決着と恭順と黒幕と
このホブゴブリン・エンペラー、ズシロフは、ゲーム風にいえばレイドボスということになるのだろう。
膨大なHPは、多人数と同時に戦うために設定されたものなのだ。誰が「設定」したのか、なぜそう「設定」したのか、そもそもそれは設定なのか自然現象なのか、疑問は尽きることがないけれど。
そんな「レイドボス」であるズシロフは、配下のエルダーゴブリン・ワイズマン、アイジャの【リジェネレート】に目をつけた。
HoT。継続回復。一定時間、一定タイミングで最大HPの数%のHPを回復するという魔法だ。アイジャの場合は5秒に一回、最大HPの3%を回復する。
3%とだけ聞くと大したことがなさそうに思えるかもしれないが、ズシロフのHPは膨大だ。
その最大値は475292。その3%は14273にもなる。
お嬢様の一撃の威力が1500から3500のあいだくらいだったことを思うと、ダメージより【リジェネレート】の回復量のほうが多くなる。
ついでに、アイジャのMPは《1283/1301》。さっきお嬢様に使った【電撃魔法】と【復癒魔法】(【リジェネレート】の親スキル)はともに上級魔法スキルなので消費MPは8のはずだ。つまり、アイジャのMP切れを狙うのも難しい。僕の【獄炎輪妨陣】は64ものMPを消費するので、アイジャより先に僕のMPが切れることになる。
とはいえ、単純な打開策はある。
「やっぱり僕も手伝いますよ」
僕とお嬢様二人がかりで全力攻撃すれば、【リジェネレート】分以上のダメージを与えられるはずだ。
しかし、
「まあ、待ちなさい。わたしも閃いたことがあるから」
お嬢様はそう言って僕を止める。
「どんな切り札があるのかと思ったら……あんた、エンペラーとか言ってるくせに、せせこましいことばかりじゃない」
「なん……だと?」
「自分で強くなる努力を放棄して、部下の魔法頼みで恥ずかしくないわけ?」
「これは異な事を言う。配下の力こそ我が力だ。統率者が、必ずしも配下より強い必要はない。もっとも、我とてこの群れを率いるにふさわしい強者ではあるがな」
「あんたがそれで満足ってんならもう何も言わないけどね。自分と向き合い、自分一人でも世界と戦う……そんな気概をなくしてしまったら、もうそいつは戦士じゃないわ」
「ふん……ならば見せてみよ。我が必殺の『無限回復の陣』を敗れるものか」
「いいわよ。やってやろうじゃない」
お嬢様が一気に踏み込む。
これまでより一段速い踏み込みに、ズシロフは反応が遅れた。
お嬢様の右手には、紅蓮の炎が宿っている。膨大な魔力と練り込まれた気とが渾然一体となって螺旋を描く
中途半端に剣を振り上げ、ガラ空きになったズシロフの胴に、お嬢様が跳び上がって突きを放つ。
「一撃でぶち抜く――ッ!」
裂帛の気合いとともに、お嬢様の拳から赤い螺旋が解き放たれた。
「ぐぶおああああっ!?」
渦巻く火箭がズシロフの鳩尾を食い破り、背中へと突き抜けた。
お嬢様の覚えた上級魔法【炸炎魔法】――ではない。それに気を織り込み、お嬢様自身の力へと昇華させた一撃だ。
『鳳凰院紅華は、奥義【鳳凰螺旋拳】を編み出した!』
神の声とやらが高らかにそう宣言する。
僕は腹部に大穴の空いたズシロフを【看破】する。
《ズシロフ HP 0/475292》
「倒し切ってる……」
「えっ……ああ! 本当です!」
僕に遅れて【看破】を使ったティアが声を上げた。
「まさか、一日に神の声を二度も聞くなんて……」
ティアは放心してるようだが、僕は決して油断しない。
まずは、周辺一帯の気配を探り直す。
それから、残された配下のゴブリンたちに目を向ける。
アイジャ、シュターク、イチノシンは、倒されたエンペラーに向かって敬礼をしていた。
ゴブリンに戦死者を悼む感情があるとは驚きだ。
「さて、あんたらはどうするの?」
お嬢様が残された三体に言った。
「もはや我らはズシロフの統率下にはない」
イチノシンがそう答える。
「だから見逃せとでも言うの? 悪いけど……」
「そのような生き汚いことは申しませぬ。ただ、貴女様と戦ったところで万に一つの勝ち目もないことは事実。それでも戦って散るという考え方もありましょうが、どうせ死ぬのならその前にお願い申し上げたいことがありまする」
「お願い? 何よ? 叶えられるとは限らないと思うけど……」
さすがに戸惑った顔でお嬢様が言った。
そんなお嬢様に、イチノシンがいきなり膝をついて頭を垂れる。
シュタークとアイジャもそれに続いた。
「――我らを貴女様の
いきなりの申し出に、お嬢様はもちろん、ティアや僕まで驚いた。
「は……? 仲間になりたいって言ってるわけ?」
「仲間など、そんな大それたことは望みませぬ。ただ、我らを貴女様の好きなように使っていただきたい。便利な手駒としてで結構である。どうせこのままでは散る命、どう扱われたところで文句は申しませぬ」
「なんだってそんなことを望むのよ?」
「我らは、ゴブリンとしては破格の進化を成し遂げた。だが、それは同時に、我らに上位者に従うことを喜びとする本能を生み出した。我らはいくら強くなろうとも、あくまでも従者――
イチノシンの言葉に、僕たちは絶句した。
もっとも、僕とお嬢様とティアとで、その理由は別だろう。
お嬢様は思った以上に自我をもったゴブリンに驚いたのだろうし、ティアはここで起きた何から何までに驚きすぎて、気持ちが驚いたま
まで麻痺してる。
対して僕は、イチノシンの言葉にまったく別の感情をもった。
(まるで、僕みたいじゃないか)
従者として育てられ、その家を逃げ出し、しかし結局はお嬢様の従者となった僕。そのことを嫌だとは思っていないどころか、お嬢様に出会えて幸運だったと思っている。
だが同時に、おのれの遺伝子に刻まれた、従者としての本能を恐れてもいる。
お嬢様に仕えることを喜びと感じるのは、本当に僕の本心なのか? その気持ちは遺伝子によって形作られた本能にすぎず、本当は仕えることさえできれば誰でもいいのではないか?
