしたりしてるんだろう? こんなおいしい憎まれ役がこの世界に存在したなんてね」
「何言ってやがる⋯⋯そんなことが簡単にできてたまるかよ。だからこうして、ゴブリンどもの討伐に失敗した
「ああ、なるほど。僕の世界の異端審問官よりはずっと良心的な存在ってわけか。まあ、枢機卿とズブズブで、教皇選挙の邪魔になるっていうティアを消そうとしたりはしてるわけだけど」
雷の魔法を使うギジリアは、そうした任務に向いていそうだ。落雷に遭って命を落としたとして、それを暗殺だと断じることは不可能だ。いくら疑わしいと思われたとしても、不幸な自然現象だと押し通せる。
もっとも、落雷による口封じを最後の手段にしていたあたり、ギジリアの関与を疑われる事態は避けたかったのだろう。もしギジリアに怪しいところがあれば、ゲリエル枢機卿とやらは政敵に付け入る隙を与えることになる⋯⋯とかね。
「おまえの世界⋯⋯だと? ち、ちょっと待てよ⋯⋯おまえ、まさか、あれじゃねえよな?」
「あれとは?」
もう話を聞く必要もなかったけれど、ギジリアの言葉に宿った怯えに興味をそそられた。
「あれっつったらあれだよ⋯⋯異端者だ! 異世界からやってきて、この世界の秩序を乱す罪人だ⋯⋯!」
「へえ。それが異端者の定義なんだ。異端者って結構いるの?」
「異世界なんてもんが実在しててたまるか! 異端っつーのはな、口実なんだよ! 聖導教会にとって不都合なものを始末するためのな!」
「それって、みんな知ってることなの?」
「異端審問所の所長を兼ねるゲリエルと一部の異端審問官だけだ⋯⋯」
「ふむ⋯⋯。それだけで済んでラッキーと思うべきかな」
それなら、異端者の定義ごと闇に葬ってしまうこともできるだろう。異端者認定を受けて教会に追われるお嬢様⋯⋯という展開も悪くはないが、ちょっとストレス展開が過ぎるだろう。
「ふざけんな⋯⋯! 僕なんて異端審問官としては末席だ! 異端審問所をまとめて消そうなんざ、いくら本物の異世界人でもできるものかよ!」
「できるできないではなく、やるんだよ。不可能を可能にしてこそ執事なんだから。さて、他にしゃべることがないならそろそろお別れにしようかな。あまり長話をしてると、お嬢様に不審がられるし」
「ま、待て、待ってくれ⋯⋯! そ、そうだ! こういうのはどうだ!? 降参だ、降参するよぉ! なんならおまえたちの下について、あのゴブリンどもと一緒に働いてやる! ゴブリンどもの恭順を認めようってくらいなんだ! 同じ人間である僕の恭順だって認めてくれていいはずだろう!?」
「ははっ、面白い冗談だね」
僕はギジリアの首を踏み、その頸椎をへし折った。
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