今日はスライムで我慢していただく

 ステータスが見えるようになったことを、僕はお嬢様に伏せることにした。


(だって、こんなこと教えたら、面白がって丸一日モンスター狩りをする羽目になる)


 この草原にいるモンスターならば危険はなさそうだった。

 だが、奥の森に分け入ったらどうかわからない。

 森には、万全の準備をしてから入るべきだ。

 僕はお嬢様に、毛ほどの怪我もさせたくない。


「スライム相手に、魔法の練習をしませんか?」


 僕はお嬢様にしれっとそう提案する。


「そうね。今のままじゃ弱くて使えそうにないけど、性能の把握は大事よね」


 お嬢様が乗り気になった。

 僕とお嬢様は、草原で赤くないスライムを探す。

 現在の【火魔法】の威力では、赤いスライムは倒せないだろう。

 お嬢様の攻撃を一度耐えたくらいなのだ。

 赤いスライムから習得した【火魔法】が、当の赤スライムに効くかという問題もある。

 なお、スライムを【鑑定】してみても、《スライム レベル??》というそっけない表示が出るだけだ。


「あ、いたわ。わたしとケイでじゃんじゃん魔法を浴びせましょう。手応えから言って、それくらいじゃないと倒せそうにないわ」

「わかりました」


 僕とお嬢様は、透明なスライムに忍び寄り、


「火よ!」

「燃えろ!」

「燃やし尽くせ!」

「爆ぜろ!」

「メラメラ!」

「ファイヤーボール!」

「……ぷっ、何よファイヤーボールって」

「お嬢様のメラメラだって相当ですよ!」


 透明スライムは、僕とお嬢様の合計6発の【火魔法】で倒すことができた。


「……なんか、疲れるわね。身体がっていうより、気持ちが」

「そうですね。MPのような何かを消費してるのかもしれません」


 ……などととぼけつつ、お嬢様のステータスを覗き見る。



 鳳凰院紅華

 レベル 19

 HP 91/91

 MP 51/67


 スキル

 【火魔法】1


 【インスタント通訳】



 さっき見た時、お嬢様のMPは63だったはずだ。

 そこから12減っている。

 【火魔法】一発でMPを4消費する計算だ。


(レベルは上がらないし、【火魔法】のスキルレベル?も上がってない)


 そんなに簡単に上がるものではないのだろう。


 ……と思ったのだが、


「んー、なんか、力になったって感じが薄いわね」


 お嬢様がそんなことを言った。


「どういうことです?」

「赤いのの核を潰した時みたいな感触がないじゃない。魔法って、使いまくれば強くなるってもんじゃないのかもしれないわ」

「……ふむ」


 何度も言うが、お嬢様の直感はよく当たる。

 戦いに関することならなおさらだ。


「じゃあ、今日は赤いのの核を狙いましょうか? ひょっとしたら魔法が強くなるかもしれません」

「そうね。それなら、別々に動きましょ。わたしとケイなら、ソロでも赤スライムは余裕でしょ」

「油断はしないでくださいね。それから、目の届く範囲にいてください」

「わたしは幼稚園児か! ま、わたしだって勝手のわからないうちに無茶はしないわよ。今日は箸蔵さんも待たせてるしね」


 そう言って、お嬢様は赤スライムを探しに走り出す。


 僕はそっと息を吐きつつ、自分自身に【鑑定】を使う。



 霧ヶ峰敬斗

 レベル 14

 HP 59/59

 MP 63/89


 スキル

 【鑑定】1(NEW!)

 【火魔法】1(NEW!)


 【インスタント通訳】



「うーん……【鑑定】はありがたいけど、レベルはお嬢様に負けてるな」


 さっきまでに倒したスライムの数はお嬢様の方が多かった。

 それにしても、5もレベル差がつくのは不思議である。


「そもそも、僕たちがここに来た時点で、僕たちのレベルはいくつだったんだろう?」


 元の世界でもレベルが存在したのだとしたら、僕とお嬢様はそれなりにレベルが高かったはずだ。

 この世界に来てからレベルが付与されたのだとしたら、さっきから今までの戦闘でレベル1から14まで上がったことになる。

 考え合わせると、


「元からレベルは存在したと考えておくべきかな。僕やお嬢様並みに戦闘力があってもレベル14と19か……。この世界の人間は、ひょっとすると僕たちよりかなり強いのかもしれないね。何より、魔法やスキルもある」


