第12話 I Love You Enough To Eat


「おいおい ! 昼間っから何やってんだよ ! 」


「そんなに見せつけたいのかよ ! 」


 美しい海中に、不似合いな怒号が醜く響いて、二人は弾かれたように離れ、男は慌てたように小型ボンベをくわえた。


「誰かと思ったらシーラじゃねえか ! 」


 三人の海人族が数メートルの距離をとって、男とシーラを取り囲むように泳いでいた。


(男の人魚……上半身は筋骨隆々の人間で、下半身は背の部分が青い……青魚か…… ? それにしても、人間の男は人魚の女にときめくけど、人間の女は人魚の男に惚れたりすんのかな…… ? )


 男が状況を把握しきれず、意味のないことを思考する中、三体は徐々に囲みの輪を縮めてくる。


「ん ? そいつは人間族じゃねえか !? 人間なんかとイチャついてたのかよ !! 」


 ゆらゆらと海中に長いマリンブルー色の髪を揺らめかせながら、人魚男達はいきり立つ。


 自分達を相手にもしなかった海人族の女が、こともあろうに海中で人間の男なんぞと身体を寄せ合っていたからだ。


「お前 !! 俺達のことは歯牙しがにもかけなかったのに !! 」


「あら ? 歯牙にかけて欲しかったの ? 」


 シーラが思う存分に口角を上げると、鋭い歯がギラリと顔を出した。


 それを見た三人組は少々ひるむ。


 シーラは、海中戦では水死体並みに活躍が期待できない男を守りながら対処せねばならない、こんな状況でも割と余裕があった。


 彼らは、かつて彼女が手ひどく振ったさばタイプの人魚達。


 たった三匹の鯖が鮫に勝てる道理はないからだ。


「まあまあ、落ち着けよ。お前は人間とのハーフだったな。やっぱり人間の男の方がいいのか ? 」


 圧倒的な戦闘能力の差をようやく思い出したのか、三人の中で一回り身体の大きい男が卑屈な笑みを浮かべながら、先ほどの荒々しい口調とは打って変わったように聞く。


「……そうよ。でも勘違いしないで。たとえあんた達が人間だったとしても、私はこの人のことを選ぶわ…… ! 」


 それは決定的な一言だった。


 三人の男を愚行へ走らせるための。


「……ふーん、そうか。で、その愛しい人間の男はお前の本当の姿・・・・を知っているのか ? 」


 鯖男が嫌らしい笑みを張り付かせて、言った。


「…………何を言ってんの ? こっちの……今の姿が私よ…… ! 」


 隣にいる男が今までに聞いたことのない、暗い海の底のように低い声だった。


「いやいや、あの姿こそがお前だって ! 」


 鯖人魚の一人が、煽るように二人の脇を泳ぎ抜けながら言う。


「そうそう、どんなモンスターでもお前にとっちゃあ餌にすぎないんだからな ! 」


 もう一人が反対側を泳ぎながら、言う。


「ところで……」


 改まって、二人の正面に位置する人魚が口を開く。


 二人はそちらへ視線を向けるが、男からはシーラがどのような顔をしているか見えなかった。


「どれくらいその男のことが好きなんだ ? 例えば……食べてしまいたいくらい、とか ?」


 男の背に鋭い痛みが走った。


 大量の空気が彼の口から洩れて、銀色に輝きながら海面へと向かう。


「何してんのよ !! ぶっ殺されたいの !! 」


 正面の男に気を取られていたせいで、脇を抜けて後ろに回り込んでいた鯖人魚への対処が遅れた。


「心配すんなよ ! 薄皮一枚、切っただけさ ! 」


 鯖の一人が鋭い爪の生えた手を海中でひらひらと振ってみせる。


「そんぐらいじゃ死なねーよ ! 陸の上ならな ! 」


(クソ…… ! 海中じゃ手も足も出ない ! 覚えとけよ ! 今度は水中銃でも創って……)


 男が忌々いまいましげに睨むも、すでに三人の鯖男達は遠くへ泳ぎ去っていた。


 そして男がシーラに向き直ると、明らかな異変があった。


 両手で口元を抑える彼女の下半身の魚部分が、少しずつ上半身を侵略していく。


(シーラ ? )


「……ジョン……逃げて……今すぐに……私から…… ! 」


 それだけを必死で言うと、彼女はものすごい速度で男から遠ざかっていく。


(なんだかわからないが……)


