心配性執事、万全を期して狩りをする

 門を抜けると、そこは明かりの一切ない闇の中だった。

 いや、月明かりと星明かり、それに、草原の各所にいる赤いスライムの体光が、あたりをぼんやりと照らしている。

 僕は強くまばたきし、瞳孔を大きく開いた。


「見えなくはないね」


 もともと夜目は鍛えている。

 ただ、人工物の一切ない自然の闇というのは経験が少ない。


 草原に目を凝らしてみると、


《スライム レベル??》

《スライム レベル??》

《レッドスライム レベル??》

《スライム レベル??》

 ……


「ああ、【鑑定】が働くのか」


 夜闇の中の透明なスライムは見分けづらい。

 【鑑定】で場所がわかるのはありがたかった。


「どうして僕は【鑑定】を覚えられたんだろう?」


 最初にステータスが表示されたのは、お嬢様が最初にレッドスライムを倒した時だ。

 あの時、レッドスライムが自爆し、お嬢様があわや巻き込まれかけた。

 実際には余裕だったわけだけど、あの瞬間僕の心臓は大きく跳ねた。

 お嬢様の安否が知りたいと強く思った。


「……お嬢様が【鑑定】を覚えてない以上、そう考えるのが妥当だろうけど」


 そんな精神論でスキルが覚えられていいのだろうか?

 いや、覚えられるならそのほうがいいのだが。


「こんな簡単に覚えられるなら、きっとこの世界には【鑑定】を持った人間がたくさんいるんだろう」


 僕は悲観的にそう見積もる。


「【火魔法】もだ。レッドスライムを素手で倒すってだけなら、高レベルの【火魔法】持ちがたくさんいてもおかしくない。いや、いると思っておくべきだ」


 僕は、草原をもう一度見渡した。


「レッドスライムだけ【鑑定】できないかな?」


 そう意識してみると、あちこちに浮かんでいた《スライム》の文字がいきなり消えた。


「フィルタリングもできるってことか。って、待てよ?」


 僕はふと思いついて、自分自身を【鑑定】する。



 霧ヶ峰敬斗

 レベル 24(↑10)

 HP 94/94(↑25)

 MP 163/163(↑74)


 スキル

 【鑑定】2(↑1)

 【火魔法】7(↑6)


 【インスタント通訳】



 【鑑定】のレベルが上がっていた。

 【火魔法】が上がってるのは、お嬢様と一緒にレッドスライムを狩りまくった成果だ。


「レベルも上がったんだよね」


 てっきり、僕は元の世界でもレベルがある程度上がっていたのだと思っていたが、そうじゃないのかもしれない。

 僕とお嬢様は異世界に来た時点でレベル1となった。

 その後のスライム狩りでレベルが上がった。

 そういうことなのだろう。


「でも、こんなに簡単にレベルが上がるなんておかしくないか? ひょっとしたら、レベル24っていうのは全然低くて、この世界ではレベル100とか200とかが普通なのかもしれないね。何年何十年とモンスターと戦ってる人たちのレベルがそんなに低いわけがない。ゲームのレベル感で判断するのは危険だな」


 現在のレベルでは、お嬢様に適度に・・・歯ごたえのある戦いを提供するなんて、夢のまた夢だろう。

 お嬢様は明日、まちがいなく、森の中に分け入ろうとするはずだ。

 それをお止めすることは難しい。


「なら、事前に森を調査しておくしかない。

 でも、調査だって危険なんだ。

 だから――」


 僕は、草原に点在する《レッドスライム》の文字を睨みつける。



「――最高速度で狩って、【火魔法】だけでもカンストさせるッ!」



 僕は小さく息を吐くと、全身に気を巡らせる。


 ――気。


 闘気、オーラ、エーテルなど、さまざまな呼び方で呼ばれるが、霧ヶ峰家では単に「気」とだけ呼んでいる。

 霧ヶ峰家に伝わる練気法で、僕は身体能力と知覚速度を強化した。


「行くぞ……っ!」


 闇夜の中を、僕は駆ける。

 草原の茂みをかきわけ、手近なレッドスライムに接触、いきなり核へと手を伸ばす。

 そして、核を破壊する。


 何かを「壊す」ことにかけては、僕はお嬢様のはるか上を行く。

 霧ヶ峰家の古文書から復元した術理で、僕はモノの破点を観ることができる。

 生物でも無機物でも、モノとしてのかたまりを持つあらゆる存在は、塊たるための構造を持つ。

 破点とは、その構造の破れ目のことだ。

 あらゆるモノは、その構造に必ず破点を持っている。

 その破点を正しく突けば、驚くほど少ない力で、モノのモノたる構造を崩す――つまり、モノを「壊す」ことができるのだ。

 喩えるなら、ジェンガが崩れる最後のピースを見極める力、といったところだろうか。


 破点を見破れる僕にとって、レッドスライムの核は、崩れかけのジェンガのようなものだった。

 強烈な魔力が巣食ってる分、破点を突けば一気に崩れる。


 レッドスライムは、もはや悲鳴すら上げられなかった。

 僕は既に、【鑑定】の示す次の《レッドスライム》へと向かっている。

 レッドスライムの警戒範囲は、既に完全に見切っていた。

 その外側から、音もなくスライムの懐へ。

 僕の指先が核に触れ、直後、レッドスライムの核が砕け散る。

 僕は、次のレッドスライムを探し出す。


 正直言って、僕にとっては単純作業だ。

 反復横跳びと大差がない。

 僕は数秒ごとに、レッドスライム一匹を狩っていく。


 そんなペースで狩って、レッドスライムは全滅しないのか?

