第6話 夕陽の記憶



 百メートルほど歩いた男は、島の反対側にたどり着いた。


 こじんまりとした密林はまるで植物園のジャングルゾーンのようであり、それを抜けた先はまた地面が岩となり、さらに先には断崖絶壁があった。


 島を簡易的に文字で表すと以下である。



  海

  断崖絶壁

  密林

  岩壁 洞穴

  岩場 砂浜

  海



 男は砂浜からは見えなかった反対側の海を眺めた。


 するとそこにはいくつかの似たような大きさの小さな島とそのはるか先に、うっすらと水平線の上に山が見える。


「あれは……陸地だ…… ! 」


 男は絞り出すように呟いた。


 昼下がりに密林の中にある大きな岩の割れ目からちょろちょろと流れ出す小さな湧き水を発見した男は一端洞穴へ戻り、包帯と空の酒瓶を持ってきた。


 そして包帯の端をその割れ目に突っ込み、もう一方の端を空いた酒瓶に入れて、わずかな水を集める仕掛けをほどこし、懸案だった飲み水の確保を試みる。


 それから加工できそうな木を探したり、この島にかつて居た人間の跡を調査している内に太陽は水平線に近づき、赤くなっていた。


 彼は断崖に腰掛け、両足を空中に投げ出す。


 その六メートルほど下は朱に染まり始めた穏やかな海だった。


 夕陽を眺める男。


 昼間はまぶしすぎて直視できない太陽も、赤い夕陽となった今は彼の視線を受け入れてくれる。


「……人間も同じかもしれないな。頬を赤く染めてる相手には受け入れてもらえそうだし……」


 男は人魚のしかめっつらを思い出して、ひとちた。


 ペシ、と知能を持つアイテムインテリジェンスである付け髭が尖った片端を動かして彼の頬を軽く叩いた。


 まるで「何、カッコつけてんですか ? 」というように。


 男は苦笑して、ゆっくりと後ろに倒れた。


「……昼飯食ってないし……疲れた……」


 仰向けに大きな伸びを一つして、男が目を開けると、周囲は白い霧に包まれている。


 またか──とそろそろ白昼夢に慣れ始めた男はゆっくりと身体を起こすと、隣に誰かがいた。


 霧に包まれてはっきりとは見えないが、白く硬質なボディが夕陽によってあかくなっているのがわかる。


「……夕陽が美しいと私には感じることはできませんが、それでも私はこんな赤い太陽が好きですよ」


 どうして──と男の口が勝手に動く。


「……絶対に赤くなることのない私の作り物の頬っぺたが、あなたの前で赤くなってくれるからです」


 そう言って、白い霧のベールの向こうで朱に染まった硬質な顔が、表情は変わらないのに、はにかんでこちらを向いた。


 ふっと場面が変わる。


 どうして──とまた男の口が勝手に動く。


 白い霧に包まれながら、地面に転がる白い硬質な身体の誰かに対して。


「……あなたの幸せのために……私はつくられました。だから私はその使命を……果たしただけです。……それだけです」


 男の手が硬い身体に当てられ、彼の魂が生み出す奇跡の粒子である魔素が修復のためのエネルギーと物質に変換されていく。


「……魂石に致命的な損傷を受けました。手遅れです。仮に修復できても……今の『私』は消えてしまいます……でも……やめないでください……無駄でも……とっても温かいんです……あなたの手が……あなたの想いが……私が消えてしまうまで……続けて……最後から二つ目のお願い……」


 男が何かを叫び、手に込められる魔力は一段と大きくなる。


「……それから……もし私の残骸が利用できるようであれば……そこからアイテムをつくって……欲しいな……できれば……いつも装着できるような……ふふ……変なこと言って……ごめん……ね……これ……さい……ご……の…………」


 はっと男が目を開けると、先ほどより少しだけ夕陽が水平線に近くなっていた。


「……夢、なのか…… ? いや、それにしては……。ひょっとして失った記憶の断片…… ? 」


 男は両手で頭を抱えながら、ふらふらと立ち上がった。


「だとしたら、俺は思い出してやらなきゃならない……。なんとしても…… ! 」


 人は二度死ぬ、と言われる。


 一度目は肉体の死、そして二度目は、忘れられることによる死。


 男に湧き上がった使命感は、恐らくは自分のために死んだ相手をもう一度死なせるわけにはいかない、というものであった。


「とにかく陸地に帰る…… ! そうすれば俺のことを知っている人間がいるかもしれない ! 」



 シーラは一昨日まで無人島で、今は彼女の「運命の相手」が住まう島にようやくたどり着いた。


(砂浜に置いて行ってもいいけど……せっかくだから手渡ししてあげよう。喜ぶ顔が見れるかもしれないし……)


 彼女は手にした黄金色の魚を見やる。


 もし人間の漁師が釣り上げたなら、即座にその土地の領主に献上されるほどの高級魚だ。


 彼女は大きな声で、今朝彼女が男につけた名を呼ぶ。


 しかし返事はない。


(どうしたのかしら ? 洞穴で寝てるの ? それならいいんだけど……もし倒れてたら……)


 あの男は嵐の海を漂流してきたのだ。


 万全の体調であるはずがない。


(どうしよう !? ママは「絶対に陸に上がってはダメ」って言ってたけど……)


 シーラは少し考えた後、濡れた両腕を渇いた白砂につけた。


 匍匐ほふく前進でゆっくりと昼間の日光で焼けた熱い砂の上を這っていく。


 海人族は水に身体の一部でもつかかっていれば驚異の身体能力を発揮するが、陸に上がれば打ち上げられた魚と一緒で、全くの無力だった。


(ダメ……。力が入んない……)


 海中ではあれだけ自在に動けた身体は重く、自由がきかない。


 シーラは砂浜の半ばで動けなくなってしまう。


 身体と鱗が熱でヒリヒリする。


 すでに荒くなった呼吸をなんとか整えて、再び進もうと顔を上げると、目の前に男がいた。


 不思議そうに彼女を見つめている。


「何してんだ ? 」


「……あんたが返事しないからでしょ ! 」


 ツン、とそっぽを向くが、それは無意味だった。


「ひょっとして返事がないから心配してくれたのか ? 」


 否定しようと、慌てて前を向いたシーラは動きを止めた。


 男が初めて、彼女に対して笑顔を見せていたからだ。


 そんな彼女を男はいきなり熱い砂の上から抱き上げる。


「な、なにすんのよ ! 」


 シーラは恥ずかしさのあまり抵抗するが、陸の上の彼女は無力だった。


 いわゆるお姫様抱っこの状態から逃れることはできない。


 二人は、一枚の葉っぱとヤシの実ヘルメット以外何も身に着けていないほぼ全裸の男と、胸を小さな貝殻二枚で隠した気になっているほぼ全裸の人魚なのだから、否が応でも肌が触れ合ってしまう。


(焼けた砂をこれ以上進まなくてすむのは助かるけど……触れてるところが……もっと熱い……)


 抵抗をやめて両手で顔を覆う人魚。


(おっも…… ! こいつガタイいいし……下半身の魚部分も結構デカいし……)


 カッコつけた手前、弱音を吐くこともできずにふらふらと海へと向かう男。


 砂に足をとられた男は転倒して、そのはずみに人魚の胸をガッツリと揉んでしまう──なんてこともなく、二人は無事に波打ち際まで辿り着いた。


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