第10話 変えられるもの、変えられないもの


 大きな欠伸あくびとともに、葉っぱ一枚を装備した推定全裸の男は寝床としている洞窟から、ふらふらと歩き出た。


 そしてゆっくりと海へ向かい、海水で顔を洗い、短く切った包帯を指に巻いて濡らし、それを使って歯を磨いていく。


「……やっぱり水道と歯ブラシがないと不便だな……」


 そう男が自らの境遇に不満を漏らした時、ぱしゃりと波の音とは別の水音がした。


 朝日にきらめく海に、小さな貝殻二枚だけを身に着けた九割九分九厘裸の人魚が、上半身だけを海上に出して、彼を見つめていた。



「これ……返すわ」


 簡素な茶色い革製のさやに収められた剣だ。


 男はそれを無言で受け取り、すらりと抜く。


 しばらくの間、海中にあったであろうに、その剣は少しも錆びることなく朝日を受けて輝いてみせる。


 ワザとらしいほど爽やかな場面であるはずなのに、その剣身に何かなまめかしいものを感じたシーラは思わず目を背けた。


「いいのか ? 」


「ええ……。あんたは剣を持ってても私に襲い掛かったりしないと思うし……。もうすぐいかだを作って出て行くみたいだし……」


 シーラは伏し目がちに、力無く呟いた。


 そして小さな声で続ける。


「でも……もしこの島に居たかったら……別にいつまでも居てもいいし……陸で嫌なことがあったらここに逃げてきてもいいし……」


 最初と随分違う対応に、男は不思議そうにシーラを見た。


「……なんだか態度が全然違うな…… ? シーラはもっと高圧的で暴力的な女のはずだ…… ! 偽物だな ! 正体を現せ ! 」


 自ら出した結論に驚き、慌てて剣を構える男。


「……私のことをどんな女だと思ってんのよ……。でも……そう思われても仕方ないか……」


 シーラは溜息を吐いてから、ぽつりぽつりと昨晩のリュースとのやり取りを話し始めた。


 全てを赤裸々に言うのはさすがに抵抗があったので、大分ぼやかしてでは、あったけれど。


(あのもしゲームならば相手に対する選択肢が「暴力」・「恫喝」・「不愛想」・「折伏しゃっぷく」しかなさそうな応対はシーラの母親が原因だったのか……)


「……それで……リュースに……友達に言われたの……。そんなんじゃ絶対に仲良くなれないって……でも人間と仲良くなる方法がわかんなくて……」


「……海人族同士が仲良くなるのと別の種族と仲良くなるのも、変わらないんじゃないか ? 言葉だって共通なんだから意思疎通は普通にできるんだから。まあ、でも基本はやっぱり笑顔かな。本気の笑顔だ」


 全く当たりさわりのないことを、男はもっともらしく言ってみせた。


 二人の間に、すれ違いがあるのは当然のことだった。


 男は言葉通りに人間族と仲良くなることと思ったけれども、シーラが言っているのは人間という種族全体ではなくて、目の前の男のことだったからだ。


「こんな感じ…… ? 」


 人間に比べて少しだけ大きめの口を大きく開けて、シーラは笑顔を作ってみせる。


 するとその口の中の鋭角に尖った歯が威圧感たっぷりに覗き出る。


「……もう少し控えめな方がいいな……」


「そ、そう ? 」


 男のアドバイスを受けて、鮫タイプの人魚は口を閉じ気味に口角をあげる。


(……暴力的な態度が鼻について、そんな風に見てなかったけど……こいつ結構可愛いじゃねえか…… ! 胸も大きいし……下半身は魚だけど……いや、しかし……)


「……どうかな ? 」


 シーラは大きな鳶色の瞳で上目遣いに男を見上げた。


「……い。大抵の男は仲良くなりたいと思うだろうな」


「でも……ジョンはどうなの ? あなたは私と仲良くなりたいと思ってる ? 」


「ああ、もちろんだ」


 男は笑顔でこたえた。


「そう……じゃあお昼になって……もっと海中が明るくなったら……その……二人で泳いでみない ? 」


「……俺は溺れることはできても泳ぐことはできないぞ……」


「ホントに ? ちょっと浅瀬で試してみてよ」


 バシャバシャと水しぶきを立てて、全く進みもせず、戻りもせず、ただただその場で水に沈んでいくだけの憐れな陸生生物の姿がそこにはあった。


「……これはひどいわ……。やっぱり人間が海人族とともに海で生きていくなんて不可能なのね……」


 ──私達が陸上で生きていけないように、人間も海の中では生きていけない。そう定められているの。そうできているの。それを無理に一緒になろうとすれば──昨夜のリュースの言葉がシーラによぎった。


「……昼にもう一度来い。それまでに泳げるようになってやる…… ! 」


「え ? 本当に ? 」


「ああ。絶対だ…… ! 」


 男はそう自信たっぷりに言って、砂浜から岩場へ向かって歩きだした。


「……泳ぐ練習するんじゃないの ? 」


「練習してどうにかなるレベルだと思うのか ? 」


「確かに……私が陸上を歩く練習をした方がまだ望みがありそうなレベルだった」


 下半身が魚の女にこうまで言われるほどの男は、昨晩、眠れずに島を徘徊していた時に見つけた、ある物を目指していた。


 男のモチベーションが異様に高かったのは、ほぼ全裸の人魚と海中を泳ぎたいという至極まっとうで健全な思いもあったが、それ以上に引っかかったものがあったから。


 シーラの人間と海人族はともに生きていけない、という言葉だ。


 それは当たり前の言葉なのに、男にはどうしてか受け入れがたいものだった。


「気が合わないとか、タイプじゃないとかならともかく……種族が違うから……生きていける環境が違うから……だから一緒に生きていけないなんて……寂しすぎるだろうが……。種族間にそんな溝があるなら、そんなのは……俺が埋めてやる…… ! 」


 巨大な爬虫類に、脚の代わりにヒレがついたようなモンスターがそこに転がっていた。


 おそらくさらに巨大な鮫にでも襲われたのだろう。


 巨大な噛み跡に腹をえぐられている。


 男は彼の髪の毛に隠していた知能を持つアイテムインテリジェンスの髭型万能ツールを取り出して装着し、さらに剣を持って、化け物の死骸を解体しだす。


(あれは……昨日の夜の……。でも何してるんだろう ? そう言えば人間は十月の女神様から「職業」の恩寵を授かるって聞いたことがあるけど……。その「職業」の中にモンスターの素材から泳げるようになる道具でも作ることができるものでもあるのかしら ? )


「……わかんないけど……私と一緒に泳ぐために、あれだけ必死になってくれてるのは……少し嬉しいかも……」


 そう呟いて、人魚は海中に消えた。





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