 当然の疑問だが、昼の狩りで、スライムたちは狩ったそばから「湧く」ことが判明している。狩りたいだけ狩れるということだ。


「こんなに簡単に稼げてしまうのか……」


 ますます、この世界は危険だ。

 こんなに簡単に強くなれるのなら、必ずや、お嬢様を脅かすような危険な存在がいるだろう。

 目に見えぬ危険な相手と競い合うかのように、僕は闇の中を疾駆し、ただひたすらにレッドスライムを狩り続ける。



 無心にレッドスライムを狩ること、三時間。

 僕は初めて立ち止まり、自分自身に【鑑定】をかける。



 霧ヶ峰敬斗

 レベル 57(↑33)

 HP 210/210(↑116)

 MP 508/508(↑345)


 スキル

 【鑑定】21(↑19)

 【火魔法】44(↑37)

 【火炎魔法】4(NEW!)


 【インスタント通訳】



「早いな……」


 早すぎる。

 たった三時間でレベル57。

 僕の狩りの効率がよかった――そう自惚れたくなるところだが、おそらくそうではないだろう。

 この世界の強者は、きっとレベル500、いや、1000をも超えると想定するべきだ。


 【火魔法】も、早くも44まで上がってしまった。

 この世界で魔法メインで戦う人間ならば、この程度の水準は優に超えているのだろう。


「しかも、【火炎魔法】か」


 スキルレベルから察するに、【火魔法】のスキルレベル41到達が習得条件だったのだろう。

 効果のほどは、使ってみなくても、脳裏になんとなく浮かんでくる。


「火属性の範囲魔法攻撃だ。レッドスライムが使う火の魔法は、【火魔法】じゃなくて【火炎魔法】だったみたいだね。【火魔法】にしては範囲が広いと思ったんだ」


 スライムですら、【火魔法】から派生した【火炎魔法】を使ってくるということだ。

 相手が人間の魔法使いなら、さらに上位の魔法を使ってくるにちがいない。


 僕は気を引き締めて狩りを再開する。

 もはや完全に作業と化したが、核を破壊するたびに魔力が流れ込んでくるのがわかる。



 一時間後、もう一度自分を【鑑定】する。



 霧ヶ峰敬斗

 レベル 61(↑4)

 HP 224/224(↑14)

 MP 584/584(↑76)


 スキル

 【鑑定】25(↑4)

 【火魔法】49(↑5)

 【火炎魔法】9(↑5)


 【インスタント通訳】



「くそっ、伸びが鈍化したか……」


 手応えからして、そんな気がしてたのだ。

 僕は思わず舌打ちする。


「まずいな。お嬢様が起き出す時間までに、【火魔法】をカンストさせるのは無理かもしれない」


 それだけじゃない。

 【火魔法】のカンストは、森の偵察のための最低限の準備にすぎないのだ。

 あの広く鬱蒼とした森を調査し、お嬢様にとって脅威となるものはなんとかして排除しつつ、適度に歯ごたえのありそうなモンスターを探しておかなければならなかった。


「【火魔法】のカンストが99とも限らないしな。しかたない、とりあえず50で妥協するか」


 【鑑定】を挟みながら狩りを続ける。

 ほどなくして、【火魔法】が50になった。

 50でなんらかのスキルを覚えるかと思ったがそれはなかった。

 まだまだ先は長いということなのだろう。


 僕は、門から一旦屋敷に戻る。


「敬斗君。調子はどうですか?」


 深夜にもかかわらず、箸蔵さんはそこにいた。


「思ったよりも苦戦してます。やはり、付け焼き刃では厳しいのかもしれません」

「そうですか……」

十分じゅっぷんほど仮眠を取ります」

「では、軽食を用意しましょう」

「助かります」


 僕は地下室の壁にもたれて目を閉ざす。

 睡眠を圧縮することで、僕は十分の仮眠でも数時間分の睡眠と同じ効果を得ることができる。

 箸蔵さんの用意してくれたサンドイッチをつまんで、再び門をくぐって異世界へ。


 異世界の空には、地球より大きな月がかかっていた。

 月は傾き、こちらでも夜半を過ぎていることが見て取れる。


「さあ、時間がない。万全とは言えないけど、森に入ろう」


 僕は、スライムたちの間をすり抜け、草原を横切った。

 森のはずれに立ち、中の様子を慎重にうかがう。

 キー、キーと、得体の知れない獣の声が遠くから聞こえた。

 だが、草原のそばには、モンスターらしき気配は感じ取れない。

 殺気もないし、魔力も感じない。


「罠……ってこともないだろうけど」


 ひょっとすると、スライムたちとの間に縄張り争いでもあるのかもしれない。


 僕は気配を殺し、森の中に分け入った。

 森の樹冠は濃く、月明かりや星明かりが遮られる。

 虫や小動物などの、濃密な生命の気配がするが、僕の目は限られた視界しか得られない。照明器具はもちろん持ってきているが、こんな暗闇の中で明かりをつけるのは狙ってくれというようなものだ。