 心配しながらも、男は彼女の警告に従って、彼女と反対方向へと泳ぎ始める。


 男は真剣だが、それは海人族から見れば、ひどく緩慢な動きだった。


 一方、力の限り泳ぐシーラは上半身全てが下半身と同じように鱗に覆われ、そして本格的に変化が始まった。


 腕は鋭角なヒレとなり、背中からは大きなが飛び出し、青い鱗は灰色の鮫肌へと変わっていく。


 この世界の十二の種族は十二カ月の女神がそれぞれ生み出した。


 海人族を生んだ一月の女神、ギョスターニュが海人族に授けた「恩寵おんちょう」は「水生」と「海魔法」と、そして「変化」。


 その「変化」の恩寵を存分に受けたシーラは、鮫タイプの人魚は、戦闘などの興奮状態になった時、理性のない巨大な鮫へと変身してしまう。


 ただただ殺すための存在となるために。


 それは空腹状態で濃密な血の臭いを嗅いで本性が刺激された時も同様であった。


 満腹であればある程度コントロールも可能なのだが、ここに来るのを優先して昼食をとっていなかったのが良くなかった。


 やがて十メートルほどの一匹の巨大な鮫となった彼女は、音も無く反転して、空腹を満たすためだけに血の臭いの元へと泳ぎ始めた。


 後ろを振り向いた男は、口から大きな泡を噴き出し、必死で足ヒレのついた脚を動かすが巨大な鮫の速度に比べれば、まるでお話にならない遅さである。


 海水がすぐ後ろに巨大なモノが迫っていることを肌に伝え、男はなんとか身をよじってそれから逃れようとする。


 その鮫は巨大さが故に、水中での凄まじい突進力を持っていたが、同時にそれは急な方向転換を難しくしていた。


 男は彼を一呑みにできそうなくらい大きな口とそこに不揃いに並ぶそれぞれ30センチを超える牙をなんとか避けることができたが、その代償として巨大なヒレに跳ね飛ばされる。


 まるで自動車にはねられたような衝撃を受けて、男は海中を激しく回転しながら沈んでいく。


(……ダメだ……とても逃げられないし……今ので……意識が飛びそうだ……)


 数十メートル先でゆっくりと巨大な鮫の身体が180°反転して、こちらを向き、その無感情な真っ黒な瞳が男を見据えた。


 ふっと男の身体が仰向けになる。


(ああ、また白昼夢か……こんな時に……)


 白い闇の向こうに蒼い鎧が微かに見えた。


「……コレデ ボクノ ゴレンショウ ! ミツカイサマ ヨワイ ! 」


 ──何言ってやがる、さっきまで俺の百連勝だったじゃねえか、と男の口が勝手に動く。


(あれは……竜人ドラゴニュート…… ? 前に見た白昼夢は真っ赤な奴だったが……別の個体か…… ? )


 そのはっきりとは見えない蒼い影に向かって男は抑えるように手を伸ばす。


 その手は緑色の鱗に覆われて、まるで彼自身が竜人ドラゴニュートであるかのようだった。


「……アノキンイロノヨロイ ズルイ ミツカイサマノ チカラダケジャナイ」


 そう言って、蒼い影はそっぽを向く。


 その間にゆっくりと男は立ち上がった。


 視界に入る彼の身体は全て硬質な緑色の鱗に覆われていた。


「デモ イマノソノスガタハ ミツカイサマノタマシイノチカラ ソレニマケタラ ボクノマケデイイ」


 ふっと蒼い影が彼に近づいた。


「ネエ シッテル ?  ドラゴニュートハ ミンナ サイショオトコデウマレル デモ ホカノオトコニ タタカイデマケルト オンナノコノカラダニ ナッチャウ ソシテ カッタオトコノ ツガイニナル ダカラ ミツカイサマガ ソノスガタデ ボクニカッタラ…… ネエ ナンデ キョリトルノ ! 」


 男は蒼色の竜人から離れ、そして彼の身体を覆っていた鱗が消えていく。


 魔素を物質に変換して鎧としていたのが、元の魔素に戻ったのだ。


 「創造魔法」の奥義「物質創造」を完璧に使いこなせれば、魔素を完全に物質とすることができるが、今の男にはせいぜい五分間だけ魔素を任意の物質に変換することしかできなかったし、魔石のような複雑な構造物も創り出すことはできなかった。


 ころん、と元の姿に戻った男の胸から魔石が落ちる。



 男が意識を取り戻すと、口元の付け髭、知能を持つアイテムインテリジェンスの万能工具ツールが二本触手を伸ばし、一方は小型ボンベを男の口に押し当て、もう一方は透明な魔石を男の胸の真ん中に押し当てていた。


 そして方向転換を終えた鮫が、動き出す。


(……少しだけ思い出せた気がする……)


「……創着そうちゃく


 男の魂が生み出した奇跡の粒子である魔素が彼の全身を包み、それが物質へと変換されていく。


 衝撃吸収機構へ。


 人工筋肉へ。


 外皮へ。


 そして竜人となった男は胸に魔石をはめ込むと、その瞬間にそれは白く輝きだして、鮫の突進によって濁った海中を明るく照らしだす。


 その輝きは魔石が魔素を身体強化のエネルギーへと変換しているあかしであった。


 人間の肉体では到底耐えられないほどのエネルギーを存分に受けとり、人工筋肉と外皮はそれを力とする。


「うおおおおぉぉぉぉぉおおおおお !!」


 数メートル先まで迫った巨大な鮫の鼻先。


 竜人は咄嗟に思い切り水を下に蹴る。


 すると急激に上昇した身体の下を鮫が通り過ぎていく。


 そして足ヒレをつけた竜人は鮫の反対方向へと泳ぎだす。


 今度は先ほどと違い、すさまじい速度だ。


 そして彼はすぐに目的地へ辿り着いた。


 遠巻きに人間の男が、男を愛した鮫の女に食われるところを見物と洒落込んでいた鯖の人魚達の所へ。


「なんだてめえ !! 人間じゃなかったのか !? 」


 その問いに答えることもなく、男はすれ違いざま、握りこぶしの先から飛び出した四本の鋭い爪で三体の人魚を切る。


 ほんのちょっとだけ。


「何しやがる !? 」


「まずいぞ ! シーラがこっちに…… !? 」


「逃げるぞ !! 」


 腐りやすいことから「足が速い」と言われる鯖の逃げ足が、今ためされる。



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