そんなことはないと知りつつも、僕の心の奥底には、そうした不安が眠っている。
一夜にして進化したゴブリンの言葉は、僕のそんな抑圧された不安を剥き出しにした。
そして
ゴブリンたちが根城にしていた岩山の上で、突如巨大な魔力が爆発した。
魔力は一瞬にして天に走ると、晴れていた空に暗雲を生み出す。
暗雲からは、強力な稲妻と稲光が放たれる――はずだったのだろう。
お嬢様が、真上に向かって、とっさに【鳳凰螺旋拳】を放っていなければ。
《鳳凰院紅華は、奥義【鳳凰螺旋衝】を編み出した!》
紅蓮の炎で吹き散らされた雷雲を背景に、三度目となる「神の声」が響き渡る。
「誰っ!?」
お嬢様が岩山に向かって身構える。
僕はそっと気配を殺し、タイミングをうかがうことにした。
「くひゃひゃひゃっ! たいしたものですねえ!」
岩山の上に、黒い人影が現れていた。
黒いローブで全身を覆った男だ。ローブには紫色の光沢ある文様がびっしりと描かれている。
僕は【看破】を飛ばしたが、文様に目をくらまされ、ステータスを見ることができなかった。僕に遅れて【看破】を使ったらしいティアも驚きに目を見開いている。
声からすると、若い男だろう。やや猫背で、背は標準的。ローブのフードから覗く唇は片側だけがつり上がり、低めの鼻の上には糸のように細められた両目がある。眉は剃り、そこにもローブと同じ紫の文様が刻まれていた。
「何者よ!」
お嬢様が誰何の声を上げる。
「そこの役立たずどもを始末しようと思ったんですがねえ。まさか発動を潰されるとは思いませんでした」
「不意打ちなのに即効性のない術なんて使うからでしょ。あんなあからさまに怪しい雲が出たら、とりあえず消そうって思うじゃない」
「……その、思っても実行できる人はまずいないと思いますし、そもそもとっさに怪しいと判断することさえ難しいと思うのですが……」
ティアが誰にともなくつぶやいた。
「くくっ……これは一本取られましたねぇ」
男が笑みを深くする。
「で、何者なわけ? ゴブリンたちを消そうとしたってことは、このゴブリン大発生の黒幕ってわけかしら?」
「いやいや、黒幕というほどではないねぇ。たまたま都合のいいところにゴブリンキングなんかが発生してたから、ちょぉぉっとだけ進化させたりはしたけど、主犯ってわけでもないと思うよ?」
「何がちょっとだけよ。ゴブリン・エンペラーなんて確認されてない魔物なんでしょ?」
「ちっちっち……間違ってもらっては困るねぇ。僕が創り上げたのは、ゴブリン・エンペラーじゃない。
「ふぅん? 自分の技術を見せつけたくてこんなことをしでかしたってわけ?」
「いやぁ、さすがにそんなことはしないよぉ。やっていいならやるけども、こんなことばかりやってたら人類が滅んじゃうからねぇ。人がいない世界でいくら絶技を見せたところで、むなしくなるだけだろうからねぇ」
「じゃあ、何が目的だったの?」
「ま、君たちには死んでもらうことが確定してるからねぇ。教えてあげてもいいだろう。僕の狙いはそこにいる聖女様さ」
「わ、わたしですか……!?」
ティアがびくりとのけぞった。
「そうそう、君だよ、君ぃ。ティア・ルクセンティア。聖導教会現教皇の孫娘にして聖女様。つい最近は聖導士としての力に目覚め、取り巻きをまとめて聖騎士に任じてしまった。君、いろんなところから嫉妬やら恨みやらを買ってるよぉ?」
男の言葉に、ティアが顔を引き締めて言った。
「要するに、ゲリエル枢機卿の依頼でわたしを消そうとしたということですね?」
「大当たりぃ! ま、恨むんなら教皇選挙で面倒な時期に人目を引くような真似をした自分を恨むことだねぇ。
さて、種明かしは終わったよぉ。君たちにはそろそろ死んでもらおうか。ゴブリンの群れに立ち向かい、敵のボスを自分の命と引き換えに討った聖女様――くくっ、聖導教会に永く語り継がれることだろうねぇ。死んだ聖女はいい聖女ってわけさ。
んじゃ、バイバーイ!」
男はそう言って右腕を跳ね上げた。
膨大な魔力が天に伸び、暗雲を作り出す。
さっきのように局所的な雲ではない。空一面をどす黒い雲が埋め尽くした。
「どうよ? これならかわせないんじゃないかなぁ、
「英雄って、わたしのこと?」
「なんだ、まだ気づいてなかったのかよ。つまんね、つまんね、あーつまんね。ざっこ、ざっこ、マジざっこ。ちょっとすげーって思っちゃった僕っちが情けない。さあ、とっとと死んで、どうぞ」
男は魔力ではちきれんばかりの腕を振り下ろそうとした。
天の暗雲と魔力でつながったその腕を振り下ろせば、地上を雷の嵐が襲ったのだろう。
だが、その手が振り下されることは決してない。
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