 【火魔法】は、レベル1では貧弱な火力しかなかった。

 だが、


「こんなに簡単に覚えられたんだ。この世界でモンスターとの戦いを生業なりわいにしてる連中は、当然、各属性の魔法を高レベルで揃えてるはずだ」


 魔法は、単純な攻撃魔法ばかりではないだろう。


「回復魔法。防御魔法。このあたりはありそうだ。状態異常魔法もあるだろう。毒や睡眠、麻痺、石化、即死。そんな魔法があったらどうしようもないぞ……」


 ――僕たちは、この世界ではきっと弱い。


 そう思ったからこそ、今日のところはお嬢様にステータスのことを伏せたのだ。


「今日のところはスライム狩りで我慢していただこう」


 そんなことを考えながら、僕もスライムを狩っていく。

 透明なのはあまり意味がなさそうなので、赤いものを探して素手で倒す。

 そのたびに、魔力らしきものが流れ込んでくる。


 小一時間ほど、僕とお嬢様は赤いスライムを狩り続けた。


「――火よ!」


 茜色に染まった草原で、お嬢様が【火魔法】を使う。

 火球は大きくなっていた。

 野球ボール大だったのが、今ではバスケットボールくらいはある。

 火球は真っ直ぐに飛び、地面にぶつかると爆発した。

 草がちぎれ飛び、燃え上がる。


「だいぶ強くなりましたね」

「そうね。スライム狩りは単調すぎて退屈だったけど、成果があってよかったわ」


 爆発の余波にプラチナブロンドの髪をなびかせながら、お嬢様が言った。


「さあ、今日のところはこれまでにしましょう。箸蔵さんも心配してますよ」

「もっと探検もしたかったんだけどなぁ」

「ちょうど夏休みですからね。時間はたくさんありますって」

「それもそうね。魔法を使ったら、なんか気疲れしちゃったし」


 それは僕も感じていた。

 MPを消費すると、精神的に疲弊するようだ。


 僕とお嬢様は、隔世へだてよの門をくぐり、屋敷へと戻る。


「――お嬢様! よくご無事で!」

「おおげさねえ。無事に決まってるじゃない」


 涙すら浮かべて言う箸蔵さんに、お嬢様が苦笑する。


「箸蔵にもお土産話をしてあげるわ。とにかく疲れたから、お風呂に入ってご飯にしたいわね」

「もちろん、準備は整っておりますとも」


 というわけで、第一回の異世界遠征は、赤スライム狩りで終わりを告げたのだった。





 ……というのは表の話で。


 僕は、お嬢様が寝静まった頃を見計らい、単身、隔世へだてよの門のある地下室へとやってきた。

 地下室には箸蔵はしぞうさんがいた。


「じゃあ、ちょっと偵察に行ってきます」

「頼みましたぞ。私も行ければよかったのですが」

「昼見た限りだと、門の近辺は安全そうでした。ただ、常識の通じない場所ですし、少し離れた場所には生々しい殺気も感じました」

「ふむ……君ならば心配はいらないと思いますが」

「気配を見る限りでは問題ないですね。いきなり未知の魔法でも使われない限りは」

「魔法とはまた、けったいな話ですね」

「まったくです。もっとも、魔法を使うモンスターには、特有の気配があるように思います。僕も魔法を覚えたので、モンスターの……魔力のような何かを察知できるようになったんでしょう」

「それはお嬢様も?」

「お嬢様もできると思いますが、現状では僕の方が上ですね」


 もともと索敵や危険の探知は僕の仕事だ。

 もちろんお嬢様とてできないわけではないが、僕の方が得意なのは間違いない。


「……私は後悔しております」


 箸蔵さんが、うつむいて言った。


隔世へだてよの門。てっきり伝説か冗談のたぐいとばかり……」

「そりゃ、誰だってそう思いますよ」


 箸蔵さんは、話のタネとして門のことを持ち出しただけだ。

 お嬢様だって、冗談だと分かった上で、その話に乗ったのだ。

 だが現実は、僕らの想像の斜め上を行っていた。


「よりにもよってお嬢様の耳に入れてしまうとは……。まったく、痛恨の極みです。こうなっては、お嬢様をいくらお止めしても無駄でしょう」

「ですね。でも、僕はよかったかもしれないと思います」

「よかった、とは?」

「お嬢様は強者との出会いを求められています。しかし、この世界にはもう、お嬢様の期待に応えられる者がいませんでした。お嬢様が鬱屈していかれるのを見るのは、僕にとっては辛かったんです」

「そのような見方もありますか……。しかし、ことはお嬢様の命に関わります」

「だからこそ、僕がいるんです。異世界での戦いがお嬢様にとってほどよく・・・・歯ごたえがあるよう、前もって整えておきますよ」


 胸を叩いて請け合う僕に、箸蔵さんが少し考えてから言った。


「くれぐれも気をつけてください、敬斗けいと君」

「ええ、お嬢様のための行動に、抜かりなんてありません」


 僕の言葉に、箸蔵さんが首を左右に振った。


「それでだけではありません。もちろん、お嬢様の安全は最優先事項です。しかし、この箸蔵、敬斗君のことも、我が子同然に思っておるのです。そのことをくれぐれもお忘れなく」

「……ありがとうございます、箸蔵さん」


 照れくさくなった僕は箸蔵さんから顔を逸らし、隔世へだてよの門へと飛び込んだ。

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