「そうだ……」


 僕は闇の奥に向かって【鑑定】を使う。



《キラーマンティス レベル20》

《殺人猩々しょうじょう レベル24》

《イヴィルプラント レベル23》

《グリーンスライム レベル19》

 ……



「うん?」


 闇の奥に、やはりモンスターたちが潜んでいた。

 だが、さっきの草原の時とは違って、【鑑定】結果にレベルが表示されている。

 しかも、レベルは僕より低い。


「【鑑定】のレベルが上がったからかな?」


 帰りに、草原のスライムも【鑑定】しておこう。隣のエリアである森のモンスターがこのレベルなら、草原のスライムも同じようなレベル帯だろうけど……。

 モンスターのレベルが僕より低いのは、モンスターは本来集団で狩ることを前提にされているからかもしれない。だとしたら、こちらがソロである以上、一見低レベルのモンスターでも油断はできない。


「油断せず、一撃で」


 【火魔法】は、暗闇の中では目立ちすぎる。

 スキルレベルが上がって威力も上がってるはずだが、不確実な状況下では、やはり使い慣れた武器を使うべきだ。


「ああ、いや、スライムだけは核を狙いたい。他のモンスターにも核があるんだろうか?」


 僕は闇の中を駆け、まずはグリーンスライムに近づいてみる。

 近づくと、スライムからは魔力を感じた。

 レッドスライムとは異なる感じの魔力である。


「お嬢様のために、命をいただく」


 僕はグリーンスライムの体内に手を差し込み、核を一瞬で破壊する。

 念のために跳びのいたが、グリーンスライムは弱い風を撒き散らすだけで、レッドスライムのように自爆することはなかった。

 だが、僕は核に触れた指先から、確かに魔力を吸収していた。


「【鑑定】」



 霧ヶ峰敬斗

 レベル 61

 HP 224/224

 MP 588/588(↑4)


 スキル

 【鑑定】2

 【火魔法】49

 【火炎魔法】9

 【風魔法】1(NEW!)


 【インスタント通訳】



 あった。


「やっぱり【風魔法】を覚えるのか。弱ったな。グリーンスライムを狩る必要まで出てきた」


 僕は続いて、《キラーマンティス レベル20》、《殺人猩々しょうじょう レベル24》、《イヴィルプラント レベル23》を狩ってみる。

 キラーマンティスはこちらに気づきもせずにやられ、殺人猩々は睡眠中だったところを一撃だ。食虫植物のイヴィルプラントは毒々しい蔦を伸ばしてきたが、その動きは緩慢だ。これならスライムの突進の方が速かった。

 いずれも素手で倒してみたが、スライムの時とは違って、新しいスキルは覚えなかった。


「なら、こいつらは無視だね」


 僕とお嬢様ならば問題のない相手だ。


 僕はさらに森に分け入り、索敵し、未知のモンスターがいれば倒し、スライムを発見したら核を壊す。

 スライム以外はスローイングダガーを使っていい。

 途中からは【風魔法】のスキルレベルが上がって、中距離の攻撃手段が一つ増えた。

 グリーンスライムの他にも、水場のそばにはブルースライムが、岩場の陰にはイエロースライムがいたので、ついでとばかりに狩っておく。

 予想通り、【水魔法】、【土魔法】を習得する。


「やっぱり、基本的な属性魔法は習得が簡単みたいだね。参ったな。どの属性もある程度は上げておかないと、魔法使いと敵対した時に危険かもしれない」


 やれやれ。課題が山積しているな。


 僕は、森の地形把握を進めながら、スライムだけを選んで狩っておく。


「森のすべてを把握するのは無理だね。最低限、草原から見えてた街までの経路を抑えればいいか」


 本当は、それだけでは不安である。

 お嬢様がどんな気まぐれを起こして、森のあらぬ方向に踏み込まないとも限らない。

 そしてたいていの場合、森の奥深くになるほど強いモンスターがいると相場は決まっている。


 ままならない現実にため息をつきながら、僕は街への経路を確認する。


 街へと向かっていくと、森の中に明らかに人間の切り拓いたとおぼしい道があった。


「人の手が入ってる。モンスターの湧く森の中に」


 本音を言えば、強さのわからない異世界人とお嬢様を接触させたりはしたくない。

 だが、お嬢様は確実に街に向かうだろう。


「街の様子も見ないとね」


 夜間だから、侵入するのは容易だろう――そう思いかけて、僕は首を横に振った。


「なんらかのスキルや魔法で警戒されている可能性がある。いきなり街に行くのは危険だ。できれば、森の中を通行する人間を観察したい」


 でも、明かりひとつない森の中の夜道を行く人間なんて――


 そう思いかけたところで、僕は人間の集団の気配を捉えていた。

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