第2話 拠点確保



「ふう……なんだか久しぶりに食べた気がするな……」


 男は胡坐あぐらの体勢からそのまま後ろに寝転がろうとしたが、焼けた砂は彼の背中を優しく抱きとめることなく、機嫌の悪い時のヒステリックな女のように激しく拒絶する。



「アチチチ…… ! 日陰じゃないとおちおち休憩もできないか……」


 慌てて飛び起きた男は、再び周囲を見渡す。


 海から砂浜、そしてほぼ垂直に立つ黒い岩壁。


 五メートルほどの高さの岩壁の両端は海で、回り込むことはできないようだ。


 そして砂浜を岩壁に沿っていくと岩場となっている。


 海から向かって右側は砂浜で、向かって左側は岩場。


 太陽の位置から、岩壁が影を作ってくれるのはまだまだ先のようだ。


 男は溜息を吐いて、少し前に彼の喉を潤してくれた雨水が入っていた器を見やる。


「……デカいヤシの実を真っ二つに割ってある……。中味も綺麗にくりぬいてあるし……。断面も刃物で切ったみたいだ。ひょっとしてこれは誰かが作ったのか…… ? 」


 似たような器が、あと五つ転がっている。


 幸いにもひっくり返っておらず、よって雨水を溜めているのが三つあった。


 男は残り二つを拾いあげて砂を払い、次の雨に備えてセッティングした。


 そして最後の一つを帽子のようにかぶり、探索を開始する。


「フッ……。頭隠して尻隠さずってやつか……」


 ヤシの実ヘルメットを新たに装備して、剣を背中に斜め掛けした全裸の男はゆっくりと岩壁に沿って岩場の方に向かって歩き出す。


 直接、日光が頭に当たらないだけでも大きな違いがあるものだ。


 ゆっくりと歩いて行く男は、右側の黒い岩壁を見上げながら考える。


「……この岩の向こうはどうなってんだ…… ? 実はこの岩壁の上に街があって、無人島と思い込んだ俺が無意味にサバイバルを始めてたっていうのが一番なんだが……ん ? 」


 例え近くに街があっても、到底受け入れてもらえそうにない格好の男は、歩き続ける先にあるものを見つけた。


 自然と彼の足は速くなる。


「……洞穴どうけつか」。


 縦二メートル、横二メートルほどの穴がぽっかりと岩壁に空いていた。


 男はこの時間帯の太陽がちょうど中を照らす角度であるおかげで、明かりも持たずに中に入っていく。


 中は入口よりも広がっていて、天井は三メートルほどの高さで、奥行きは四メートルほどあったが、そこで行き止まりのようだ。


 踏みしめるのが熱い砂からひやりとした岩に変わり、男はほっとする。


 また湿度がそれほど高くないせいか、蒸し暑いことも無く、むしろ涼しく感じた。


「……とりあえず日陰は確保できたか……。だがそれよりも……」


 男の視線の先には、ここが無人島ではない、いや、なかった・・・・証拠があった。



「……この緑色は……乾いた藻か…… ? 長い間海中にあったのかな」


 彼はまず一抱ひとかかえほどの大きさの箱に手を伸ばした。


「蓋が開くな……。こいつは……救急箱 ? 」


 もはやきしみをあげることすらないほど腐食した蝶番ちょうつがいがちぎれるように取れて、露わになった中味は、数本の薬瓶と包帯。


 箱の外見とは裏腹に、おどろくほど綺麗な状態だった。


「空の瓶が多いな……。ここの先住者がこれを使わざるを得ないような危機に陥ったんじゃなけりゃいいが……」


 この場所にある危険は、もはや男自身の危険であった。


「残ってるのは回復薬が二本と……解毒薬が一本か……」


 なんのラベルも貼っていない、妖しげな色の液体の入った瓶を男は何の迷いもなく分類していく。


「結構上質な薬だな。いざという時はこれを使わせてもらうか……。だが一番高価なのは……この薬箱自体か……」


 そう言って、男は長年、海の底に沈んでいただろうに中の品質を保った箱を眺める。


「……どこかに時空魔法の魔石が仕込んであるはず……まあ後でいいか」


 続いて男が手にとったのは、古びた短い杖だ。


 先端に紅い宝石のようなものが付けられている。


 握りこぶし二つほどの長さの杖を手にした彼は、力を込めた。


 ボッと親指ほどの小さな炎が宝石の先にともる。


「この状況じゃあものすごく助かるアイテムだけど……魔素の変換効率が悪いにもほどがある。なあ…… ! 」


 男は誰かに呼びかけようとして、口をつぐんだ。


「……俺は誰に話かけようとしてたんだ…… ? それに……この知識は…… ? 」


 しばらくして、何も思い出せなかったのか、男は小さく頭を横に振って、調査を続ける。


「あとは釣り針のない釣り竿と釣り糸、それから空の酒瓶……か」


 しばらく使われた形跡のない釣り竿の立てかけられた岩壁に近づいた男は、そこにあるものを見つけた。


 明らかに人為的に削られた傷だ。


 規則的に数センチの溝が壁に並んでいる。


「何かを数えたのか…… ? 例えばこの島に来てからの日数とか ? 」。


 男は手にした杖にもう少しだけ多めに力を込めた。


 すると炎が大きくなり、広く壁を照らす。


「……見なきゃ良かった」


 傷は、壁一面にあった。


 それはそれだけの間、記録した者がこの島から出ることができなかったあかしであったし、出られなかった証でもあった。


「……もう少し日が傾くまで……夕方までここで寝るか……外は暑すぎる」


 男は比較的平らな部分を探し、頭に被ったヤシの実の断面を下にして、枕代りにして横になる。


(とりあえず拠点は確保できた……。あとは食料か……。それから水をもう少し確実に手に入れたいな……。でもここで長期間生きた人間がいるなら……)


 そんなことを考えながらも、記憶喪失の男はまどろみの中へ入っていく。




 男は濃い霧の中に立っていた。


 視界はほとんど遮られているが、時折白い霧の合間から見える風景から、ここが険しい岩山であることがわかる。


「ここは…… ? 」


 ふと目の前の白い霧のベールの向こうに誰かがいた。


 全身真っ赤で、ところどころ鋭角なシルエット。


 わかるのはそれだけ。


「……鎧 ? 」


 男が目を細めてそれを観察しようとした時、霧の向こうから声がした。


「……ンナノ……ユルサ……ナイ……ボクハ……ノタメニ……オンナノコ……シタノニ……」


(なんだ !? ノイズ混じりでよく聞き取れない ! )


「……ボクヲ……キョゼツスル…………シテヤル…… ! 」


 霧の向こうから赤い鎧の怒気が爆発して、男に飛び掛かってきた。


 ガン !


「うわあああぁぁぁぁぁぁああああああ !!!!!!!!!!」


 全身汗だらけで、男は跳び起きた。


 ガン !


「……なんだかとてつもなくごうの深い夢を見た気がする……。クソ、なんで寝たのに疲れなきゃならないんだ……」


 ガン !


「さっきから何の音だ ? 」


 男はヤシの実ヘルメットをかぶり、剣を背負って、すでに夕陽となっている外へ向かった。



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