第11話 海中デート


「……あった ! 」


 男の血まみれの手には灰色の石が握られていた。


 それを海で丁寧に洗って、知能を持つアイテムインテリジェンスである髭型万能ツールを起動させる。


 男の口元の立派なカイゼル髭から黒い触手が幾つも伸びて、その先端が様々な工具の形状となっていく。


 キュイイイィィイィイイインと歯科医院で聞けば思わず身をすくめてしまいそうな音を立てて、灰色の魔石は加工される。


「……肺を持つ海棲モンスターは空気を生み出す魔石を持つ、か……こういう知識だけは覚えてんだよな……」


 記憶喪失の男はぼやきながら、加工し終えた魔石に魔素をなるべく減衰せずに通すための魔導線をつけて、次は木の加工へと移る。


「……この魔導線も髭で代用できるし……ひーちゃんはこういう状況を想定してつくられた知能を持つアイテムインテリジェンスだったのかな…… ? 」


 男の質問に答えて、作業中の触手の一本が〇の形を作ってみせた。


 そして削り出された木製の部品同士に男が魔素を浸透させて、融合させていく。


「よし……。あとは落とさないように首にかけるロープでも付けておくか……」


 直径十センチほどの筒に直径三センチほどの筒がついたような形状の木製の物体に、男は腰に巻いていたロープをほどき、その端を融合させる。


 自然とそのロープが保持していた大きな葉っぱは落ちて、ほぼ全裸だった男は、晴れて全裸の男となった。


 周囲に悲鳴をあげるご婦人方がいるわけでもないことから、男はそのまま作業を続ける。


 次は解体した時に丁寧に剥がして、よく洗い、砂浜に干しておいたモンスターの皮に向かい合う。


「こいつからは足ヒレと海水パンツと水中眼鏡のゴム部分の代用か……」


 髭から伸びた触手の先が刃物の形状となり、型紙かたがみもないのに小気味よくパンツ型にカットしていく。


 カットし終えた皮達を融合させ、履き心地が最悪の海水パンツが完成した。


「……ごわごわして固い。外側に防御力が高い分、内側のデリケートな部分に攻撃力が発生しているのが問題だな……。まあ今は時間がないから仕方ないか……」


 膝くらいまでの長さの海水パンツの腰部分に通した紐状にカットした皮の両端を結び、固定してから男は作業を続ける。


 次は空き瓶のガラスを楕円形に加工して周りを皮で覆い、頭にかけるヒモ状の皮を取り付けて簡易的な水中眼鏡を作り、そして最後に皮を足ヒレに加工していく。


「……とりあえずこんなもんか。思ったより早く終わったな。まだ昼までもう少し時間がある……。この動く度に俺の皮膚を削り取るサンドペーパみてえな海水パンツの内側に包帯でも貼っておくか……。あんな痴女的な格好の人魚と一緒に泳ぐしな……」


