第5話 壁を乗り越えた男と魚を狩り終えた女



「……位置が記録できたようだな。よし追跡用の髭をリリースしろ」


 男の声に従って、立派なカイゼル髭から伸びた目に見えないほど細い一本の髭が切り離された。


「髭が『知能を持つアイテムインテリジェンス』だとはな……」


 男の声に反応したのか、付け髭の両端が上下して、彼の頬をくすぐった。


「……「知能を持つアイテムインテリジェンス」が何かはわかるが、何でこれを装着していたかがまるで思い出せない…… ! 」


 男は軽く頭を振る。


 髭の両端も何かを察したように下を向く。


「この髭の主な機能は三つ……まずは髭の形態を変える変装機能。それから探知機能、そして……」


 髭の片端が触手のように大きく伸び、その先端が丸くなる。


 その円盤状の先端は高速で回転しだし、男が手にした小さな白いナイフの刃を研磨し砥いでいく。


「簡易的な万能工具機能か……」


 砥ぎ終わったナイフの刃の切れ味が数段上がっているのは、ピカピカとなった見た目からでもわかるほどだった。


「……こんなアイテムを装着していた記憶を失う前の俺は一体…… ? ひょっとして犯罪者だったのか ? いやこの髭には他者を傷つける機能はない。ということは例え犯罪者だとしても……おそらく金持ちや貴族を専門に狙う『怪盗』だ…… ! 」


 男は作業を終えて元の形態に戻った口元の髭を一撫でする。


 髭は嬉しそうに髭の片端を男の指にからませた。


「だが……そうすると最初のプロファイリングでは俺は『狂戦士バーサーカー』だったという結論と矛盾するな……。待てよ。兼業ならどうだ。昼は『狂戦士バーサーカー』としておおっぴらに暴れまわり、夜は『怪盗』としてこっそりと荒らしまわる……か。昼夜関係なく24時間営業で迷惑な存在だな……」


 自らのプロファイリングセンスに絶対の無根拠な自信を持つ男は、そう自らの過去を新たに設定しなおし、とりあえず満足して立ち上がった。


「さて、とりあえず一つ壁を越えてみるか」


 修行中、もしくは自分よりレベルが上の強敵と対峙たいじした時に主人公が言いそうなセリフを吐いて、男はただ実際に壁を登るために歩きだす。


「この岩壁……つるつるして素手で登れそうにないな……。なんとかならないか ? 」


 五メートルほどの高さの岩壁の前で、男は「知能を持つアイテムインテリジェンス」である髭に問いかける。


 髭はしばらく悩んだように動かなかったが、やがて触手を伸ばして男の手をとり、岩壁に当てさせた。


 そしてもう一本触手を伸ばし、男の額を触り、そのまま首、肩、肘、手をなぞっていく。


「……何か『スキル』でも使えって言うのか ? 」


 髭の触手が△の形になる。


「わかったぞ。『怪盗』スキル『壁歩き』とかがあるんだな ! 」


 今度は大きな×が男の目の前に突き付けられた。


「ちがう…… ? とりあえず手に魔素を集中してみるか」


 小さな〇が男に与えられた。


 男は魂が作り出す魔素を魔力によって手に運ぶ。


 そしてその魔素は手から岩壁にゆっくりと浸透していく。


(なんだこの感覚…… ? 今なら岩壁の形を変えることができるような気がする)


 男が手で岩壁を押すとその動きに従って、岩壁がへこんでいく。


 驚いて手を引っ込めると、岩壁には縦10センチ×横20センチほどの四角い穴が空いていた。


「これが俺の……『怪盗』スキルか。これを繰り返して手がかりを作っていけば登っていけるな」


 小さな△をつくる髭を無視して、男は早速、手を上に伸ばして同じような穴を作り始める。


 そして穴が空けば、それに左手をかけ、最初に空けた穴に右足をかけて自らの身体を引き揚げ、次は右手を上に伸ばして、穴を空ける。


 それを繰り返して、男は壁を登っていった。


「……結構……きついな……穴を空けるのに集中力いるし……その間身体を固定してなきゃだし……」


 岩壁の天辺に手を伸ばした男の足がズルリと汗で滑る。


「うおっ !? 」


 一瞬、男の身体は宙に投げ出されたが、瞬間的に髭から黒い触手が二本伸びて、天辺に突き刺さり彼の身体を宙づりに留めた。


「イダダダダダダ !! 顔の皮膚が剥がれる !! 」


 顔に張り付いた付け髭だけで全体重を支えるはめになった男は叫びながら手足を振り回し、ようやく穴に再び手をかけて身体を安定させる。


 そして再び登り、ついに男は壁を一つ乗り超えた。


「……方法はともかく、助かったよ。ありがとう」


 男が引き攣った顔で髭を軽く一撫ですると、髭は嬉しそうに尖った両端を上下させる。


 彼は到達した岩壁の上に座り込んでから辺りを見渡す。


 すると予想よりもはるかに広いそこには、プロ野球ファンである彼がCSクライマックスシリーズ進出を賭けた贔屓ひいき球団のナイターのチケットよりも欲しいものがあった。


「……これで少しはこの島から脱出できる可能性が増えたな」


 男の視線の先には、小さな森があった。


 それは当然ながら木があるということ。


 すなわち木材があるということに他ならなかった。


いかだを作って……沖に商船でも通りかかった時にそこまで辿り着ければ……」


 男は岩から土に足裏の感触が変わったの感じながら、ゆっくりと歩いていくが、ふとその歩みが止まる。


 この島にかつて彼以外の人間がいた、これ以上ないほど直接的な証拠が転がっているのを発見してしまったからだ。




 シーラは海面近くを猛スピードで泳ぐ回遊魚の群れを追っていた。


(もうお昼過ぎちゃった……。お腹空かせてるだろうな……)


 彼女は無人島で彼女を待つしか食料を入手する手立てのない男の顔を思い浮かべた。


 手近な一匹に手を伸ばせば、すぐにでも捕まえることができそうなのに、彼女はそうしない。


(……でもせっかくだから一番いい奴を持っていってあげたいもん。……ママの言ってたことに反してるけど……これくらいいいよね ? )


 ようやくシーラは目的の一匹を見つけた。


 銀色に輝く流れの中に、黄金色の光がちらちらと覗いている。


(あれだ ! )


 彼女は速度を上げて、その光に近づき、それから深く潜った。


 見上げると輝く海面の下に銀色の河とその中に金色の点。


 彼女はその点に向かってすさまじい速度で浮上する。


 人間に比べて少しだけ大きめの口を開けると、そこには鮫を思わせる鋭角な歯が規則正しく綺麗に並んでいた。


 そして彼女は目的のものに衝突し、勢い余って海面へと躍り出る。


 太陽がどこまでも青い空の真ん中を過ぎた頃、下半身が青い鱗で覆われた人魚は彼女の上半身ほどの大きさの黄金色の魚をくわえて宙を舞う。


 たまたまその近くで漁をしていた同じ回遊魚狙いの漁船は、そんな彼女の姿を見て、まるでモンスターが現れたかのように慌てて動き出した。


 そんな人間達の動きを気にも留めず、ようやくお目当ての獲物を捕らえたシーラはとても満足そうに微笑んだ。


(今から島に戻ると夕方になるか……ちょうど晩御飯にいいわ ! )



「おい、大丈夫だ ! どっかに行っちまったぞ ! 」


 漁船の上では突如現れた人魚がいずこへか泳ぎ去ったことを確認して、安堵の溜息が漏れていた。



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