第3話 危険球と満月の夜に



 洞穴の入り口は東に面しているのか、男が青と紺の合間の空をさらに赤く染めている太陽の姿そのものを見ることはなかった。


 ガン !


 何か硬質なものが洞穴近くの岩壁にぶつかった音が、再びした。


 男はその音の方を見ずに、海へと目を向ける。


「……またあいつか…… ! 」


 そこには上半身だけを海面から出した人魚がいた。


 うすく夕陽色に彩られている彼女は、男の姿を確認すると強張こわばった表情となる。


 そして彼女は、大きく振りかぶった。


 男は反射的に背中の剣を抜き、構える。


 ゴウ、と空気を切り裂いて何かが投擲とうてきされた。


「うおおおおぉぉぉぉぉぉおおおお !!!!!!!!」


 男はまるでプロ野球のバッターのように投げられた拳大こぶしだいのものを打ち返そうとする。


 それは美しいバッティングフォームだった。


 投じられたものが野球ボールならば綺麗に剣でとらえていたことは間違いなかった。


 しかし実際に投げられたのは球形どころか、円錐形にとぐろを巻いたような貝。


 おまけに大小の突起まである。


 そんなものが空気抵抗を受けずに真っすぐ進むわけがない。


 ストライクゾーンから急に軌道を変えてホップした貝は、バッターの頭部へと向かう。


「ぐおっ !? 」


 スイング途中で、慌てて回避行動に移る男。


 かーん ! と乾いた音を立てて貝はヤシの実ヘルメットを吹っ飛ばした。


 咄嗟に後ろに倒れ込んだ男は、ふらふらと立ち上がる。


「うう……危険球で一発退場だぞ……」


 その呟きが聞こえたわけではないだろうが、人魚はそっぽを向いたと思ったら、すぐに海中へと消えていった。


「……何なんだあいつは…… ? こっちが先にこの世から退場しちまうところだったぞ……」


 男は座り込みながら、さきほどの勝負を振り返る。


「あんな滅茶苦茶な手投げの投球フォームなのに100マイル(160キロ)は出てたな……。ここから海まで50メートルはあるのに……。贔屓ひいき球団に欲しいくらいだ……。人魚って結構筋力あるのか ? まあずっと水中で泳いでるんだから一日中トレーニングしてるようなもんか。かわいい顔してたけど、肩幅は与田監督くらいあったし……」


 まるで意味のない分析を終えて、男は満足して立ち上がった。


「それにしても何を投げて来たんだ ? 」。


 岩壁に向き直った男は、貝殻が粉々に砕けて中味が、でろん、と露出している貝を見つける。


「朝もそうだったが、人魚ってのは海の生き物を使って攻撃してくるのか ? 海を汚す人間に海で生きる者達の怒りを表すために。いや……こんな風に海の仲間達を武器として使う方がよっぽど海の怒りを買うだろうし……まあいい。とりあえずもったいないから洗って食ってみるか……」


 男は、彼の頭蓋骨の代わりにひびをその身に刻んだヤシの実ヘルメットを逆さにして、その中に貝を放り込んでいく。


 その様子を海面に鼻から上だけを出して、沖から人魚が、じっと観察していた。


(……大丈夫みたいね。良かった…… ! )


 小さな水音を残して、今度こそ彼女は海中へと消える。


(手渡しであげればいいんだろうけど……あんな格好の男の人に近づくなんて絶対に無理……。恥ずかしすぎるし……それに……)


 小さな白い貝殻二枚を胸に張り付けただけの自らの痴女的な格好を棚に上げて、人魚は今朝の男の痴態を思い起こし、思わず両手で顔を覆った。


 そしてすでに遠い思い出となっている彼女の母とのやり取りを思い出す。


「ねえママ ! ママはパパとどうやって出会ったの !? 」


「ふふ、シーラ、パパは嵐の夜に流れてきたのよ」


「運命の相手って流れてくるものなの !? 」


「そうよ。海人族の女神ギョスターニュ様が定めてくれた生涯をともにする人が同じ海人族じゃなかった場合、その人は嵐の夜に流れてくるの。運命の相手を待つ海人族の女の元へね」


 母はそう言って、にっこりと幸せそうに笑った。


「じゃあ ! 私の運命の人も嵐の夜に流れてくるの !? 」


「ふふ、かもしれないわね」


 それ以来、シーラは嵐の夜に海面近くを泳ぐようになった。


 それを友達に言ったら大笑いされたけれど、彼女はそれを止めはしなかった。


 思い出の中の母の幸せそうな顔が、シーラにそうさせたのかもしれない。


 そして嵐の夜、いつものように海面近くを泳いでいた彼女に、悲痛な声が届いた。


 慌ててその発信源へ行くと、ちょうど男が荒波に飲まれたところだった。


(人間族の男 !? どうしよう !? とりあえずパパが暮らしてた島に…… ! )


 こうして男は九死に一生を得ることができたのだ。



(明日は朝ごはんと……あれを持っていってあげよう……そうすれば近くに行っても恥ずかしくないはず……早く朝にならないかな…… ! )


 人魚は弾むように泳ぎ、深海へと消えていった。



「……まるで監獄だな」


 男はそびえる五メートルほどの高さ、大体二階建ての建物ほどの高さの岩壁を見て、ぽつりと呟いた。


 座り込む彼の前には、集めた流木で起こした焚火とその中に鍋として放り込まれたヤシの実ヘルメットがあった。


「ある時は水を溜める容器、ある時はヘルメット、ある時は鍋、でありながらお前自体は何も変わってないんだよなぁ。変わったのは俺の方だ。俺がお前に何を求めるかだ。そしてそれにお前はいつもこたえてくれるんだなぁ……」


 寂しさのあまり、その中で貝を煮るヤシの鍋に話しかけだす男。


 静かに燃える炎から目線をあげると、そこには別の光があった。


 満天とはこういうことだ、と言わんばかりの星空。


 おまけに満月まで出ている。


 男はしばし時を忘れて空を見上げた。


 ふと気づくと、いつの間にか周囲を白い霧が包んでいる。


 一メートル先すらよく見えない。


「これは…… ? 」


 そして濃密な霧のカーテンの向こうに一つのシルエットがあった。


「……して……約束……その剣で……して……」


 その言葉に従って、男は剣を腰だめに構えて、切先を黒いシルエットへと向ける。


(な、なんだ !? 身体が勝手に…… ! )


 そして彼はそのシルエットに向かって突進した。


 剣が何かに刺さって、イヤな感触が両手で握った剣の柄から伝わってくる。


 黒いシルエットが息を漏らす。


「う……あ……」


 男は剣から手を放し、後ずさった。


「……今日は……この姿で……げる……」


 剣が刺さったまま、黒い影が飛び掛かってきた。



 じゅうぅぅぅうううう。


 鍋からお湯が吹きこぼれて火を消す音で、男は目を覚ます。


 そして慌てて居眠りの代償に対処し始める。


「あちちち……まったく…… ! 」


 なんとか剣を棒のように使って鍋を焚火から出すことに成功した。


「さっきのも夢か……夢だよな ? 」


 男は夢とは思えないようなリアルな両手の感触に、少しだけ震えた。



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