 男が包帯の入っている薬箱が置いてある洞窟へ戻ろうとした時、ぐいっと引き戻された。


 髭から伸びた一本の触手が解体したモンスターの死骸に突き刺さり、彼の歩みを引き留めたのだ。


「ん ? どうした、ひーちゃん ? 」


 振り向いた男に、触手は転がる透明な拳大こぶしだいの魔石を指してみせる。


「それは……モンスターが身体を強化したり、運動エネルギーを生み出すための魔石だろ。それも加工するのか ? 」


 触手の先が大きな〇になる。


 続けて髭から数本の触手が伸びて、透明な魔石へと向かい、再び耳を塞ぎたくなるような研磨けんま音が鳴り響いた。


 しばらくして触手達が元の髭に戻ると、そこにはカットされたダイヤモンドのように加工された透明な魔石が光輝いて、圧倒的な存在感を放っていた。


「あんな透明なガラス玉みたいな石が綺麗になるもんだな……。これはこの形に意味があるのか ? 宝石みたいになったし……女の子にプレゼントするとか ? 」


 二本の触手が重なり、特大の×が作られる。


「……違うのか。じゃあ俺が使う ? 」


 触手の先が今度は△になる。


「使うって言ってもなぁ……」


 男は試しに握った魔石に、魔力によってほんの少し魔素を通してみる。


 すると物質にもエネルギーにも、全てに変換する奇跡の粒子である魔素は魔石によって身体を強化するエネルギーへと変わっていく。


 魔石を握った方の男の腕が筋肉の膨張によって少し膨らんだ。


「……確かに筋力は上がるけど、これ以上魔素を注ぎ込んだら、腕が破裂しそうだ……。人間用に調整されてもいないし……。どう使うんだ ? 」


 男の言葉に対して、触手はまた形を変える。


 〇でも△でも、×でもなく、人間のような形状に。


「これは……人型の竜 ? 竜人ドラゴニュートか……」


 ふと、男の周囲が白い霧に包まれかける。


 また白昼夢か──と男が思った時、大きな声がして、霧は霧散していく。


 それは沖から男を呼ぶ大声だった。


 海面から高く跳びはねながら、シーラが大きく手を振っている。


 男は手を振り返しながら、つくったばかりの装備を身に着け、海へと向かった。


「この魔石は置いてくか……邪魔になるだけだし」


 と男が砂浜に置いた魔石を髭から伸びた触手が掴み上げ、そのまま髭へと戻ってくると不思議なことに掴んでいた魔石が消えた。


「……ひーちゃんには収納スペースもあるのか ? 」


 そのとおり、とばかりにカイゼル髭の片端が男の頬をペシペシと叩いた。


 男は軽く頭を横に振ってから、海に浸かる。


 口にくわえた小型ボンベは込められた魔素を空気へと変換し、水中眼鏡の視界も良好。


 足ヒレは数時間前まで男が持ちえなかった推進力を生みだし、沖で待つ人魚の元へと彼を力強く運ぶ。


 シーラはそんな彼を驚いた顔で出迎えた。


「……なんで急に髭が生えてんの !? 」


「そこかよ ! これは付け髭だ ! それよりも泳いでることに驚けよ ! 」


 念のために彼女の前ではとっていた付け髭型万能ツールを今更隠すこともない、と披露したことによる驚きが、せっかく水泳用アイテムをつくって泳げるようになったことよりインパクトが強かったのが、少しばかり男を傷つける。


「そ、それもそうね ! とにかくこっちよ ! 」


 シーラは慌てたように男の手をとり、沖に向かって泳ぎ出す。


 それは男の足ヒレによる推進力など、ものともしない力強さで、あっという間に島は見えなくなった。


「なんだ ? そんなに慌てて ? 」


 まだ顔を海上に出した状態で泳ぐ人魚に男は問いかけた。


「ちょっと遠い場所だから…… ! 」


 そう言ってシーラは速度をゆるめない。


 男は少し不思議そうな顔をしたものの、それ以上追及することはなかった。


(……ここまで離れれば大丈夫…… ! あのモンスターの濃密な血の臭いが消えた……)


 少しばかり落ち着いたシーラは改めて出来損ないの海人族のような出で立ちとなった男を見る。


「なんか変な格好になったけど……確かにそれで泳げてたね。それで潜ることもできるの ? 」


「ああ、大丈夫だ ! 」


 その声を聞いて、彼女は男の手をいて海中へと潜行する。


 真昼の太陽が海中をエメラルドグリーンに照らす中、二人はゆっくりと泳いでいく。


 やがて目的地が見えて来た。


(あれは…… !? )


 赤色、黄色、青色、そしてインパクトのある紫色、様々な形で様々な色が海中の岩を覆い、その合間をさらに珊瑚よりもカラフルな魚達が泳ぎ回っていた。


「すごいでしょ ? 」


 どういう仕組みなのか、水中なのに陸上と同じようにシーラの声が聞こえた。


 男は小型ボンベをくわえた口で精一杯の笑顔を作ってみせる。


 それがどうにか伝わったようで、彼女も朝、男に言われたように、少しばかり控えめな笑顔で応えた。


 二人は並んで珊瑚礁の中を進む。


(……海人族には全然及ばないけど……それでも本当に息継ぎも無しに海の中を自由に泳いでる…… ! あのモンスターの素材からあんなアイテムをつくれるなんて…… ! 昨日の夜に縄張りに入ってきたのをぶっ殺しといて良かった ! )


 シーラはそんなことを考えながら、浦島太郎のようにウミガメの甲羅に乗ろうとしている、ウミガメからすればただの迷惑行為にいそしむ男を眺めていた。


(……なんだか、さっきから血の臭いを嗅いだわけでもないのに……鼓動が早くなってる……)


 彼女はウミガメに逃げられて、海中で落胆している男に静かに近づいていく。


 そして彼の正面に回り込むと、男と女は向かい合った。


 女が男の水中眼鏡を上にずらし、彼の素顔を露わにして、二人はしばらく見つめ合う。


 やがてどちらからともなく両腕を互いの背中に回し、二人を隔てていた海水がどんどん無くなっていき、そしてついに彼と彼女の距離はゼロになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る